大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)の
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)には
4月8日の項に、いわき市平菅波に鎮座する
大国魂神社につて、次のような記載がある。
八日 大國魂明神、城東一里六甼、菅波村ニアリ。
大物主神ヲ祀ル。神輿、豊間濱ヘ行幸アリ。
鐡砲ヲ打カケ、駈足ナリ。鉄砲ヲ放ス事ハ戰國ノ頃ヨリ始ル。
蓋シ、古式ニアラズ。此社ハ古代ヨリ靈地ノ變遷ナシ。
菅波村、古クハ國魂村ト称ス。同社所藏ノ文書、
正徳ヨリ貞治マデ、皆、國魂村トアリ。
又、延寳中、社地鬼椿ノ下ヨリ石室、管玉ヲ掘出セリ。
是皆、古跡ヲ証スルニ足ル。
祭りの際、神輿が豊間浜まで下ること、
その際に、鉄砲が撃たれることなど、
興味深いことが書かれている。
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)には
4月8日の項に、いわき市平菅波に鎮座する
大国魂神社につて、次のような記載がある。
八日 大國魂明神、城東一里六甼、菅波村ニアリ。
大物主神ヲ祀ル。神輿、豊間濱ヘ行幸アリ。
鐡砲ヲ打カケ、駈足ナリ。鉄砲ヲ放ス事ハ戰國ノ頃ヨリ始ル。
蓋シ、古式ニアラズ。此社ハ古代ヨリ靈地ノ變遷ナシ。
菅波村、古クハ國魂村ト称ス。同社所藏ノ文書、
正徳ヨリ貞治マデ、皆、國魂村トアリ。
又、延寳中、社地鬼椿ノ下ヨリ石室、管玉ヲ掘出セリ。
是皆、古跡ヲ証スルニ足ル。
祭りの際、神輿が豊間浜まで下ること、
その際に、鉄砲が撃たれることなど、
興味深いことが書かれている。