『磐城誌料歳時民俗記』の世界

明治時代の中頃に書かれた『磐城誌料歳時民俗記』。そこには江戸と明治のいわきの人々の暮らしぶりがつぶさに描かれています。

いわき湯本の温泉神社 三箱の湯

2007年05月06日 | 歴史
大須賀筠軒(おおすがいんけん 1841年~1912年)の
『磐城誌料歳時民俗記』(明治25年(1892)序文執筆)には、
いわき市常磐湯本に鎮座する温泉神社の祭礼についての記載もある。
旧暦4月8日の記事だ。

温泉明神、湯本村ニアリ。少彦名命ヲ祀ル。
按ニ、清和天皇、貞觀五年十月廿九日、
陸奥國無位八牡姫小結温泉神社ニ、
授従五位下ト三代實録ニ見ユ。
因テ、延喜式神名牒ヲ檢閲スルニ、
延喜式ハ貞觀五年ヨリ四十餘年ノ後ニ成ル。
是ヨリ先キニ授位アリシ神社ノ漏ルヽ筈ナキナリ。
陸奥大小一百座ノ内、温泉神社三所アリ。
其一ハ岩城郡、即此社ナリ。其二ハ玉造郡ニアリ。
一ハ温泉石神社トアリ。
即、川度(かわたび)温泉ノ石神社、是ナリ。
一ハ鳴子(なるこ)温泉ニアリ。此二社共ニ山間邉僻ノ地ニアリ。
其地モ亦古ヨリ名アル所ニアラズ。
岩城温泉ハ古歌称スル所ノ三箱御湯ニシテ、
古昔ヨリ名勝ノ區ナレバ、貞觀ノ授位ハ必ズ此社ナラント思ハル。
佐久間義和ノ觀跡聞老誌ニモ、之ヲ磐城温泉神社トセリ。
惟、旧記亡滅シテ、之ヲ証明スル能ハズ、特ニ惜ムベシト為ス。

いわきの常磐湯本こそが、
古くから歌に歌われてきた「三箱の湯」であると
大須賀筠軒は明確に述べている。
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