おさむのブログ

日常考えていることや、感じた事を書いています!!

ご近所つながりって、すばらしい!!

2012年08月10日 18時32分00秒 | 家づくり
最近よく言われることではあります。『ご近所関係が希薄になった』(ま、ご近所関係に関わらず、人間関係そのものが希薄なんですね)

でも、いま新築工事でお世話になっている市内のS様邸のご近所関係はそうではありません。すっごく濃い!!!

もともとは6年前にリフォーム工事でお世話になったI様が発端でした。何度も繰り返しリフォーム工事でお世話になったI様から、すぐご近所のY様をご紹介いただいて新築工事をさせていただいた。Y様とは、あの『花梨の古木』のお家です。するとまたご近所で親しくされているS様をご紹介させていただいて新築工事をさせていただいている。するとさらに、道路の反対側のご近所のIS様をご紹介していただいて屋根の葺き替え工事をさせていただいている・・・・。

父の工務店経営時代には、こういうことはよくあるお話しでした。『お前の仕事が気に入ったから、うちも頼む』という感じ。

でも現代はどちらかというと、『隣りが北澤工務店でやったから、うちは違うところで』みたいな風潮、あるじゃないですか。ご近所関係、お互い干渉しあわないように。だいたいお家を建てたいとかリフォームしたい話なんて、ヒミツですから。。。

この地のご近所関係は、違うんです。とってもあったかい。駆け引きのない信頼関係があるから、職人も安心していい仕事ができる。

『好循環』ですね。

さてさてそのS様邸。谷棟梁、8月末木工事完了に向けて、がんばってくださっています。内部はこんな感じ。



ちょっとした工夫ですね。通路にスイッチ類が出っ張るのを少しだけ埋め込む、という算段。



多くの職人を見てきていますが、『現場がきれいで道具を大切にする職人は腕がいい』のは間違いないです。



そのS様邸の前のお家が前述のIS様邸。屋根の葺き替え工事です。



午前中は風もなく、汗をぶち流して仕事に励むふるやさんチーム。



家づくりの仕事を通して、社会を見る。

家づくりの仕事って、おもしろいなぁ!!!

ではまた。

おさむ



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ふるやさん家族

2012年08月09日 09時47分16秒 | 世間ばなし
今週も山梨のかわらぶき職人ふるやさんチームが来てくださっているのですが、昨日はなんと!!わざわざ奥様が愛息二人を連れて龍ヶ崎まで来てくださいました。

そうだろうそうだろう。昨年来お父さん、ずいぶん茨城に来ているからね。子供たちも寂しいのだろう。『お父さんいなくて、さびしいか?』と尋ねると、間髪入れず、『うん』と。

その息子さんたち、ふたり共ピアノを弾くんです。カタロにはコクーンのゆうこちゃんより一時お預かりしているグランドピアノがある。もー喜んじゃって喜んじゃって!!!せっかくだから弾いていただきました。(笑)



なかなかうまい!!男の子がピアノを弾くのって、いいですよね!!



『グランドピアノが欲しいーー!!』と息子たち。

『んなムリに決まってんだろ!!』とはパパ。(笑)

しばしの歓談をした後、また、山梨に帰って行かれました。

家族って、いいなぁ。

ではまた。

おさむ



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千尋建築さん

2012年08月08日 18時11分54秒 | 家づくり
千尋建築さんこと椎名さんは、北澤工務店で修行して独立した、筋金入りの北澤工務店流棟梁です。というよりも、彼の場合はそれを見事に成長発展させて修得している、すばらしい大工になりました。

彼が入社したのは、もうかれこれ18年くらい前になるのかなぁ。いきなり爆音のバイクでやってきて、『大工になりたい。』ときた。

その後の彼の精進は、並みではなかった。いつも仕事が終わってから夜9時過ぎまで、道具の手入れをしていた。休みの日には現場に行って、親方の仕事を盗んで学んだ。『仕事は教えない。盗んで覚えろ』とは、職人の世界ではよく言われることだが、彼はその通りにやり続けた。

たいしたもんです、ほんと。

一時は宮大工の世界に身を投じたけれど、お宮の世界も現代式になっていることを体験し、『俺は町場の大工で行く』とこころに決めて仕事に励んでいます。

その千尋建築さんと久しぶりに一緒に仕事がしたくなったあたくし。今日のお仕事は物置のトタン屋根の改修ですから、まずは解体作業がある。そんならぼくでもできるわいと、午前中だけやってきました。

現場はこんな感じ。



二人で手際よく、どんどん壊します。



お昼にはこんな感じできれいに解体が完了しました。



いやー、久しぶりに二人で汗かいて、いい感じでした。千尋建築さんも同じようなことを感じてくれていたようです。

解体が終わったらぼくの出番はありません。(笑) お任せして、『んじゃ、よろしくーー!!』と。(笑)

こういう機会も、いいもんです。

ではまた。

おさむ



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雨漏り修理

2012年08月07日 18時21分24秒 | 家づくり
工務店にお問い合わせいただく修理修繕の中で、意外に多いのが『雨漏り』のご相談。今回のお問い合わせのお家は、年に一回あるかないか、というビミョーな雨漏りです。すぐには見つからないかも・・・・



雨漏り修理で一番やっちゃいけないのが、『たぶんここだろう』という、『だろう修理』。やっぱり原因を追究しなきゃならない。お客様からも『天井を張り替えてほしい』というご要望もいただいておりましたから、次のような手順を想定しました。(だいたい想定通りにならないことが多いのですが。。。)

① 天井の解体
② 散水による原因の追究
③ 原因の修理
④ 修理後に再度散水による確認
⑤ 確認ができたら天井の復旧

ということで、解体をした天井の裏側を見たら、前出の写真では『壁側』が漏れているように見えましたが、中心部からポタポタと水跡を確認。



ということは、『屋根』。瓦に異常はないから、壁と屋根の取次部分が怪しい。おっと、そこに水切り板金の継手があるではないか!!さらに、ほかの天井材の裏側にも同じような症状が見える。うんうん、これは間違いないかも。。。。

で、散水開始。



一定時間散水後、瓦をめくってみました。



間違いありません。

さらに奥を覗きこむと



年に一度あるかないかの激しい風雨のとき、水切り板金の継手から雨水が侵入し、のし瓦の裏側に落ちてしまい、瓦の下を雨水が流れ、瓦桟に水がたまり、釘穴を伝わって天井にポタリポタリ・・・・・。

間違いなさそうです。

あとは、先の手順に従って修理を進めるだけです。専門用語が多く申し訳ございませんでした。。。

ふぅ~。。。。まずはいい仕事、しました。

ではまた。

おさむ


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お盆に向けて

2012年08月06日 14時50分24秒 | 家づくり
建築業界に関わらずどんな業界でもそうかもしれませんが、一年間の中で『お盆前』と『年内仕事』は仕事が過密になります。お盆を越さない、年をまたがない、というのがなんとなく気持ちの上でしっくりくるのですね。

ということで北澤工務店の現場や事務仕事も忙しなくなってきています。職人からも『もーお盆前の仕事はムリだよー!!』なんて言われてしまいます。お見積もりの提出や請求書の提出も多々あって、季節感を感じるなぁ。

北澤工務店では例年ですと6日前後の夏季休暇をいただいているのですが、今年は

8月14日から8月22日まで

お休みをいただくことにいたしました。お客様にはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。転送電話がございますので、何かございましたらいつでもご連絡ください。

聞くところによれば、欧米では一カ月とか二カ月とか休暇を取ることができるそうですね。日本では一週間お休みをいただくのもなんとなく気が引ける。仕事を『罪』と考えた欧米思想との違いだという人もいるけれど、いずれにしても文化の違いって、おもしろいですね。

ではまた。

おさむ





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古材建築 構造材編その2

2012年08月05日 19時29分13秒 | 家づくり
『民家の古材を用いてくださる方をご紹介くださーーい!!』と呼びかけさせていただいたところ、フェイスブックの仲間や新築工事をご検討されているE様、NPO法人の方などから問い合わせをいただき、ありがとうございます。

やっぱりもったいないですよね、このお家。



多くの方が、『もったいない』『使ってみたい』とご検討はいただくのですが、やはり新しいものよりも費用がかかったり、既存の加工穴やキズが多くありますから、なかなか実現するのは難しい。。。

玄関横の大黒柱です。立派なケヤキの赤身を用いています。



差鴨居は、なんと3間飛んでいます。



構造材ではないですが、玄関の上り框もケヤキ材で、とても立派です。



小物もたくさんあるのですが、これは利用幅が広く、新築工事やリフォーム工事でも活躍しそうです。

よきご縁を結べることを祈っています。

ではまた。

おさむ


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8月度 東京思風塾

2012年08月04日 22時31分18秒 | 自分のこと
今日は、8月度の東京思風塾でした。講義中に自分なりにメモしたものをアップさせていただきます。間違っているところがございましたらご指摘ください!!!

平成24年8月4日 東京思風塾 例会
「人間らしい生き方とは~矛盾を生きる模索する存在~」

人間という存在は、宇宙の摂理の力によって与えられた存在。
人間とは、『目覚めたる宇宙である』

寝ていても死なない。ということは生きていること自体が、自分の力で生きているわけではない。いのちの中には宇宙の摂理が働いている、という事実。
『ホメオスターシス』
平衡作用。あらゆるいのちの機能の中に内在している。宇宙の摂理とは簡単に言えばプラスとマイナスがだいたい半分ずつある。宇宙とは、エネルギーバランス。
プラスとマイナスが対立することなく存在している。
我々人間も宇宙の中に存在しているのだから、その摂理から逃れることはできない。

宇宙は対によって存在している。光には影。上下左右。表には裏。清には濁。男には女。善には悪。美には醜。平衡作用とは、偏りが出そうになった時に戻そうとする働き。『動的平衡』

マイナスの面もプラスの面も必要であり、生かしてこそ宇宙の摂理。プラスにもマイナスにも、同等の意味と価値がある。悪は善と同等の価値がある。善が成り立つためには悪が必要なんだ。犯罪や事故が起こることで、より良い方向に現実を変えていくことができる。現実の社会の問題点を教えてくれている。

これまでの西洋的価値観は、矛盾を排除する。善は肯定、悪は否定。美を求め、醜を排除。正しいか間違いか。損か得か。アジア的価値観からすれば、『矛盾を内包した真実に生きる』(ぼくはこの言葉にいかほど救われたことだろう。うまくいかない自分、理想と現実のギャップ。この言葉は、「それでいいんだ」と教えてくれた。その矛盾の中に生きるんだ!という激しい意志をかきたててくれた言葉だ・笑)

これからは、矛盾を生かす生き方をしていくんだ。

生きているということは変化している、ということ。事故や犯罪が起こることで、変化が起こる。

いかなる善も、すべてが善だと思ってはならない。宇宙の摂理からすれば、だいたい半分はその善により不利益を被る存在があるということを忘れてはならない。その配慮を忘れてはならない。その生き方こそ、血の通ったあたたかな人間らしい生き方なのだ。

『対立という現象→勝ち負けを決める。』ではなく、対立の本質は、自分にないものを相手が持っているということであるから、勝ち負けではなく、相手の中にその本質を見い出し、それによってお互いに成長発展することにこそ、その真の意味と価値がある。

『ゆらぎ』
バランスをとるということ。量子力学による解明。宇宙には法則は存在しない。一瞬一瞬ゆらぎながら秩序を創造しながら成長発展している。物質は常に揺らいでいる。固定化されていない。(自分にフォーカスしてみると、「ゆらいでいいんだ」と思えた時にいかに楽になったことか。さらに言えば、「ゆらいでこそ」人間らしい生き方なんだと思えたら、全肯定の生き方ができる)
『ゆらぎとは迷いではない。』(こりゃすごい言葉だ!!)ゆらぎは、強烈に最適な状態を模索する。似て非なるもの。いかに在るべきか、いかに為すべきか、いかに成るべきか。
迷いを脱するは決断にあり。

宇宙の中に存在する人間であるから、人間も宇宙そのものである。人間も宇宙を生きなければならない。宇宙には無駄がない。だから人間も何一つ否定しない捨てない。すべてを生かしてこそ宇宙を生きるということ。人間らしく生きるということ。

命に目覚めるという自覚的生き方
できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい、というのが『いのちの根源的欲求』そのためにはどうしたらよいか。愛の実現への道のり。

命を大切にするならば、命が危険さらされる対立や戦争は望ましくない、生きづらい。いのちがみんなと仲良く信じ合って生きたい、とは母なる宇宙の祈りであり願いである。いまの国際法からして、問題解決の最終手段が『戦争』であることを認めている。がしかし、それによって真の意味で『解決』することはない。現代の対立の解決方法 5つ。
1.説得する 2.妥協点を模索する 3.服従しこびへつらう 4.関係を断絶する・逃げる
5.戦争
家庭や職場も同じ。この問題解決方法しかないがごとし。しかし、人間のいのちの根源的欲求は『できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい』。自分も相手も同じ根源的欲求にある。どうすれば仲良く信じ合えるのか、あきらめずにどこまで求め続けられるのかが問われる。

競争はなくならない。競争という関係性から出てくるエネルギーを、相手をぶっ潰す、勝ち負けというエネルギーに使うのではなく、自己変身、自己創造、自己変革という自らを成長させるというエネルギーに焦点を合わせる。これが『脱・競争』。

企業が生き残っていくポイントは二つ。①顧客のニーズに応え続ける ②顧客が気づいていない暮らしや商品の創造 (そぉーかなぁ。。。ぼくはそうは思わんなぁ。今と変わらんじゃん。先生の言う『企業』の定義とぼくの会社経営が異なるのかもしれないけど、あんまりピンとこないなぁ。だいたい、生き残るって言葉が好きでない・笑)

戦争のない平和な世界をつくるためには、核兵器をなくす、宗教や人種の差別をなくす、のではなく、『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章前文)』いのちの根源的欲求に気づき、それを顕現する以外にない。

いかなる理由があろうとも、人を責めるということは、自らの人格が下がるということ。人を傷つけたり関係性を断絶する『正しさ』は悪である。人間的な配慮のある、血の通ったあたたかな対応を『模索してこそ』、それをあきらめずに自覚した生き方をしてこそ、人間らしい生きかた。

日本語は、世界で最も繊細で美しく細やかな表現のできる言語。現代はそれが失われつつある。現代人はもっと日本語を学ばなければならない。ボキャブラリーがあまりにも貧弱になった。

人間は38億年の命の歴史を背負って生きている。自分が生まれて死ぬまでの間に起こる出来事は、命に内在しているものである。(あ~、この辺はよくわかんな~い!!)

祖先が過去に犯した罪を、過去に積んだ徳を、いのちの働きとしていま生きているという因果律的なものも確かにあるけれど、いのちはそれだけに支配されているわけではない。命の連関性や遺伝子の働きも確かにあるけれど、この『いのち』は自由を選択することができる。徳を積むも罪を犯すも、意志の力によって選択することができる。

職業とは他人を幸せにすることによって自らも幸せになることができる、というのが『職業』のいのちに対する意味。職業の実践とは、38億年続くいのちの浄化である。人間とは、目覚めたる命である。

私のいのちは、38億年一度も負けたことがない。一度でも負けたらここにいない。勝ちっ放し。一度も断ち切れることがなかったからいまここに存在する。感謝してもしきれない。墓参りの意味はそこにある。

『人間とは目覚めたる命』を具体的に。
人間というものは、なんの為に生まれてきたのか。
人間とは、歴史をつくるために生まれてきたのだ。いのちをより良い方向に進化させるために生まれてきたのだ。我々が生まれてきたのは、新しい時代をつくるために生まれてきたのだ。
職業を通してそれを実現する。自分はこの仕事に歴史をつくるんだ。過去に誰もやったことがないことを一つでも付加して、死んでいくんだ。(ぼくは、家づくりという仕事を通して家族を見つめる、という命題を見つけた。家族の成長の器としての家づくりをしていく。「愛は家庭で育つ(更に言えば家庭以外では育たない)」のだから、ぼくにとってはこの仕事以上に意味のある仕事はない。今生、これでいい。)

人間は不完全を生きる。
自然界に起こる様々な現象から超越的存在を意識した→原始宗教の始まり。
目に見える背後に目に見えざる存在を意識しながら生きることができるのが人間。目に見える現実に支配されない。未来・理想・目標・夢・意味・価値・過去・・・を感じながら生きることができるのは人間だけ。
現実を抽象化する能力を持っているのが人間→言語をつくる能力。(うーーん、深い!)
神や仏はあるかどうかわからない→抽象概念の始まり。他の学問では言語が生まれた根拠は解明されていないが、感性論哲学は『感性』を根拠として解明した。

超越的な存在と対比することによって、人間が不完全な存在であることを自覚した。→自分とはなんなのか『人格』の発祥。
人間の格をつくる
第一原理は不完全であるという知識を体験や経験を通して肉化して顕現する。『不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ』
不完全であるがゆえに問題が起こる。問題のないことを願ってはならない。問題のない現実はない。神や仏のように完璧であったら人間ではなくなる。人間が神や仏みたくなってしまったら『人でなし』なんだ。(いやー、感性論哲学の実にコアな部分!!!)

不完全ということは、短所があるということ。短所がなくなったら人間じゃない。短所をなくしてはならない。短所がなくなってしまったら『謙虚』に成りえない。傲慢になる。短所をなくすための努力をするということはしてはならない。

短所を意識することによってこそ、人間は謙虚になることができるんだ。宇宙の摂理からして長所と短所は半分ずつある。

以上、まとまらないまとめでした。。。。。

ではまた。

おさむ

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つくば市O様の暮らし

2012年08月03日 20時02分09秒 | 家づくり
昨年お引渡しをさせていただいたつくば市のO様。今日久しぶりにおじゃましてまいりました。O様は家づくりが始まったときからブログを書いてくださっています。北澤工務店のHPから『お客様のホームページ』タグを。

http://e-kitazawa.com/

もしくは、O様のブログページ

http://ouchi514.blog129.fc2.com/

この文章を書きながらも笑顔になってしまう自分がいます。ほんとうにすばらしい。ほんとうに、いい感じなんだなぁ。

O様の生き方や考え方が、暮らしの中にそのまま映し出されている。等身大の暮らしが、在る。すばらしい。

O様と、職人・北澤工務店が一緒につくったお家を、『使い倒して』くださっている。

そんな写真を3枚ご紹介。

ピースサインをしてくれているのは、長男坊のあゆくん。いつもニコニコです。左側が本日の作品だそうです。テレビを置かないお家ですので、想像力が実に豊か。ぶら下がっている数々のロープにもひとつひとつ理由があって、まるで室内版ジャングルジムです。(笑)



奥にあるのがハンモッグ。せっかくだから伸ばしてもらいました。こりゃむっちゃたのしいわぁ~!!!!!



ウッドデッキには黄色い平ロープがピンピンに張られていて、こんな風に使うの!!とあゆくん。



とにかくとにかく、すごくないですかぁ!?あたくし、感動モノでした。

・・・・このお家で、子供たちが成長し、家族が成長していく。

ぼくは、ずーーーっと、見守っていくんだ。

この家づくりという仕事、最高です。

ではまた。

おさむ



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ひとつの夢の実現 報告

2012年08月02日 11時47分13秒 | 自分のこと
若者ふたりは、6時ぴったりに、約束の場所に来てくれました。

ぼくは、このことひとつにしてもうれしくてたまらない。すっぽかされても仕方ない、くらいに思ってましたから。さてさてどんな体験が待っているのやら!!!わくわく(笑)

富士山に向かい、富士宮口五合目から登り始めました。しばらく雲の中を歩く状態。



彼ら、日ごろの運動不足など感じさせない、すばらしい足取りでグングン登っていきます。すっかりぼくは置いてきぼりです(笑)7合目の山小屋前でいきなり『おさむちゃん!?』ってでっかい声で呼び止められた。なんと!!思風塾で一緒に勉強させていただいている山根さんではないですか!!!!!こんなこともあるんですね。社員のみなさんと登頂し、下山してきたところだと。思わず抱き合って喜びあいました。うれしかったなぁ(笑)

写真の先に見えるのが8合目です。



8合目を過ぎると雲の上にでました。すばらしい景色です。



なにか、『龍』を思わせる雲。



あまりにも足運びがよく、予定していた8合目宿泊では物足りない。明日登るなら今日登ってしまいたい。そんな声もあって、頂上直下の9合5勺の『胸突山荘』を今夜の宿と決めました。

でも彼ら、なんだかだんだん足取りがへん。休憩も多くなってきた。



すっげー!!きれい!!!すごいなぁ!!!、、、、そんな言葉はほとんど出ない。。。

9合目から先はほんとうに苦しそうだった。頭が痛い、とも言いだした。やっとの思いで目的の山小屋に到着。お天気は見事に素晴らしい。頂上まであと30分の位置です。



陽が西に傾き、『影富士』が雲海に見事です。



夕方5時過ぎ、カレーライスとカップラーメンを食べたおふたりさん。部屋に戻って寝る頃には『やっべー、むっちゃアタマいてぇー!!』

明らかに、高山病だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

寝たものの、眠れない。7時・8時・9時・・・・10時半ごろ、、、、もう、相当につらそうだ。ゲロ吐きたい、とも言いだした。もう一人も相当に頭が痛い、という。

もう、下山しかない。

あと30分で頂上だけれども、ムリだ。

いまの時間、どうやってマイカー規制の中下山したらいいのか予想もつかないが、とにかく下山しかない。

『下山』ふたりにはもはやその選択しかなかった。

満月だったんだろうか。月明かりがものすごく美しい。ヘッドライトの明かりを点けたくないくらい。風もなくとっても穏やか。彼らの心中と、かくもかい離しているこのコントラストに、この体験を与えてくださっている大いなる存在の取り計らいを感じないわけにはいかない。

そして、下山が始まりました。

激しい頭痛と、吐き気を模様しながらの下山は、ぼくが想像するよりもはるかにつらかっただろう。そして、さらに悪いことに、下山の時の最悪のパターンに陥った。膝を痛めてしまったのだ。これはあまりにも厳しい。

とにかくとにかく、月夜の登山道を、いっぽいっぽ、休み休み、下った。彼らにとってはまさに地獄絵のような体験だ。杖を貸してあげたり、水をあげたり、声をかけたりすることはできるけれど、それ以上のことはぼくにはできない。とにかく自分の足で、下りるしかないんだ。

そして、通常2時間半で下山できるところを、4時間かけて下りてきた。時計は午前3時を過ぎていた。

5合目駐車場では、この時期こういった下山者のために、24時間体制でタクシーが待機してくれていた。もしいなければ4時間野宿するつもりだった。

『助かった・・・』

・・・・・・・・・・・・・・

そのままぼくの車に乗り込み、突っ伏すように彼らは眠った。高速道路を飛ばし龍ヶ崎に着いたのは、午前6時過ぎでした。

彼らにとって、どんな体験になったのだろう。出てくる言葉は『最悪!』『二度と富士山なんていかない』とネガティブなものばかり。ぼくは言葉では伝えられないが、10年後でも20年後でも、この体験が生きることを、祈っている。

facebook mixiで応援してくださったみなさま、ありがとうございました。

ではまた。

おさむ









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ひとつの夢の実現、できるか!?

2012年08月01日 05時08分39秒 | 自分のこと
今日、ぼくのひとつの夢が実現できるかもしれない。

それは、

『若者と共に、富士山に登る』

ということ。

この混沌とした世の中に生き、文明の飽和状態の中で『したいこと』や『将来の姿』は、どうしたって不鮮明になる。

そんな彼らと共に、富士登山を体験したかった。

当初5人一緒に登るはずだったんだけど、3人がばっくれた(笑)。 でも、二人は、『ぜったい行きたい』って言ってくれた。

お天気が心配な今回の富士登山だけど、できるところまで彼らと体験してきます。富士登山はまるで人生の縮図だから。

彼らのこころの内に、響く体験となりますように。

6時集合なんですね。やつら、起きられるかなぁ。もう、わくわくドキドキが止まらない(笑)。先週の富士登山の筋肉痛がつらいあたくし。若者に、ぶち抜かれるんでしょうか(笑)。

ではまた。

おさむ



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