今日は、8月度の東京思風塾でした。講義中に自分なりにメモしたものをアップさせていただきます。間違っているところがございましたらご指摘ください!!!
平成24年8月4日 東京思風塾 例会
「人間らしい生き方とは~矛盾を生きる模索する存在~」
人間という存在は、宇宙の摂理の力によって与えられた存在。
人間とは、『目覚めたる宇宙である』
寝ていても死なない。ということは生きていること自体が、自分の力で生きているわけではない。いのちの中には宇宙の摂理が働いている、という事実。
『ホメオスターシス』
平衡作用。あらゆるいのちの機能の中に内在している。宇宙の摂理とは簡単に言えばプラスとマイナスがだいたい半分ずつある。宇宙とは、エネルギーバランス。
プラスとマイナスが対立することなく存在している。
我々人間も宇宙の中に存在しているのだから、その摂理から逃れることはできない。
宇宙は対によって存在している。光には影。上下左右。表には裏。清には濁。男には女。善には悪。美には醜。平衡作用とは、偏りが出そうになった時に戻そうとする働き。『動的平衡』
マイナスの面もプラスの面も必要であり、生かしてこそ宇宙の摂理。プラスにもマイナスにも、同等の意味と価値がある。悪は善と同等の価値がある。善が成り立つためには悪が必要なんだ。犯罪や事故が起こることで、より良い方向に現実を変えていくことができる。現実の社会の問題点を教えてくれている。
これまでの西洋的価値観は、矛盾を排除する。善は肯定、悪は否定。美を求め、醜を排除。正しいか間違いか。損か得か。アジア的価値観からすれば、『矛盾を内包した真実に生きる』(ぼくはこの言葉にいかほど救われたことだろう。うまくいかない自分、理想と現実のギャップ。この言葉は、「それでいいんだ」と教えてくれた。その矛盾の中に生きるんだ!という激しい意志をかきたててくれた言葉だ・笑)
これからは、矛盾を生かす生き方をしていくんだ。
生きているということは変化している、ということ。事故や犯罪が起こることで、変化が起こる。
いかなる善も、すべてが善だと思ってはならない。宇宙の摂理からすれば、だいたい半分はその善により不利益を被る存在があるということを忘れてはならない。その配慮を忘れてはならない。その生き方こそ、血の通ったあたたかな人間らしい生き方なのだ。
『対立という現象→勝ち負けを決める。』ではなく、対立の本質は、自分にないものを相手が持っているということであるから、勝ち負けではなく、相手の中にその本質を見い出し、それによってお互いに成長発展することにこそ、その真の意味と価値がある。
『ゆらぎ』
バランスをとるということ。量子力学による解明。宇宙には法則は存在しない。一瞬一瞬ゆらぎながら秩序を創造しながら成長発展している。物質は常に揺らいでいる。固定化されていない。(自分にフォーカスしてみると、「ゆらいでいいんだ」と思えた時にいかに楽になったことか。さらに言えば、「ゆらいでこそ」人間らしい生き方なんだと思えたら、全肯定の生き方ができる)
『ゆらぎとは迷いではない。』(こりゃすごい言葉だ!!)ゆらぎは、強烈に最適な状態を模索する。似て非なるもの。いかに在るべきか、いかに為すべきか、いかに成るべきか。
迷いを脱するは決断にあり。
宇宙の中に存在する人間であるから、人間も宇宙そのものである。人間も宇宙を生きなければならない。宇宙には無駄がない。だから人間も何一つ否定しない捨てない。すべてを生かしてこそ宇宙を生きるということ。人間らしく生きるということ。
命に目覚めるという自覚的生き方
できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい、というのが『いのちの根源的欲求』そのためにはどうしたらよいか。愛の実現への道のり。
命を大切にするならば、命が危険さらされる対立や戦争は望ましくない、生きづらい。いのちがみんなと仲良く信じ合って生きたい、とは母なる宇宙の祈りであり願いである。いまの国際法からして、問題解決の最終手段が『戦争』であることを認めている。がしかし、それによって真の意味で『解決』することはない。現代の対立の解決方法 5つ。
1.説得する 2.妥協点を模索する 3.服従しこびへつらう 4.関係を断絶する・逃げる
5.戦争
家庭や職場も同じ。この問題解決方法しかないがごとし。しかし、人間のいのちの根源的欲求は『できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい』。自分も相手も同じ根源的欲求にある。どうすれば仲良く信じ合えるのか、あきらめずにどこまで求め続けられるのかが問われる。
競争はなくならない。競争という関係性から出てくるエネルギーを、相手をぶっ潰す、勝ち負けというエネルギーに使うのではなく、自己変身、自己創造、自己変革という自らを成長させるというエネルギーに焦点を合わせる。これが『脱・競争』。
企業が生き残っていくポイントは二つ。①顧客のニーズに応え続ける ②顧客が気づいていない暮らしや商品の創造 (そぉーかなぁ。。。ぼくはそうは思わんなぁ。今と変わらんじゃん。先生の言う『企業』の定義とぼくの会社経営が異なるのかもしれないけど、あんまりピンとこないなぁ。だいたい、生き残るって言葉が好きでない・笑)
戦争のない平和な世界をつくるためには、核兵器をなくす、宗教や人種の差別をなくす、のではなく、『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章前文)』いのちの根源的欲求に気づき、それを顕現する以外にない。
いかなる理由があろうとも、人を責めるということは、自らの人格が下がるということ。人を傷つけたり関係性を断絶する『正しさ』は悪である。人間的な配慮のある、血の通ったあたたかな対応を『模索してこそ』、それをあきらめずに自覚した生き方をしてこそ、人間らしい生きかた。
日本語は、世界で最も繊細で美しく細やかな表現のできる言語。現代はそれが失われつつある。現代人はもっと日本語を学ばなければならない。ボキャブラリーがあまりにも貧弱になった。
人間は38億年の命の歴史を背負って生きている。自分が生まれて死ぬまでの間に起こる出来事は、命に内在しているものである。(あ~、この辺はよくわかんな~い!!)
祖先が過去に犯した罪を、過去に積んだ徳を、いのちの働きとしていま生きているという因果律的なものも確かにあるけれど、いのちはそれだけに支配されているわけではない。命の連関性や遺伝子の働きも確かにあるけれど、この『いのち』は自由を選択することができる。徳を積むも罪を犯すも、意志の力によって選択することができる。
職業とは他人を幸せにすることによって自らも幸せになることができる、というのが『職業』のいのちに対する意味。職業の実践とは、38億年続くいのちの浄化である。人間とは、目覚めたる命である。
私のいのちは、38億年一度も負けたことがない。一度でも負けたらここにいない。勝ちっ放し。一度も断ち切れることがなかったからいまここに存在する。感謝してもしきれない。墓参りの意味はそこにある。
『人間とは目覚めたる命』を具体的に。
人間というものは、なんの為に生まれてきたのか。
人間とは、歴史をつくるために生まれてきたのだ。いのちをより良い方向に進化させるために生まれてきたのだ。我々が生まれてきたのは、新しい時代をつくるために生まれてきたのだ。
職業を通してそれを実現する。自分はこの仕事に歴史をつくるんだ。過去に誰もやったことがないことを一つでも付加して、死んでいくんだ。(ぼくは、家づくりという仕事を通して家族を見つめる、という命題を見つけた。家族の成長の器としての家づくりをしていく。「愛は家庭で育つ(更に言えば家庭以外では育たない)」のだから、ぼくにとってはこの仕事以上に意味のある仕事はない。今生、これでいい。)
人間は不完全を生きる。
自然界に起こる様々な現象から超越的存在を意識した→原始宗教の始まり。
目に見える背後に目に見えざる存在を意識しながら生きることができるのが人間。目に見える現実に支配されない。未来・理想・目標・夢・意味・価値・過去・・・を感じながら生きることができるのは人間だけ。
現実を抽象化する能力を持っているのが人間→言語をつくる能力。(うーーん、深い!)
神や仏はあるかどうかわからない→抽象概念の始まり。他の学問では言語が生まれた根拠は解明されていないが、感性論哲学は『感性』を根拠として解明した。
超越的な存在と対比することによって、人間が不完全な存在であることを自覚した。→自分とはなんなのか『人格』の発祥。
人間の格をつくる
第一原理は不完全であるという知識を体験や経験を通して肉化して顕現する。『不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ』
不完全であるがゆえに問題が起こる。問題のないことを願ってはならない。問題のない現実はない。神や仏のように完璧であったら人間ではなくなる。人間が神や仏みたくなってしまったら『人でなし』なんだ。(いやー、感性論哲学の実にコアな部分!!!)
不完全ということは、短所があるということ。短所がなくなったら人間じゃない。短所をなくしてはならない。短所がなくなってしまったら『謙虚』に成りえない。傲慢になる。短所をなくすための努力をするということはしてはならない。
短所を意識することによってこそ、人間は謙虚になることができるんだ。宇宙の摂理からして長所と短所は半分ずつある。
以上、まとまらないまとめでした。。。。。
ではまた。
おさむ
平成24年8月4日 東京思風塾 例会
「人間らしい生き方とは~矛盾を生きる模索する存在~」
人間という存在は、宇宙の摂理の力によって与えられた存在。
人間とは、『目覚めたる宇宙である』
寝ていても死なない。ということは生きていること自体が、自分の力で生きているわけではない。いのちの中には宇宙の摂理が働いている、という事実。
『ホメオスターシス』
平衡作用。あらゆるいのちの機能の中に内在している。宇宙の摂理とは簡単に言えばプラスとマイナスがだいたい半分ずつある。宇宙とは、エネルギーバランス。
プラスとマイナスが対立することなく存在している。
我々人間も宇宙の中に存在しているのだから、その摂理から逃れることはできない。
宇宙は対によって存在している。光には影。上下左右。表には裏。清には濁。男には女。善には悪。美には醜。平衡作用とは、偏りが出そうになった時に戻そうとする働き。『動的平衡』
マイナスの面もプラスの面も必要であり、生かしてこそ宇宙の摂理。プラスにもマイナスにも、同等の意味と価値がある。悪は善と同等の価値がある。善が成り立つためには悪が必要なんだ。犯罪や事故が起こることで、より良い方向に現実を変えていくことができる。現実の社会の問題点を教えてくれている。
これまでの西洋的価値観は、矛盾を排除する。善は肯定、悪は否定。美を求め、醜を排除。正しいか間違いか。損か得か。アジア的価値観からすれば、『矛盾を内包した真実に生きる』(ぼくはこの言葉にいかほど救われたことだろう。うまくいかない自分、理想と現実のギャップ。この言葉は、「それでいいんだ」と教えてくれた。その矛盾の中に生きるんだ!という激しい意志をかきたててくれた言葉だ・笑)
これからは、矛盾を生かす生き方をしていくんだ。
生きているということは変化している、ということ。事故や犯罪が起こることで、変化が起こる。
いかなる善も、すべてが善だと思ってはならない。宇宙の摂理からすれば、だいたい半分はその善により不利益を被る存在があるということを忘れてはならない。その配慮を忘れてはならない。その生き方こそ、血の通ったあたたかな人間らしい生き方なのだ。
『対立という現象→勝ち負けを決める。』ではなく、対立の本質は、自分にないものを相手が持っているということであるから、勝ち負けではなく、相手の中にその本質を見い出し、それによってお互いに成長発展することにこそ、その真の意味と価値がある。
『ゆらぎ』
バランスをとるということ。量子力学による解明。宇宙には法則は存在しない。一瞬一瞬ゆらぎながら秩序を創造しながら成長発展している。物質は常に揺らいでいる。固定化されていない。(自分にフォーカスしてみると、「ゆらいでいいんだ」と思えた時にいかに楽になったことか。さらに言えば、「ゆらいでこそ」人間らしい生き方なんだと思えたら、全肯定の生き方ができる)
『ゆらぎとは迷いではない。』(こりゃすごい言葉だ!!)ゆらぎは、強烈に最適な状態を模索する。似て非なるもの。いかに在るべきか、いかに為すべきか、いかに成るべきか。
迷いを脱するは決断にあり。
宇宙の中に存在する人間であるから、人間も宇宙そのものである。人間も宇宙を生きなければならない。宇宙には無駄がない。だから人間も何一つ否定しない捨てない。すべてを生かしてこそ宇宙を生きるということ。人間らしく生きるということ。
命に目覚めるという自覚的生き方
できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい、というのが『いのちの根源的欲求』そのためにはどうしたらよいか。愛の実現への道のり。
命を大切にするならば、命が危険さらされる対立や戦争は望ましくない、生きづらい。いのちがみんなと仲良く信じ合って生きたい、とは母なる宇宙の祈りであり願いである。いまの国際法からして、問題解決の最終手段が『戦争』であることを認めている。がしかし、それによって真の意味で『解決』することはない。現代の対立の解決方法 5つ。
1.説得する 2.妥協点を模索する 3.服従しこびへつらう 4.関係を断絶する・逃げる
5.戦争
家庭や職場も同じ。この問題解決方法しかないがごとし。しかし、人間のいのちの根源的欲求は『できることならみんなと仲良く信じ合って生きたい』。自分も相手も同じ根源的欲求にある。どうすれば仲良く信じ合えるのか、あきらめずにどこまで求め続けられるのかが問われる。
競争はなくならない。競争という関係性から出てくるエネルギーを、相手をぶっ潰す、勝ち負けというエネルギーに使うのではなく、自己変身、自己創造、自己変革という自らを成長させるというエネルギーに焦点を合わせる。これが『脱・競争』。
企業が生き残っていくポイントは二つ。①顧客のニーズに応え続ける ②顧客が気づいていない暮らしや商品の創造 (そぉーかなぁ。。。ぼくはそうは思わんなぁ。今と変わらんじゃん。先生の言う『企業』の定義とぼくの会社経営が異なるのかもしれないけど、あんまりピンとこないなぁ。だいたい、生き残るって言葉が好きでない・笑)
戦争のない平和な世界をつくるためには、核兵器をなくす、宗教や人種の差別をなくす、のではなく、『戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(ユネスコ憲章前文)』いのちの根源的欲求に気づき、それを顕現する以外にない。
いかなる理由があろうとも、人を責めるということは、自らの人格が下がるということ。人を傷つけたり関係性を断絶する『正しさ』は悪である。人間的な配慮のある、血の通ったあたたかな対応を『模索してこそ』、それをあきらめずに自覚した生き方をしてこそ、人間らしい生きかた。
日本語は、世界で最も繊細で美しく細やかな表現のできる言語。現代はそれが失われつつある。現代人はもっと日本語を学ばなければならない。ボキャブラリーがあまりにも貧弱になった。
人間は38億年の命の歴史を背負って生きている。自分が生まれて死ぬまでの間に起こる出来事は、命に内在しているものである。(あ~、この辺はよくわかんな~い!!)
祖先が過去に犯した罪を、過去に積んだ徳を、いのちの働きとしていま生きているという因果律的なものも確かにあるけれど、いのちはそれだけに支配されているわけではない。命の連関性や遺伝子の働きも確かにあるけれど、この『いのち』は自由を選択することができる。徳を積むも罪を犯すも、意志の力によって選択することができる。
職業とは他人を幸せにすることによって自らも幸せになることができる、というのが『職業』のいのちに対する意味。職業の実践とは、38億年続くいのちの浄化である。人間とは、目覚めたる命である。
私のいのちは、38億年一度も負けたことがない。一度でも負けたらここにいない。勝ちっ放し。一度も断ち切れることがなかったからいまここに存在する。感謝してもしきれない。墓参りの意味はそこにある。
『人間とは目覚めたる命』を具体的に。
人間というものは、なんの為に生まれてきたのか。
人間とは、歴史をつくるために生まれてきたのだ。いのちをより良い方向に進化させるために生まれてきたのだ。我々が生まれてきたのは、新しい時代をつくるために生まれてきたのだ。
職業を通してそれを実現する。自分はこの仕事に歴史をつくるんだ。過去に誰もやったことがないことを一つでも付加して、死んでいくんだ。(ぼくは、家づくりという仕事を通して家族を見つめる、という命題を見つけた。家族の成長の器としての家づくりをしていく。「愛は家庭で育つ(更に言えば家庭以外では育たない)」のだから、ぼくにとってはこの仕事以上に意味のある仕事はない。今生、これでいい。)
人間は不完全を生きる。
自然界に起こる様々な現象から超越的存在を意識した→原始宗教の始まり。
目に見える背後に目に見えざる存在を意識しながら生きることができるのが人間。目に見える現実に支配されない。未来・理想・目標・夢・意味・価値・過去・・・を感じながら生きることができるのは人間だけ。
現実を抽象化する能力を持っているのが人間→言語をつくる能力。(うーーん、深い!)
神や仏はあるかどうかわからない→抽象概念の始まり。他の学問では言語が生まれた根拠は解明されていないが、感性論哲学は『感性』を根拠として解明した。
超越的な存在と対比することによって、人間が不完全な存在であることを自覚した。→自分とはなんなのか『人格』の発祥。
人間の格をつくる
第一原理は不完全であるという知識を体験や経験を通して肉化して顕現する。『不完全性の自覚からにじみ出る謙虚さ』
不完全であるがゆえに問題が起こる。問題のないことを願ってはならない。問題のない現実はない。神や仏のように完璧であったら人間ではなくなる。人間が神や仏みたくなってしまったら『人でなし』なんだ。(いやー、感性論哲学の実にコアな部分!!!)
不完全ということは、短所があるということ。短所がなくなったら人間じゃない。短所をなくしてはならない。短所がなくなってしまったら『謙虚』に成りえない。傲慢になる。短所をなくすための努力をするということはしてはならない。
短所を意識することによってこそ、人間は謙虚になることができるんだ。宇宙の摂理からして長所と短所は半分ずつある。
以上、まとまらないまとめでした。。。。。
ではまた。
おさむ
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