深い学びとなった知覧を後にして、鹿児島市内にある南洲神社・南州墓地に向かいました。ここは西郷隆盛を慕い、西郷と共に西南の役を戦い、没した戦士の墓があります。中央に西郷隆盛が、そして篠原国幹や桐野利秋、別府晋介、村田新八など、歴史好きにはたまらない方々が眠ります。
しかし、私たちが向かったのはそこではなく、墓地の一番下、正面に向かって左側にある『増田宗太郎之墓』『中津隊士之墓』です。墓地は皆南側を向いている。しかしこの墓碑だけは中津を向いている。その一連のドラマはここに書ききれませんので、ぜひネットで検索してみてください。増田宗太郎の名言『一日先生に接すれば一日の愛が生ず・・・』と。そして城山で自決しました。享年28歳。
次に向かったのが私の大好きな場所、『西郷隆盛蘇生の家』です。ここは恩人である月照と無理心中を図った西郷が蘇生した場所です。この時月照は溺死しています。本来この時西郷は改めて自決するのが当然であったでしょう。しかし西郷は自らを『土中の死骨』といい、生きることを選択したのです。その後の西郷の躍進はここに書くまでもありませんね。行徳先生もおっしゃいます。『傷を負った人間こそ本物である』と。そしてこの地は、その西郷が目を覚ました場所。目の前の錦江湾も桜島も160年前と同じといっていいでしょう。私自身、『よし、やるぞ!!』と心を新たにしたのでした。
この旅もいよいよ大詰め。最後の訪問先は『霧島神宮古宮址』です。
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ではまた。
おさむ
しかし、私たちが向かったのはそこではなく、墓地の一番下、正面に向かって左側にある『増田宗太郎之墓』『中津隊士之墓』です。墓地は皆南側を向いている。しかしこの墓碑だけは中津を向いている。その一連のドラマはここに書ききれませんので、ぜひネットで検索してみてください。増田宗太郎の名言『一日先生に接すれば一日の愛が生ず・・・』と。そして城山で自決しました。享年28歳。
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