Dr. Mori Without Borders / Mori-san Sans Frontieres

森 一仁が医学・国際政治経済金融・人文教養教育など関心問題を国際的・学際的に考える。

かにぱんの神学

2008-04-22 04:49:22 | 哲学・形而上学:宗教・超心理・神秘学
「人は“かにパン”のみにて生くるにあらず。」こう主は言われなかったが、しかしパンのみで人は生かされていないことは確かである。パンだけが人を生かす訳ではないと語っていると、横にいた滞米歴の長いインドの友人が「オレはミルクも欲しいな。」と述べたことが印象的だった。

目に見える物質的な食糧・栄養源の象徴としてのパン、この俗世間をも象徴しうるパンが人の生命・人生の根源では無い事は、先進国の乾いた魂を持つ人々を見れば首肯されよう。パンが空腹を満たすようには我々の乾いた魂は満たされ得ないからである。

さて伝統的キリスト教の中では復活祭直前の霊的修行の一環として大斎(Great Lent, おおものいみ)が重要である。動物性食品を避けて慎み、祈りと反省と瞑想や各種の奉仕の生活が勧められる。無論、完全に定められた生活規範を守りとおせる事は少ない。

外食をすれば殺菌と調理の簡便性から揚げ物が出る。揚げ物や煮物の中でも動物性食品の無いものはない。野菜炒め定食でもベーコン等は必ず入る。うどんを食べれば、だしは魚食と代わりがない。動物性食品を避ける規範を守り通したとしてもなお、その事を誇りに思う恐れがある。かように、大斎中の祈りと菜食の生活は困難なのである。

もともと大斎は伝統的キリスト教の長い長い修道院生活の歴史から生まれてきたものだった。動物性食品を避けるとあるが、実はたこ・いか・えび・かにの類は良しとされている。青魚がダメで甲殻類は良いと言うのはおそらくコレステロール含有率とそれに付随する性ホルモンの活性化の問題をうまく避けたからであろうと以前述べた。

たこ・いか・えび・かには食べても良いとして、注目すべきが「かにパン」である。これは添加物も少なく、味わうに良しと言うパンである。わずかな甘さと、そして何よりも多量のお茶や紅茶を要する乾燥性はバターを塗って食べてもおいしいのだろうが、それよりは瑞々しいジャムの方が似つかわしい。

人はパンのみで生きるにあらず、さりとてかにパン無き大斎の何とも味気ないことよ。アミン。

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