熟年ドラキチ  さぁ人生はこれからだぁ^^ 

ドラキチ歴50年、 熟年・「オレ竜」の今日の”脳ミソの中身”

あの「天安門事件」から20年かぁ~。中国の言論統制は今だに健在。

2009-06-04 | 世の中のこと アレコレ
今でも私は20年前の今日の夜のテレビのニュースの映像を鮮明に覚えている。
1989年6月4日。
私は数年のヨーロッパ駐在を終えて、日本に帰国して1ヶ月余りの時だった。


中国北京の天安門広場で、政府が学生達の民主化運動を武力で強行に鎮圧
している風景。
「1人の学生が、民主化運動の鎮圧で天安門広場で進んでいる戦車の前に
立ちはだかった光景。」
武器も何も持たない1人の学生に、戦車は右へ左へ進路を変えようと、
右往左往としか出来なかった。

確か、6月4日という時点では中国政府も、自国で起こっている民主化運動を
海外メディアを通じて広く全世界に知られることを嫌い、既に海外のメディアも
国外に締め出されたり、報道制限はされていた時だったと思う。

しかし、中国で起こっていた民主化運動に対して、武力で力づくで鎮圧に走った
中国。 いくら報道統制をしても、この「映像」は日本にも世界にも配信され、
世界から中国は「人権問題」で大きな批判を浴びる事に。

湾岸戦争の時もそうだったが、この時も確か統制されている中で、中国から
色々と情報を配信したのはアメリカのCNNだったと記憶する。




「ネット民主」が改革圧力に=天安門事件、4日で20年-中国(時事通信) - goo ニュース   
(記事引用)
【北京4日時事】中国で学生らの民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件から、4日で丸20年を迎えた。事件の記憶が薄れる一方、インターネット社会の到来は知る権利や発言権に関する国民の意識を刺激。影響力を増すネット世論が、民主化を求め共産党一党独裁体制に挑む新たな改革圧力になり得るとして、当局も神経をとがらせている。

 中国では最近、ネット掲示板での議論をきっかけに、当局の不正追及に至る「ネット民衆一揆」が増加している。雲南省では、留置場で収容者が暴行され死亡した事件について、省当局が「躱猫猫(目隠し鬼)をしていて壁に頭をぶつけた事故」と発表。ネット上で事実隠しに批判が集まり、関係者が処分された例があった。

 こうした事態を受け共産党政権も、温家宝首相がネットで市民と2時間にわたり対話するなど、ネット上に反映された民意を重視する姿勢をアピールするのに必死だ。党中央編訳局の何増科・当代研究所長は「政治改革を通じ、国民の発言権などを拡大しない限り、双方の緊張関係は悪化してしまう」と警告している。

天安門事件 あす20年 中国、言論制限強める(産経新聞) - goo ニュース  
(記事引用)
【北京=野口東秀】中国で民主化運動が武力鎮圧された1989年の天安門事件から4日で20年となる。中国当局は当時の関係者や民主活動家に対し、事実上の軟禁措置を取るなどその言動を厳しく制限、大学でも思想統制を強めるなど抗議活動を完全に封じ込める構えだ。 ( 中略 )

中国共産党の一党支配の廃止を求め、昨年公表された「08憲章」の執筆者の一人、張祖樺・元共産主義青年団中央委員会常務委員(53)の場合、自宅の電話の呼び出し音は決して鳴らないようになっている。

 「当局が細工した」と明かす張氏の自宅マンションの周囲は、7、8人の当局者が常に監視。携帯やパソコンのメールも届かないことが多いという。

 天安門事件で失脚した趙紫陽元総書記の秘書、鮑●氏(76)は5月27日以降、北京を離れるよう強制措置が取られている。

 また、当局は北京の主要大学を対象に「学生に天安門事件への関心をもたせるな」と思想統制を強化。大学関係者によると、反政府的な考えをもつ学生を見つけ出す役割を担う組織もつくられたという。これらは20年前の天安門事件を教訓に、学生の動きと思想を把握し、「事前に運動につながる芽を摘み取る」(当局者)方策だ。

●=杉の木を丹に


私服警官、不審者チェック=事件20年の天安門広場-北京(時事通信) - goo ニュース

天安門事件20年 進む風化 民主運動再燃を警戒 格差拡大、一党支配に揺さぶり(産経新聞) - goo ニュース  



【熟年ドラキチ】
経済開放政策を推し進めていた、中国の時の実権者はトウ小平。
ただこの民主化運動を武力で鎮圧に動いたのもトウ小平。
今の中国はこの民主化を武力で鎮圧した保守派のリーダーの流れを汲んだ体制
である。 
    保守派  - 小平、李鵬、江沢民、
    穏健派  - 趙紫陽、胡耀邦

穏健派の趙紫陽は総書記時代にチベットを訪問し、チベットの人権問題に深く
ショックを受けて、今でも問題になっている「チベット問題」について、中国政府として
反省を求める談話も出した人だった。

歴史の出来事で「もし」と言ってっても取り返しがつかないが、
「もしこの民主化運動弾圧の天安門事件が起こっていなかったら、
いや、もしトウ小平が武力による弾圧を選択せず、趙紫陽が失脚していなかった
なら、その20年後の今の中国はどんな中国になっていたのだろうか?

民主化路線の趙紫陽が死んで、それを引き継ぐ胡耀邦も中国共産党の中での
権力闘争に敗れたから、中国という国は「経済改革解放」で経済発展はするが、
人権問題や言論の自由という民主化については、20年前と左程変わっていないとも
いえるのではないかなぁ。

天安門事件以後、世界各国から「人権問題」で大きな批判を浴び、経済制裁も
された中国。
私の仕事の取引先のお客さんで、中国が経済制裁で海外からの投資も控えられて
いる1990年代前半に中国に工場を作った会社がある。
このお客さんに、
「その様な時に中国に工場建設という投資をした会社は、非常に少なかったんでは
ないですか?」 と今から2年前に尋ねたところ、

「そうなんですよ。 天安門事件の影響で中国に投資をする会社は非常に珍しい
時代に、中国に投資をして工場を作ったので、今でも私たちの会社は、
何かと優遇されています」 という話を聴いた。

今現在でも中国政府は、チベット問題も人権問題も何もない中国と相変わらずの
スタンスで突っ張って、我が道を歩んでいる。
当然の事ながら、マスコミや報道、言論の自由はある程度統制しながら。

ココ最近では、噂ではあるが、e-mailでも中国とのやり取りにおいて、
e-mailの文面の中に「天安門と、6月4日」という言葉が入っているe-mailは
自動的に送受信できないように統制している話も、本当かどうか知らないが
飛び交っている。

民主化は進めずに、ひたすらに経済開放改革路線を突っ走ってきた中国。
皮肉な事に、昨年のリーマンショックからの世界的な不況・金融危機の現在の
世界経済においては、中国が昨年に打ち出した54兆円規模の経済対策が
日本を含め多くの世界の国々が「頼ろう」としているのも事実。

経済も大事。 しかし、人間が協調して民主的に生きていくには、
やはり人権の尊重や、言論の自由も必要。
経済発展だけの経済至上主義では、倫理性も欠けた「拝金主義」だけが
蔓延る可能性もある。

中国共産党内部か、またはその他の中国の組織からでもいいから、
趙紫陽、胡耀邦の考えの流れを汲む人が是非、出現してきてい欲しいものだ。

20年前に民主化運動で世界中にその名前が知れ渡ったウーアルカイシ
(吾爾開希)さん。 亡命の末、今は台湾で結婚して台湾に住んでいるという。
私が購読しているメルマガの記事の紹介によれば、
 
【宮崎正弘のメルマガより引用】
学生運動の象徴だったウアルカイシ(吾爾開希)やツァイリン(柴玲)らはそののち、外国での亡命生活で日々の糧を得るうちに精神が沈んだ。前者は台湾で結婚し、後者はヘッジファンド関連の仕事に埋没して、従来からの支援者を失望させた。
初志貫徹の中国民主党主席で『中国之春』の主宰者だった王丙章はベトナムから中国へ潜り込んで民主化運動の拡大を図ろうとしたが、広西チワン自治区で拘束され無期懲役のまま。

(当時の民主化運動の同志たちが、20年後の今、集まってみると)
ある者は大学教授、ある者は不動産業者であててベンツを乗り回す財閥になっていた。
大学教授は研究費を誤魔化して、デジカメの最新鋭を購入し、研究会名目で豪遊を繰り返す身分。そこには嘗て不正と不公平を糾弾し、特権階級の汚職と腐敗に立ち上がった正義がなかった。ニヒリズムでもない。独特な中華の虚無と強がりの空間。
不動産で成功を収め運転手付きの外車にのり、子供を英国へ留学させている嘗ての同士は「銀弾を共産党幹部に送りつけ、土地買収を容易にして、稼ぎに稼いだ。まもなく中国の不動産バブルは終わる。外国にマンションを買う」と嘯いた。共産党打倒の夢はどうしたのか?と水を向けると「やつらを銀弾で買収している。やつらこそ俺たちのカネの奴隷だ」と切り返した。 【引用終わり】


日本で学生運動が盛んだった頃の学生活動家も、その後の人生では
手のひらを返したように、学生の頃に批判をしていた対象やそれらの行動を
平気でやっているという話は、日本でもよく聞く話。

純粋な正義心だけでは、食ってもいけないし生活も出来ない。
これがその本音であろう。
私にも理解できるような気がする。 私は「学生運動世代」の後の世代ではあるが。

ただ、中国は未だ人権尊重や言論の自由は「先進諸国」と比べれば
これはまだまだ「お寒い状況」。
世界の中心であるという「中華思想」を標榜する中国が、これから世界の
主要国として活躍していくには、是非、この点の改革も成し遂げてもらいたい
と私は切望する。

それにしても1989年という年は、私にとっても区切りの年、ヨーロッパからの
駐在生活から日本に帰国でもあったから、覚えている事も多い。
この天安門事件もそうだが、もうひとつは、ベルリンの壁の崩壊である。
私はこの前年の1988年の夏のバケーションで、車でベルリンの壁を見に行っても
いたので、テレビで人々がベルリンの壁を壊している光景は、
非常に感慨深く見たものだった。


☆★☆追記☆★☆ 6月5日 2009年
民主化を支持していた当時の中国共産党の幹部が、天安門事件以来、
逮捕や、ず~と今まで自由を奪われた生活を強いられている記事が。
最高位の中国共産党幹部だった、鮑トン氏のインタビュー。
本当に中国という国は、まだまだ民主国家と言うには「程遠い」感じが。

20年後もいまだ軟禁中、天安門事件の逮捕者とお茶をいただく――フィナンシャル・タイムズ(1)(フィナンシャル・タイムズ) - goo ニュース 
 


にほんブログ村 オヤジ日記ブログ ちょい悪オヤジへ  世の中にはイロイロな ” オヤジ ”さんが、ブログを書いてますね~^^ 


最新の画像もっと見る

post a comment