オショロコマの森ブログ5

渓流の宝石オショロコマを軸に北海道の渓流魚たちと自然を美麗画像で紹介します、

礼文島久種湖アメマス釣りと南米猛魚ドラド釣り

2014-09-23 21:28:31 | 渓流魚、蝶、自然
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礼文島久種湖アメマス釣りと南米猛魚ドラド釣り



1986年5月3日、礼文島へ家族で渡って、日本最北の湖、久種湖(くしゅこ)でゴムボートを浮かべてアメマス釣りをしたことがある。今から28年も昔のことだ。

 実は、この1年前、「北海道の釣り」という釣り雑誌で早春の久種湖のアメマス釣りが紹介され、これが全国的にかなり大きな反響があった。

このとき、私自身も強いインパクトを感じ、翌年のゴールデンウィークの連休を利用して家族旅行も兼ねながらこの湖を訪れたのであった。


稚内への途中、とある町はずれに退役した自衛隊のF104J が展示してあった。



礼文島の玄関口、香深(かぶか)のフェリー付き場。


礼文島で、よくお世話になった 星観荘玄関。有名な ひこじ おじさんと。


ひこじ おじさんに抱かれた末娘。いまでは4人の子持ちです。



久種湖へいたる湿原の道と礼文島最高峰の礼文岳。


礼文島には蝶の調査で何度も来ていたが、まさかこの湖で大型アメマスが入れ食い状態で釣れるとは思ってもいなかった。

この時、1985年5月号の北海道の釣りの表紙写真が当時としては稀にみる素晴らしい傑作写真であった。


全国的にルアーフィッシングがすごい勢いで盛んになり始めていた頃でもあった。いたく感激した私はこの号だけは捨てずに記念にとってあったのだ。 


つい最近、当時のアルバムなど発見したおり一緒に出てきたのだが今やレアものの本だ。実は、この号以外にも久種湖で30cm前後のアメマスを爆釣した記事がカラー写真とともに紹介された。

その記事ではゴムボートやカヌーなどでの湖面釣りが紹介されていたのであった。これらの記事を読めば、GWに久種湖へ行けばアメマス釣り放題の印象を誰もが持ったに違いない。

それほど、印象的な類稀なる煽り記事であったのだ。

1986年5月3日。ゴムボートを出してアメマス釣り放題を夢見て久種湖を訪れた私たちは、あまりの光景に驚いた。






久種湖。

恐らく100名以上の釣り人が久種湖のあちこちで投げちゃ引きをやっていたのだ。


この方は東京からきたルアーマン。

盛況の管理釣り場みたいで壮観であった。民宿の話では道内はもちろん本州方面からの釣り客も多かったようだ。

釣り人が多すぎてあちこちでラインが絡むトラブルが起きていた。エサをつけてのドボン投げ釣りをしている人もいた。


これはウミアメマスではなくおそらく久種湖いつきのアメマス。やせていた。

さすがに岸からのルアー釣りでは勝ち目がなさそうなので、私たちは持参のゴムボートで出撃した。他にも10組ほどの釣り人たちがゴムボートを出していた。 

結果は惨憺たるものでゴムボートの私たちには小さなアメマス1匹がヒットしたのみ。他のほとんどの釣り人もまともな戦果をあげた人はいなかった。





この年、なぜか湖から海へつながるコンクリート三面張りの川の水量があまりに少なく、湖に群れをなして遡上するはずのチカがいなかった。

それを追って久種湖へ大挙して遡上してくる海アメマスが釣れるはずだったが、当然ウミアメマスの遡上は無く、釣れるのは湖いつきの数少ない越冬後のやせアメマスであったのだ。

当時としては、そんな知識はなかったが(ウミアメマスという言葉もまだ一般的ではなかったと思う)今にして思えば河口付近の浜辺や港の岸壁などからのルアー釣りのほうがウミアメマスは釣れたのではなかろうか。

その後、私は久種湖でルアーを引いたことはない。 

意気消沈して自宅にもどったら、南米に住む知人からドラド釣りの写真が届いていた。

巨大なドラドを釣って得意満面の写真を複雑な気持ちで眺めたのを思い出した。









                    
                            おしまい。



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