1970年代前半、世界中に吹き荒れたブラスロック・ブームを、強力なライバルとして常に比較されていたCHICAGOと共に牽引してきたBLOOD SWEAT&TEARS。
黄金期のバンド内におけるホーンセクションの中心人物として大活躍していたルー・ソロフが今月の8日AM1:00頃、心臓発作により亡くなりました。享年71歳。前日の夜に娘家族と食事を済ませた後、帰宅途中様態が急変したそうです。
1944年2月20日ニューヨーク、ブルックリン生まれ。
14歳からトランペットをはじめ、ジュリアード音楽院卒業後、1968~73年までBS&Tに在籍。
数多くのソロアルバム、セッションアルバムを発表(JAZZ,ROCKと様々に)。
晩年は日本でも人気の高いMANHATTAN JAZZ ORCHESTRAに参加。
北海道にもたびたび公演で訪れていましたね。
彼が亡くなった日、なんとSTAは小樽でのライブを行っていました。そしてその日は1月に引き続き、追悼コーナーとしてジョー・コッカー&イアン・マクラガン&ボビー・キーズに捧げる意味で「ザ・レター」を演奏。(1月はアンチェイン・マイ・ハート)
もちろん我々はルーの訃報を全く知らず2曲目に「スピニング・ホィール」をプレイしていたわけです。どうりでいつも以上にタツのペット・ソロがけたたましいくらいむせび泣き響き渡っていたわけだ。
ショックですね・・・。
我々が青春時代に愛したロック・ミュージシャン達ですから、もうそのような別れが多くなるのは仕方ないにしてもやはり残念でしかたありません(去年は他にもジョニー・ウィンター、ジャック・ブルースも鬼籍の人に)。
やっぱりルーといえば写真の大ヒット・アルバムBS&Tのセカンド「BLOOD SWEAT&TEARS(血と汗と涙)」が代表作。
BS&Tにとっても、ブラスロックにとっても、またロック界の歴史上においても燦然と輝く永遠の金字塔です。
「ゴッド・ブレス・チャイルド」、もちろん「スピニング・ホィール」におけるルーのトランペット・ソロは聞き応えありますよ。
このアルバムをプロデュースしたのが、それまでにもバッキンガムスでブラスセクションを大胆に初導入して脚光を浴び、名を上げたシカゴ育ての親ジェームス・ウィリアム・ガルシオその人です(ラストには彼の愛妻ルーシーの足音入り)。
名曲目白押し。本当にこの頃のロックは熱かったねえ。実はレコード会社からガルシオはBS&Tのプロデュースを条件にシカゴデビュー契約をとりつけたという経緯があります(シカゴのメンバーはそうとうに面白くなかったようですが)。よくこういう話題でノブやシンとは盛り上がります。
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