THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

PARISIENNE WALKWAYS

2014-02-26 05:55:53 | free form space

ソチ冬季五輪にて日本男子フィギュア、羽生選手が金メダルに輝きましたが、その競技において使用された楽曲が今は亡きアイルランド出身、炎のギタリスト、ゲイリー・ムーア作「パリの散歩道」です。(ゲイリーは1954年6月4日生まれ)

やはりというか御多分にもれず、今現在問い合わせや購買ラッシュで入手困難、品薄だそうです。

初めて羽生選手がこの曲で演技をする時、流れてきたあのイントロ数秒で「!!!」とビックリしたものです。

よくぞこの曲を使ってくれました!!と拍手を送りたい気持ち。どういった経緯でこの曲が使用されたのかを聞いてみたいものですね。

それなりにロック、特にギターキッズやバンド経験のある人たちならば35年以上前からおなじみの有名曲です。

STAのスタジオ練習中にもこの曲のことで皆で盛り上がりました。

「あれはゲイリーの曲を編集してるんでしょ」「いや、あれは別のミュージシャンがそっくりに演じている」「いや、ゲイリーのライブ・バージョンだよ」とかね。

 

まず個人的なことから話をさせてもらいますと、私がゲイリーを知ったのは、あのジェフ・ベックがBB&A崩壊後に、「ブロー・バイ・ブロー」「ワイアード」でギター界を席巻している頃、第2のジェフ・ベックとゲイリーが話題を振りまいていた時。

スキッド・ロウをフィル・リノットと結成してデビュー、その後、シン・リジーに加入、名盤「ブラック・ローズ」を発表、ツアーを開始、遂に来日決定するも・・・・ゲイリー脱退の報。日本のファンを大いに失望させたものです。

独創的なギターテクニック、幅広いジャンルをこなしボーカルもこなす(それは後々のことですが)、ハードからフュージョン、ブルース、泣きのバラードと変幻自在、しかしその強烈な個性ゆえバンドというバンドでの衝突が絶えなく孤高のギタリストというイメージが付きまとっていました。

そういう部分までもがジェフ・ベックとキャラがかぶっていたもので、注目し続けていました。

待ちに待った初来日公演は喜び勇んで見に行きましたよ。

ところは新宿厚生年金会館、1983年1月。

想像以上にぶっ飛びました。とにかくどんなに速弾きしても、動き回っても、歌っていてもピッキングや運指、リズムが正確でメリハリの付け方、ステージングの迫力と文句なし。時代がヘビーメタル全盛期だったために、彼もその範疇でくくられていましたが、そんな垣根なんかとっくに超越するくらいの感動を頂戴しました。

ヘビーな時は思いっきりかましまくり、メロディアスなパートではじれったいくらいにタメの効いたトーンを披露。この時の音源は「ライブ・イン・ジャパン」としても発表(曲数少なく消化不良気味なんて贅沢かな?)。2度目の来日公演では札幌にもやってきました。

その後はブルース方面に鞍替えして、ロックファン達をやきもちさせていました。また来日もご無沙汰気味に(彼、日本の食べ物でいい思い出がなかったそうです)。

久しぶりの来日公演を実現させて往年のファン達が感涙にむせび泣いていた頃の訃報。あれはショックでした。

これから、思いっきりロック・ギター界に帰ってこようと燃えている矢先だっただけに・・・。

 

「パリの散歩道」は1979年8月にイギリス・チャート8位を記録したゲイリーの代表作。

ライブにおいても必ず取り上げられている、見せ場の一つ。

中間部のサスティーンを思い切り効かせて伸ばしに伸ばしまくる部分、あそこライブではスタジオの1,5倍引っ張ります。お見事!よって数多くのバージョンが存在、あちこちのアルバムに収録されています。

「バック・オン・ザ・ストリート」1978年発表、8曲入りのラストに「パリの・・・」が収録されています。

ボーカルはゲイリーと盟友フィル・リノットが分けあっています。泣けるなあ・・・。天国でも2人で喧嘩しながら仲良くセッションしているのでしょう。

 

「ギター・クレイジー」はEL&Pグレッグ・レイクとのコラボLPでゲイリー人気に火がついた頃に発売されたベスト盤。(グレッグはゲイリーとの2人名義を知って憤慨したそうですが、確かにレコード会社にすればそのほうが商売としては正解だよね)9曲入り、4曲目に「パリの散歩道」収録。このジャケットコンセプト、時代を感じさせますね。

 

そして最高傑作、初来日直前にスーパー・メンバーを従えて録音、発表された「CORRIDORS・OF・POWER」(邦題:大いなる野望)

ジャケットは指板、ポジション・マーク、弦、ピックアップ、ノブ、ペグ、フレットになっていて天井のドットマークがスポット・ライトに。

その部屋、というか廊下にゲイリーがギターを構えて立っています。

1982年作品、9曲入り。

フリーの「ウィッシング・ウェル」もカバーしています。

ところで肝心の「パリの散歩道」はアルバムには収録されていません。でも限定3曲入りEPがおまけで付いていたのですがそこのB面に収録されていました(ただし輸入盤のみの特典)。

時と場所は1982年8月26日、ザ・マーキーにて。

 

「ゲイリー・ムーア・ライブ」は1983年発表の8曲入り。

でも録音は諸説あって1980年11月5~7日、または1981年2月・・・。

G-FORCE解散後のジェット・レコード時代音源。

いろいろとゴタゴタがあってお蔵入りになっていたところ、ゲイリー・ムーアの人気が沸騰したことをいいことに便乗商売として発売された代物(当初は日本のみのリリースだった)。この時期、ゲイリーの音源が他にも次々と発表されたのですよ。

「パリの散歩道」はなんとメドレーで演奏、しかもインストウルメンタルです。

その対となっている曲が「サンセット」

ゲイリーの「パリの・・・」を含む3大バラードの一つ。「サンセット」は初来日のステージで、少し前に飛行機事故で悲運の死を遂げたブリザード・オブ・オズの天使のように美しいギタリスト、ランディ・ローズに捧げられました。

ちなみにもう一つの泣きのバラードはシングルにもなりプロモ・ビデオも作成された「ローナー」

男気溢れるさすらいの渡り鳥ドラマー(風見鶏と揶揄する輩もいましたが・・・)、コージー・パウエルのファースト・ソロ「オーバー・ザ・トップ」(最高!)に収録、その後ゲイリー自身のアルバムにも収録されました(私はコージーのバージョンがお気に入り)

この「ライブ」には初回特典として「パリの・・・」ギター・スコアが付いています。(TAB&解説もあり)

 

1993年ブルース期に発表された「ブルース・アライブ」13曲入り。

オリジナル、カバー・ブルースに交じって堂々12曲目に「パリの・・・」が披露されています。

 

1994年発表ベスト盤「バラッズ&ブルーズ1982~1994」(新曲3曲入り)

全14曲中、「パリの・・・」は4曲目に収録、ただし「ブルース・アライブ」からの音源です。

この時期はBBM,そうです!あの伝説のロック・トリオ、クリームのリズム隊とゲイリーが組んで「白昼夢」を発表した頃。

よってバージン移籍後のバラード、ブルース、BBM,新曲が網羅されています。

残念ながらBBMは短命に終わりましたがね。

 

最後は2003年発表「ライブ・アット・モンスターズ・オブ・ロック 2003,22、MAY グラスゴウ」10曲入り。

3人編成でラストはもちろん「パリの散歩道」。選曲は往年のファンも納得の内容。

 

羽生選手の活躍をゲイリーもさぞかし心から喜んでくれていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ソチ冬季五輪、閉幕

2014-02-26 03:50:13 | リハーサル

今回、道内選手の活躍が光りメダル獲得、入賞者数も大健闘。ひじょうに喜ばしい限りです。

スタジオでもやはりオリンピック競技の話題に盛り上がりました。今回はゲスト・シンガーを交えて6人が集結。

トランペッターのタツが到着するまで、この際だからベース、ギター、ドラム、キーボードの編成でシカゴ以外の曲に集中して取り組んでみました。

こういった試みもまた新鮮。

結局は1時間半を1曲に費やすことに。

これが面白いくらいにドンドンとまとまっていくから楽しくなってきます。

とことん、細部にわたって分解してみて皆で意見を出し合って煮詰めていったのですが、なるほど今まで気づかなかった個所も問題点が白日のもとにさらされて次々に解決。

数年前にライブで何度も演奏していた曲なのですが、けっこうおざなりな進行でやりきっていたので反省すべきパートも徹底して意見交換。

何度も何度も繰り返し演奏するのですが、そのたびにコーラスの割り振りも実験してみて一番しっくりくるのを見つけ出しました(ゲストが臨機応変に対処してくれたので大助かり)。

またサビのコーラス部分2か所も実は訳あってマサとケンはずっとブレイクのとこは歌っていなかったのです。ここもゲスト・シンガーにアイディアを出してもらってとてもスムーズに。

これって「アイ・ウィッシュ」の時と同じですね。

エンディングの長さも今回はっきりと決定。今まではその場のノリでいっちゃってましたが

長くも短くもなくちょうどフィットする一番気持ちのいい塩梅に調整。

そこから最後のコード流れもコーラスとシンのヴォーカルとの絡み、タイミング(ここははっきりとした拍数がないので)をこと細かく打ち合わせ。

誰が合図を送ってコーラスの高さはどうとか、オリジナルはどうだったっけ?とか言いながら繰り返し。

しつこいくらいにマサがリクエストして再演するので皆も苦笑い。

あとはインスト・ソロを誰が担当するとか、イントロは以前の編成ではどうやっていたの?とか、ボーカル・ユニゾンも秘かに盛り込んでいたりとか(これはシンのアイディア)、けっこう面白いテイクになりそうです。

シンはマイルド・ボイスで本領を発揮するタイプだと思っていたのですが、けっこうシャウト系、ソウルフル・タイプもいけるね。声もよく突き抜けているし。

遂に後半、タツがやってきました。

ここからは、ホットタイムのセットリストに没頭、タツはトランペットに何度もオイルを注いで調整。

もちろんタツを交えてもう一度、今回の中心曲もやってみたのですが、益々グレード・アップ(当たり前だね)

 

最近、シカゴの貴重な初期映像や、マニアの間では常に熱い論争が絶えないトロント・ライブの話題がSTA内で出ています。新たにシカゴのベストを入手して聞きまくっている関係者や、貴重な輸入盤のみでしか発売されていない物を購入した話しなど、なかなかにいい傾向です。

学生時代には学校にシカゴのLPを持って行って昼休みの校内放送や音楽室で流してもらったりと(ちゃんとガリ版で解説書も作成)懐かしき青春が蘇ってきます(STAメンバーらの談話から)。

 

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JUMP! JUMP!! JUMP!!!

2014-02-21 19:33:41 | free form space

ソチ・オリンピックももうすぐ閉幕、日本女子が後半にきてメダル2つ獲得して勢いづいてきましたね。

レジェンド・葛西選手はじめ日の丸飛行隊も元気いっぱいの帰国。感動をありがとう!

他の競技種目も賑やかに注目されていますが、ここはやはりロックっぽい「ジャンプ」という単語に引っかけて強引にも(笑)ジャンプがらみの曲を集めてみました。

 

まずは、日本が誇るギタリスト、高中正義の1983年発表「キャン・アイ・シング?」からのシングル「ジャンピング・テイク・オフ」

車のCMにも起用されて、デジタルサウンド導入初期の躍動感あふれるキャッチーなメロディーを披露、でも高中節は健在。この時のツアーをNHKホールで見たのですがツインギター編成、なんと高中がステージ前方に出てきてムーン・ウォークまで披露してくれました。もちろん「ジャンピン・・・」もやったよ。

ちなみにトリス・インボーデンも高中とは競演歴あり。

 

なんといっても「ジャンプ」といえば、殆どの人達がヴァン・ヘイレンの曲を真っ先にあげることでしょう。

1983年発表「1984」からの大ヒット・ナンバー、(2曲目に収録、4:01)。天才エディー・ヴァン・ヘイレンのギター・テクニックに世界中のギター小僧が注目する中で、いきなり彼自身が演奏するキーボード・リフのイントロに皆が皆、驚いたことでしょう。

中間部におけるライト・ハンドはさらっとやっていますが、やはりめちゃくちゃに難しいそうです。

ダイアモンド・ディブはじめメンバー全員によるお手軽なプロモーション・ビデオも話題になりましたが、この曲によりVHは別格のモンスター・バンドに急成長。それまでオリジナル曲による決定打に欠けていた彼らの快進撃がここから始まります。(この後にディブがミニ・ソロ・アルバムとカバー・シングルを発表、大ヒットした後に脱退・・・そして復帰)

 

そしてもう一つの「ジャンプ」がやはり1983年発表のポインター・シスターズ。(4:22)

バン・ヘイレンがハード・ロックならば、こちらはファッショナブルでお洒落なダンス・ナンバーで、もちろん大ヒットしました。

ポインター・シスターズはデビュー直後シカゴのツアーに同行したり、アルバムにもゲストとしてVO参加していました。

 

私の秘かなお気に入りミュージシャン、ジョー・ジャクソンはニュー・ウェーブ・ブーム吹き荒れる時期に颯爽と登場、アルバムごとにまったく想像もつかないくらいの豹変を遂げるカメレオン男です。

とにかくその実験的姿勢には脱帽、鳥肌物です。

1981年発表の「ジョー・ジャクソンズ・ジャンピン・ジャイブ」(12曲入り)ではその名の通りジャイブ・ミュージックに挑戦しています。

タイトル・トラックは7曲目に収録。

特に音楽業界人からの注目度は絶大です。通をも唸らせるミュージック・クリエーター。

 

北欧へヴィー・メタル・バンドの重鎮、プリティ・メイズ1990年発表の「ジャンプ・ザ・ガン」

タイトル・トラックは7曲目に収録(3:49)

ヨーロッパ系バンドの特徴でもある哀愁感ただよう美旋律が日本人の琴線にとてもフィットするのです。

様式美に溢れた曲展開も折紙つき。このバンドはディープ・パープルのメンバー達からとても気に入られているようでツアーに起用されたり、またこのアルバムのプロデューサーをロジャー・グローバーが担当したり、ドラムをイアン・ぺイスが叩いたりもしています。(レコーディング期間、ドラマーが帰宅の途中で交通事故を起こして体中の骨を折るという重傷。そのニュースを聞いたイアンが代役を自ら申し出たそうです)その後も一身上の都合によりキーボードが脱退。そういった難産の末に完成したアルバムです。

個人的に気に入っているアルバムは前作1987年発表の「フューチャー・ワールド」ですが、そこから数段ステップ・アップして音楽の幅を広げた余裕の快作が「ジャンプ・ザ・ガン」です。

 

もうすぐまたまた日本にやってくる大御所ローリング・ストーンズの代表作でもありロック・アンセム「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」(3:40)

ブライアン・ジョーンズ脱退、その後1969年に他界、バンドが失意の中で迎え入れた新メンバー、ミック・テイラーとの録音曲がこれ。

切れ味鋭いギター・リフから、グイグイと否応なしにストーンズ・ワールドに聞くものすべてを巻き込む勢いのロック。

札幌公演のオープニングでもキースによるワイルド過ぎるくらいの(!)イントロで興奮の坩堝に叩きこまれました。あの超有名なリフはビル・ワイマンが考えたと、ひと悶着ありましたが、キースは認めていません。

モノラル・テイクではテープ・スピードの不備でピッチが不安定になっています。ようく聞いてみて。今回の来日はミック・テイラーがゲストなので、この曲が披露されるときには、一段と盛り上がるでしょう。

 

最後は写真中央のシカゴ白黒写真に注目!

これは1973年2月、デューク・エリントンの74歳バースディTVスペシャル「ウィ―・ラブ・ユー・メドレィ」に出演した時のショット。

大御所達が大挙出演した中で唯一ロック界からシカゴが招かれたのです。

その顔触れはレイ・チャールズ、カウント・べイシー、サミー・ディビスJR,エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、ペギー・リー、ルイ・ベルソンなど錚々たる面々。

緊張した面持ちでシカゴのメンバーらがエリントンに感謝の気持ちを伝えたところ、なんとエリントンから「私のほうこそ光栄だよ。だって君らは未来のエリントンなんだからね」との言葉に天にも昇る感動にうちふるえたそうです。

で、その時に演奏した曲が自由を勝ち取った黒人奴隷達の喜びを綴った「ジャンプ・フォー・ジョイ」

私も再放送を含めて何度か見ましたが、めったに映像を見ることができなかった時代にテレビでシカゴが映る(新聞記事も切り抜いて保存してあります)のですから大事件です。瞬きするのも惜しんで食い入るように見ました。

ボビ―によるピアノ弾き語り風イントロ、そこから一転、力強いタッチのリズムに切り替わってビートがドンドンと激しさを増して、徐々にホーン・セクションがヒート・アップ、中間部ではテリーが鬼の形相で目にも止まらぬ速弾き、シャープなカッティング、ピーターは腰をくねらせつつも渋いフィルを絡めてきます。後半は全員一丸となって迫力を増しフィナーレ。あの言葉では到底表現できないシカゴの惚れ惚れするようなカッコよさ。今も鮮烈に覚えています。ぜひとも映像、音源を正式に発表してほしいアイテムの一つ。

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ソチ五輪も佳境

2014-02-19 04:01:15 | リハーサル

以前のオリンピックでは女子選手の活躍ばかりが目立った大会もありましたが、今回は男性陣が頑張っていますね。

特に10代3人のメダリスト、そしてレジェンド葛西選手の銀&銅メダルおめでとうございます!

感動をいっぱいもらいました。

ところで葛西選手、笑った時の表情がジェフ・ベックに似ている!?と思うのは私だけでしょうか?

羽生選手が故ゲイリー・ムーア「パリの散歩道」を使ったのもロック人間サイドからしたら嬉しいことです。ゲイリー初来日時、新宿厚生年金で生の迫力に圧倒されました(メンバーはイアン・ぺイス、ドン・エイリー、二ール・マーレー、そして元ユーライア・ヒープのジョン・スローマン)

哀愁の泣きギター「パリの・・・」におけるあのフィード・バック奏法はスタジオ・バージョンよりも、もっと引っ張っていましたよ。

フィギュアでは他にもビートルズ、何とAC/DCなんかの曲も使用されていましたね。で、先日引き出しの整理をしていたら1972年札幌オリンピック記念未使用鉛筆を発見しました。また、札幌オリンピックが実現するのかもね!!

 

雪による被害が、ここ数日マスコミを通じて報道されています。わたしも数年前に猛吹雪で8時間もの間、車中に閉じ込められたという恐ろしい記憶がまざまざとよみがえってきましたよ。

そんなわけで、先日の練習日も大雪。

そんな中でも雪まみれの5人が集まりました。

小樽ライブの思い出話をしながらセッティング。

あの日、若い外人の男性が熱狂してシカゴのことを絶賛してくれていましたが、ケンが「STAも初期のライブでは数回、外人バンドとタイバンを組んでいるよね」と言います。

最初は思い出せなかったのですが、そういえばいました、いました。「ゾーズ・ガイ」です。ギタリスト以外は外人のリズム隊。

もちろんコミュニケーションはライブ中でも英語。

ギタリストは東京に行ってしまったけれども、もちろんギターは弾き続けると言っていたから今頃は向こうのライブハウスでもギンギンいわせてることでしょう。

さあ、STAは来月の「ホットタイム」に向けてのリハーサル第1回目。

タイバンもようやく決定して準備も大詰め。

ちょっとリラックスタイムの意味も含めて異質な選曲というか、超数年ぶりの復活曲も導入。

まずは、セットリスト予定順に一通り、演奏(1曲はもういつやっても多少は余裕があるでしょうとのことでカット)

残り時間は問題の2曲に集中的に取り組みました。

シンのピアノとボーカルを前面にフューチャ―。ソロ部分は本来はサックスなのですがノブたっての希望でギターソロに変更。

この曲はSTA結成時には鍵盤奏者が不在だったために保留状態。たまにピアノ・プレイヤーがいても上手くこなせない・・・でもどうしてもやりたい・・・・ということで苦肉の策でブルース・ハープをピアノソロ代わりにあてがってお茶を濁していたのです。でもこのたびめでたくよりオリジナルに忠実にバッチリとシンのピアノソロが飛び出します。しかもボーカル同時進行の大役。コーラスの音程配分も徐々に決めていきたいと思いますよ。

ブレーク部分もちょっと忘れ気味。エンディングもより拘りを盛り込みたいしね。

そして、もう1曲は久しぶりシカゴ初期の佳曲。これなかなか思うように進展が見られなかったのですが、この日は全員で徹底的に分解して妥協なく念入りに噛み砕いてみました。屈託のない意見も飛び交い大きな前進。まずテンポの確認。ベースとドラムのアクセントの噛みあいもよりタイトに、またリズムが消えてとてもふらつきやすい個所も解決策を出してと、まあいろいろとたくさん厄介な問題が噴出するものです。でもこの曲は全員が思い入れがあるお気に入りのために、青筋立てながら取り組みつつも皆、とても嬉々としているのがいいねえ。

まだまだラフな仕上がりだけどドンドンと回を重ねるごとにイイ感じになってきました。

ミツもブラスの難所を独自に解明。ベースもさりげなくだけど独特のラインで渋くちょこちょこと動き回っているのです。メンバー同士で自分のパートでの難しいところを実演で解説。 本当にやればやるほどこいつは厄介な落とし穴だらけのじゃじゃ馬ブラスロック。

お披露目の日もおぼろげながら見えてきたかな?

 

 

 

 

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ROCK&TAIL COAT

2014-02-15 22:46:36 | CHICAGO

似ているジャケット・シリーズ第5弾。

長髪ミュージシャン達が、意外にも燕尾服に身を包み、にこやかに斜めポーズを決めています。

この意外性が新鮮でインパクト絶大。

微笑ましいデザインですね。

こういう図柄というかステップを見ると1970年代後半に大ブーム吹き荒れたツートーン・ブームにのってスペシャルズらと共に登場したマッドネスを思い出します。日本では車のCMにも登場して子供たちにも人気者になりコミカルなイメージが先行しましたが、現在では当たり前になっているスカというジャンルを広く世間一般に定着させたという貢献度は大きいです。その後はメンバーの脱退、解散に追いやられましたが、再結成後は来日も実現、現役にて活躍中。

 

さて、写真はシカゴ、初のボックス・セット「グループ・ポートレート」輸入盤。

CD4枚組で豪華未発表写真と膨大なる資料満載。全63曲入り。

CBS時代の集大成、未発表曲「ドウ―イン・ビジネス」も聞くことができます。

日本では長方形のボックス仕様ではなくCBSにてプラスチック・ケースにて発売。テイチクにて再発売された際には、2枚、2枚の2つに分けての発売でした。

これはLP時代の「カーネギー・ホール」4枚組が特別に日本のみ許可を得て、2枚、2枚に分けて発売された手法と同じですね(更には1枚ものとしても発売)

 

かたやブリティッシュ・ロック界の伝説、クリームの「グッバイ・クリーム」

ロック編成として最小人数の3人で結成されたスーパー・バンド。デビューは1966年7月、土砂降りのナショナル・ジャズ&ロック・フェスティバル野外ステージ。

 

エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーらによる大音量から飛び出すインプロビゼーションはその後のあらゆるロックに多大なる影響を与えました。

火花散るアドリブ合戦、延々と繰り広げられるソロ、結局は個性の強いメンバー達のエゴのぶつかり合いでほんの2年あまりで解散。

でも名盤、名曲、ヒット曲、センスの良いカバーを残しました。

解散コンサートは1968年11月26日ロンドン、アルバート・ホールにて。この模様は映像として今も見ることができます。

さて、写真のアルバムはクリームが解散した直後、故フェリックス・パパラルディが製作。

全6曲。前半の3曲はフィルモアからのライブ(ベースのうねり具合が半端ではないです)、後半の3曲は2枚組アルバム「クリームの素晴らしき世界」レコーディング時期のもの。

特筆事項は何といってもエリックの大親友、ジョージ・ハリスンとの共作「バッジ」に尽きますね。2人の音楽性が見事に合体した珠玉のナンバー。

クラプトンは今もこの曲はライブで演奏しています。

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2014/2/15(SAT)札幌市民音楽団 第9回定期演奏会

2014-02-15 20:20:56 | free form space

STAでのブラスロック・プレイとは、また一味違う別の面のタツのトランペット・プレイを堪能できます。

 

場所:ちぇりあホール

チケットのお問い合わせはSTAまで!!

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LENS

2014-02-15 05:53:38 | CHICAGO

類似系ジャケット第4弾。

こちらも偶然、レンズを素材に使用したという共通項があるだけで、あとは皆さんでそこから発展させて盛り上がりましょう(笑)

 

「シカゴ16」のほうは、この際だから一挙4枚、陳列。アメリカ盤、日本盤の帯び色違い、ドイツ盤。10曲入り。

1982年発表のこの作品なくして現在のシカゴは存在しなかったのでは・・・と思います。

前作「14」はまったくチャート的にも失敗、ヒット曲もなく人気は失墜状態(故・トム・ダウトは名プロデューサーとして有名ですがシカゴとは音楽的にうまくかみ合わなかったようです)

起死回生、背水の陣でそれまでタッグの話しがあったにも関わらず実現しなかった(断った?)デヴィッド・フォスターをプロデューサーに起用。

それが功を奏してシカゴは奇跡の復活を遂げるのです。まさに「シカゴの奇跡(字が違うけど)」

AOR不朽の名バラード「素直になれなくて」を生み出し、他にも「ラブ・ミー・トウモロー」などのヒット作も連発。

ツアーも大成功。プロモも頻繁にオンエア。11年ぶりの来日公演も敢行(私はNHKホールの追加公演も含む東京全コンサートを体験しました)。

デヴィッドも名声を博することとなります。

バック・ミュージシャンにはデヴィフォスの人脈で多数の一流スタジオ・ミュージシャンを起用(TOTOらも参加)

ラウジ―ル・ディ・オリヴェーラは脱退、新たにビル・チャンプリンが加入。ボビーの曲も歌も極端に少なく、ピーターとデヴィフォスのカラーが濃厚に。時代の流れ上、生き残りをかけるにはこの方法が1番の得策だったのです。

ジャケットは基板に組み込まれたシカゴ・ロゴを覗くという図。デジタル時代にシカゴも参入、第2の黄金期到来です。

中袋も基板シカゴ・ロゴが一面に型取られています。

 

デオダートの第2作目「ラプソディ・イン・ブルー」、1977年発表、5曲入り。

ブラジルはリオデジャネイロ生まれのエミール・デオダートは若き頃より作曲、アレンジ、プレイヤーとして多方面の音楽にその才能を発揮。

その後、まだフュージョンなるジャンル名が存在する前(クロスオーバー?)に「ツアラトウストラはかく語りき」でソロ・デビュー。

ジャズ、ポップス、クラシック、ソウル、ロック、ボサノバ、ソウルなどのエッセンスをセンス良く楽曲に加味した内容が大当たりして、このアルバムは異例の大ヒット。カバー・ソングに対する編曲も心憎いほどの冴えを見せている。

バックのミュージシャンも超1流ばかりで、安定したサウンドを形成している。

その勢いを駆って製作されたのがこの作品。

ムーディー・ブルース「サテンの夜」、ラヴェル作の切なくも美しい「なき王女のためのパヴァーヌ」、スリリングなバック陣がかっこいい「スカイスクレイパー」、そして文句なし、あまりにも有名なガーシュインの傑作「ラプソディ・イン・ブルー」

捨て曲なし、何度再生しても一気に聞き終えてしまう私の超フェヴァリット・アルバムです(もちろん前作とペアで)。

多くのことを学んだアルバムでもあるために自分にとっては貴重、思い出深き大切な名盤です。

バックのメンバーもリック・マロッタ、スタンリー・クラーク、ビリー・コブハム、ジョン・トロペイらがいぶし銀かつ躍動感に満ちた演奏を披露しています。

レンズを構えてこちらを見据えるデオダートはとてもハンサム、ジャケットでもどアップが見事絵になりますね。

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SEALING WAX

2014-02-15 02:40:06 | CHICAGO

類似系ジャケット第3弾。

といってもこちらはたまたま、扱った素材が同じだったというべきでしょうね。

ジャンルも異質なシカゴとホワイト・スネイクです。

両方のジャケットの中央に見られる赤い物は、手紙などの封印に使用する封蝋というものです。

未開封の証として、赤いスティック状の蝋を溶かして手紙の蓋部分に垂らして素早く印を押すというもの(ホワイト・スネイクのほうは手紙じゃないみたいです)。両方ともに、もちろんバンド・ロゴを扱っています。シカゴのほうの便せんには「ビギニングス」の歌詞の出だし部分が書き込まれているという念の入りよう。

 

まずは2007年発売、シカゴ結成40周年記念2枚組ベストです(ギタリスト、キース・ハウランド直筆サイン入り)

全30曲収録。

デビュー盤から最新アルバムまでのシングル曲を中心としたもので、貴重なヴァ―ジョン(EDIT)も多数収録。

曲ごとにメンバーのコメント付き。

 

ホワイト・スネイクのほうは1989年発表の10曲入り。

ガヴァメントなどのローカル・バンドを経てイアン・ギラン脱退後のディープ・パープルに見事テープ審査を通過して正式メンバーに大抜擢されたシンデレラ・ボーイ、デヴィッド・カヴァーデル。(応募した曲は酔った勢いで歌ったイエスタディ!)第3期パープルにおいて「紫の炎」などの名曲を発表、伝説のカリフォルニア・ジャムに出演、「嵐の使者」発表後、脱退したリッチー・ブラックモアに代わって加入したトミー・ボーリンを迎えての第4期パープルは来日公演も実現。しかしその直後にバンドは崩壊(後に再結成、現在に至る)。ソロに転向したデヴィッドが結成したのがホワイト・スネイク。ところが長年思うような成功も得られず、メンバーの出入りも激しく不遇の時代を送ることに(もちろん熱狂的ファン層は確実に存在、かくいう私もセインツ&シナーズ公演を武道館で見ています。その時のメンバーも3人は鬼籍の人)。1980年代後半に転機は訪れます。起死回生入魂のアルバム「サーペンス・アルバス」が世界中で大ヒット。シングルヒットも生まれ、プロモビデオも盛んにオンエアされました。

このアルバムはバンドにとってもロック界にとっても重要な位置を占める大傑作。

レコーディング&コンポーザーとして参加していたジョン・サイクスらメンバーのほとんどが脱退。アルバム・ヒットの勢いで開始したツアーには新たなメンバーにディオからヴィヴィアン・キャンベル、ヴァンデンバーグからエイドリアン・ヴァンデンバーグ、クワイエット・ライオットからルディ・サーゾ、オジー・オズボーン・バンドからトミー・アルドリッジが参加。

黄金期を迎えることになります。ルックス、話題性などもっとも何をやっても華やかに映えるカッコ良かった時代がこの時でしょうね。(コアなファンは初期のソウルフルなサウンドを支持)ヴィヴィアンはほどなくして脱退(リバー・ドッグスを経てデフ・レパードに加入、現在に至る)、デヴィッドの頼もしい片腕的存在のエイドリアンが腕を怪我してしまったために、ニュー・アルバムのレコーディングには、驚きのスティーブ・ヴァイを抜擢。賛否渦巻くこの人選。ミスキャストだ!との声も飛び交いましたが前作にならってか代表的傑作「フール・フォー・ユア・ラヴィング」をセルフ・カバー。話題の的に。

そのアルバムが「スリップ・オブ・ザ・タングー」です。

たしかにスティーブのギターは浮いていますが、これはこれでいかしていて私は好きです。

このメンバー達によるツアー終了後、バンドは一時的に解散。デヴィッドは在籍メンバーもバンド活動も流動的に現在に至っています(ソロ、アンプラグド、カヴァーデル・ペイジなどの作品もあり)

 

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MAN-HOLE Ⅲ

2014-02-15 01:31:29 | CHICAGO

この間のシカゴ対ビートルズのジャケット類似性比較論がけっこう好評だったので、調子にのって第2弾です。

今回は3枚のアルバムを。

まずは、シカゴのオリジナル・ドラマ―、ダニー・セラフィンが結成したザ・カリフォルニア・トランジット・オーソリティのデビュー作「フル・サークル」(13曲入り)。といっても、このアルバムは、発表当時にこのSTAブログにて紹介済みです。

とにかく、言えることはフュージョン・サウンドをダニー指揮の元にベテラン・ミュージシャン達がシカゴの楽曲を中心に楽しく肩の力を抜いて作ってみました!ということ。セカンドはよりシカゴっぽいよ、徹底的にブラスロック!!

で、このマンホール・ジャケット・・・・なのですが、つい最近、入手した「シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグラン」(8曲入り)のそれと瓜二つ。冗談抜きに私は手にした途端、CTAのCDだと錯覚したほど。

ただし、こちらは1968年9月5日、L・Aでのトリオ編成ジャズ・ライブ(リハは1回きりだったそうです。ちなみにベース奏者はレイ・ブラウン)。

私はミシェル・ルグランといえば映画音楽作曲家(華麗なる賭けなど)として知ったのですが、実はジャズにも造詣深く、大御所たちと臆することなく堂々とアレンジを提示して指揮をとっています。(マイルス、コルトレーン、フィル・ウッズ、ビル・エヴァンス、ハービー・マン、ベン・ウェブスターなど)

そして最後はMTV全盛期当時、ド派手に登場して話題をさらったへヴィー・メタル・バンド、ツィステッド・シスター「カム・アウト・アンド・プレイ」(1985年作品、ボートラ含む11曲入り)

ワイルドでパワフルなステージング、どぎついメイクの5人組。ボーカルのディー・スナイダ―のキャラクターは群を抜いていますね。

このアルバム・ジャケット、私はLPも持っていますが、なんとマン・ホールがちゃんとそのまま円形蓋にくり抜かれていて開くのです。

ゲストのアリス・クーパーは当然としてもビリー・ジョエルの名前を発見した時はビックリしました。

 

 

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VOL,90 小樽 雪あかりの路 オールディズ ライブ6

2014-02-10 23:31:46 | Live Set List

2014,2,9(SUN)

小樽、冬の風物詩「雪あかりの路」も16回目を迎えて、タイアップというかたちではじめられたライブ・イベントも早6回目を迎えました。前夜祭も含めて4日間の内容、出演バンドも総勢50バンド!地元小樽以外にも道内からあらゆるジャンルの音楽ツワモノ団が集結。

STA5回連続出場。

もうおなじみとなった感ありで、中間の日程でもある9日、トリ前でのプレイです。

さてさて、札幌雪まつりも、ロシア・ソチ・オリンピックも始まりましたが、相変わらず小樽も観光の人気ポイントとして街のあちこちが賑わっています。

毎年、このライブの時は大雪に見舞われていたので、(インフルエンザにもなったし…)今回はどうかなあ・・・?と思ったのですが、それも取り越し苦労だったようで、とても天候穏やかな一日でしたね。

ライブ開催初期の頃は、建物の2階エンペラーを会場、1階かもめ亭は出演者用の楽屋として利用していました。(楽屋と呼ぶには物凄く贅沢なスペース)

でも最近は1階、2階ともにライブ会場として利用、よって出演数も倍増しました。

9日は12バンドが出演。

STAのシン率いる御存じB・N・Pは初参加でトップに出演。

マサも応援のため昼に到着。

楽器搬入、車を駐車場に入れて懐かしいスタッフ、主催者代表、タイバン達と挨拶を交わしながらも会場をブラブラ。

入り口では早くも入場待ちのお客様達が数人、様子を見に来ていました。中には小樽ライブでのSTAをご存知の方もいたりして激励されちゃいました。この日は次々と多くの方達から随分と話しかけられました。90回もライブを積み重ねていると人脈も半端ではないですからね。

セッティング完了後、BNPは入念にリハーサル中。セット・リストも音響スタッフに届け済み。

以前、書き込みをしたとおり、今回は初の出演バンド・ミーティングを行ったため、皆が協力をしてトラブルらしいトラブルもなくとてもスムーズな進行で楽しめましたね。

やっぱり事前にお互いの挨拶を兼ねた顔合わせ&チェックは必要でしょう。

 

司会者からの紹介メッセージによって午後1:20、BRAND NEW POPSスタート。

今回のBNPは8人編成、女性メンバーが3人、ツインギター、そして曲によりパート移動と趣向を凝らしたステージング。

さすがに回を重ねてきただけあって、相当の練りこみ作業を経てのセット・リストだったようで全体にメリハリが出ていてまとまりよくおさまっていますね。

初披露の曲を含めて計5曲を演奏。「SKIPPED BEAT」「想い出にかわるまで」

ミキ&ジュンのリード・ボーカル振り分けも曲と声とのイメージによる担当配分が功を奏して好感が持てます。

MCはミキさんが努めて、メンバー紹介までこなしていました。

テっちゃんはマルチ・プレイヤー本領発揮。「耐え難くも甘い季節」

エレキ・ギター、アコースティック・ギター、コーラス、ベース、そしてキーボードと大活躍。アダルト・ロックの名曲「GEORGY  PORGY」では決めのブレイクが肝。

あっちゃんもベースからキーボードに移動と驚きの連続。「やさしさで溢れるように」

とにかメンバー間の仲の良さが見ているこっちにまで伝わってきます。

大好きな歌を歌うこと、気心の知れた仲間たちと演奏する・・・というバンドの基本を教えてもらったような新鮮な気持ちになりましたね。

 

次も初出演の「AYA&YUKA&CARBROTHER'S」。ドラマーはあら、懐かしや、カヴァー・ソウルのドラマーが在籍、学生時代の仲間たちを中心に10年前に再結成、紆余曲折を経て今回オールディズを演奏。

3番目も初登場の「REP MAKE」

ここのドラマーもSTAと来月、再びタイバンを組むNUMBER NINEのメンバー。女性ボーカル、リーを前面にプッシュしてアン・ルイスをカバー。歌にダンスにお祭り騒ぎ。

80年代J-POP「AS/MASSYS」は北海道弁のあずましいからきています。

札幌の歌謡系ロック・バンド「CHICHACKERS」のバンド名は四苦八苦のダジャレだそうですよ(笑)

アルフィーなどの楽曲を完璧なコーラスワークをからめて演奏。

改めてアルフィーっていい曲を書くなあ…と思いましたね。

テっちゃんの友人でもあるキーボード奏者キムラ君はコルグのクロノスを巧みに操り(他にも膨大なKBを所蔵しているそうです)サウンド・ヴァリエーション豊富に彩りを添えていました。

「くろもり」でこの日、初めてブラスが登場します。

今回は管楽器がいないなあ・・・と寂しく思っていたら夕方のここで3管編成バンド、80年代ロックを響かせてくれました(3人のうち2人は若き女性達)。

ドナルド・フェイゲン、ボズ・スキャッグスなどのAOR系をグッと渋く聞かせてくれて曲ごとに「この曲を知っている人?!」と挙手を求めていました。

札幌から去年に引き続きやってきたロックン・ロール「RAD MACK」

全員が全身真っ黒の革ジャンや皮パン、サングラスにリーゼント姿。徹底的に3コードのロックンロール道を突き進み会場を熱気の渦に叩きこみました。

大体、アマチュアのロックンロールバンドって勢いに任せてラフにぶちかますパターンが往々にして見受けられるものですが、この若者バンドはリード・ギターを筆頭にリズム隊など物凄く上手い。去年もそう思ったけど益々腕を上げましたね。

ステージからの乗せ方も大したものです。間髪入れずにビッシリとグイグイ演奏し続ける体力も大したもの。

MCも男らしく、キャロルから王道のスタンダード・ナンバーまでを惜しげもなく激奏。

「HOT WAX」も超常連。メンバー全員がいつものようにお揃いのオシャレなスーツに身を包みお約束のオールディズをプレイ。

唯一の女性メンバーが、唯一の管楽器サックスを男顔負けなほどにブロー。

前方に駆け寄った観客がステージに向けてクラッカー花火を勢いよく「PAN!!」と浴びせてヒート・アップ。

この日、一番の遠距離バンドは旭川から「ビークルズ」

リーダー・アキラさんは静岡県からの入りでしたが雪による飛行機の欠航もなく無事に到着。(過去にミツも東京から小樽入り、マサも本家シカゴを見た翌日に東京から当日札幌ライブ入り経験あり)

彼らとSTAが知り合ったのもこの小樽ライブ・イベントがきっかけでした。

お互いにブラスが数本在籍、曲目にも共通するものがある大所帯バンド同志ということでタイバンを組んだり、双方で

セッション大会を催したり、スタジオでヘルプを頼んだりと交流も盛んです。

つい、この間もSTAとスタジオを共にしたタクミ君がにこやかに歩み寄ってきました。

この日はスケジュールの都合でトランペット不在だそうですが、サックスが客の中にまで飛び込んでソロを吹きまくる大熱演でディスコ・フィーバー。ドウ―ビー・ブラザース、ドナ・サマーなどを聞かせてくれました。

ツッチー所有のクレーマー・スぺクター・ベースを黙々といい音出しながら弾きこむツトム君。

マサの物とほぼ同じだけど微妙にシェイプが違うのと(ワ―ウィックっぽい)、P・UがJJタイプ、スル―・ネックでキルテッド・メイプル・ボディ。ノブとマサが興味津津。フィンガー・ボードがハカランダ、ポジションマークもブリッジも同一だけど今度ゆっくりと比較検証しましょう。

トリはJ-ROCK,演歌、歌謡曲、ラジオ体操(?)と幅広いジャンルを持つ「蘭島発動機」

VOは去年の夏の北運河ライブで会話して以来。ワイヤレスを手に会場の後ろから漫談風トークで現れたVO.両腕にはひねって束ねるワイアー製の紐が固定されています。独特のファッション。(会場中央にはお母さんも応援に来ていました)ライブの最初と終わりには「起立、礼」を鍵盤音で行儀よく行い気持ちを引き締めて「Y・M・C・A」では全員一体となっての振り付け。

とにかくおしゃべりが達者なのには脱帽、笑いが絶えない。人気者VOの愉快な人柄が滲み出る嫌みのないギャグの連発にアンコールがかかりました。

 

そして、下の階「かもめ亭」でも友人のバンドが大挙出演。こちらも全12バンド。

時間とにらめっこしながら上下を行ったり来たりのライブ観戦で忙しいのです。

「FINE」はトリオ編成でアコギ、女性ボーカル、そしてオギノ君がいつもの(ダッチーズなどの)ハード・ドラミングではなく何とエレクトリック・ダルシマを華麗に弾きこなしていました。この音色が爽やかかつ荘厳な響き。彼の別の顔を目撃してしまいましたね。

イングランド・トラッド系のサウンドにピッタリとフィットしていました。

トガシさんらで結成したシカゴ・ブルース・バンド「ノースサイドソウル」も24年目を迎えるそうです。骨太のグルーブは折紙付き。

旭川のセクシー&キュートな歌姫かなえ嬢、ドラムの生チャンらでやってきた「かなえとけらいたち」は軽快なるロック・ポップス。

かなえ嬢の家来になりたがる男性諸氏も多いのでは!?

ラズベリー&テイク・オフのギタリスト・ヒコのプロジェクト「THE SEVENTH ONE」はバンド名を見て一目瞭然。TOTOのカバー・バンド。

ボーカルの伸びやかなハイトーン、ゴヘイ・バンドのカスミ嬢によるコーラス&サックスも目を引きます。パメラ、ロザ―ナ等を演奏。

「LITTLE RADIO」J-ROCKはシン&ミキと知り合いだそうで、ボーカルのレディが会場に向かってウマカ棒を大量に投げ込んでいましたよ。

 

STAは7人編成で会場内にて待機。各自でウォーミング・アップをしつつもイメージ・トレーニングに打ち込んでいます。

階段の入り口では、夏&冬の小樽STAライブを家族全員でずっと見続けてくれているという女性の方に声をかけられました。

去年の北運河の時にも話しかけられましたが、今回も来てくれたのですね。勇気百倍です。

また、こういった大規模なライブ・イベントではよくあることですが、トップ(この日はBNP)以外のバンドはリハーサルがありません。

よって、事前に前に出ているバンドの音出し、セッティング状況を確認しつつ、徐々に自分の本番での対策を練っていきます。

ライブを終えた仲間のミュージシャンに「モニターの返りはどう?VOLレベルは目盛いくつでやった?」とかリサーチなんかもしてみます。

シンは1ステージをこなしているので、STAの時には余裕綽々。

また、ミーティングで聞いてきたことを伝達してあるので、(各自に今回のセットや時間配分のことを)驚くほどに皆が手際よくスタンバイ・オーケーに。

いついかなる時も、どこへ行っても、浮きまくりのSTA(編成やステージング、ブラスロックというジャンルで)、初期の頃は戸惑いがあったり、脇道にそれかかったり、ヘンな妥協案に溺れかけたりしましたが、もう今となっては何の迷いもなく吹っ切れ清々しいくらいに生真面目にシカゴ道をメンバー全員で爆走しています。

余計な雑音を発する輩もいない活性化されたバンド内のコンディションは良好。

天の邪鬼な男達ですが、気持ちは一致しているので、この路線に軌道修正してからは順調そのもの。タイバンの仲間達からもこの頃はよくSTAの活動状況について質問されます。何故、9年間一度も休むことなくやり続けていられるのか??答えは簡単明瞭「負けず嫌いの開き直りの意地&好奇心、そして純粋なるシカゴ愛」です。

さて、ビークルズがライブを終えてSTAと入れ替わり。マサとツトム君はお互いのベースについての(クレーマー・スぺクター)ウンチクをその場で繰り広げて意見交換。

タイム・テーブルどおり順調に繰り広げられてきた各バンドの演奏も残すところあと2つ。

午後8時にSTAのライブが始まります。当然のごとく、全曲勢いある初期シカゴを網羅。

***SET LIST***

1、INTRODUCTION

2、ALIVE AGAIN

3、~FREE FORM PIANO・・・SHIN

4、~SATURDAY IN THE PARK

5、FEELIN' STRONGER EVERYDAY(愛のきずな)

6、~MAKE ME SMILE(ぼくらに微笑みを)

7、~TO BE FREE(今こそ自由を)

8、~NOW MORE THAN EVER(愛は限りなく)

9,25OR6TO4(長い夜)

 

***MEMBER***

MASA・・・B VO CHO

MITSU・・・TB

KEN・・・DR VO CHO

SHIN・・・KB VO CHO

TATSU・・・TP

NOBU・・・G

NABE・・・TS

バンドが演奏開始する時には司会者が紹介文を読み上げるのですが,2つのフロアーを1人の司会者が担当しているために時と場合によってはタイミングが合わない時もあります。

STAは必ずマサがメンバー一人一人に「セット・オーケー?」と順々にさりげなく聞いて回ります。

全員セット完了した時点でマサがミキサーのミワ君に(小樽のライブでは夏&冬ともにずっとお世話になっている頼もしい男!STAのことも熟知しています。)合図を送り、司会者不在のままライブ・スタート!(セット・リストは前もってマサがミワ君に手渡し済み)。

「司会者がいないけれども、始めちゃうよ!」「イエー!」

マサのアイコンタクトでスタンバイしていたノブがシャープなギター・コードによるカッティング。ここは今回からマサの意見で、よりタイトに入るように指示。マサのSTAコールが威勢よく始まると(「雪あかりの路」を「浅草橋」と言い違えてしまったけど…)会場内のワクワクしたムードがステージのこっちにまでビシビシと伝わってきて快感です。

マサが「we are STA!!」とコールしたと同時に背を向けてタイミングを合わせて「1・2・3!!」

「イントロダクション」でバンドからの挨拶代わりメッセージ・・・・というには強烈すぎるかもね。

益々タイトになった感もあり、ふらつきも乱れも概ね整理されてこの曲もようやく余裕が見えてきました。

中間部の変則ブレイク部分がピッタリと決まった途端に、思わず会場から感嘆の声が漏れます。ここからミツの官能的トロンボーン・ソロ、シンの的確なピアノ・リフに導かれてタツの伸びやかで愁いを含んだ澄み渡るようなトランペット・ソロ、過激なノブによるギター・ソロ。

観客は今までは出演バンドのたびに踊りまくってノリノリだったのですが、STAの場合はまったく空気感が異質なので開始直後は会場のあちこちから様子見で構えていました。(もちろん何度もSTAを見て音を知っている人達は独特なサウンドに酔っています)1曲目のイントロからグイグイと押しまくるバンドの勢いに即、衝撃を受けて食らいついている人もいます。

「何なんだ?このバンドは?」と思っているのが表情に表れている人もいます。はっきりいってSTAは踊れるバンドではありません(本当はこのイベントでは、そういう曲を優先的に用意しなければいけないのだけど)

オープニングのエンディングはマサのジャンプで決めてみたところ、大受け。しょっぱなが肝心ですから、ド派手にイキタイものです。

STAも正直言ってダンス・ナンバーならいくらでも演じれるだけのレパートリーがあり、今までにもたくさん演奏してきましたが敢えて一昨年からそれらは特殊な場合を除いて封印しました。初心忘れることなく、コンセプトに基づいて。

「踊れる曲がなくてごめんね。改めましてthe sapporo transit authorityです。我々はこういうバンドです。頑固一徹結成から9年間シカゴを中心とした熱きブラスロックを脇目も振らずに展開してきました。こんな調子でぶちかましていきますので、皆さん最後まで楽しんでいってください!宜しく!!!」こんなバンドがひとつくらいあってもいいんじゃない?

大きな拍手を浴びる中で小樽初演奏の「next number ALIVE AGAIN!!」

ケンのカウント4つからギター&ハイハットの刻み、歯切れのよい疾走感に溢れるケイコさんお気に入りの曲に入ります。

STAがセレクトしたシカゴの中では比較的ストレートな曲ですが、随所にひねりが聴いているのですよ、実は。

この曲も数年前に取りかかった時は、情けないくらいに薄っぺらでグルーブ感も弱くマサは不満タラタラだったのですが、タツ&シンが加入した頃からは見違えるほどに逞しく躍動感に満ちた曲に変身してくれて演奏中も気持ち良くなってきました(ミツも同意見)。そうなると良い意味で影響を与えあって、それぞれの音にも反映されるものです。触発感覚、これがバンドの醍醐味であり、たまりませんねえ。

一瞬の静寂からシンによるスティービー・ワンダ―風オリジナル第4弾エレクトリック・ピアノ・ソロ。

その流れから毎度おなじみの「サタディ・イン・ザ・パーク」

会場中の手拍子を受けてマサは左足をモニターに乗せてイントロのハイ・ポジション・ベース・ライン。

統計をとってみたら予想通りダントツでこの曲が一番浸透していました。シカゴ初のミリオンでもあり、アメリカン・ピアノ・ポップの王道ソングですからね。

中間部に差し掛かってマサがMCをこなしている時、小樽恒例のオヒネリを頂いちゃいました!!

これに調子づいて次に演奏したのはこれも小樽初披露、シカゴⅥからのファースト・シングル「愛の絆」

このミディアム・ハード・ドライビング・ブラスロックは後半の叩きこむような攻撃性が売り。

「僕は日増しに強くなっていくような気がするよ!」のマサ&ケンによる繰り返しボーカルにシンのホンキー・トンク調ピアノが覆いかぶさってきます。

会場のあちこちに、シカゴがデビューして間もない頃の一番へヴィーでブラスが吹き荒れていた時代を体験している人達がこっちを見ています。それは表情を見れば他の人との違いが一目でわかります。

最終局面でもだれることなく定番の熱血組曲。

「ぼくらに微笑みを」「今こそ自由を」「愛は限りなく」

小樽でのライブ・イベント会場には必ず名カメラマン、イワネ氏が激写している姿を目撃しますが、この日もステージ目前や後方から撮りまくっています。

ブラス隊3人の強靭なる体力には驚きを隠せません。時間の都合でほとんど休む間もなく次々に繰り出される吹きっぱなしのシカゴ・ヒット・ソング。

それらを最初から最後までまったく衰えることなく、手抜きすることもなく、それどころかドンドンと熱を帯びてレッド・ゾーン振り切れ寸前にまでこなしていくのですからね。

以前にも書きましたが、「雪あかりの路」ライブのスタジオ練習は1回きり、しかも5人のみ。

というわけで、サックスのナベさん、トロンボーンのミツはぶっつけ本番。

特にこの「バレー・フォー・ア・ガール・イン・ブキャノン」は複雑極まりない難曲で体力の消耗度も群を抜いています。それでも見事にタツをセンター・ポジションにガッチリとしたまとまりを示してくれました。

百戦錬磨の猛者らしい風格漂うミュージシャン達です。(そういえば現在の管の彼らから今までに「休憩したい」とかの弱音を練習中に聞いたことは一度もなかったなあ・・・)

ミツとマサ2人のみによるユニゾンの個所もバッチリとはまってお互いの右拳でハイタッチ。

「さあ!ラストは極上のミッドナイト・チューンをぶちかまします。25or6to4!!!」(これもケイコさんのお気に入り)

マサのタイトル・コールからノブのリフに入るタイミングが毎回阿吽の呼吸とでもいうのでしょうか、気持ちよく繋がるのです。これ、一度も綿密な打ち合わせなどしたこともなく(そういうことやってもその場の空気によって豹変してしまうリスクも伴うので)セットリストから推察して2人の目に見えぬタイミングで入るのです。はたから見ればなんてことのない通過点に思われることでしょうが、これ、ちょっとでも早く被ったり、遅れてずれるだけで気持ち悪くみっともないのだけど毎回、スカッと突き抜けるんですよね。

その証拠に・・・・(連続写真参照)

それまで、ずっとSTAの音楽性を穴があくほどに集中して見つめていた観客の皆さんが(曲が次にどういう方向に展開していくのか読めないものばかりなので)あの超有名な刺激的イントロに感化されたのか、今の今まで押し殺していた感情エナジーが一気に噴き出したが如く、ドドッとステージ前方に押し寄せてきて飛び跳ね拳を突き上げ猛烈なる雄叫びをあげています。(点滅タンバリンがキラキラ揺れて美しい)

スモークが焚かれて足元を不気味に漂い効果テキメン、臨場感を嫌でも盛りたてます(スモーク・オン・ザ・エンペラー状態だね!)。

STAもその熱気に呼応し、メンバー同志の絡み、クルクル回転、大股開き、ドラム台にまで上ったり、縦横無尽に走り回りのけぞって跪きマイク・スタンドに楽器を擦りつけ、観客達にも弦を一緒にかきむしってもらい・・・とやりたい放題のパフォーマンス。実際、なだれこんできた観客たちから「物凄い熱血感みなぎるライブにめまいがするほど汗だくになって無我夢中になってしまいました」という感想をもらいました。

「STAでした、また会いましょう!バイバイ!!」

トリのバンドが控えているので、速やかに舞台から撤収、するとエキサイトした長身ブロンド青年の外人さんがマサに握手を求めてきて「サンキュウ!シカゴ!!グレート!!!イエ―!!!」と意気投合コミュニケーション。

彼は自分のカメラを取り出してどうやら一緒に写真に納まってもらいたい様子。

もちろん快く応じてお互いの肩を抱きつつもパチリ!!言葉の壁なんかシカゴ・ブラスロック・パワーで消し飛んじゃいました。

ヤッパリ本場でのシカゴ人気はここ日本の比ではないんだなあ、と実感、感動しちゃいました。

屋外駐車場では車が雪に埋まることもなく無事に走行(毎年、車が雪だるま状態だったので)、ところが安心したのもつかの間、右ドア・ミラーがしばれついて中々正常な位置に作動してくれなくて参りました。

 帰り道は馴染みの店に寄って、ラーメンを大盛りにしてもらい、たらふくいただき疲れと空腹感を癒しました。ライブ後のラーメンってどうしてこうもうまいんだろうね!!

special thanks to・・・IKU&HITOMI&MIKI&KEIKO&AH-CHAN&MR、SAITOH&THE PARTY’S&HIKO&SAWAKEN&NATSUKO&COCA-COLA&NORIMAKI&TE-CHAN &TAKUMI&MR、MIWA&STUFF&MR,IWANE(CAMERAMAN)&BEER&MR,KIMURA(KB)&VEHICLES&MATSU&fFIRE BALL&MR,NISHIMURA&NAMASAN!!

 

 

 

 

 

 

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