THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

CARLOS SANTANA SOLO・PROJECT

2015-11-30 03:15:12 | free form space

70年代前後、ニューロックの夜明けと謳われていた頃のまだまだ無限の可能性を秘めた熱い音楽シーンにおいて、各レコード会社から続々と登場してきた今となっては伝説のバンド達。

本国アメリカではコロンビアでしたが、日本では当時CBSと名のっていたレーベルも生きの良いバンドやミュージシャン達を内外問わずに数多く排出。

洋楽部門では、誰が言ったか上手い事考えたものでして、所属していた人気絶頂3バンドの頭文字から「CBSのCはCHICAGO,BはBLOOD SWEAT&TEARS,SはSANTANA!」と当てはめていました。

そのサンタナは1966年、サンフランシスコで結成。

サンタナ・ブルース・バンドからサンタナに改名。あのウッドストック・フェスティヴァルに出演して一躍注目される存在となりました(私はサンタナのライブ・シーンは全出演者の中でも1,2を争うほどの素晴らしいパフォーマンスだと思いますよ)。

ラテンロックというジャンルを確立し、カルロスの官能的なギタースタイルが絶賛され、ギター小僧達もこぞってコピーしたものです。

「ブラック・マジック・ウーマン」「僕のリズムを聞いとくれ」「君に捧げるサンバ」「哀愁のヨーロッパ」などヒット曲多数。

度重なるメンバーチェンジもなんのその。1998年にはロックの殿堂入りを果たし、1999年にはアルバム「スーパーナチュラル」がバンドにとっては28年ぶりの全米1位に輝き、全世界で3000万枚以上を売り上げるという快挙を達成して奇跡の復活も遂げています。同作はグラミー史上最多の9部門で受賞。収録曲「スムース」もビルボードで12週間にもわたって1位を獲得。サンタナ初の1位シングルとなりました。

またバンドメンバーにはタワー・オブ・パワーからチェスター・トンプソンが在籍。ニール・ショーンとグレッグ・ローリーもその後ジャーニーを結成して大成功を収めていますね。

サンタナのリーダーでもあるカルロスはソロ・ワークにも積極的でジャズ・フュージョン系からハードロック、へヴィメタル系のミュージシャン達とも共演しています。

写真の7枚は、主なソロ・プロジェクト。

1972年発表の「カルロス・サンタナ&バディ・マイルス!ライブ!」(6曲入り)大御所ドラマー、バディとの共演。

同年のダイアモンド・ヘッドにおけるライブ盤でシングル「エヴィル・ウェイズ」(6:36)もヒットしました。

1973年「魂の兄弟たち」(5曲入り)

マハビシュヌ・オーケストラの凄腕ギタリスト、ジョン・マクラフリンとの共演。他のゲスト・ミュージシャン達も凄い。

コルトレーン組曲「至上の愛」でのギター・バトルは壮絶。

1974年作「啓示」は5曲入り。

先のジョン・コルトレーンの妻だったジャズ・ミュージシャン故アリス・コルトレーンとのコラボ作品。

宗教色が濃厚で万人受けするとは思えないけど、その方面の熱狂的マニアには好評の内容。

1980年発表の「スイング・オブ・デライト」(9曲入り)はLPでは2枚組という超大作。

お馴染みのサンタナバンド・メンバーに加えて、凄腕ジャズ・ミュージシャン達(ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスなど)を迎え入れての制作。マイルスを意識したセッション風フュージョン作。

1983年「ハバナ・ムーン」(11曲入り)

カルロスが多大なる影響を受けたアメリカン・ルーツ・ミュージックの名曲を素直に温かみある作法で仕上げた快作。

1987年「サルバドールにブルースを」(9曲入り)

前作の延長線上に位置する作品。ただし前作のように豪華なゲスト陣は招かずに彼のギター中心にスポットを当てた円熟味の境地に到達したかの感さえうかがえるような質の高い1枚。グラミーのベストロックインスト部門を受賞。

最後は1994年「サンタナ・ブラザース」(11曲入り)

タイトルからもおわかりでしょうがカルロス、実弟のホルヘ、甥のヘルナンデスによるアルバム。

ヘルナンデスのギターは若いのでアーミングを多用しつつも早弾きなのですぐにそれとわかります。

ただカルロスとホルヘのギターはあまりにもそっくりなので区別が難しい・・・。

どちらかというとカルロスのほうが太くて甘いトーンだというのがポイントかな。

全体的にしっかりとサンタナバンドしていますので期待を裏切らないと思います。4曲目「アランフェス交響曲」は必聴!

 

 

 

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GLENN HUGHES

2015-11-29 04:15:36 | free form space

中学生の頃、洋楽の魅力にはまりこみ、むさぼるように聴きまくりながら、あらゆる音楽雑誌に目を通していた懐かしい日々。

当時は音楽ジャンル分けされているような書籍や番組はほとんどなくごちゃ混ぜで良い時代でしたね。

おかげさまで聴かず嫌いせずに、多方面の洋楽を楽しむ事ができました(いやおうなく聴いちゃうしね)。

「雑食趣味で節操のない奴」とよく陰口も叩かれましたが・・・・。

その中でも、やっぱり若い男性ならば、ほとんどといっていいくらいにお世話になるのが激しいロック・・・・つまりハードロック(まだへヴィー・メタルという言葉が一般的に生まれる前)。

私が最初に大好きになったのは、ディープ・パープル(皆さんもそうでしょう!)

ちょうどその頃はスタジオ・バージョンの「ブラック・ナイト」がラジオでヒット中。

「ファイアー・ボール」をはじめて聞いた時にはただやかましい音に、友人と「これってちゃんとした音楽?」と意見が一致。でも毎日聴いていく内に迫力、スピード感、ハイトーン・シャウト、テクニカルな演奏とそれまでに体験したことのないサウンドの虜になっちゃいました。

その後は、お馴染みの「ハイウエイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「ネヴァー・ビフォア(これも実は物凄くかっこいい)」「ウーマン・フローム・トーキョー」などがシングルヒットして、ますます彼等の動向を気にするロック小僧になっちゃいました。なんたってこのバンドはしょっちゅうトラブルを多発する個性も強烈な集団だったので。

度重なる脱退、メンバーチェンジ、解散、再結成、他のバンド結成、セッション、ソロワーク、出戻り、そして再脱退、他界などなど紆余曲折を経て今も尚元気に活動中。

1968年の「ハッシュ」でデビューした第1期からですから、もう今年で47年目を迎えるわけですなあ。

それだけの年月を経ているわけですからファミリー・ツリーも複雑化、膨大な人脈図が形成されるわけです。

誰もが口を揃えて最高の編成は!と問われれば「第2期」と答えることでしょう。

私個人的にはそれらを比較するのは愚問のような気がしますが。3期だって4期だってお気に入りのものがいっぱいあります。

そんなカリスマの塊のようなミュージシャン達ですから、パープル・ファミリーといわれる各メンバー達が結成したバンドも人気を集めました。

デヴィッド・カバーディルは遂に「パープル・アルバム」などという、確実にメタル界で話題独占するであろう音源を発表し、先頃ホワイトスネイクで来日、ここ札幌でもコンサートを開きました。

あのマエストロ、リッチー・ブラックモアも信じられない事に来年限定ということでレィンボウ、パープルを再結成するというから驚きです。

彼らも年齢を重ねてジョン・ロードが他界、リッチーとカバーディルが和解、老齢期に入って気持ちが丸くなってきたのでしょうね。

他にもまだまだ素晴らしいバンドがいます。

ディオ、イアン・ギラン・バンド(後にギラン)、キャプテン・ビヨンド(ファーストは名盤)ETC・・・・。

故トミー・ボーリンはパープルにおいては悪評しか聞こえてこない不運なギタリストでしたがソロのファースト「ティーザー」は大傑作。

ビリー・コブハムのアルバム「スペクトル」ではまだ無名だった彼はスーパーミュージシャン達と互角に渡り合い火花散る白熱のギターを披露。それを聴いたパープルのメンバーから参加のオファーを受けたそうです。「スペクトル」はあのジェフ・ベックにまで多大なる影響を与えてBLOW BY BLOWのヒントになったとか)。

そのトミーと一緒に第4期パープルで奮闘していたのが、グレン・ヒューズ。

彼はトラピーズというバンドで実績を積んでいた期待のホープとして注目されていたB&VO。

パープルのメンバー達に口説かれて、すでに脱退が決定していたロジャー・グローバーの後任として加入。

遅れてテープ・オーディションで採用されたデヴィッド・カヴァーディルとのツイン・ボーカルが凄まじいアルバム「紫の炎」で華々しく登場ました。

伝説のカリフォルニア・ジャムを見てもわかるようにまだ素人っぽさの抜けないカヴァーディルを差し置いて、グレンは長髪を振り乱してシャウトの連続で(明らかにグレンのほうが場慣れしていて、上手いし声に厚みがあり声域広い。まあ好みは別として)、しまいには禁断のリッチー・スペースにまで足を踏み入れる始末。

このグレンが好むファン系の音楽がリッチーは大嫌い

「スティービー・ワンダーのような音楽は聴く気がしない」とインタビューでも吐き捨てています。

そもそも、この頃のリッチーお気に入りのボーカリストはソウルフルなポール・ロジャース・タイプ。実際に彼に加入のアプローチをかけますがバッド・カンパニー結成に動いていた矢先ということで丁重にお断りを受けたそう。

パープルの次回作「嵐の使者」はリッチーいわく「駄作!1曲くらいしか好きになれない。指一本でギターソロ弾いた曲もある」と一刀両断、酷評。そして脱退しちゃいます(私は名盤だと思います)。

そして後任としてトミー・ボーリンがやってくるのですが、グレンとトミーはやんちゃすぎてバンド内はボロボロ。

アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」を引っさげて悪夢の来日公演を行います(ライブ・イン・ジャパン「紫の燃焼」はよくもまあ発表したものです。私は発売直後に購入して腰砕けました)。

トミーとグレンは酒とドラッグでヨレヨレ。もううんざりで嫌気がさしたカヴァーディルは脱退。虫の息だったパープルはここで解散を発表。

先にあげたパープルのメンバー達が結成したバンドはそれぞれにNWOBHMブーム到来のさなか常に注目の的。

グレン・ヒューズはソロ「プレイ・ミー・アウト」やヒューズ・スロールなどの音源を発表するも、たいした成功を得る事もできず、加入するプロジェクトなどでも他のミュージシャン達と意見のぶつかり合いもありドラッグ&アルコール癖、極度の肥満なども災いし音楽界から忘れ去られようとしていました。

これではいけないと我が身を案じたグレンは自ら脱ドラッグのリハビリテーションを行い奇跡の復活を遂げたのです。

「THE VOICE OF ROCK!!」健在。

体型も無駄なく引き締まりルックスもお洒落にイメチェンして、コンスタントにアルバム、プロジェクト参加、セッション、ツアーにとマイペースに多忙な毎日を送っています。

元々この人のボーカルは以前から定評があり、劣れ知らずの強靭なる喉、ソウルフルなる表現力はいまだに引っ張りだこです。

膨大にあるグレン作品群の中からここでは近年のソロアルバム5枚を列挙してみました。

「THE WAY IT IS」「MUSIC FOR THE DIVINE」「SOUL MOVER」「RETURN OF CRYSTAL KARMA/LIVE IN SOUTH AMERICA」「SONG IN THE KEY OF ROCK」

まだまだ、紹介した音源山積みなのですが、それはまたの機会にということで。

上記の中にはファンク仲間のチャド・スミスとの(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ DR)夢のコラボもありますよ。

内容はといいますとよくある単純なハードロックには安易に収まらず、即効で迫力満点のエモーショナルなグレンのボーカルにノックアウトされること必至。泣きのバラードも絶品。この人の感情表現は天性のものなのでしょうね。魂の咆哮。

札幌公演にはホワイトスネイクをはじめパープル、ディオ、ジョー・リン・ターナー&グラハム・ボネット(!)、忌まわしい事故がおこったレインボウ、ゲイリー・ムーア(DRはイアン・ペイス)がやってきていますが、グレン・ヒューズも一度だけ札幌ペニーレイン公演を行っています。

1997年2月12日(水)

コンサート後は、グレンたっての希望で急遽握手&サイン会が実現。

1番に私はもらっちゃいました!!写真はその時のサインとチケット半券。

その時のグレンは上下ジャージ姿、髪型は短髪、泣けるのが親友トミー・ボーリンのTシャツを着ていたことですね。

ちょっと体育の先生みたいでしたが(笑)若々しくて健康的なグレンはかっこよかったです。

日本の音楽テレビ番組に出演したグレンがスタジオ・ライブで歌ったのですがそこで共演した聖飢魔Ⅱのデーモン閣下との「BURN」は2人とも負けじと叫びまくっていて圧巻でした。

ちなみに彼がパープル加入前に在籍していたバンド、トラピーズは来日できずに終わっちゃいましたが、私はグレン以外にも2人のライブを観ています。

ギタリストの故メル・ギャレーはホワイトスネイク、ドラマーのデイブ・ホーランドはジューダス・プリーストで、共に日本武道館で。

そうそう、来月にはまたグレン・ヒューズがバンド体勢で来日公演を行うそうですよ。

札幌には来ないけど・・・・。

 

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原節子さん死去

2015-11-27 00:35:06 | free form space

札幌は44センチの積雪でこれは62年ぶりなのだとか!私の生まれるずっと前の話だ(笑)

その頃はさぞかし除雪も大変だったことでしょう。

そんな折、突如として舞い込んできた訃報。昭和の大女優、原節子さんが9月に亡くなっていたのですね。

最近体調が思わしくないとの報道は聞いていたのですが、残念です。

享年95歳。

日本映画界を代表する素晴らしい大スターでした。

つつましく清楚、しんの強い日本女性の理想像を一途に貫き通した女優人生。戦前は可愛いお嬢様役が多かったのですが、戦後からは小津安二郎、黒澤明などの巨匠監督らの作品に次々出演し実力を兼ね備えた演技派に成長しました。

長身で日本人離れした大きな瞳と彫りの深い顔立ちで人気沸騰。海外でも絶賛されだした矢先

の42歳に突然の引退。

「永遠の処女」「日本のグレタ・ガルボ」と謳われその後は一切ファン、映画界との交流を断ち、生涯独身のまま、ひっそりと鎌倉市内で余生を送っていたそうです。

その潔い女優魂には敬服しちゃいますね。

今後、絶対にこのような方は現れないでしょう。

原節子さんは、黒澤明監督の名作「白痴」(ドストエフスキーが原作ですね)撮影のために、1951年2月下旬から1週間札幌を訪れています。

写真のDVDがその作品。

共演者も物凄い顔ぶれで、166分のモノクロ映像の中に当時の札幌の情景が見事に描き出されています。

その雪景色のなかに凛とした姿で佇む原節子さんの知性溢れる美しさを見れるだけでも一見の価値アリ。

ちなみに撮影場所は北大周辺、雪祭りの雪像が並ぶ中島公園、道庁など。

もちろん私は現体験者ではなく、名前は知っていてもじっくりと原節子作品を見たのはずっと後のこと。

知人から「東京物語」を薦められてから彼女の透き通るような美しさにぞっこんはまりましたね。

日本女性、そして日本人が失いつつある古き良き時代のなんてこともない些細な宝物が、あちこちに散りばれられています。

ちなみにこの作品は数年前に山田洋洋次監督作品「東京家族」でオマージュ・リメイクされて、こちらもまた大ヒットしました。

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JOHNNY,LOUIS&CHAR/FREE SPIRIT 1979-1994

2015-11-26 02:32:03 | free form space

世界に誇るジャパン・トライアングル・ロック・バンドの最高峰「ジョニー・ルイス&チャー(後にピンク・クラウドに改名)」

天才少年ギタリストとしてすでに10代でプロミュージシャンで活躍、ソロ・デビュー後はアイドルロッカー路線で「気絶するほど悩ましい」「逆光線」「闘牛士」などのヒット曲を放っていたチャーが、満を持して結成した本格派バンド。

ドラマーには元イエローのジョニー吉長、ベーシストは元ゴールデン・カップスのルイズ・ルイス加部という強力なる顔ぶれ。

彼等の成し得た偉業は一言では表せないほど。アルバム、シングル、コンサート、セッションにと

数多くの伝説を残しています。

活動期は1979年から1994年。

お披露目コンサートは雨降りしきる中での7月14日日比谷野外音楽堂。なんと入場無料ということでその雄姿を一目拝もうとするずぶ濡れのロックファン達が大挙詰め掛けたそうです。

写真中央のLPは3万枚限定記念盤として特別価格で販売。

写真右がそれで8曲入り。私個人的な感想を述べさせてもらえるならばこの盤がある意味では彼らの最高傑作。

ジミ・ヘンドリクスの「アメリカ国家・星条旗よ、永遠なれ」にあやかり「イントロダクション」ではなんと「君が代」をノイジーにアドリブ演奏。

日本のエクスペリアンスだね、これは。

チャーもそれまでのファッショナブル・ロッカーのルックスから一変して無造作に伸ばした長髪と髭(3人共)

見るからにヒッピー然とした姿がそのサウンドを物語っています。

ラフでワイルド、ストレートなアレンジが、グイグイと聴くものを捕らえて離しません。

全くの捨て曲なし、何度聴いても飽きのこないフェバリット・アルバム。

世に大量氾濫しているライブ・アルバムの中でも数本の指に入る名盤でしょうね。このバンドのカバーバンドでSTA企画イベントで演奏してくれたギタリスト・テッチャン(もちろんトリオで)も熱烈にお勧めな1枚です。

そしてJL&C解散コンサートも同じく日比谷野外音楽堂、しかもまた無料でした。

なんとやっぱり雨・・・・。

そのSEP/17日の記録音源が写真左のダンボール箱風デザインのもの(このバンドのアルバム・デザインとかタイトルって一貫してけっこうシンプル)。

9曲入り。

先の盤ではチャーの作品がほとんどを占めていましてが、こちらではカバーもけっこう取り上げていますね。

アンコールで最後に収録されている「ナチュラル・バイブレーション」が唯一デビュー作とダブっています。さて、1,2曲目は驚いた事に公開リハーサルでのもの。日比谷野外音楽堂は当たり前ではありますが音が外に筒抜け。

整理券を持っている観客を先行入場させている最中にもサウンド・チェックを兼ねて演奏していたのです。

この客たちは超ラッキーですね。「クロスロード」では歌詞の一部を「日比谷」に変えて熱唱。2曲目の「ジャム~去年の雨」ではチャーがウッドストックへのオマージュなのか「NO RAIN!NO RAIN!!」を観客達と連呼。

多大なる影響を受けたであろうサイケデリック・ハードロックの原点バンド、クリーム「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」とジミ・ヘンドリクス&エクスペリアンスの「マニック・デプレッション」も披露。

全体的にジャム・セッションっぽい感じで進行する曲目が多いけれども、スリリングな展開は鳥肌もの。

これで最後ということで、チャーが「お前等、いい加減に帰れ!」と吐き捨てながらも(もちろん愛情込めて)数度のアンコールに応えた彼等。

盟友の金子マリ嬢(元ジョニー吉長の奥様)、ユーミン、ジェシー(チャーの御子息)らもステージに登場して大セッション大会に発展。

「来世紀にまた会おう!」とチャーは締めくくったけど、数年後にリユニオンが実現。でもそれもジョニー吉長が亡くなってしまったのでもう今では叶わぬ夢となりました。

ちなみに私はこのバンドを品川プリンス・ホテルの特設ホールにて観ちゃいましたが(元DTBWBの宇崎竜童主催イベント)、あの頃のチャーは尖がっていてもの凄い迫力。テレビ収録のために陣取っていたカメラマンがそばを離れずに撮影に没頭。プレイ中に「ここから離れろ」の警告も聞かなかったためにギターソロ中にカメラごとなぎ倒して尻餅をつかせた時はビックリしました。

さて、そんな彼らの2世が結成したやはり3人組の「RIZE」(雷図と当て字にすることもあり)

ジェシーを筆頭にジョニー吉長の2人の御子息、金子ノブアキ(DR,俳優としても売れっ子)、ケンケン(BASS)兄弟が中心メンバー

スタイルとしては今の時代を反映してかミクスチャー・オルタナティブ・ハードコア・ロック。

ちょっと古い世代にはきついジャンルではありますが、こうして次の世代へ確実にミュージシャンの血が伝承されていく様は嬉しい事ですね。

 

 

 

 

 

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NEW~PAUL McCARTNEY/NOW~CHICAGO

2015-11-25 22:54:14 | CHICAGO

タイトルがアルファベット1字違いの3文字で、両者共に、現在までのところの最新スタジオ・アルバム。

しかも紙ジャケット仕様の超豪華3面開きです。

双方共にボーナストラック入りで、ジャケットもひじょうにユニークかつシンプル、度胆を抜かれそうな印象的デザインですね。

シカゴの日本盤にはラストにライブバージョンで「イントロダクション」が収録されていて、例の通しナンバー「XXXVI」も記載されています。

ポールはこの2013年発表のアルバムを引っさげての来日公演では病気により急遽直前中止となりましたが、その後元気に再来日公演を大成功に収めたのは記憶に新しいところ。

アルバムの内容はといいますと、70歳とは思えないくらいに今も新鮮に現役だあ!と言わんばかりにロックンロールしていてポール節も相変わらず健在。それは当然として、尚も新たなミュージック・ワールドに貪欲に挑戦し続ける姿がメチャクチャにカッコイイ(写真上)。

シカゴのほうはといいますと、本当に久しぶり、世界中のファン達が首を長くして待ち続けていたオリジナル・アルバムでした。

2014年発表の12曲入り(写真下)。

ゲスト参加ミュージシャンもゴージャスに、曲調もバラエティにとんでいて硬軟自在。十八番のブラスロックサウンドから、ミドルテンポの渋めのナンバー、そして泣きのバラードとてんこ盛りです。

メンバー全員のあらゆるアイディアと才能が集結、繁栄された力作。

今作からパーカッションの新メンバー、ウォルフレッド・レイエス・ジュニアが正式加入

彼は2012年の来日公演でもエキサイティングなプレイで大喝采を浴びていましたが、なんと最新ニュース!

来年の1月、シカゴ来日公演が約4年ぶりに正式決定しました!!

全4公演で東京公演は今のところ発表されていません(残念ながら札幌もなし・・・・・)。

こいつは年明け早々、賑やかな事になりそうですね。

 

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CHICAGO~NIGHT&DAY・BIG BAND/PAUL McCARTNEY~KISSES ON THE BOTTOM

2015-11-24 23:44:24 | CHICAGO

写真2枚のアルバムCDは共にカバー作品集。

シカゴ「ナイト&ディ」は1995年発表の12曲入り(日本盤にはさらにボーナストラック1曲入り)

全てが超有名なジャズ・スタンダード・ナンバーで網羅されていて彼らのルーツを垣間見る事ができます。この年には来日公演も実現。マサ&シン&ケンはもちろん札幌厚生年金会館へ観にいきました。

ポール・マッカートニーのほうは2012年発表の14曲入り。

内2曲はポールのオリジナル。内容のほうはいいますと、やはりポールが少年時代アマチュア・ジャズ・ミュージシャンだった父親の影響下に家族と聴いていた古き良きスタンダード・ナンバーをカバー。ただし、ここら辺がポールのコダワリで、どうせやるならばあまり知られていない隠れた名曲をやろう!ということで一部を除いては知る人ぞ知る曲ばかりがセレクトされました。

シカゴのこの頃のオリジナル・アルバムはAOR系のサウンドにちょっと食傷気味だったため「ナイト&ディ」は、私にとってお気に入りの作品です。もちろんシカゴのメンバー達もウップン晴らしにノビノビと楽しんでレコーディングしたそうですよ。

ポールのほうは私正直言って、それなりの期待度で聴こうとしたのですが、実際には1曲目から引き込まれてしまうほどに素晴らしいアルバムでした。まさしく温故知新ですね。

珍しくポールはほとんどの曲録りをボーカルに専念(2曲ではアコースティック・ギターをプレイ)

バックのプレイヤー達には一流のジャズ・ミュージシャンを起用。慣れない作業のためかなりのプレッシャーと緊張感の中で歌ったポールの丁寧で味わい深い歌声は、どの曲も繊細で優しさに満ち溢れています。

本当ならば、もっと早い時期にこのアルバムを発表するという構想もあったそうなのですが、あのロッド・スチュワート「ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック」シリーズが先に大ヒットしていたので様子を見る意味で回避していたそう(ロッドの作品集も必聴!)。

ゲスト陣も豪華でエリック・クラプトン(G)、スティービー・ワンダー(HCA)、そして私も大ファンなダイアナ・クラールがピアノで参加しています。

シカゴのほうもゲストに意外なるミュージシャン達が集結しています。

ジプシー・キングス、そして何とエアロスミスのギタリスト、ジョー・ペリーです!

ちなみに写真のアルバム2枚共に見開きの紙ジャケット(シカゴのほうは輸入のみ初回盤が紙ジャケットで国内盤は通常のプラスチック・ケース発売)

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A HAZY SHADE OF WINTER/SIMON&GARFUNKEL(CDS)

2015-11-24 23:13:32 | free form space

遂にやってきました、雪景色。

また厳しくも長い冬の季節に突入だあ・・・・!

ちょうど去年の今頃にもこの曲をここで紹介しました。S&G「冬の散歩道」(2:19)

その時には、CDアルバムを掲載したので、今回は懐かしのCDシングルで再度(8センチ盤)。

TBS系金曜ドラマ「人間・失格」の挿入歌に起用されて1994年リバイバル・ヒットしました。これはその時のシングル・カット物(C/Wエミリー、エミリー FOR EMILY,WHENEVER I MAY FIND HER2:04)。

両曲共にポール・サイモンの作品。

何故か、私はこのドラマを再放送でずっと見ていましたが、主演のキンキキッズや他の俳優陣らが、決して華やかでもない重くて陰湿なストーリーを熱演していましたね。あれは強烈なトラウマになりそうな脚本でした。

それにしても、作者のポール・サイモンは「冬の散歩道」リリース時の1966年、すでにこのようなテクニカルにリードする力強いアコースティック・ギターリフをプレイしているのですから凄い事です。

マサとケンも札幌ドームS&Gコンサートでこの曲を生体験。あの感動は今も強烈に残っています。

まさにフォークデュオの最高峰。

 

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BOSTON

2015-11-23 20:16:14 | free form space

1976年、「21世紀のロック・サウンド」という謳い文句で華麗に登場した「ボストン」は衝撃的でした。

そのキャッチ・コピーに負けないくらいの説得力が「宇宙の彼方へ」1曲だけでも十分伝ってくるほど。

日本とは違ってあちらは都市をバンド名にしても、響き・ロゴが様になるから羨ましいですね(CHICAGO,BOSTON・・・・ETC)。

そもそもボストンというバンドが誕生したキッカケというのが、そうとうに変わっているというか、特殊です。

頭脳明晰なるトム・ショルツが、あのマサチューセッツ工科大学在学中に、ギターを独学でマスターしたことに端を発しています。

その後、ポラロイド社に就職したのをきっかけに、プロダクト・エンジニアの知識を習得。その電気工学技術を生かして自宅にレコーディング・スタジオを構築。

そこで製作されたデモ・テープが大手レコード会社に認められてアルバム「幻想飛行」でデビュー(ノー・シンセサイザー、ノー・コンピューターのクレジットも話題に)。

実はこのアルバム、ボーカル故ブラッド・デルプ以外のパートはほとんどがトムによる重ね録音だったとのこと(ほとんどの人々はそうとは思わなかった。私もその一人)。

一切の妥協を許さない完璧主義のトムはスタジオに長時間篭りっきりで、特にミックスにはそうとうの時間を費やしたそうです。

ただ、トムにはアルバム製作以外、コンサートというものは念頭になかったらしく、レーベルサイドの意向により急ツアー・メンバーをオーディションにより決定したそうです。

鳴り物入りで登場したこのバンドは、大成功を収めたのですが、なにせこのトムという男は全く時流に流される事なく己の音楽にしか興味が向かないらしく、じっくりとマイペースでセカンドアルバムの録音に取り掛かった結果、2年の歳月をかけて発表された「ドント・ルック・バック」は全米1位と前作以上に大ヒット。

今作はバンド体制となっていますが、実際にはトムによる絶対的コントロールのもとに行われたそうです。

3作目の発表がいつまでたっても日の目を見ないため、遂にはレーベルから訴えられて法廷闘争へ突入することに。

その間、ボストンの活動が一時休止状態に陥るも、トムはロックマンというエフェクターを開発。

「このエフェクター1台でボストンと同じ分厚くスペイシーなサウンドが実現可能」ということで大ヒット商品に(実際に弾いて見ましたが、トムの言うことに嘘偽りない代物だと感動しました)。

これ以外にも「留守中の植物への水やり機」「絶対にチューニングの狂わないギター」などを開発して数多くの特許を取得しています。

この人、なにやっても成功する商売上手のさしずめンテリですね。凄い才能の連発に驚愕。

レーベル移籍後1986年のアルバム「サード・ステージ」、シングル「アマンダ」共に第1位を記録。

悠々自適にその後も1994年アルバム「ウォーク・オン」

1997年の「ベスト盤」

2002年「コーポレイト・アメリカ」

2013年「ライフ、ラブ&ホープ」発表。

デビューから早40年近いキャリアですが、オリジナル・スタジオ・アルバムは6作品のみです(ベストは除く)

ライブ音源作品も映像集もなし。

ちなみにトムは長身でして、若かりし頃バスケットボールの選手になることも考えたそうなのですが、彼でも背が足りない・・・とのことであきらめたとか(これはジョークかも?)

ボストンは2度の来日公演が実現していますが、私の中学校時代の友人は初来日1979年4月「チェリー・ブロッサム・ツアー」における日本武道館を観ています。「トムがパイプオルガンを弾いていた」という彼の一言を私はよく覚えています(笑)。

トムのトレード・マークでもある愛器レスポールが、ある音楽雑誌にアップで写真紹介されていましたが、フレット・ボード上にホッチキスを打ち込んでいたのを鮮明に記憶しております。

アメリカン・プログレッシブ・スペイシー・商業ハードロック・バンドなんていう、なにやらわかりやすいようなややこしい、日本人がよく好む枠組みでくくられているこのバンド。かっこいいロゴに伴い、毎回あらゆるデザインで登場するUFOのような宇宙船とバックが音を上手に表現していてわかりやすいところもポイント高いです。

ボストンそのものであるトムは相変わらず「わが道を行く」の音楽人生を邁進し続けてゆくでしょうね!

写真はアルバムCD,ベストCD,マキシCD,EP。オマケのデモLPとライブDVDは非公式物・・・・・。

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エレファントカシマシ 今宵の月のように・・・・・ETC

2015-11-20 23:23:29 | free form space

エレカシことエレファントカシマシは、私にとって彼等がデビュー当時からのお気に入りバンドの一つ。

私はロックを聴くというスタンスにおいては洋楽に比重を置いていますが、このバンドはジャパニーズ・ロック界において久しぶりに硬派の骨太サウンド、リーダー宮本氏の魂の咆哮&突き刺さってくるほどの歌詞に打ち震えたものです。

4人編成のメンバー達は中学校時代からの仲間で一度もメンバーチェンジもなく結成35周年を迎えようとしています。これは凄い事ですね。

長い活動期間中にはメンバー2人が病気療養でやむなく活動停止状態に陥る事もありましたが、着実にキャリアを伸ばしています。

このユニークなバンド名は、「かしましいぞう」の「ぞう」を「象」に引っ掛けたといっていましたがそれは全くのこじ付けで、お笑い3人姉妹のかしまし娘と映画エレファントマンからもじった言葉遊びらしく別段深い意味はないらしいです。

一貫して露骨な売れ線狙いなどせず、ライブ中にも媚を売るようなMC一切無し、衣装も普段着という姿勢を貫き通すその姿にも強き男気を感じていました。時にはボーカルの宮本氏はいきなりブレイ極まりない客に対して、はたまたなぜかメンバーに対して切れまくる事もしばしば(数年前ラジオ番組にゲスト出演した際、女性DJのあまりにも心無い言葉に怒りまくった事件は有名)。

私の知人が20年以上前に札幌ライブハウス・ペニーレインで、彼らのライブを観にいったそうですがギタリストは終始怒っているかのように不機嫌な表情だったとか・・・。

まあ、それは彼等のコンセプトの一環だったとは思いますが、時流に乗らない音楽性やそれらが災いしてかアルバムセールスはそれほどの成果を得られる事もなく

知る人ぞ知る、通受けするバンドというイメージの中でも一切ぶれることなく鉄壁なる存在感を放っていました。よって業界内でも一目置かれるバンドの地位を確立。

そんな彼らの知名度が一気に増したきっかけは、15枚目のシングル「今宵の月のように(1997年7月30日発売)」

テレビドラマ主題歌として局スタッフから依頼を受け、ストーリーに沿った内容の歌詞で宮本氏が書き上げた入魂の力作。

彼等初のタイアップ曲ですが、結果大ヒットを記録し、代表作となります。

宮本氏いわく「ドラマなんか絶対に観ない」と言い放ってはいましたが、しっかり逐一チェックしていたそうですよ(笑)

ここからエレカシの快進撃がヒートアップします。

レーベル移籍に伴い、彼らの持ち味はそのままに音楽性にヒット性を意識したエッセンスも盛り込んでゆきます。

「今宵の月のように」のアレンジは伝説のジャパニーズ・プログレッシブ・バンドのベーシストでもあった名プロデューサー故・佐久間正英が担当しています。

ライブにおいても、宮本氏は無愛想ながらもMCをこなすようになり、髪型もロックっぽく長髪に、服装も多少はファッショナブルに変化。

(テレビ出演時、宮本氏は会話中身振り手振りの動作激しく表情もコロコロ変わりますが、髪の毛をしょっちゅう掻き毟る仕草は学生時代にそれが最も男らしい行為だと信じきっていたためだとか。その癖が抜けずアルバイト先では客の目前でもその仕草を繰り返して即刻クビになったとか)まあ、全体的な無頼漢風はそのままではありますが。

ほとんどおこなわれていなかったテレビ出演もそれなりに実現、宮本氏が「嫌いだ」と言っていたインタビューもこなし始めています(以前はインタビューを受けてもほとんど会話が成立しないほど言葉少なだったそう)。

東京は北区赤羽出身(マサはその地に一時住んでいました)のメンバー達は、その町に対して思い入れはないそうですが、プロモーションビデオなどの撮影地として度々収録を行っています。

またこれだけのカリスマ性を持ち日本の中でも指折りの個性派ロックバンドに成長したにも関わらず、世界進出には興味がないとか(メンバーに飛行嫌いの人もいます)。

私の琴線を振るわせた曲はやっぱり「今宵の月のように(写真中のCDS)」

以前に「曙/無事なる男」のCDSを所持していましたが、どうしても「今宵・・・」が欲しくて手放してしまいました(先の2曲はアルバム「浮世の夢」にも収録されているし)。

でも「曙」のほうが、コレクター・サイドに言わせればレア度高いのですがね。

ちなみに北海道出身日本ハム・ファイターズ鍵谷投手の登場曲は「今宵の月のように」です。

彼の登板がアナウンスされた途端からマウンドに登場して、練習投球が終了するまでの間ずっとこの曲が札幌ドーム内に轟いているのです!!

 

 

 

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CHICAGO/EP UK・ I'M A MAN・・・????

2015-11-20 02:18:44 | CHICAGO

A面に「アイム・ア・マン」(3:27)を収録したひじょうにレアな1枚。なんたってカバーがA面ですからね。日本でデビュー作の再発売で大ヒットした「クエスチョンズ67&68」のB面にエディット収録されていました。

もちろん、こちらもそのテイク。

作者はスペンサー・ディビス・グループに在籍していて天才少年と絶賛されていたスティーブ・ウィンウッド、そしてジミー・ミラー。

数多くのカバーも存在するスタンダード。シカゴもライブの後半において現在も重要なるレパートリーとして取り上げ続けています。

レーベル盤面には1969と記載されていますが、シカゴ・ロゴがばっちり印刷されているし、「CHICAGO'S GREATEST HITS」の文字も見られますからファースト「C・T・A」からではなく「Ⅸ」からのシングル・カットという扱いなのでしょうか。

それはそれとして、最も驚いたのがB面であります。

収録曲は初期の傑作ロバート・ラムのペンによる「DOES ANYBODY REALLY KNOW WHAT TIME IT IS?」(邦題は一体、現実を把握している者はいるだろうか?4:33)

もちろん、軽快なるブラスロックによるイントロが飛び出してくるものと思いレコード針を落としてみてビックリ!

「ギャギャギャギャギャーン!!」とお馴染みのG&Bリフが・・・・

「あれ!!??」

そうなのですよ、「長い夜」でした。しかもシングルなのに完全バージョンで。

CBSさん、しっかりしてくださいよ~~

わけのわからない違法商品ならともかく。まあ、これはこれでとっても貴重かも!!??(笑)

 

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