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THE SAPPORO TRANSIT AUTHORITY (S.T.A)

札幌で活動しているブラスロックバンド、STA(The Sapporo Transit Authority)です。

打上げ

2012-12-18 04:45:47 | free form space

ヴィニーズでのライブ・イベント終了後、同会場にて午後11時まで懇親会を開催しました。

まずは残ってくれたタイバンやお客さんと一緒にステージに上がってパチリ。

あとはただひたすら音楽談義に花が咲きました。

タツとタクは次から次へと繰り出されるウンチクに半ば呆れてあんぐり状態だったのでは?

それでもミツとタクはジャズ界隈のお話もしていましたね。

「好きなテナーサックスプレイヤーは?」とミツが質問したら「ソニー・ロリンズ」とタクが答えたもんだからマサは「ローリングストーンズでも吹いていたよ」と横槍を入れて強引にロックフィールドに引き寄せる迷惑な野郎です!

その他大勢はとにかく勢いに任せて話題が飛びまくり。

アメリカンからブリティッシュ、時代も様々。

ジャンルもコロコロと変わっていき、ついていくのがやっとだったのでは。

さあてと、ここからはその時の内容を乱暴ながらもつらつらと書きなぐってみたいと思いまする。

多少頭が混乱するかもですよ(・∀・)

もちろん中心となるバンドはシカゴなんだけどそこから派生してどんどんと広がっていく。

まずはミツが「スタン・ケントン」が出しているシカゴのジャズカヴァーアルバムのことなど(一部はBS&Tもやっていますがほとんどシカゴ)

ドラマーがあの名手ピーター・アースキンで、やっている曲も「フリー」は当然としても他が「キャノン」「マザー」等を取り上げていること。

マサは「シカゴの軌跡」ではテリーがフィードバックやりまくりだったり「悪魔の甘い囁き」ではダニーが自ら「アイム・ア・マン」のドラム・ソロの触りを演じているのに誰も論じてくれないことに不満噴出。

今年来日したビーチ・ボーイズよりも前座だったアメリカが好きとか、CSN&Yよりもやっぱり当時彼らの模倣と揶揄されたアメリカが大好きとか。

ノブはでもニール・ヤング贔屓だそう。

マサも「孤独の旅路」は愛聴してギターの練習をしました。

そうそうノブはアメリカのデビュー曲「名前のない馬」の名前募集で応募したら当選してネクタイグッズをもらったそうです(残念ながらもう紛失したらしい)。

この日もミツは赤いビートルズのパーカーを着用。

ロンドンで購入したもので胸にはロシア語で「レボシューション」

ミツからビートルズゆかりの場所を散策してきた話を聞いてマサは興奮。

びっくりしたのは「アビーロード」の横断歩道はてっきり中央区パルコみたいな中心街かオフィス街かと思ったら、以外にも札幌北区麻生のような都会から離れた住宅街の一角にあるということ(イメージが違うね)。

アメリカのビートルズは?から今度はモンキーズへ。

ディビー・ジョーンズも今年鬼籍の人に。

ブッ飛んでいきなりプログレッシブだ。

EL&P,ピンクフロイド、YES,ナイス。

ある面では初期シカゴもプログレ。

どうしてプログレってブリティッシュばかりなの?アメリカだとカンサスくらいしか思い出せない(札幌に来たよね)。

高校時代にケンがFMラジオでリトルフィートの「ディキシー・チキン(傑作!おお、ローウエル・ジョージよ)」のLPが当たったんだけど「俺、聞かないから」とマサにくれた。

それからマサはリトル・フィートのコレクターになったんだよ。

ロバート・プラントの初ソロ来日を2回も見に行ってフィル・コリンズに変わってドラム担当していた髭がトレードマークのリッチー・ヘイワードにひとりほくそ笑んでいました。

紅白にエアバンドの「ゴールデンボンバー」が出るという。

このバンド名がなかなか出てこなくてそこは若手のタクが助け舟を出してくれました。

さりげなあく「メリージェーン」のことも絡めつつ(!)ここでマザースのサヌーをマサがSTAに紹介します(彼は最初にイントロダクションを聞いて衝撃を受けたそうでもちろん「栄光のシカゴ」も所持)

彼は1973年の札幌厚生年金会館でのシカゴ公演初日を見ているのです。

同会場にはマサ、ケン、シンもいてもちろん4人ともまったく知り合いでもなんでもなくそれがこの場でご一緒しているのだから不思議なものです。

マサはこの時の為にお手製のシカゴ・ロゴ・フラッグを作成。

それがSTAライブの時に後方に貼り付けられているアレなのですよ。(40年前の代物)

ノブの口からはEW&Fのあれこれ。

テレビCMにキング・クリムゾンやCCRが使用されていたこと。

ミツが鬼才フランク・ザッパのボックスセットの事や彼のトリビュートアルバムをジャズミュージシャンが発表していることを振ってきたのをきっかけにマサが「フランク・ザッパ&マザースオブインベイション」のコンサート会場でイカレタ奴が火炎放射機(FIRE・GUN)で火事を起こし隣のモントルー湖の水面に煙が漂うその情景を見たイアン・ギランが歌詞を書き以前から温めていたリッチー・ブラックモアのリフを合体させたのがスモーク・オン・ザ・ウォーターだよ(ちょうどその時ディープ・パープルはマシーンヘッドのレコーディングのためにモントルーに来ていてザッパを見に行った)。見開き内側白黒ジャケットにその時の写真が載っているから」と説明したら全員に唖然とされてしまいました。

本当はザッパのバンドにシカゴ育ての親ジェームスWガルシオやリトルフィートの故ローウエル・ジョージも在籍していたんだけど言いそびれてしまった。

ちなみにガルシオは一説によると高価なギターアンプを所持していたのが加入のきっかけだったとか、ローウエルはザッパに「君は自分のバンドを結成したほうがいい」とアドヴァイスされたそうです。

実はザッパのデビューアルバムもシカゴとほぼ同時期発売でアナログ2枚組なのですよ、いい時代だ。

とまあこんなことばかりくっちゃべっていたらあっという間にお開き(これはほんの一部です)。

ミュージシャンらしい宴会だ。

ところが帰りの車中、マサとミツのシカゴ話はまだまだ続きます。

カーネギーホール「イントロダクション」でのリーの聞かせどころ、哀愁のトランペットソロの最中にジミーとウォルターがヒソヒソ話しているのをマイクが拾っているとか、ジミーがMCの最中に咳き込むとか、しまいにはジミーやリーの声色、モノマネ。

去年発売になったシカゴ1975年ライブCDではミツによるとメンバーたちが曲間に談笑しているのにリーだけは黙々ととりつかれたように何度も「フリー」のトランペットリフを練習しているとか。

まったく一般人がここにいたら私達ってどう映るんでしょうかねえ?

でも皆とても気のいい奴らばかりなんだよ、本当に

こんなSTAを2013年もよろしくね!!