少し前の話ですが、エルファを連れて散歩中 ありえない事が起こりました
いつもの散歩コースも後半に差し掛かり、
住宅街を抜けて、片道一車線のメイン道路を渡って5分ほど歩けば我が家にたどり着くのですが。
そのメイン道路の5,6メートルほど手前のところに鳩がいたんです。
一瞬エルファ反応するかな?という思いが頭をかすめましたが、
いかんいかん、ここでわたしが動揺してはエルファに伝わってしまう
と、そのまま通りすぎようとした その瞬間、エルファがワッホーー
と鳩めがけてジャンプしたんです。
そしたら、その瞬間こともあろうにわたしの手からリードがシュルッと抜けてしまいました
エッ
ウッソーー
ヒャーーッ
ヤバイ
エルファは鳩を追いかけて、すでに5,6メートル先を走っています。
このまま行けば、メイン道路の車道に出てしまうし、エルファが走っていった先には
いつも激しく吠え掛かる犬がいます。
そんな事が一瞬のうちに頭の中を駆け巡ったその瞬間、自然にわたしの口から「エルファ来い
」
という言葉が出ていました。
自分で言うのもなんですが、その「エルファ来い
」は、今まで聞いたことがないほど
毅然とした声でした。
その声を聞いたエルファは、ハッとしてこちらに向き直り、
それはそれは嬉しそうに、今度はわたしめがけてヒャッホーーイと走ってきたんです
ココ
ココ
と手を叩いてエルファを呼び寄せ、しっかりリードを握って
わたしの元に戻ってきたエルファを思いっきり褒めてあげました。
文章にすると長く感じますが、本当にアッという間の出来事でした。
でも、このアッという間の出来事の間にもし車が来ていたら轢かれていたかもしれません。
エルファにわたしの声が届かなければ、そのまま鳩を追い続けてこれまた
車に轢かれていたかもしれません。
もし人が通りかかったら、犬を連れた人が通りかかったら。。。
と、悪いことを考えたらきりがありませんが、
とにもかくにも、エルファはわたしの「来い」のコマンドに従ってくれたのです。
そのことが本当に嬉しかったし
「しつけとは犬の命を守るためにするもの」という言葉をこれほど実感したことはありませんでした。
マスミさんのメルマガ10号「ポジティブ・オビディエンス・トレーニング?何のためトレーニングするの?」
を読んでいただければ、そこにトレーニングとは何のためにするのかということが、詳しく書かれています。
素晴らしいメルマガですので、読んでいない方はゼヒ一読されることをお勧めします。
わたしも、服従訓練を再確認するために再読してみました。
そこにこんな一文を見つけました。
マスミさんの愛犬であるマックスが、マスミさんのマテの命令に従ってトラックに轢かれるのを免れた出来事が書かれているのですが。
その中のこの言葉にハッとさせられました。
「マックスが「命令」に従ったことで、命を取り留めたわけです。命令という言葉にも「命」という漢字が使われますよね」
これは名言ですよ。
犬に対する命令はまさしく犬の命を救うためのものだという。
そう考えると、何気ない命令でも確実に従わせなければいけないことが分かります。
行進中のフセやスワレがいくら早くできても、そこに何の意味があるのでしょう。
モチロン、犬との関係性を築くため楽しくトレーニングをするためならばそれでいいのです。
そのことと命令に従うことは別物であると、気づかなければいけないとわたしは思います。
そして、これはわたし自身に「犬のリードは決して放すべからず」