Soho Designer の長いつぶやき

SOHOでのフリーデザイナーとして30年。
地方で超零細企業としての日々のつぶやき。

デザイナーの芽

2009-05-28 09:21:26 | 仕事話_その他
だいぶ前に幼児くらいの頃からデパートのマークなどに興味があった、と記述したが、
その後、小学生くらいの時にもすでに今の仕事のような事が好きだったらしい。

小学生の頃、給食委員をしていた。
私は子供時代、好き嫌いが多く(大半は成人後に解決)、給食はどちらかというと苦痛だった。なのになぜ?

給食委員は配膳はたしかもちまわり当番だったので、なにが主な仕事だったか…?
覚えている限りでは、「給食新聞の編集・制作・発行」があった。
コレがしたくて給食委員になったのである。

食材に関する調査、給食のおばさん(栄養士さん調理師さん)へのインタビュー、メニューのこぼれ話まで、小学生のくせになかなかやるな、な誌面作りでした。
同じ理由で委員になる子もいて、そういう子が結構アイデアをだしてくれ、発案、調査、取材、編集、執筆、図案描き、清書(ポスター大の掲示タイプとガリ版の配布タイプとあったように思う。同時ではなかったが。)と、楽しい仕事だった。

私は自分の担当の給食新聞でも、その後、卒業間近になってからの卒業アルバム編集委員になってからも「図案描き」が自分の役割であった。

…あんなに絵が好きだったのに。ほとんど描かなくなった。
今ではたまーに予算のでない穴埋めカットをマウスでくーるくるっと描いて…。

絵専門になるには努力も才能も足りなかった。
コメント
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