気温5度


久々に庭に出てみたら、
秋に植えたチューリップの球根が1つだけですが、
芽を出していました。春が近づいているんだね。
そして、そういえば、秋に植えた
カリブロ花椰菜(かりぶろはやなさい)は、
いったいどうなったんだろう・・・
9月上旬に苗を植えたのはいいけど、一向に育たない。
野菜って、トマトやきゅうりぐらいしか育てたことないので、ほとんど無知。
もう5ヶ月くらいたってるんですけどー。
いいのか、こんなんで? てっきり苗を植えて一ヶ月ぐらいで収穫できるのかと
思っていたのは大間違い。あまりに珍しい野菜なので、園芸本にも載ってないんだよね。
ネットで調べてもほとんど出ないし・・・
かろうじてみつかったけど、あんまり詳しいこと書いてないし。
(ていうか、こちらのサイト、開いた瞬間、一瞬驚いた。「あれ!間違えて違うの
開いちまったか?」とものすごい焦った。いや、この話、わかる人は一人しかいない
思いますので、まぁわからない方は気にしないでください。)
で。
今日はこんな状態です。
アップで見ると、「おー、出来てるじゃん!」と思いますが、引きで見ると、まだ
こんなもんです。↓
一体いつになったら収穫できるのやら。
気長に待ちたいと思います。
作るの数ヶ月、食べるの一瞬・・・になりそうですね。
さて、今日も、結局いつもの温泉で一日を過ごしました。
ここの休憩所で本を読んで過ごすのが好きなのよ。
至福の時なんですよね。風呂上りに単にシャツ一枚という薄着&裸足で
過ごせるほど暖房が効いてあったかい。家にいるよりずっといいわ。
温泉行く前に、ちょっと本屋に立ち寄って、私の愛読書「ビズ(園芸雑誌)」
を買おうとして・・・
ビズを探すよりも前に、ちょっと知ってる人(いや、知ってるっていうか・・・)
が、載っているという雑誌がこっちを向いていたので、「おー。あるんだ!」
とか思いながら、立ち読み。
さすが中途半端な田舎、というか中途半端な都会、恐るべし。
東京とか、ネット通販では発売して間もなく売り切れになったらしいけど
ここには、3冊もありました。しかも今日はもう17日だというのに。
パラパラーとそのページを探そうととりあえず開いたページが、なんと
それで。 いやー、私は超能力者か。
何の苦労もなしに、書店に入ってものの数秒で見つけたという・・・
そして、遅ればせながら、必殺斜め読み。速読完了。
どうせこっちには売ってないだろうと思って、かと言って、ネットで買うのは
めんどくさいので、ハナから読む気ありませんでしたけど、(ごめんね、
悪い意味じゃなくて、私、もともと雑誌って園芸誌以外買わんの)こうして
目の前に「買え!」と言わんばかりに実在していたので、まぁ、いちおう
買いましたけど・・・。
っていうか、本当は、「読んでいいんだろうか。」というかすかな不安が
あったので、意図的に避けていたというのもある。知らないでいいようなことが
書いてあるかもしれないしなー。このまま、自分の中では、ミステリアスな
雰囲気を秘めた「謎の人」にしといた方がいいのではないかと。
でも、斜め読みした限り、大丈夫だったので安心した次第。
温泉の休憩所でじっくり読ませていただきましたよ。
なんか、いつも会ってる人が(いや、いつも会ってはいないけど・・・まぁ)
雑誌に載ってるってのは、不思議だ。
やっぱりこういうことになることは、私は見えてましたけどネ・・・
転機って当たってたでしょ。
ってか、この人も、江原さんのいうところの、「天に愛された人」なんで
しょうね。
そして、先日から読んでいた「
こころ」という小説も読み終わりました。
こないだ読んだ所より後は、意外な展開で、プチSFっぽくなって
「ん?」というカンジでしたが、まぁ、いろんなことを考えされられるお話
でした。
そして、やはりこれも啓示だなと思った次第。
こないだから自分で「
感情は要らない」なんていう詩っぽいものを書いたり
していて、そして、
江原啓之さんの講演会でも、「感情は要らない」って
言っていて・・・
これを読んでも「感情は要らない」なんていうくだりが出て来たので、
やっぱり引き寄せてるんだかなんだかアレです。
ちょっと、思わず線引こうかと思ってしまった部分。以下抜粋。
「どうしたら感情をコントロールできるんですか。」
「理性と悟性を信じること。一時の感情は川の流れや吹いていく風のようなものだ。
イメージしてごらん。川の中に杭が立っている。まわりを水が流れているが、
杭は揺らがない。杭は川の中にあるが、川自身ではない。その杭が君だ。」
さらさらと流れる小川の中に立つ一本の杭。
嵐で川が荒れ狂っても自分はしっかりと立っていることができるだろうか。
「恐怖は身を守る為にある。友情や愛情は世の中で上手くやっていく為に、
寂しさは社会生活を営ませる為にある。でも感情は生きる為の道具だ。溺れて
はならない。」
・・・・と、ここを読んで・・・・
ほー。とか思いました。
こないだの江原さんの講演会でも、これとほぼ同じようなこと言ってたんですよ。
こういう同じようなことが自分に流れてくるってことは、やっぱりこれが啓示
なんだなと。
かと言って、あまりに極端になっても・・・
感情をなくした人、抑えた人、または、もともと先天的に「感情を持たない」
という障害を持つ登場人物のように生きたとしても・・・・
「哀しみを感じる人間と、感じることのできない人間、どちらが幸せなのだろう」
というくだりも、ちょっと線を引きたくなりました。
ME VIDE SUM・・・・
↑そして、この小説の終わりに出てきた言葉。
未来の言葉だって。なんかかっこいいなと思って・・・
意味は、「私を見て、私はここにいるから」。
結論は出ないのだけど、いちおう、「人間」に生まれて来たからには、やっぱり
そういう色んな感情を持つということが、自然なのではないでしょうかね・・・
どうでしょう。
でも、でも。
ラクになるのは、やっぱり感情を持たないことが、抑圧して生きて行くことが
せめてもの身を守る武器になるのではないかとも思う。
この行く先不明の砂漠を一人で歩いていくには・・・・
と、難しいことを考えていたらおなかがすいてきたので、今日の日替わり定食を
注文。海老のたまごとじ丼。