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こころ虹色水色空の彩

~心ニジイロミズイロソラノイロ~

空と水と石と花と夢とヘミシンク。

きっと想定外のことが展開して行く!

2022年06月19日 12時00分05秒 | ふと思うこと
人生を振り返ってみると、想定外のことばかりだった。

思いつくままにあげていくと、

・弟が死ぬとは思わなかった(2008年)

・犬嫌い(怖いと思っていた)だった私が犬を飼うとは思わなかった。
 しかもこんなに大好きになるとは。(2012年~)

・今の住居に引っ越しすることになるとは思わなかった。(この町に来るとは)

・工藤に裏切られるとは思わなかった。

・良いことをしたのに、それを批難され、仕事をクビにされ、迫害されるとは思わなかった。

・もちろん、567の狂った時代が来るとは思わなかった。

・FP(フェイクプレーン)に四六時中追いかけ回されるとは思わなかった。
 (人に見えないものが見え、聞こえるとは思わなかった。)

・自分がスターシードだったとは思わなかった。社会に順応出来ない只のクズで、無価値で死ねばいい存在だと思っていた。

・こんな病気(目)になって苦しむとは思わなかった。

・しかも、新しい仕事が始まったこのタイミングで昔の病気再発とは。そして、またもやダメになるとは。
 


大きいところでは、こんな感じだろうか。


15年前に、このことを当時の私に言ったとしても、信じられないと思うかもしれない。
まぁ、病気のことぐらいは想定出来たとしても、その他のことは信じられないだろうな。

だから、きっとこれからも、今は全く思ってもいないことが展開して行くんだろうな。
絶望しかないんだけど、きっと大どんでん返しが来て、とんでもない良い状態になると信じたい。

メドベッドとかは想定しているけど、想定外じゃなく、ちゃんと具現化して欲しい。


今、新しい仕事がまたダメになって、(話が全然違って、大嘘をつかれて、連絡がつかなくなった。)
ましてや、今、重病。新規で就職も難しい。 貯金ももうわずか。 正直、絶望しかないけど、
これまでのように想定外のことが起きるとなると、きっとピンチは救われるのだと信じるしかない。

工藤に泣いて土下座させるまでは、死ねない!絶対、死んでたまるか!

チャネラーの言うことで憂鬱になる必要はない。

2021年12月13日 23時31分19秒 | ふと思うこと
なんかどこかのチャネラーがまた「EBSは来ない。2月に寅のSNSが出来るから、そこでデクラスするから、それで徐々に覚醒させていく」なんつってるのを、数人のYouTuberがこぞって取り上げてるけど、私はそんなの信じないよ。

チャネラーなんて、今までもずーっとずーっと来る来ない来る来ない来る来ない、もうすぐ、まもなくとずーっと言い続けて来て何も当たっとらんやん。1年前の寅と梅のオーディション前には、ブロッサムさんが「はい、時が来ました!」なんつって、まさに今来るかのようなこと言ってて結局なかったじゃんね。 

あれはなんだったの?といまだに思っています。
あの後、へんな言い訳して、しれーっと話を変えて、なかったことみたいにになっててさ。

いや、私はブロッサムさんに怒ってるわけじゃなく、そのチャネリングした相手の銀河連合を名乗ったやつにだよ。怒ってるというほどの激しい感情はないけど、「ww草!」て感じで呆れてる。

本当に銀河連合なのかも怪しいというか、まぁ、控えめに言って、銀河連合のその宇宙人もたくさんいるんだろうから、その人も本当のことを知らされてなくて、デマをつかまされて言ったのかもしれないけどね。w
って知らんけど。

しかも、あの丸の日Kさん(一応伏せ字で書いてますが、わかる人にはわかりますね。有名?なヘミシンカーで非物質世界のことをよく知っている方です)みたいに、宇宙人と交信しておきながらもいまだコロ奈脳で眠ってる人もいるぐらいだから、どこの宇宙人と交信してるんだか、全くわからないんだよね。

かと言って、私は丸の日さんがイカレテルとは思わないけど、いちおう常識人というか、きっと普通に温厚で優しい人なんだろうなと思うし。(ただなぜ眠ってるんだとは思う)悪口ではないですよ。

あの人のスピ能力やチャネリング能力って、けっこう本物だと思うんだよね。嘘だとは思わない。
実際、昔、私の愛犬の守護神を見てもらったことあるけど、すんごい当たっててびっくりしたことあるし。

こちらの情報与えてないのに、うちの犬のかなりレアな特徴当てたからね。
(うちの子は右手を怪我して、私が保護したことがきっかけでうちで飼うことになったんだけど、その情報与えてないのに、丸さん、うちの子の姿当てたからね。 この子は右手に何かオレンジ色の宝を持って生まれて来た」とか言ってたし)

その他にも色々すごいなと思うことあるし、だから、あの方もちゃんと能力あるとは思うのよね。
だけど、なのに、銀河連合とつながれてなくて、眠ってるのは不思議だし。

だからね、そういうことも踏まえて、チャネリング自体が嘘だとは思ってないけど、でも、だからと言って、全然盲信するに値しない。誰と繋がってるんだか、わからないもの。本人の先入観とか願望とかも入っちゃうと思うんだよね。

ヘミシンクは想像で創造して行くなんて言うしね。

だから、その今話題のEBSが来ないとか言ってるナントカさんって人の話もそんなに話題にするほどのことでもないと思う。

ブロッサムさんの和訳動画、でも今でも、見ちゃってるけどね。(1年前大きくはずした直後はイヤになって暫く見なかったけどね) 今は、まぁ、参考程度に見てはいる。同じ未来への展望を持つ同士として、敵ではないと思っていますので。


で、そのね、EBSが来なかった時のデメリットをそういう人は考えたことあるんでしょうかね。

そりゃ、一般人はいいかもしんないよ? 枠賃打たせることに何も関わってないただの一般人ね。
自分が打つ打たないっていう自分だけ(もしくは家族)の問題だけの人はいいかもしれないよ?

でもさ、お偉いさん方、行政の人間や医療従事者、教師とか企業の偉い人とかさ、他人に打つことに仕向けた人間達や、なんなら、目覚めてる人達を基地外扱いして仕事クビにしたり、いじめたり、ひどい仕打ちしたヤツとかいっぱいいると思うんだよね。
そういうやつらどうすんの?

EBS来なかったら、そいつらお咎めナシじゃんか。

他人をジャッジしてはいけないっていう考え方もあるけどさ、悪は悪としてジャッジしていいんじゃないでしょうか。悪ですらも「いいですよぉ。自由ですよぉ。人を56すことに加担しててもいいですよぉ」なんてニコニコしてたら只のバカだよ。悪に憤る心というのは、ネガティブなんかじゃなくて、根底に愛があるのだから、むしろ波動は高いままなんだから大丈夫なんだよ。 怒ったらいけない、怒ったら波動が下がるとビクビクして、なんでも許さなきゃ、許さなきゃと思う必要はない。


これまでの闇の悪事を誰にも知らせることなく、徐々に、ソフトにネサゲサに移行ってさ、そしたら、そいつらの悪事は裁かれることなく、しれーっと、なかったことにして、うやむやにして、いつのまにか567消えてたねーっなんてなった時に世の中は何も変わらないよ。

悪い事したもん勝ちじゃんね。そりゃ、行政のトップは裏でめるろんになるかもしれないけど、そこまで偉くはないようなそのヘンの小さな会社のただの雑魚社員とかさ、567脳達が目覚めた人々を総袋叩きにして虐めちゃったってケースもあちこちにあるわけよ。

そういう人達は、どうなんの?
お咎めナシだから反省することもなく、自分がまちがっていた為に優しく助けてくれようとした覚醒者をぶちのめして、そのまんま?

仕事は他に探せばあるから忘れた方がいいよ、とか言ってる人もいるけど、そういう問題じゃないんだよね。そりゃ、その人は他を探せばいいけどさ、その欠員が出た所の元の会社は存続するわけで、そこに新入社員が入っていくと、またそういういじめが起こるんだよ。っていうか、そんな小さなこと、どこの誰だかわからん人の心配する必要ないだろって思うかもしれないけど、「小さなこと」じゃないんだよ。

だって、それが世界中のあちこちで起きてるんだから、小さなこともたくさんあったら、大きなことだよ。
しかも、学校でもそういうことが起きている。

「まちがっていた、騙されていた」と知ることなくして、また、騙す側もそういうつもりはなく、単に従っただけだったとしても、結果的に騙すことに加担してしまったことは変わらない。しかも、それにより、本当は正しかった人達を迫害したり、追放したりとか、そういうことをやってしまっていたということを知らなければ、反省することもないし、ましてや、新しい世界に変われるなんてことないと思うよ。

今度、教育を根底から変えなければならないのに、なんで変える必要があるのかわかってない人ばっかりがほとんどなんだから、変わるわけないやんね。

子供達の酸素を奪い、おかしな教育して来たバカ教師どもももう降板させなければならない。
でも、騙されていたことを知らなければ、彼らはずっとその位置にのさばったまんま。

教育委員会のお偉いさんもそのまんまですか? 
しかも、私の県の教育委員会の幹部のナンバー2は、元私のよーく知ってる人です。
親友でもありました。そして、そいつは枠が毒で人を病気にしたり56すことがあるものだと知っているんです。自分の偉い立場が大事だと言って、知っていて加担しました。

私は必死に止めましたけど、私を潰してまで悪に加担し続けました。(もちろん絶縁されました。)


新時代でもまだその位置にのさばり続けるつもりですか?

ソフトデクラスして、なんとなくおぼろげにボヤーっと真実が知れ渡るような感じになったら、

「まぁ、いいや、知らんぷりしちゃお。だって、知らなかったんだもーん。私達は命令に従ってだけで、決まりを守る善人ですよー。しょうがないよねー。てへぺろ。えへ!」

って感じで、そのまま教育を続けていくつもりなら、そんな真実を見抜けず子供達を守れなかったクズに教わり続けることに疑問を持たない人達ばっかりだったら、新時代なんか機能しない。


なぜ今までのシステムを根底から変えなきゃいけないのか、それに納得しない人ばっかりだったら変えようもないんだから。
社会は誰か一部の人が変えてくれるんじゃなくて、1人1人が変えるんだから、何もわかってない人達がどうやって変えられるのか。

ずっと教師は偉い、まちがったことは何も言わないと信じ、無条件に従って来た羊脳で疑わない親御さんたちや子供達が、どうやって急に命令に従わないようになり、自己主張するようになるんだい? ならんだろ。


医療の嘘についても知らないと、人々はマスクはずさないよ。
フェードアウトするように、いつのまに終息してたっていうふうになると、きっと「それでも念の為」と言いながらつけ続けるよ。

嘘だった、騙されていた、と知ることなしに、新しい時代に変わることはありえない。
熱が出たら解熱剤、頭が痛けりゃ鎮痛剤、下痢になりゃ下痢止め飲んで喜んでいるようなことが続けば、何も変わらないんだよ。


改善というものは、反省(ここがまちがっていた、ここが悪かった、ここがダメだったと知ること)を経過せずに出来やせんのだよ。

だからね、うやむやにして新地球に移行なんかありえない。



びっくりしようがパニックになろうが、今まで悪魔に騙されていたんだということを知る必要がある。
だから、絶対に放送はやるに決まってんじゃんね。

てか、今の方がよっぽどパニックだっつーの。
静かなる狂気。
これほどの狂ったパニックはないよ。

寅さんのSNSだかメディアが出来るから、それで静かにデクラスするって言ったって、そしたら今と変わらんじゃろ。今だって、YouTubeとかTwitterでこれでもかとばかりにデクラスしとんのに、見ない人は見ないし、デマだ、デマだ、って信じないじゃんね。

しかも寅が嫌われてるんだから(嫌いにさせられているっていう方が正しいかな)そういう人達はそもそも寅のメディアなんかバカにして見ないでしょうよ。 


てか、そんなことはルッキンググラスでわかってんだろ。
うやむやにしたまま、社会が変わるわけないって。

だから、そんなチャネラーなんか信じません。


今日はちょっと口悪くてスンマセン。

緊急放送は必ず来ます。100歩譲って、レレレだの品品杯杯だのは言わなかったとしても、
56茶でしたーというのは最低限は絶対言うよ!

世界緊急放送がなぜ来ないか考えてみた

2021年10月19日 15時01分33秒 | ふと思うこと
緊Q放送がなぜ来ないのかについて書いてみようと思います。
(バン対策として、引っかかりそうな言葉は伏せ字にします。こんな誰も見てないような極小ブログでも以前、アップした瞬間、「この記事は不適切な内容が含まれている為、投稿できません」と表示され、投稿出来なかったことがあります。アトピー関係の記事で。)

長文になりますので、先に答え(あくまで私が思う答えです)を書いておきます。簡単に言うと・・・

今、身近で親しい人が亡くなってもまだわからず、「自分は大丈夫」と思って打つ人があまりにも多いことからもわかるように、人々の眠りがあまりに深すぎて、枠セッシュ開始前の誰も犠牲者が出ていない去年とかの時点で放送したとしても、誰も信じず、放送をしても失敗に終わる恐れがあったから。放送の裏付けになる証拠が必要だったから今まで待つしかなかったのだと思います。DSの妨害でダメになったとしても、その妨害ですらも神の采配だったのだと思います。

今年の春頃、チャネラーの人達や白い帽子関係者みたいな人達が、「人々の目覚めが足りないからまだやらない」と言っていた時、「はぁ?何言ってるの?いや、目覚めさせる為にやるんでしょうが!(怒)」と思って、不信感を持っていましたが、今になってやっとその意味がわかりました。


以下、詳細書きます。


私は放送来て欲しい派です。絶対に!

そして、来ると信じています。100歩譲って「ドーン!」というデカイのはなかったとしても、(レレレだのヒンヒンハイハイとかゴムとか宇宙人の話はなかったとしても)少なくとも「Go ROCK Sevenは嘘でしたー」ぐらいの発表はあると信じています。それもそんな何年も先ではなく、近いうちに。


でも、本当は、ドッカーンとすごいのが来てほしいです。
このような空襲警報みたいな怖いサイレンと共に始まるっていうショック系のが来て欲しいです。

太平洋戦争時の空襲警報サイレン


さて、最近、6月頃からかな、毎日ように救急車🚑がすごいです。
朝から晩まで夜中まで、時間を問わずとにかくすごいです。これは、Twitterなどを見ていると全国的だそうですね。
しかも、今、これを書いているこの瞬間でさえ、外でピーポーピーポー聞こえています💧

そして、Twitterを見ていると、ウッた後、身近な人が亡くなったという話も絶えません。日に日に多くなるばかり。
お年寄りだけでなく、まだ若くて健康で、それまで普通に元気だった人も・・という話もたくさんあります。
ヤフコメにも最近多く見かけるようになりました。

で、普通、我々覚醒者の感覚からすると、それでもう気づくと思うじゃないですか。

ところがどっこい、それでも気づかないんですよね。ほとんどの人が、因果関係はないというテレビや医者の話を鵜呑みにしていて、身近な人がそうなっても、「なんかちょっと怖いなぁ」と言いつつも、「じゃぁ、自分は来週予約してあるけど、体調万全にして受けなきゃね。キリリッ😎 ✨」とまだ打つ気満々でキャンセルしようという考えに至らない。まぁ、中にはいるみたいだけど、まだまだ多くの人は目覚めることが出来ない。ほとんどの人は「自分は大丈夫」と思っています。

ナくなったのは、たまたまその人が運が悪かっただけだ、とか、アレがその人の体に「合わなかったんだねぇ。かわいそう。」という発想だったり、あげくの果てには、「そりゃ、どんなちゅーシャでも、誰かしらはナくなってるからしょうがないんじゃない?人はいつかは市ぬんだし。」とか言ってたり。 だったら、567だって誰かしらナくなったってしょうがないんじゃないかという話になると、拒絶反応起こすというね・・・

とにかく、我々からすると、彼らの反応は想像以上で「は?」って思ってしまいますよね。もう不思議でしかない。

本当は、我々からすると、騒動始まった当初に、クライシスあくたーの動画見せたり、PPPケンチャの嘘についての動画を見せた時点ですぐにわかってくれるもんだとばかり思っていたじゃないですか。 平塚さゆ氏とかの演説を聴いたりしただけで、気づきが起きると思っていたわけじゃないですか。 

だから、私も当時勤めていた会社の仲間を助けたくて、それらの話をしたり、動画を見せたりしたわけなんですけども。見もせずに問答無用で排除され、しかも10年勤めたのに、話い合いすらもなく、その場でクビにまでされました。これについては言いたいことたくさんあるけど、ここでは省きます。あの社長め、まもなくだから、震えて眠れ!てか、もうお豆腐船に乗ってる頃かしら。

話は戻りますが、ほとんどの人々は本当に意外や意外で、それらを全く聞く耳持たないどころか、ものすごい悪のエネルギー全開で私達を袋叩きにするんですよね。それが、私の周りの人達だけでなく、もう全国的に不思議と同じ反応をする。もう、ほんと金太郎飴を切ったように、全く同じ反応するのね。

既読スルーは当たり前、最近は既読にすらならない人も多いみたいですね。無視、激怒、誹謗中傷してからの排除、長年の親友を捨てる、中には家族関係が壊れた人も。離婚した人もいたと聞きます。

もうほんと、何かの同じチップがインストールされてて同じ動きをするようにコントロールされてるんじゃないかと思っちゃうほど、びっくりするほど同じ反応でしょ。

ちなみに、私は20歳の頃から長いつきあいの香港人の親友がいます。最近、その香港の友達に聞いたところ、香港では日本みたいに、打つ人と、いわゆる反枠の間で、とくに分断はないそうです。全然普通に仲良しなんだそうです。

えー!?なぜー?と思って聞いたら、この答え。↓


見た瞬間、「あー・・・・・・。ね。」
とすぐ納得しました。

どんな秘訣があるのかと思ったら、こんなシンプル明瞭な答え。
あぁ、やっぱり、そこなんだなぁ。
たったそれだけで、こんなに差が開くんですね。



だから、もうこれが根底にある限り、何を言ってもダメ。 どんなデータを見せようと、目の前で人が倒れようがシのうが、ダメなんですね。


1年前の今頃も、早く放送来て欲しい!と思っていた私達覚醒組も多かったと思います。虎右衛門と梅干しのオーディションの発表前にはもう絶対ある!と思って盛り上がっていましたよね。
 
でも、もし、当時の爆沈がまだ始まってない頃に放送来たとしたらどうだったでしょう。ちょっと想像してみましょう。彼らは目覚めたでしょうか。

いいえ!目覚めなかったでしょうね。

当時は、それで目覚めると私達は思っていましたよね。
だから爆沈雪主が始まる前に(死人が出る前に)早く!と願っていたのです。

しかし!

今の「身近な人がウッた後すぐにお星様になってもまだ気づかない」という人がほとんど、と状況を見ていると、まだ誰もシんでない雪主開始前の時期に放送しても、恐らく彼らは「いや、そんなわけない!」と否定するに決まっています。

ほら、もう顔が浮かびますよ。ね!

「実は、じんこーサク丸しようとしてたんだ」「ちぷしーを埋め込んでドレイにし、管理しようとしてたんだ」と発表したとしても、

顔をしかめて、「えー?いやいや、それはないんじゃない?そんなの信じないよ。絶対嘘だ!いんぼーロンだ!そんな悪いことする人がいるわけない!」と言うに決まっています。

そして、恐らく寅右衛門を更に叩き出すんじゃないでしょうか。今の時点で、寅右衛門は悪いやつだと目ディアに洗脳されてますから、まだ枠による被害者が出ていない時点で放送した日にぁ~、「寅右衛門が世界をハイジャックしやがった、もうなんて悪い奴なんだ!許すまじ!」とか騒ぎ出したり、シャットダウンされた「目ディア」を必死に擁護したり、「一生懸命やってくださった医療従事者達がかわいそう」とか言って泣きわめき出したり、更にそれで暴動起こしたりして、下手したら、あろうことか、光側を閉め出そうとするデモまで起こったりすることも考えられます。

テレビ局やラジオ局はシャットダウンされたとしても、新聞社が動く恐れがあります。。新聞社の上層部は粛正されてもういなくなってるかもしれませんが、下っ端の人達が洗脳されていた場合、正義感から「寅右衛門の逆襲!」みたいな記事を書いて配る恐れだってあります。新聞社もあちら側ではありますが、社員全員がすべてあちら側というのは考えにくいと思っています。
下っ端の人達まで全員が「茶番」と知ってるかと言えば、そうでもないと思うんですよね。何も知らず洗脳されてる人も多いと思うんです。

現に、私の親戚のおじさん(今80代)は、若い頃新聞記者でしたが、何も知りませんからね。普通に医者信者だし、自分の親(つまり私の爺ちゃん)を癌で亡くしたけど、何もわかってないですから。

余談ですが、その癌で亡くなった爺ちゃんは、最期、死に際に病院で家族親族に囲まれて「爺ちゃん、何か言いたいことある?」と聞かれた時、声にならない声で「け い さ つ を よ ん で く れ・・・・」と言いました。聞くに「医者は俺を治してくれると言ったのに、悪くなるばかりで治してくれなかった。コロされる。」と言ったんです。そして、警察を呼んで逮捕してもらってくれ、と言ったんです。

それを聞いて、みんな「とうとう爺ちゃんは頭おかしくなっちまった」と哀れんでいたのを今でも覚えています。

これからしてもわかるように、元新聞記者だったおじさん(爺ちゃんが死んだあの時はもう新聞社は辞めていましたが)は、医療の闇のことなんか全く知らなかったですからね。だから、多くの新聞社勤めの人達も、このように洗脳されてると思います。

それに世の中には印刷機なんかどこにでもあるんですから、洗脳された人達がまた更にへんな記事を書いて配りまくる恐れだってありますよ。

そして、更に顔布と枠を推奨し続け、教育も狂ったことをし続けて・・支配層のトップがいなくなったのにも関わらず、たいして力のない洗脳された家来的残党達がリーダーになって、おかしな社会を推し進めて行くでしょう。そして、まともな覚醒者達がどんどん押しやられ、それこそ、居場所もなくなるかもしれません。今、経済的にもどん詰まりになり、やっとの思いで命をつないでいる覚醒者もいることでしょう。今後来るはずだった新地球を背負って立ち、復興のリーダーになり得たであろうそんな覚醒者達でさえ、生き残れなくなるかもしれません。そうなると、新地球なんてそもそも有り得なくなってしまいます。

まさかと思うでしょうが、今の目覚めなさ具合を見てたら、そうなることが容易に想像出来ます。

そうなってしまうと、大きな頼みの綱だった金級放送が失敗に終わってしまいます。

せっかく放送してもそうなるのでは、更に眠りが深くなって行き、もう為す術はなく、人類は文字通り破滅の道に行くより他なくなります。放送なんかしなくても「1人1人が気づいて立ち上がればいいんだ!」と反論する人も多いですが、いや、だから、それが出来ないから困ってるんでしょうが!今まで何を見て来たんですかって話です。

放送を望んでも何もおかしいことでもないし、卑怯なことでも弱いことでもありませんよ。
お花畑でもありません。事実、少なくとも今の私の状況に何ひとつ、お花畑の要素はありません。毎日毎日、ただ辛い、しかない。明日も見えない。これがお花畑とは何をもって言えようか。

金級法層が来たらいいなぁと願いを抱くことが悪とかバカだなんて思うのは、それこそ、DSの洗脳ですよ。たぶんそういう人はそちらの放送が永遠に来ない世界線に行くのだと思います。

放送の目的は「確実に」目覚めさせることです。確実に!

だから、緊丸放送は決して失敗出来ない。頼みの綱である唯一の放送を失敗に終わらせることはあってはならない。
放送したのに目覚めませんでした、チーン!(↓これ↓)では済まないんです。



絶望音(チーン)  ↓ 


だから、神は今の状況を鑑みて、放送内容を信じさせるには、もう身を持って経験させるしかないいうことにされたのでしょう。


つまりそれが、接しゅを止めなかったということだと思います。
止めなかったから光側が機能していないとか、闇の方が強いからだ、とか。そもそもそんな放送なんか嘘だ!あちら側が光を装って作ったガス抜き話でしかない!ということではなく、光側ですらも涙を飲んでそうせざるを得なかったのじゃないかと思います。

子供の宿題を親がやっちゃうと子供の勉強は伸びませんよね。それと同じなんです。「何々ちゃん、勉強するのは辛いことだからしなくていいよ~。宿題はママがやってあげるよー。」と言う親はいい親なんでしょうか。

子供が怪我したら痛くてかわいそうだから、体育の授業を全て休ませたら、それはいい親なんでしょうか。
怪我したことが1度もなくて痛い思いをしたことがない人間に育てることは本当に幸せなことなんでしょうか。

というか、きっと「気づいてない人」は、ある意味そんな育ち方をして来たんじゃないでしょうか。

苦労したことがない、たいして悩んだことがない、なんでも順調、何か困ったことがあったら誰かにやってもらえばいい、なんでもトントン拍子に生きることが人生の目標だと思っていて、悩んだりつまづいたりして、ドン底見た人はただのかわいそうな人wとバカにして来た人達。そのような姿勢が、567脳という状態を招いたんだと思います。


その光側というのは生身の人間だけじゃなく、高次の存在も含まれていると思います。きっと私達の想像にも及ばないほどの大きな何かの力が動いてると思います。

もし、せっしゅ開始前にみんなが気づいていたら、放送はやってたんじゃないかと思います。
きっと未然にこの惨事を防げたでしょうね。

しかし、放送しても目覚めることは見込めないどころか、更に眠りが深くなり、間違った方向に進み、人類は滅亡するより他ないということが見えたから、ある程度の証拠を残す為、放送はしなかったんだと思います。

証拠とは、つまり、打ったらほんとに酷いことになるという自ら経験しての証拠です。
覚醒者達の話を聞いてわからないのなら、自分で体験せよ、ということです。

「そんな悪い事する人がいるわけない!」んじゃなくて、ほら、いるんだよ、ね?ほんとだったでしょ?とわからせる為です。

ルッキンググラスという未来を見通す道具があるそうですが、それで見た時に、1年前に放送するよりも、ある程度証拠が出た頃(つまり、本当に身近な人が氏んでしまったり、自ら副反応に苦しむという実体験をした頃)に放送した方がよいという未来が見えたんじゃないでしょうか。


もっとも、神とか宇宙人とか、人間でもスピ能力に長けている場合は、いちいち、そんなルッキンググラスという道具を使わなくても、パラレルワールドを見ることが出来るでしょうけどね。こんな私でさえもある程度、それが出来てますから。

寅右衛門やQは枠を止めなかったから闇だとか、信用出来ないとか言う意見もあります。本当に人類のことを思うのなら、とっとと止めるはずだ、と。私も当時、ちょっと「あれ?」と思ったこともありました。附に落ちませんでした。でも、私は虎右衛門の演説を聴いて光しか感じなかったので、アンチになることはなく、ずっと見て来ました。ただ、あまり熱く入れ込んでいたわけではないですけどね。


枠を止めなかったのは悪!そう思うのも無理はないですが、でも、今だけここだけ、という視点で見ているからそうなるんだと思います。それと、「今いる人達が生きてさえいればなんでもいい、バカでもなんでも、この後に続く未来がおかしくなろうが、今だけ生きてさえいたらとりあえずそれで良い」と、未来については思考を巡らせず、目先だけのことに囚われているとそうなるんだと思います。


全体を見れば、長い目で見れば、つまり、未来100年後、500年後、1万年後、何万年後という、それこそ気の遠くなるほどの未来まで見通せる視点があれば、今の眠りが深い状態のまま何の痛い経験すらもなく、接種を最初から止めてしまえば、今地上にいる人だけは生き残るかもしれないけど、何も学んでないので、また同じことを繰り返すどころか、まともな命を後世につなぐことは出来なくなるので、遅かれ早かれ、滅亡することになるでしょう。何万年後どころか、100年後でさえ、人類は存続できるのか疑問です。

でも、そうなったとしても自力で目覚めることが出来なかったから、仕方がなかったのです。人類がそれを選んだとも言えましょう。

枠チソのだけではありません。農薬問題、添加物問題、化学薬品の危険性、医療のウそ、子供達の教育問題、その他、問題は色々あります。567だけが収まったところでまだまだ他の問題は山積みなんです。

ここまで来てしまったら、もう後戻りは出来ないと思います。それらを全部崩壊させて、真実を学び始め、その真実の方法を実践していかなければなりません。そうするには、人々が心の底から「今までまちがっていたんだ」と知ることが必要です。

百聞は一見に如かずならぬ、百聞は一体験に如かずです。
そして、やっと今までの方法がまちがっていたと知ってこそ、正しいやり方にシフトチェンジ出来るのだと思います

もうそれら全て根底からひっくり返さない限り、人類は長くないと思います。

だから、枠を止めなかったんだと思います。

放送にGOサイン出すのは、本当は誰なのかはわかりません。寅右衛門とも言われていますが、量子が決めるとも神が決めるとも言われています。きっと私達の想像を超えた何かがあり、未来を見据える目と大きな計画があったんだと思います。


と言うと、人の命をなんだと思っているのだ!枠打ってシんだ人はかわいそうじゃないか!という意見もあると思います。が、しかし、ウッタ人というのは自ら自分の足でそこに行き、自ら腕を差し出しているわけです。私達が止めるのも聞かずに。
強制ではないのだから、逃げる方法はいくらでもあったと思います。


人の生死というものに、偶然とか「たまたま」ということはないと思っています。
宿命というものがあると思っています。
生まれる前に人はシナリオを書いて生まれて来るんです。

この地球人類史上、始まって以来のこの壮大な大転換時に、打って天に還った方々というのが、全員「たまたま」なわけはないと思います。もしかしたら、亡くなることによって、周りに気づかせるという使命をもって生まれて来たのかもしれません。そういうシナリオを自分で書いてきたんだと思います。奴隷支配社会を根底からひっくり返す黄金時代を迎え、命を後世につなぐ為に、眠りこけた人々を起こす役割があったのかもしれない。だから、魂のシナリオに沿っているから、打つ方向に行くんだと思うし、それで安心するんだと思います。

心に浮かぶこと、こうしたらいい、ああしたらいい、というのは、やはり意味があるのす。それが今回のように天に還ることになろうことでも。打つことに危機感を持たないというのは洗脳されているということだけではなく、やはり、それをすることがその人の魂の計画にあるからなんじゃないでしょうか。


命はこの肉体では1回限りです。が、魂は永遠という視点から鑑みると、新たな肉体を得て何度でも生まれ変わります。この肉体は単なるこの人生を生きる為の乗り物に過ぎません。

この世的には、死んだら悲しい。誰も死んで欲しくないという気持ちもわかりますし、人が当然持つべき感情です。その感覚は尊いし、失うべきではありません。

でも、別の視点から見ると、魂の故郷には、魂の家族や仲間がいて、しんだ時に「よく帰って来たね」と笑顔で、そして、拍手で迎えられるのです。だから、しぬことは、ただ1つの視点だけで見て悲しむ「だけ」の出来事ではありません。


長々と書いてしまいましたが、そんなわけで、もう証拠も出そろったので、そろそろ、本当に放送来るんじゃないでしょうか。もうこの辺りでやるのが妥当じゃないかなと思っています。


これ以上引き延ばしたら覚醒者達がもちません。放送後にパニックになった人々をなだめる、癒す、など、色々と仕事があるんです。その役割をする人が息絶えてしまったら、それこそ今後地球はどうなるのでしょう。地球、ガイアともテラとも呼ばれていますが、地球意識がそれを望んではいないと思います。

さぁ、黄金の扉が開くぞー!
Are You Ready?


きんちょーる放送のイメージ動画↓ ワクワクするねー。この動画見てるだけで泣けて来るわ-。
https://gettr.com/post/pc1e2d30ee









いじめについて

2012年07月17日 00時40分53秒 | ふと思うこと
猛暑 昨日、今日と昼間の気温は体感で40度ぐらい。まるで岩盤浴の中に入っているか   のような灼熱地獄でした。(いや、岩盤浴はもっと暑いですけどね。)
   今日の夕方は夕立が来たので、涼しくなりました。



   

最近、ブログ更新休みがちです。
なんか色々と疲れてしまって・・・




さっき、色々と自分が前に書いたこと読み返してみたら、我ながらうまいこと
書くなぁー、なんて思った部分も多く、自分が自分に励まされた感じがしました。


過去に書いたことって、これ、本当に自分が書いたの?なんて思うことも多々あり。
確かに自分が書いたんだけれども、なんていうか、今読み返してみると、
チャネリングじゃないけど、上から降りて来たことを書いた、みたいなカンジだなぁ
と思う。自分でこんなこと思いつくのかね、なんて思うことがあって。

最近、気分、犬のことで気分が落ちているので、(家で飼えなくて、近いうちに
別れなきゃいけないことを考えると・・・)、波動も下がってしまっているのか、
シンクロは起きないわ、ヘミ体験も何もなしだわで、あぁ、また気分をあげないと
いけないなぁ、とも思うんですけどねぇ。



さて、ここんとこ、中学生のいじめ自殺問題の話がありますけど。
しかも、「あれはいじめでなく遊びだった。」とか言ってるみたいですけど。


これについては、もういろんな人が憤りのコメントを出していますが。
私も、同じく憤りでいっぱいです。
ですが、私は、ちょっと違う側面の考えもあるので、そちらを書いてみようと
思います。


この事件に限らず、過去の色んな殺人事件とか傷害事件とかでね、
まぁ、真実は当事者のみぞ知ることであり、その場にいなかった他人はその
裁判の結果なりでしか判断できないのですけどね。

でもね、加害者の嘘が裁判に通って、無罪になっとしても、あくまで、単に
この世だけのことであって、それが真実でないものは、もうどこまでいっても
真実ではありません。その判定をしているのだって、神様じゃないですから。
単なる、まだ魂の修行仮定にある単なる未成熟な人間が判定しているだけで
それで、過去の起きた事実までをなかったことに動かせる力などあるわけ
ないわけで。



あくまで、今生きてる「この世」のみでまかり通っているだけであり、真実と
いうものは消えません。金だろうと、権力だろうと、消すことはできません。


嘘をついて、「やってない」と言って「はい、そうですか。じゃ、無罪で。」
という判定結果になったからと言っても、それが、「あの世」まで持っていけるか
といえば、それは出来ないんですよね。 

ちゃんと向こうの世界に行けば、真実は記録されてますから追及されますし、
次の世では、自分が同じ立場になる人生になるかもしれないし、ちゃんとカルマに
なるわけです。

「天網恢恢疎にして漏らさず」だし、
「天は見ている」のですから。

必ず、その罪を償わなければならない時は、必ず来ます。


そして、ひどい時には、何世にも渡って試練となることもありますから。

私などは、中世のヨーロッパで魔女狩りをする役人で、右利きだった為に、
右手で焼け火箸を持ち、相手の左半身を傷めつけました。その為、もう何百年も
経った今に、その報いが来て、自分の左半身ばかり、頭の先から足の親指に及ぶ
まで怪我や病気が絶えませんでした。


「あれはいじめではなく、遊びだった。」ということにして、罪をかぶらなくて
 得意気になっていても、私から言わせたら、

まぁ、そう得意気になってるのもいまのうちだ、というところです。




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人の情けは力じゃ取れぬ

2012年06月24日 22時40分15秒 | ふと思うこと
いつも職場で有線放送が流れていまして、J-pop のチャンネルなんですけどね。
まぁ、私的には好きではないんですよ。まぁ、私がAKBの歌を喜んで聴いてたら
それもどうなんだってのもありますし、まぁ妥当だろうと思いますが。


常日頃から店長に「演歌のチャンネルに変えてくれ。」と半分冗談で切願して
いるんですが、まぁ、当然ながら、だめで。まぁ、わかっているんですけどね。

最近、徳○英○が、「伊勢崎町ブルース」のカバーを歌っててそれがよく流れて
きますが、これは演歌の部類じゃないのか?とか思って。だったら、きよしくんも
流してくれよとか思ったりして。 「徳○」は演歌歌手じゃないからこのチャンネル
でいいんだよ!って店長が言ってましたね。まぁ、確かにね。

とまぁ、そんなこんなで、一日中、このチャンネルの音楽を聴きながら仕事して
いるわけなんですが。

どれが誰の歌なのかさっぱりわかりませんが、歌詞が耳に入ってきますが、
なんかこういう若い人系の歌って、歌詞が「必死」なのが多いなぁなんて
個人的には思うところ。

あなたを好きで好きで好きで・・なんでわかってくれないの?なんでなんで!
みたいな、必死に相手のことを好きだ好きだ言ってるのがやっぱり多いなぁと。 

若いんですかねぇ。
って、私がすごい年寄りみたいじゃないか!まぁ年寄りまでは行きませんが、
まぁ、人生酸いも甘いも、というか私の場合、酸いしかなかったような気も
しますが、そういう人生を経験して来ると、やはり、こういう歌はどーも・・・



やっぱ、人の心は力じゃ取れんなぁーと思うので。
力ってのは、つまり、相手側の気持ちや立場や状況は考えずに、自分のことしか
見えずに「好き好き好き好き好き」という気持ちを押し付けることっていうか・・

難しい話をすると、小我の愛だなぁ、それは、と思うところ。

なんでわかってくれないの、なんでなんでなんで、こんなに好きなのにって
言うんだけど。なんでと言いながらも、なんでなのかは考えてないというか。

相手の心が何か抱えてるかもしれないんだしなぁ。 
なんて、まだこの若い世代の時はあまり、心に抱えてるものはべつにないの
かなぁ。 感情のままに動くのが若い世代であり、いつしか色んなしがらみに
縛られて感情のままに動けなくなってくるのが、私みたいな世代であったり。



そんな感じで、毎日聴く音楽が苦痛で、うるさいなぁと思ってしまう・・・


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すべての内側に真実を。

2012年06月13日 23時18分43秒 | ふと思うこと
以前にまるの日さんにガイド拝見をしていただいて、

「すべての内側に真実を。 物事の外だけ見て判断してはいまひとつ真の
姿を見抜けませんナ」的なメッセージを頂き、あの時は、こういう解釈
していたのですが、最近、違うなって思いまして、真実はこうなのじゃないかと
思い始めました。

それは・・・

人は口に出す言葉や態度がそのまま本音とは限らないということ。

心の中にものすごい悲しみを抱えていても、それを表に出さずに、それとは
全く逆に明るく振舞っていたりすることが多いので、そこを見抜けという
ことかもしれない。 


先日、刑務所を出所したばかりの男が通り魔殺傷事件を起こしたというニュース
があった。容疑者は、事件を起こす前に親戚に会い、笑顔で就職先がみつかった
と言っていたようだ。しかし、実際には見つかっていなかった。

殺傷事件を起こすほど、心の中には闇が広がっていたのだが、他人には
明るく振舞っていた。


これは、何もこの容疑者だけに限らず、普通の人、誰にでも往々にしてあること
なのだ。もちろん、この私にも。 よほどの心を許せる昔からの友達とでも言う
のでない限り、人は心の悲しみを表に出さないことが多いのだ。


ものすごい辛いことがあった人がいたとして、

「大丈夫?」
と聞いたとしよう。


「うん、大丈夫、もう全然気にしてないし!!もう立ち直ったよ。
と笑顔で答えたとしたら・・・


それをそのまま真実として、100%信じて「あ、もう大丈夫なんだな。」
と思う人も多い。

しかし、その人の表情の片隅に潜む陰りとか、瞳の奥に映る悲しみの色を見抜け
ということ。もちろん、それで本当に大丈夫な人もいるんだけど、それは偽りで
ある場合もある。


それこそが真実であるということ。

実際に「大丈夫だよ」と笑顔で別れた後、自殺してしまったという話なんて
ザラにあるんだ。

そして、「笑顔だったのになんで!あの後、急に気持ちが変わったのだろうか。」
なんて思うのは、考えが浅いってこと。そうじゃなくて、もともと笑顔の裏に
悲しみが隠されていたということ。




「物事の外見」というのは、何も美人・不細工とか容貌のことを指しているのでは
ないのだ。外側に現れている態度や言動のことを指しているのではないだろうか





そして、余談にもなってしまうけど、うちの猫ってのは、死んだ弟の忘れ形見
であり、私たちは4年半ぐらい前から一緒に住んでいるんだけど・・

実は、私の母にしか懐いていなくて、本当に他の人に触られることを拒むのです。
触りさえしなければ、(ただ見てるだけとか、触らずに話しかけるだけとか)
全然機嫌よさそうなんですが、とにかく触られるのがダメで。

機嫌よさそうと言っても、他の一般的な猫に比べたらかなり無愛想な方なのですが。


ちょっと手を伸ばすと毛を逆立てて「シャーー」って牙を剥き出し、威嚇を
をするのです。まるで化け猫かってぐらいの形相となる。


私の父なんか、そうされると、ものすごい逆切れして怒り狂って、
「なんだ、このやろう!!」とかって、物を投げつけたりするんですね。

そして、うちに来るお客さん達に必死に、いかにうちの猫が恩知らずでヒドイ猫
なんだというのを切々と訴えるんですね。もうこれでもかとばかり悪口を言いまくる。
正直、それもわかるんですよ。普通に考えれば、そう思っても仕方がない。

でも、そうじゃないんだよ、ということ。

ものごとの外見だけを見て 「この猫は威嚇するから、ヒデー猫なんだ!」
とそのまんま解釈するのではなく、「なんで、この猫はこうなんだろう。
もしかしたら、この家にもらわれてくる前の家でひどい扱いされてて、それが
トラウマになってるのかもしれないな。」
とか考えてみようということ。

でも、うちの猫は本当に、生まれてやっと目が開いたばっかりの赤ちゃんの頃に
もらわれて来たので、さすがに前の飼い主も、あんな小さい猫に虐待はしない
だろうと思うのです。

とすると、もしかしたら、この猫の過去世に何かあるのかもしないな、と
考えるわけです。

で、過去世で虐待されていたという事実があったとなると、それが潜在意識
に刻まれていて解放できてないわけなので、今世でも、自分を護る為に、
触ろうとする人間を威嚇するという行動に出るわけなんだという理由が理解
できるのですね。



なのに、それもわからず、

「この猫は、なんて性格が悪いんだ!全然かわいくねー。こんなに毎日餌を
やってるのに、なんで俺がここまで嫌われなくちゃならねぇんだ。
そっちがそうなら、俺だって憎らしくなるよ!ぶちのめしてやるか!」

とか言ってる父は、つまり、「物事の外だけを見て判断して」いるのです。

真実は、父のことを憎んで威嚇してるわけではなく、猫は自分を必死で護っている
だけなのです。

まぁ、こういうことを父に説明しても理解できないタイプだし、こちらが頭が
おかしい扱いされてしまうので、まぁ言いませんが。

私も最初4年前は、この猫を父が思うように「外」だけ見て嫌っていたのですが、
ある時、真実に気づいたら、かわいく思うようになりました。

触ることなしに、毎日名前を呼んで話かけたり、餌をあげたり、おもちゃで
遊んだりしているうちに、だんだん向こうの心が開いて来たのか、2年ほど
前から自分から私の足に擦り寄ってくるようになり、私が食事してると、
横に来てチョコンと座るようになり、私が帰宅すると、出迎えてくれたり
するようになりました。そして、つい最近、やっと触っても威嚇しないように
なったのです。



このメッセージをもらった頃に抱えていた悩みのことを考えると、やはり
この解釈で正解なんだな、と思っています。






今を生きろ。Seize the Day

2012年04月09日 22時45分18秒 | ふと思うこと
今日はこのブログ開設から555日目だそうで。
だからなんだって話ですけど、いや、ゾロメだなって・・・

まぁ、ただそれだけですけど。


はい。
でね。

今日、晩ご飯を食べながらテレビを見ていたんですが、確かNHKかな。
最近「人生まるごとログ」とかなんとか言う、人生の全てをデータに記録
することが流行っているそうで。

スマホだったかそういうヤツで、日々の行動一つ一つまで全て記録して
残す人が多いそうで。 また、そういうネットサービスもあるそうなんですね。

データを入力して送ると自動的に整理してくれて、見やすくしてくれる
んだそうで。自分の過去の行動をグラフに表したり、カレンダー状に
してくれたり・・・


今日は何を食べたとかっていう写真を撮って、ブログにあげたりするとかも
たまに私もやってますが、そういう「たまに」じゃなく、それこそもう毎日
毎日、朝昼晩とやるわけですよ。 


食事の記録だけじゃなく、今日は何歩歩いたとか、どこ行った、ここ行った、
何時にトイレ入った、お風呂入った、掃除機かけた、歯磨きしたとか・・
電車に乗った時間、降りた時間、使った金額、その時歩いたルートとか、
そういう日常の細かいことまで。

歯ブラシを新しいのをおろしたとか。

そうすると、そのうち過去のデータから解析して、「もうそろそろ歯ブラシの
替え時ですよ。」とかお知らせが届くとかなんとか。

すべて行くとこ行くとこ写真撮って記録して・・・

で、絆を守るサービスだかなんだかで、誰とメールして、誰に電話して・・・
とかを記録しておくと・・・

誰かとのやりとりが少なくなると、「今月は誰々さんとのやりとりが少なく
なってますよ。絆が薄れて来ていますよ。」的なことをお知らせしてくれる
とかなんとか。


で、「あー、そういえばそうだな。と思って連絡できるので、絆が
消えることなく、便利で助かりますね。」
的なことを、そのテレビに出ていた人は言ってましたけど・・・






・・・・・・。


それって、そんなことしてどうすんの?と私的には思いますが。
んな、誰々と疎遠になってるって、そんなもん、疎遠になる時はなるから。

いくら無理して電話しようが、追いかけようが、その人の人生に必要なくなった
時は、運命の流れによって、疎遠になる時期とか、別れの時期が来るようになって
ますので。というか、必要だから疎遠になるっていう場合もある。

一人で立てるように、とか、独立心を養う為っていう人生プログラムのひとコマ
っていう場合もありますし。




そして、必要な時は自然と復活する時も来ますし。


そんな、毎日毎日連絡してれば「絆」なのかね?

違うと思うよ、私は。
毎日連絡してなくても、ちゃんと絆の深い友達っているし。

つか、そういう機械が「疎遠になってますよ。」とお知らせしてくれなきゃ
気づかないくらいなら、元々そんなのは絆じゃないと思うよ。

小学生の女の子が「わたしたちって一生の親友だよねー。」って言ってるのと
あまり変わらないように思います。



でも、そういうので安心する人というのは、やはり寂しがりやなんでしょうね。
不安なんだろうね。現代人の心の闇でしょうね。 

なんかこう、何かに依存しないで一人で立って生きられたら、楽になるのに。
私はそうして楽になったんだ。


 

しかも、歯ブラシの替え時くらい、機械に教えてもらわんでも自分でわかれや、
と思いますが。(笑)




で、その一日の行動を何から何まで全部記録するっていうんですけど。

それは、何の為に?

自分の生きた証として・・・っていうんですけどね、その人達は。


で、46年、何から何まで記録しているっていう人が例として出ていたんですけどね。
日記をつけるのが昔から好きで、昔は手書きで、今はPCとかで。

で暇があれば毎日それを眺めているそうなんです。

で、その人は最近不思議な現象が起こっていると言っていました。

その昔の記録を毎日眺めているので、過去のことが(それこそ何十年前のこととか)
昨日のことのように思えるっていうのですよ。

全然懐かしいという感じにはならず、まさに「今」として思えるっていうんですね。



・・・・・。


まぁ、この方は、それで楽しいと思ってやっているので、それは構わないと
思うのですが、なかには、この過去のことを事細かに記録しているということで
人によって、ものすごく危険なことになってしまう場合があるのですね。

もう何年も経っているのに、「今」として思っている。
他のみんなには時が流れているのに、その人だけずーっと、同じ時で止まって
いるのね。成長ができないの。


それがすごく栄光の時だったり、自分にとって輝かしい時だったりすると、
そこから抜け出れず、ずっと心がそこから動けなくなり・・・
新しい世界に適応出来なくなってしまうのですね。


ずっと「あの時はよかった。なのに今は。」って、今を否定し、自分を否定し、
本来ならもっと別の人生があったはずだろうに、いろいろ放棄した生き方を
してしまう人がいる。

そう言えば、私が知ってた人も、記録するの好きな人だったな。
なんでそんな昔のことを事細かに覚えてるんだろうってくらいで。


それで、ずっと過去に捕らわれてて・・

過去は忘れちゃえば、楽になるのに・・・


逆に過去の辛いことをずっと引きずって、そのまま心が固まっちゃう人もいる。

よく、この現代に、「武者の格好」をした昔の幽霊を見た、なんて話ききますが、
その幽霊はその時代で時が止まっちゃってるのね。ずっと、何百年も戦い続けて
矢が刺さって血が流れているシーンを繰り返し、抜け出せないの。

かわいそうだよね。そこから出してあげないと。



それとさ。

前世って、普通の人は覚えてないじゃないですか。
前世を知りたいなんて、まぁ、私も思いますけどね。

でも、あれって、忘れてていいんですよね。
前世のことまで事細かに覚えていたら、今世は生きにくくなるって場合も
あるかもしれないんだよ。

もしかしたら、ものすごいひどい心の傷を負っていたかもしれないし、
その大きなトラウマの為に何かを怖くて出来なくなることもあるかもしれない。

でも、その傷がないから(覚えていないから)今、平気でこんなことやあんなこと
が出来ているかもしれないんだから。

忘れるってことは、悪いことでも悲しいことでもない。
人がこの人生という荒波を生きて行くのに必要なことなんだよね。


まぁ、仕事とか学校の勉強とかで、ちゃんと覚えてなきゃならないものは
忘れたら困るんだけど、でもさ、人生のなんでもかんでも、全てを忘れない
ように記録するっていうのは・・・、どうなんだろね。


私は忘れちゃう方を選ぶよ。



それこそ、こないだの話じゃないけど、パソコンがぎゅぎゅうで重くて
正常に動かず、しまいに「応答なし」みたいになっちゃうよ。


過去に捕らわれて、話しかけても「応答なし」じゃさ・・・
それ、正常じゃないよ。
本来の自分の本質に戻ろうよ。



ちなみにね、いいこと教えてあげるけどね。
そんな いちいちそんな機械とかに記録しなくてもね、人間の潜在意識って
今までの行動1から10まで、いや、1から何億まで全て覚えているんだよ。

まぁ、あくまで潜在意識なので、普段意識して思い出せることってないけどね。

でも、それこそ、ほんとつまんないこと(例えば、あの日の歯磨き粉は何を
使っていた、とか、あの日の朝、靴は左右どっちから履いた、とか。)
までちゃんと記憶しているんだよ。


それって、ヘミシンクやってると、たまにそういう記憶が出てくることあるからさ。
「あー。そういえば、そうだった。」
なんていう、すごいなんでもない出来事の記憶が出て来ることがよくある。

私、自分で実証済みだから、まちがいないよ。


今は肉体という殻に閉じ込められてるから顕在意識が強くて、潜在意識は底に
落ちちゃってるからね。

でも、人間、死んで魂になった時は潜在意識は目覚めるから、人生の全てを
思い出せるから。

だから、「生きた証を」なんて、なんでもかんでも機械の中に記録することなんて
ないんよ。てか、他人に見てもらいたいのかな、その記録を。 

だったら、潜在意識の中までは人に見せられないから、機械に記録してもいいとは
思うけど、ただ、自分が忘れないでいたいだけなら、その必要はないよ。




さて、次回はその捕らわれた過去から脱却する方法を書いてみます。

では、今日はこのへんで。



過去を手放して心をオールフリーな状態にしよう

2012年04月06日 23時17分51秒 | ふと思うこと

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気温8度

なんか今年は春の花が咲くの遅いですよね。
桜なんか、もうとっくに満開になっててもいい頃なのに、うちの方は
全然ですね。桜の種類によっては咲いてるのもチラホラ見かけますが、
ソメイヨシノなんかはまだです。

それにカタクリなんかも、やっと咲き出しました。
例年だと春分の日辺りには咲いてましたけどね。


それにしても、私のパソコン最近動きが遅くて遅くて・・・
色んなものをインストールしすぎたり、写真の取り込みすぎですかね。
電源入れて、ネットに接続できるまで、平気で15分とか、ひどい時には
30分くらいかかりますからね。

何かをクリックしても、パソコンが「ギギギギ」ってへんな音がして、
そのうち「応答なし」なんていう画面が出て・・

画面右上の×印をクリックしても、消えないし。
あー、重い、重い。 ヤバイな。そのうち「ボン!!」とか爆発でも
しそうな雰囲気ですけど。



で、本当にイライラするので、さっき余計なものをアンインストールしたら、
もう、サッサクサクですよぉー。なんか、なんだかわからんものまでいつのまにか
インストールされてて、消していいんだかなんだか迷いましたが、まぁテキトー
に使用頻度の低いやつから消して行きました。

このサクサク加減、気持ちいいですねぇ。


なんだか人間も心の中に色んなものが溜まってると動き悪くなりますのでね。
正常な動きができなくなるというか、腰が重くなるというか・・・

やっぱり定期的に心に溜め込んだいろんなものを手放さないとなーって感じですね。
もう過去のこととか、大事だと思ってるものは、時が経つともう大事じゃなくなって
たりして、逆に自分の成長を妨げてしまうものがありますので。

心の中がぎゅうぎゅうで苦しくなって息が出来なくなってしまったら、パソコンみた
いに、過去の何かをアンインストールしてください。

心の中がぎゅうぎゅうな人って、外側にも、非物質的な膜が覆っちゃって、フォーカス
23あたりに心が捕らわれて、そこから出れなくなってる人がいます。

何を隠そう、それがこの自分だったりして。

でも、3月30日に、まさにこの「年度末」という世間の切り替え時期に
合わせるようにして、自分が解放されました。

それは、ある出来事があったからです。
一見、悲しくイヤな辛い出来事なんですけど、考えてみたら、イヤなことでもなんでも
なく、ありがたいことでした。





ところで、私は、自分でもあまり自覚がないのですが、少しテレパスというか、
精神感應の能力が多少あるというか・・・。他人の感情が、自分の中に流れて
来てしまうことがあるのですね。

よく満員電車とか、人ゴミの中にいると疲れるというのは、無意識に人の
ネガティブなエネルギーに影響されてしまうことであり、誰でも経験あると
思いますけどね。


私は、もうちょっと敏感かもしれない。


感應しやすいのは、やはり自分と似たタイプの人なんですが。

だから、似てるが故に、それが他人の感情だとはなかなか気づきにくい。
あたかも自分の心から湧き上がった気持ちなのだと思ってしまうけど、わけも
なく、悲しくなる時っていうのは、やはり他人の感情ですね。


人と人との出会いに偶然はないって言います。
とくに、何か気になるという感覚の相手というのは、やはり、何か意味があって
出逢っているわけで。


私は昨年の夏頃にそういう人に出逢ったのですけど。

その時はなんで出逢ったのかわからなかったけど、単にうれしいな的な感じだった
のですが(会いたかった人だったので)、今考えたら、意味があったなぁと思うところ
です。

でも、メールしたり、会う度に、妙な心のざわつきを感じるというか・・
なんか違和感を感じていたんですね。なんか、悲しみのような、孤独感のような
息苦しさのような、あまり心地よい感情ではないのです。で、なんかだんだん
自信なくなってくるというか・・・。隠れたくなってくる。


自分が人見知りの性質があるので、そのせいだろうと思っていたのですが、
でも、相手によって、この性質がまったく顔を出さない時がありますのでね。

例えば、きよしくんの時とかは、我こそは、なんてくらいの勢いで平気で
前に出たがりますけど。(笑) 

会社の人とかにその話をすると、「すげー。あんたどんだけ自信あんだよ。(笑)」
なんて笑われますけど。自信なさそうに見えないらしいのです。




こうして、自分の中に一貫しない対の感情が存在する自体が、おかしいので。
これって、場に渦巻くエネルギーや相手の感情に影響されてるのですね。





私はこのブログにもよく書いていたように、過去のトラウマがひどく、ずっと
世間に背を向けて、心を閉ざしていたのですが。と言っても、ちゃんとフル
タイムで働いてたので、引きこもってたわけではありませんが。

ただ心の中で、自分の外側50センチくらいに線を引いて、結界を張って、
「ここから入って来るな。」的な感じで、人に心を開きませんでした。


昔はそうじゃなかったけど、4年ぐらい前からひどくなり、まぁ昨年夏には
ピークに来て6月ごろはもう死にそうで、その時に出逢った人なんですが。



ズバリ似たような性格なので、引き寄せの法則によってでもあるかと思いますが、
それは、江原さんの言うところの「真映し出し(まうつしだし)」なのだと思います。

自分と同じだから出逢ったのです。


その人に出逢うことによって、何かその意味を汲み取りなさいということだとわか
りました。汲み取るまでに、9か月もかかっちゃいました。


「心を開きなさい。過去を捨て、新しい世界に行きなさい。」

ということでした。

時は流れているのだから、いつまでも過去に縛られていてはいけませんという
ことでした。未来は過去の延長ではないのです。 過去にこうだったからと言って
未来も同じ展開になるわけではないのです。

でも、過去がこうだったから未来も必ずこうなる、と、その思考で縛って幸せ
を阻んでいるのが、他の誰でもない自分自身なのだということ。
自分で自分を縛って捕らわれているだけ。


生きながらにして、フォーカス23に留まっているのです。
生き地獄的な世界でもあります。
そこでは延々と同じことが繰り返し続く世界です。


だからいつまでもその世界にいるから、同じ出来事が再三襲って来るのだという
こと。その世界は、「必ずこうなってしまう」というパターンを持った世界なの
だから。

でも、その世界を抜け出し、別のパラレルワールドに行けば、今度はまた別の
パターンを持った世界が存在するのです。


ノンヘミ状態で、その人の感情を感じてみたところ、心にものすごい苦しみと
悲しみ、そして、劣等感、孤独感が渦巻いていました。本当に息が詰まりそう
で、泣きたいくらいの感情です。社会生活放棄。



人を寄せ付けない、寄り付かない、好意を受け付けない、好意を持たない。
そして人を褒めることはしない、でも自分は褒められたい。

でも、実際に褒められても、「嘘だ。本当はそんなこと思ってもいないくせに。
どうせ本当は馬鹿にしているんだろう。」と人の好意を逆にとる。

自分の世界に閉じこもる。

好意を持ってくれてる人のメールやら、誘いは無視する。

「応答なし」です。

無視している理由についてはこう思い込もうとする。


「自分のような、「本当はすごい人物」が、なんであなたごときと仲良く
しなきゃいけないんだ。たまたま私は今、こんな運命になっているだけだ。
馬鹿にしないでくれ。ほんとむかつく。ウザイ。」

こうして、せっかく相手が好意を持ってくれているのに、怒りの気持ちが湧き
上がる。


しかし、本当の心の奥にあるのは、単なる自分に対する劣等感。

それだけ。

以上。

他に何もない。

自分を否定する気持ち。自分はダメだという気持ち。


だから、いい生活をしているっぽい相手とはまっとうに会えない。
(注:あくまで「っぽい」です。実際には、それは思い込みであって、
相手も相手なりに苦労があるのです。)

会えばきっと何か自慢話をされたり、自分のつまらないパッとしない生活の
ことを根堀り葉掘り聞かれるに違いない。 すると、ますます自己嫌悪になり
そうだし、そうなったら恥だ。恥なんかかきたくないし。 だから、こんな人
のこと無視しよう。そうだ、こんな人はきっと酷い人に違いないんだ。だから
シカトしたっていいんだ、自分は正当だ。

とこういう心の動きとなります。

そして、映画や本の世界に逃げ込み、ほんとにその人の存在を忘れてしまうのです。
過去に対しては強烈な執着心で忘れることはないけど、こういうことは忘れるよう
努力する。



人を嫌う人(寄せ付けない人)は、まちがいなく、例外なく、自分のことが嫌い
ですね。





私が出逢った人というのは、まさにこういう人でした。
ただ、私が過去のイヤな出来事に縛られているのに対し、その人は逆に
過去の栄光に縛られているのです。

しかも、私よりもその症状がもっと重い。重度。末期。レベル5。
デットゾーンの赤いランプが点滅して、ブザーがなっています。



かつてアルコール依存症だったそうで、今は克服したと本人は思っている
のですが、結局のところ、それは治っていません。

アルコールがノンアルコールになっただけで、結局、依存傾向は変わらず
ほぼ365日、終日にも近いぐらい、その缶を放さない。

痛々しくもあります。




最初は、「相当あの味が好きなんだな。よく飽きないな。」と軽く思って
いましたが、よくよく視てみると、そうではなく、それは、心が苦しくて、
苦しくて、悲鳴をあげている状態なのです。アルコールに逃げていた自分
に戻る疑似体験を繰り返している。


みんなで笑顔で食事している時も、会話で、
「そうですよねぇ、○○さん。」

なんて、その人に会話を振っても、聞いてなくて、目がうつろで
自分の世界に入っちゃってる時が数回あったのです。


注意:これは悪口とかではありません。非難の意味はありません。 
   私自身もこうだったことがあるので、それは理解できるので。
   (但し、私はお酒は飲みませんし、何かに依存する癖はありません。)






同時に、あの人側からも、私に出逢ったことは意味のあることなのですが、
本人に気づくかどうか・・・・




本人さん、もしも、これを読んでいるならば、これを機に、ずっと心に
抱えている過去を手放してください。思い出なんて言わせはしないんじゃなく、
もうそれは「思い出」と言ってください。











あなたがずっとそこに留まり続けるのなら、もう私はあなたに会いにいくことは
ないですし、こちらから連絡することはないと思います。





でも、あなたの心が本当にALL Free になった時、連絡くれたら、私はいつでも
あなたに会いに行きます。




そして、私は、もう二度とあなたに「ごめんね。」なんて言わない。

自分が恥ずかしいとも言わない。


私は自信を持って生きていきます。



現実世界のフォーカス23

2012年02月27日 21時41分17秒 | ふと思うこと
いい悪いは別として、私は今まで色んな仕事をして来たんですね。

一つの所に長くいたのは最高7年(これは一番好きな仕事でできればずっとやりた
かったんですが、、会社自体がなくなってしまったのでしょうがなかったカンジです。)で、
あとはけっこう1年〜3年とかで、派遣になってからは、短期の仕事が多いので、
もっと短く3ヶ月とかってのもありまして。この1年は、そういう時期だったのか、
けっこう転々としてしまいました。

「しまいました。」って言うとなんか「悪い」みたいですが・・・。
まぁ、一般的に職を転々とすると「悪い」っていう印象もありますからね。
特に日本では。


でも、まぁ、それはそれで。
私なんかは、気楽な独り者なので、誰かを養ってたりするわけでもないし、
とくに何の責任もないので、まぁ、多少安定しなくても、まぁべつにいいやって
感じで。
けっこう頻繁に人生レールを切り替えていますね。



で、一般的には「悪い」と言われがちな職転々ですが、これってけっこういい面も
あったりします。


私の場合、やって来た仕事が、どれもが畑違いで、何の関連もない仕事ばっかり
だったので、まず、色んなことができるようになりますね。

色んな世界を見て来ているので、色んなことがわかるようになります。
まぁ、と言っても、中途半端ではありますけどね。

だから私って、けっこう何やらせても、何でもできるのよねぇ・・・

そう、私、器用なんですよ。

不器用なのは・・・生きることぐらいでしょうか・・・
(↑ちょっとかっこいいと思う名言。なんか、歌の間奏の時なんかの
セリフになりそうな・・・。)



でね。

やはり、色んな会社を見て来たが故に、どの会社に入社してもつい外からの目線で
見てしまうので、その会社のおかしな所やいい所がよく見えるんですね。 

ずーっと、同じ会社にいると、それが当たり前になってしまい、「おかしい」
ということが気づかないようなことが、ちゃんと見える。


今の会社もそうですね。

まぁ、ここは最初に入った時から思いましたけど、ものすごい鎖国的というか、
独裁的というか・・・。勘違いした人達がいっぱいいる。うちの支店だけじゃ
なく、本社とか他の支店にも。



そこに勤めてる人たちも長年やってる人も多いらしく、みんなそれに染まって
しまうのか、みんな似たような性格になっている。というか、似てるから
類友の法則で自然と集まったのかはよくわからんけど・・・



まさに井の中の蛙。

あきらかに「それはおかしいだろ。」ということが、そこでは普通にまかり
通っているってことがある。ちょっとあんた、他行って見てきた方がいいん
じゃない?とか思う。それ、他行ったらそんなんじゃやって行けないよ、と
思う。っていうか、そういう人はきっと他に行くことはないのだとは思うけど。


だからずっとそのまま何も変わらず、おかしいままずーっと行ってしまって
永遠に気づかない・・・。ある意味、気の毒なことが多い。


あぁ。このギャンギャン偉そうに わけのわかんないことで怒り狂っている
この係長も、一歩外に出ればただの人。何も知らない、何もできない使えない人
なんだろうな。なのに、何を勘違いしてか、この偉そうな態度・・・・




ある意味、現実世界の「捕らわれ領域」、つまりフォーカス23状態だな。


死後、人はスーっと、いわゆる天国に行く人も多いですけど、あまりに何かに
執着が強かったり、「これは絶対こう!!!」っていう頑ななまでのまちがった
想いが強いと、その途中の「捕らわれ領域」に引っかかってしまうといいますね。

もし争い事が大好きな人ならば、そういう年がら年中争いに明け暮れている
世界にひっかかって、出られなくなる。


何かの欲望(特に性欲とか)が強い人ならば、もう年がら年中そればっかりを
求めて蠢いている人ばっかりがいる世界に入り込んでしまう。

それしかない場所に行ってしまう。でも、そこにいる人は全員同じ考えなので、
自分達が間違っているとは気づかない。考えが違う人が一人でもいれば、
それに感化されて変わることはあっても、そこは違うのがいないので、
自分が「これはおかしい」と気づかない限り、延々と何千年でも同じことが
繰り返されるという、まさに恐ろしい世界であり・・・。この捕らわれ領域に
引っかかってしまうと抜け出すのは容易ではない。


宗教に洗脳された人達が行く領域もある。

そこから抜け出せば、やっと晴れてまともな天国に行けるのですが・・・






今の会社がまさに、現実の世界での「捕らわれた領域。」

あぁ、ここからもうすぐ抜け出せてよかった・・・

それとも私自身があまりに、そこに染まれない異質な媒体なもんだから、
自然の法則によって、はじき出される流れが起きたのかな、とも思ったり
する。


同じことをずーーっと長くやるってのも大切ですが、でもたまに、よそにも
目を向けないと、知らないうちに間違ってる方向に染まってても気づかない事や、
成長しないことってあるんだなと思った次第。



私はさしずめ、色んなフォーカス世界を旅する自由な存在。

さて、明日も自由が丘です。

今日は早めに寝よう。おやすみ。



大我と小我

2012年02月18日 22時42分23秒 | ふと思うこと
気温1度


昨夜降った小雪は今朝にはすっかり溶けていました。
まだまだ寒いですね。

昨夜はうちの両親は知り合いのカラオケのある飲み屋に行ってたんですけど、
帰りに小腹がすいたってことで、24時間営業のファミレスに寄ってご飯を食べた
そうなんですね。

テーブルの隅に数年前亡くなった弟(つまり両親にとっては息子)の小さな
写真を飾って、一緒に食べたみたいなんですね。
これは、もううちの両親の前々からの習慣なんですね。
そして、小皿に少しおかずを取ってあげて、遺影の前に置いてあげる。
「ほら、食べな。」って。


まぁ、レストランの人に見られたら、けっこうドン引きされそうなので、あまり
わからないようにこっそりね。

そうやってね、いつもやってたのね。ずーっと。



うちのオヤジって、すごいコワモテで、気性が荒くて頑固オヤジなのですね。

そんなオヤジが、昨夜酔っていたせいもあるのか、それを見て、いきなり
ポロポロ大粒の涙を流して泣き出してしまったらしいのです。
遺影の前におかずを置くなんて、もうずっと何年もやってたんだけどね。

でも、昨夜、初めて、
「かわいそうだなぁ・・・かわいそうだなぁ・・・」って・・・・
涙をポロポロ流して泣いたみたいなのね。


父が泣いたのって4年前の葬式の時以来で、あれ以来、ずっと泣いてなかったのね。

「もう死んでしまったんだから、もうしょうがないんだ!」って
気丈に振舞っていたのね。

あの時以来もうすっかり弟の死を腹に据えて、趣味に没頭して、前を向いて明るく
生きていると思っていたんだけどね・・・

なんか今朝、おかんから、こっそり、「実は昨夜おとんが泣いちゃって・・・」
って聞いて・・・・。私、なんとも言えぬ悲しみが湧いて来てしまったよ。
なんで急に今になって泣いちゃったのかなぁ。

本当にいつも怒鳴ってばっかりで「怖いオヤジ」でさ、私なんか、いつも
「むかつく!なんてヤな奴なんだ!」とか思っていたのね。


こないだ、オヤジが階段から滑り落ちるイメージ見ちゃったから、心配です。
まさかそんなことはないとは思うけど・・・


弟、実は今月10日に命日だったんで、丸4年を迎えたんですけどね。


やっぱり、そうだよねぇ。
悲しいよねぇ。だよねぇ・・・。




こないだ、江原さんの講演会で言ってたんだけどね、「大我の愛」「小我の愛」
っていう言葉があってね。

東日本大震災で多くの人が亡くなって、たくさんの人がボランティアに行ったり
被災者の人たちに優しくしたりしてたでしょ。もちろんそれは素晴らしいことだよね。

でも、「震災で何万人が亡くなったから」って、騒いでいるけど、でも、
人数じゃないよね、って話。 震災にはボランティアに行くけど、でも震災じゃ
なく、隣の人とか、知ってる人の大切な人が亡くなった時も同じようにしてる
でしょうか・・・ってこと。 何万人死んだからかわいそう、でも一人だったら
べつに知ったこっちゃない・・・みたいな・・・。

何万人が亡くなったら、色んな祭りごとを自粛しましょうってなるけど、
知ってる人の大切な人がたった一人亡くなって、その人が悲しみにうちひしがれ
てても、まぁ、かける言葉もないし知らんぷりでいいやと。祭りごとはその人は
誘いにくいし、その人だけ暫く仲間はずれにして、自分らだけ隠れてドンチャン
やりましょう、的な。

ってか、その人、家族が死んじゃってずっとメソメソしてて「暗い」から、不幸が
移りそうだし関わりたなくないしっていうんで、どんどん去って行ったり・・・。
でも、震災だと「それ来た!」とばかりにボランティアに行くという・・・

しかも、「あー、明日誰々の家族の葬式だよ。金ねーのにな。」とか言って
極力2000円くらいしか包まないのに、被災地には「何万円募金しました!!」
って得意気に言う。


てこと、意外と多いんじゃないかな。

「小我の愛」っていうのは、そういうのを言うんだって。つまり人への愛と
思いきや、実は自分かわいさの気持ちが根底にある。震災現場に行って人を
助けたら「自分はいい人だと思われるからかっこいいかも」という気持ちが
どこかにある。そういうのを小我の愛という。

だから小我の愛ではなく、ちゃんと本当の愛とは何かをよく考え、「大我の愛」
を持って生きましょうって、江原さんが言ってたなぁ・・・
 
 

震災で大規模に亡くなろうが、一人で地味に亡くなろうが、命の大切さは
同じなのにね。


朝「行ってきまーす。」って家を出た後、本来夜になったら帰って来るはずの
家族が帰って来ない、って人も少なからず、いるんだよ、世の中には。



だから、もちろん被災地にボランティアに行くのも素晴らしいことなんだけど、
でも、もし、近くにそういう人がいるならば、先にそっちをやさしくしてあげる
といいんじゃないかな、と思います。(べつにボランティアに行くなという意味
ではありませんので、誤解のなきように。)




そういえば、うちもそうだったな、なんて思って・・・

うちの弟死んだって誰も何も自粛なんかしてなかったけどね。



しかも、たぶん姉(私)の弟への想いと、親の息子への想いってのは
格段に違うんだろうなと思うんだよ。それこそ、親なんか無償の愛だもんね。
きょうだいの愛なんか、やっぱ多少、無償じゃないことあるもんね。
こないだ貸した1000円返せとかさ。(笑)

そんなおとんの悲しみを、知人は誰も慰めてあげてなかったよ。
それどころか、直後に一部の親戚にひどいイジメをされたんだ・・・
すごかった・・・


ちょっとここじゃ詳しく書けないけどね・・・

ほんっとうに、ほんっとうに、かわいそうだったんだよ・・・





私も・・・あの時、誰かに優しい言葉かけてもらったことって・・・
一人ぐらいかなぁ・・・。あとはドン引きされて 蜘蛛の子散らすように
いなくなっちゃなぁ・・ま、べつにいいんだけどさ。何かがあって離れて行く
人は、いずれ何かがなくても離れて行く人ですから・・・

これも学びだな・・・なんて。人ってそうなんだな・・・って、ただ
しみじみ思った。



だから、昨夜、オヤジが泣いたって聞いた時ななんとも言えない気持ちに
なっちゃったよ。ずっと堪えてたんだろうなぁ。4年もね。


全然鬱っぽく見えなかったからさ・・・






あ、いや、べつに今更、うちの弟死んだんだから、私に優しくしてよなんて
いうつもりはサラサラないよ。全然大丈夫、私は。けっこう強いから。

べつに同情してもらいたくてこんなこと言ってるんじゃないからね。
っていうか、人なんて、その経験を実際にしてみない限り、同情なんかできないの
わかってるからさ。わかんないんだから、しょうがないもん。



ただ、うちのおとんとかはさ、べつに私みたいにスピリチュアルな世界の
こと全然知らないし、本とかも読んだことないだろうし、だからきっと
本当に何もわからないんだと思う。

「いくら考えてもわからないから・・」(by 長渕剛/ひとつ )て
カンジできっと堂々めぐりで辛いと思うんだ・・・
そういえば、この歌もこのフレーズ聞いてると、すごく辛くなるよ。
「いくら考えてもわからないから・・・」って・・。これが心の本当の
叫びって気がします。



この曲、毎日私の職場の有線で流れてて、聴く度に思います。


私はね、「わかった」わけではないけど、やっぱり精神世界の本とか江原さんや
まるの日圭さんの本読んで、やっぱり本当にラクになったよ・・・








うちのおとん、いつか本当の笑顔になってほしいな、なんて思っています。





それだけ。


なんか、ちょっと、というかかなりしんみりモードっぽくなっちまったので、
明日は面白目の記事、別カテでアップするぜ。よろしく!



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誰かの幸せな休日の為に

2012年02月03日 22時24分33秒 | ふと思うこと
気温2度

今日は、今月中旬から通い始める習い事のスクールの受講料を納めて来ました。
休みが固定の曜日しか取れず、籠の中の鳥状態だと嘆いてばかりいてもしょうがない。
それならそれを逆に利用しようという発想の転換が起きまして。

以前の仕事では毎週何曜日という決まった休みが取れずに、諦めていた習い事。
そういえば、今はそれができるから、今のうちにやっておこうと思って・・・









さて。今日は節分です。明日は立春。
手紙の時候の挨拶の文例集なんかを見ますと、節分の頃の挨拶文句は、
「春とは名ばかりで、まだまだ寒い日が続きますが・・・」
とかって書くそうですが。

しかも、実際にそう書かれた手紙をもらったことがあるので、毎年
節分になると頭の中に「春とは名ばかりで・・・」という言葉が
ぐるぐるします。



今朝は沖縄を除くすべての都道府県で氷点下になって、観測史上最低を記録
したと、サウナの中のテレビでやってました。
でも、うちの地域はこの冬、まだ一度も雪降ってませんけどね。

しかし、サウナってのは、なんでテレビがついてるんだろう。

私個人の意見では、テレビ要らないんだよねぇ。
せっかく癒しに行ってるのに、つまんない権力争いとかのドラマ(私が行く時間帯
はそういう現実世界にドロドロに固執したメロドラマが多い)とかワイドショーとか、
へんな汚い政治家が喧嘩してる国会中継とか見せられてもウザイだけなんですが。

こんなの見せられたんでは、浄化ができないではないか。

しかも、そんなドラマなんぞ、最初から見てない限りストーリーが全然わからん
っちゅうねん。ドラマ見たい人は家で見てるっちゅうねん。わざわざサウナで
流さんでも誰も見とらんがな、と思いますが。

それでも、毎度、サウナでムダにテレビがついてるという・・・・


どうせやるなら、ヒーリング音に乗せて、イルカとかが海の中を泳いでる映像とか、
ハワイの海の波をひたすら映す映像とか、そういう映像を流してくれればいいのに
とか毎回思っております。

私が経営者ならそうするぞ。


さて、毎日仕事行くのヤダなーと思っており、休みの日が天国ですが。

でも考えてみたら、こうして、休みの日が天国になるということは、他の人が
働いているからなんだよねぇ。

温泉で掃除したり、ボイラースイッチ入れたり、食事作ったり、そうして他の人
がちゃんと仕事してくれている。

そして、その食事ができるのも、食材を仕入れたり、運んだり、裏で物流業界
で働いている人いるからであり、さらには、漁師がいて、農家の人がいて・・・

しかも、農家が成り立つには、肥料とか苗とか種とかを販売する園芸関連の業界
の人がいて、畜産農家の人がいて・・・・。そして、漁師が成り立つためには、
船を作る人がいて、さらに、船の部品をつくる人がいて、原料の鉄を加工する
人がいて、さらに、鉄を外国から輸入する人がいて・・・

とか、考えてみたら何から何まで、みんなが働いているからこそ、自分の休日が
成り立つわけなんだよねぇ。


それに、今度私が通う習い事の学校だって、こちらは楽しんで通う遊び感覚
でも、向こう側の人は、先生であり、事務局の人であり、働いているわけで
あり・・・・


世の中が「仕事行くのやだー」って言って、誰も仕事しなくなったら、自分の
休日や娯楽は成立しないんだよね。



働いていないのは、優雅な主婦であるうちの妹やいとこぐらいなもんか。
(なぜか私のまわりには、そういう優雅な人が多くて。働かずとも旦那から
ポンポン金をもらえて毎日遊んでいて苦労のない人を傍目にみながら、
上司や客に怒られながらバカにされながら、あくせく日々働いている自分が
どうも惨めに思えてしまうという人生で・・・・。
まぁ、今の仕事になってからは、そういう怒る客には出会わなくなったけど。)


自分が働いているのも、誰かの幸せな休日の為に一役買っているのかなぁと思うと
まぁ、じゃぁ いいかなーと。

今さらこういうことに気づいた今日でした。気付くの遅せー。

働くことは決して惨めなことではないんだよねぇ・・・
でも、いいことに気付きましたね、自分。よくぞ気付いた。



受験シーズンなので季節限定「カツサンド」


熱々スイートポテトのアイスクリームがけ


俺でいいならしがみつけ

2011年11月24日 22時42分43秒 | ふと思うこと

獅子の心で、今年も一年生きてきました。
強く強く生きて来ました。
心が倒れた時もあったけど、でも自分で自分を支えて守って
凛として生きてきたつもりです。だから「獅子」という歌には共鳴しました。

でも、その次にこの「冬ものがたり」を聴いて、涙が止まらなくなるというのは、
やっぱり、ムリしてきたんでしょうか。気を張って生きて来たんでしょうか。

年末も近いから、だからこそなのでしょう。
この時期はやはり、自然と1年を走馬灯のように振り返ってしまいますから。
1年どころか、けっこうその前の1年、その前の1年、さらにはもっと過去までも
振り返ってしまいますのでね。

もし正月に聴いてたらまた違った反応になるのかもしれません。

気を張ってたなんて、そんなつもりはなかったけど。

世捨て人。

ラクな生き方みつけたと思ってたけど。


でも、なぜこんなに涙があふれるんだろう。




冬ものがたり


髪の匂いも せつなく甘く
冬の酒場で おまえは眠る
痛むのは 心の傷か
飲めばなおさら うずくのに
俺で 俺でいいなら 泣きじゃくれ
紅を落とした その顔で
俺で 俺でいいなら 泣きじゃくれ
ふたりで幸せ さがそうか



北はしばれて 寝息も凍り
窓のすきまに 舞い込む小雪
悲しみは言わなくていい
誰も無口な過去がある
俺で 俺でいいならしがみつけ
胸の熱さが聴こえるか
俺で 俺でいいならしがみつけ
ふたりで幸せ さがそうか



風に運ばれ 夜汽車の笛が
暗い止まり木 ふたりを揺らす
上手くない 生き方ばかり
ひとり歩きも疲れたろ
俺で 俺でいいなら 連れて行く
春を訪ねて 一歩ずつ
俺で 俺でいいなら 連れて行く
ふたりで幸せ さがそうか

一緒に幸せ さがそうか






作詞:石原信一

歌唱:氷川きよし

(「演歌名曲コレクション15 ~情熱のマリアッチ~ より)

獅子

2011年11月23日 23時28分05秒 | ふと思うこと

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気温8度



自分をいつも守ってくれている?かもしれない?目に見えない存在。
スピリチュアルな世界では守護霊と言ったりしてますが・・・

ん?

守護霊・・・?

でも。「守護」って言うからには、守ってくれるんだろうと、不幸が起きないように
してくれるんだろうとか、金持ちになれるようにしてくれるんだろうとか、一般的に
思いがちですね。

でも一向に幸せにならないとか、金持ちにしてくれないから、だから、守護霊とか
神様なんかそんなものいるわけねーだろ、的な考えに至ると思うのが世の人々だと思います。
いるんだったら、今ごろこんな生活してるわけないよ。とかね。

私もそうでした、昔は。
(まぁ、私はお金に対する願望はべつに持ったことありませんが。)

で、ヘミシンクの世界では、ご存知の通り「ガイド」という呼び名を使います。
ヘミシンカー以外にはあまり浸透してませんけど、私はこっちの方が「守護霊」と
いう呼び名より適切かと思います。


ガイド?なんじゃそりゃ? ツアーガイドか?バスガイドかい。
知らない人は普通は思います。
まぁ私もカナダに住んでた頃は、旅行会社の現地ガイドをやってたことありますが。

そう、そんなようなものです。
このガイドって、その名の通り「ガイド」なんですよ。
単なる案内人ね。人生ツアーのガイドです。


「ガード」ではありません。

まちがえてはいけないのがここなんですよね。ガード(護衛・SP)じゃないんだよね。
ハリウッドの大スターが来日すると まぁSPがつきますね。それこそ、事故が起きない
ように守ってくれる。

ガイドはSPじゃないから。

だからガイドは、人生でその人にとって必要ならば、平気で痛い目にも遭わせる。
そして学ばせるのです。その人ならできるからと。

テレビで「はじめてのおつかい」っていう番組たまにあります。
小さい子がはじめておつかいに行くんだけど、行く手にはさまざまな困難が待ち受けて
いる。車が走ってる道路を渡らなきゃいけない。大きな犬がいる家の前を通らなければ
いけない。知らない人が「アメをあげる」と言ってもついていってもいけない。
走りすぎて、転んで膝から血が出たけど、周りに誰もいない。泣きながらも、立ちあがる。
いろいろな試練が次から次へとやってくる。


その幾多の試練は、電柱の影からみている親(やスタッフ)が与えたことなんだけれども
じゃ、それはその親が意地悪で、子供に嫌がらせするために与えたことかって言ったら
違うわけで。

そして、子供はその試練を全部乗り越えて、おうちに帰ってくる。
感動ですよね。
その子は、もう昨日までの何もできない子じゃなくなっている。
輝きが違います。


ライオンっていう動物は、嘘か本当か自分の子供を谷底に突き落として、這い上がって
来た子供だけを育てるというような話を聞いたことがあります。

これはいじわるで突き落としているわけじゃなくて、「愛」なんですよ。
わが子の成長を願うからこそ、突き落とす。でも、ちゃんと上から「がんばれ」って
言いながら、子供が上がってくるのを見ているんです。

それと同じように、ガイドってのも、修行の為にこの世に生まれて来た魂の成長を
見守っている。辛い経験してるのもガイドに愛されてるが故です。
ちゃんとしたまともなガイドなんでしょうネ。バカ親じゃなくてよかったじゃない
ですか。子供の宿題全部やっちゃうバカ親じゃなくて よかったじゃないですか。




ただ、当然、その辛い経験をしている当人はもうマジで辛いし、マジで死にたい。
なんでこんなひどいことをされるのか、なんでこんな人生なのかと。

辛い時に、とくに周囲のみんながのほほーんと楽しそうにしてる時に、自分だけ何か
辛いことばっかり経験してると、空で輝いてる太陽が、本当に恐ろしい存在に思えます。
「なに、そこで何も関係なさそうな顔して見てんだよ。 そこでポカポカ陽気にしてる
ヒマがあれば、助けてくれたっていいじゃないかよっ」て思います。
あふれる涙と怒りと悲しみ、本当にやり場のない激しい感情がうずまき、発狂しそうに
なります。


でもね、そこなんだよ。その経験から這い上がることが必要なんだよ。何かを得ること
が狙いなんだから。

這い上がった時に、その人は一皮むけて、ステージがあがるんだよ。
そんな時に、そのガイドは拍手をして涙を流して喜んでくれているわけなんですね。

で、そういうことを歌にしたのがあります。
今日発売のアルバムです。

すばらしい曲です。メロディーもかっこよすぎです。

っていうか、この歌にこの解釈は大げさなのかもしれませんが、私はこの歌を聴いた
瞬間、そういうふうに思いました。演歌はこういうのが好きなんです。 

単なるライオンと子供の歌じゃなく、この世を生きる人間と、それを見守るガイドの
歌のように感じました。

そして、自分が獅子座であり、気質もライオン的な単独行動を好むタイプであり、人が
しないようなヒデー経験をしてきたがゆえに、かなり強く(心が)なってしまったし。

どうしても自分と重なる部分があり、入り込んで思わず泣けてしまいました。

辛い人生だったけど、そしてこれからも辛いのかもしれないけど、これも修行なのかなぁ。

「語らず教える親の愛」

って言われちゃうともう・・・涙、涙です。

そうか、愛か・・・
じゃぁ しょうがないな。 嫌がらせじゃなくて愛なんだって言われちゃうと・・
文句は言えないよ。昔はそれでもその意味がわかんなくて、あがいてたけど
今はそれが理解できるようになった。


私はがんばってます、ちゃんと上から見ててくれてますか、太陽さん。みたいな・・・
だからよろしくお願いします。


とは言っても結局、ここまでになると、もうムキになる気力も捨て、感情も捨て、
情熱も捨て、欲望も捨てました。それが一番いい方法。



斬った張ったは昔の話、惚れた腫れたも昔の話。
浮世の戯言(ざれごと)なんぞ
あっしには関係のねぇことでござんす。
そんな浮世に背を向けて
冥府魔道を我は行く・・・・   By デルフィニア 心の歌








獅子


谷は千尋(せんじん) 獅子なれば
父は我が子の 勇気を試す
転がり落ちたその場所の
硬さ冷たさ 手負いの痛さ
語らず教える親の愛

獅子は百獣 王の王
強くなければ 生きてはゆけぬ
果ててなるかと見上げれば
前足を巌(いわお)に 谷底のぞく
我が子を案ずる 母がいる

爪を蹴立てて 駆け登る
崖は男の試練だ夢だ
風にたてがみ なびかせて
明日を見据えて 雄たけびあげる
夕陽に並んだ 親子獅子






                              
                               ※千尋・・・極めて深いこと



                               作詞;かず翼 歌唱:氷川きよし




         





マヤ暦って終わってたのね

2011年11月02日 22時15分25秒 | ふと思うこと
知らなかったんだけど、つい数日前、2011年10月28日でマヤ暦が終わっていたんだってね。
昨日のまるの日さんのユースト見ていたら言っていたので・・・

へぇー。

そっか、そういえば、前は「2012年12月22日」でマヤ暦が終わるという話だったん
だけど、後から、やっぱり計算まちがいで本当は違う日だったというのを「世界ふしぎ
発見」で見た覚えがあるな。でも、日にちまでは忘れていた。

なので、ちょっと検索して調べてみたら、2011年10月28日日に地球が滅亡するとか
いう話が まぁたくさん出てくること。
え?そうなの?その日って地球滅亡っていう予定だったんですか。
それは知らなんだ・・・。


マヤ暦が終わった後って、地球の次元が上昇するという話なら聞いていたけど・・・。
ていうか、次元上昇って何よってことですが、私は専門家ではないので、詳しい話は書き
ませんけどね。
(って、本当はよく知らなくて説明できないっていう説もありますが。)

地球が精神世界へ移行したので、今後、「こころ」を忘れてしまっている私利私欲に
まみれた、人を攻撃することに何の痛みも感じないような黒い人間は生きにくくなる、
みたいな話だったような気がしないでもないけど・・・・。

で、あの日、私は何をしてたかというと・・・・
もうたった数日前のことなのに記憶がないし。
なので、このブログを読み返してみたら、のんきに植物に薬剤散布をしていたのでした。


結局、地球滅亡しませんで何よりでしたネ。
まぁ、私は人生いつ終わっても何の未練も恐怖もありませんけど。
「持ち物」が何にもないので。イヤ、持ち物って、べつに「物質」って意味じゃないですよ。
あー、この人ってそんなに貧乏で何も持ってないのか、そんなにカネないならリサイクル
ショップとか100円ショップで買えばいいのに。ってそういう意味じゃないですからね。
背負ってるものっていう意味ですよ。しがらみとか執着とかも含めてね。

まぁ、ここまでになるのに、相当苦しみましたけどね。


なにはともあれ、無事、新しい時代に突入したようなので、しあわせに生きましょう。。



職業変われば言葉も変わる

2011年10月20日 21時45分45秒 | ふと思うこと
考えてみれば当然のことだけど、職業によって、その勤務中や休憩中に飛び交う
従業員同士の会話の内容というのは変わる。

園芸店にいた時は当然、聞いてるだけで癒されそうな植物の固有名詞や「苗」
「果樹」「野菜」「球根」「咲いた」「収穫」「雨」「台風」「風」「暑い」「綺麗」
などという言葉が毎日耳に飛び込んで来る。

今でもたまにやる外国人容疑者通訳の副業で警察署や裁判所、検察庁などに
行く時は、当然ながら、「容疑者」「被疑者」「拘留」「逮捕」「留置」「調べ」「万引き」
「窃盗」「刑務所」とか・・・、ずっしりと重いキーワードが飛び交うのを耳にする。
ちなみにテレビドラマのような犯人のことを「ホシ」と呼ぶ言い方は実際には聞いた
ことがありません。うちの地方だけかもしれませんが。

以前風呂屋で働いてた時は、「脱糞(だっぷん)」「入れ墨(単に「墨」と言うことも
あり。)」「救急車」「機械室」「受付」「源泉かけ流し」「岩盤」「タオル」「会員」
「かぎ」「出入り禁止」とか・・・。 
脱糞というのは、知らない人にとっては意外でしょう?毎日働いているとこういうことが
多いんですよ。つまり浴槽の中で うん○してしまう客。 そうするとお湯を全部抜いて、
大掃除して、湯張りし直すんですけど。嫌がらせでわざとやる頭のおかしいヤツもいるし、
悪気はないけどついゆるんで出てしまったというお年寄りなどもいますがどっちにしろ
営業妨害です。

のぼせて倒れる人も日常茶飯事です。
そうすると、時には「救急車」です。そして、墨の入ったコワイお姉さん
お兄さんがいたら注意してお帰り願わなきゃいけませんが、一筋縄ではいかないのが常であり・・





実際にその会社に入社せずとも、面接の段階で通される事務所内のホワイトボードに
書かれている言葉や面接で話される言葉でも、その違いは歴然としている。

「下げ」「ガンセンター」「○○病院」「盛籠」「○○斎場」「喪主」「出棺」・・・・
こういう言葉がホワイドボードに並ぶのは、つい最近(先月)面接に行った葬儀社。
「下げ」とは、亡くなった人を病院まで取りに行くことを言うらしい。
さらには「ご遺体」「自殺」「うじ虫がわいている」「泣く」「死んだ人」「死臭」
とか、そんな言葉が面接官の口からスルスル出る。

で、ここには結局入社しなかったんだけど・・・(ここを受けた理由とやめた理由は後日
別記事にて)




で、今、私の周りに日々飛び交う言葉は、「ケーキ」「デザート」「おいしい」「餃子」
「カップ」「やわらかい」「焼く」「もちもちしてる」「ふわふわしてる」「ぷりぷりしてる」・・・・・
そう、食品会社に転職したのです。


その直前にあまりに重い言葉(「ご遺体」とか)に触れていた私は、今の世界が
もんのすごーく「かるーーく、ゆるーーく」感じます。
飛び交う言葉も、かわいく感じます。ずっとこの世界にいた人にとっては当たり前で
ありがたくも感じないのかもしれまんが、私は、なんかありがたいなーと思います。
やっと幾多の困難を乗り越えて娑婆の世界に出れたな、とも思います。

ただ娑婆は娑婆で「ウゼー」ことがいっぱいあるけどね。

めんどくさいセクハラとか、噂話とかの悪口の好きなウザイ人間とか、やたら威張りたがる
上司とかとのめんどくさい関わり合いとかを考えるとイヤだけどネ。でも、まぁ、壮絶
人生を生きてきて身についてしまった持ち前の(?)、「人と深く関わらない主義」で
さっと流して行きたいとは思います。出来る限り。



今の会社の従業員同士が何か言い争いをしているのを聞いていても、「幼いなー」と
思ってしまいます。
なんでそんなくだらないことで、もめてるんだろう、とも思う。

そして、「さっきあそこで幽霊みたいの見た。キャー!」
とか本気で騒いでいる人達を見ても、アホかと思ってしまいます。

私が反応しないので、「怖くないの?」とか「幽霊信じないの?」って言われますが。

イヤイヤ、あたしはいろんな経験して来たからね・・・・
怖いとか、信じないとか、そういうのはもう越えちゃってるんだよね・・
(とは、人には言いませんけど・・)


てか、みんな平和でいいね・・・・と内心思う。
でも、私もこれからは平和に生きるから。
もう人生の荒波は越えたんだから。


とは言っても、なんともまだ入社して1ヶ月くらいなんで、まだ軌道に乗れてないので、
どうなるかがわからないのですが・・・


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