気温1度
昨夜降った小雪は今朝にはすっかり溶けていました。
まだまだ寒いですね。
昨夜はうちの両親は知り合いのカラオケのある飲み屋に行ってたんですけど、
帰りに小腹がすいたってことで、24時間営業のファミレスに寄ってご飯を食べた
そうなんですね。
テーブルの隅に数年前亡くなった弟(つまり両親にとっては息子)の小さな
写真を飾って、一緒に食べたみたいなんですね。
これは、もううちの両親の前々からの習慣なんですね。
そして、小皿に少しおかずを取ってあげて、遺影の前に置いてあげる。
「ほら、食べな。」って。
まぁ、レストランの人に見られたら、けっこうドン引きされそうなので、あまり
わからないようにこっそりね。
そうやってね、いつもやってたのね。ずーっと。
うちのオヤジって、すごいコワモテで、気性が荒くて頑固オヤジなのですね。
そんなオヤジが、昨夜酔っていたせいもあるのか、それを見て、いきなり
ポロポロ大粒の涙を流して泣き出してしまったらしいのです。
遺影の前におかずを置くなんて、もうずっと何年もやってたんだけどね。
でも、昨夜、初めて、
「かわいそうだなぁ・・・かわいそうだなぁ・・・」って・・・・
涙をポロポロ流して泣いたみたいなのね。
父が泣いたのって4年前の葬式の時以来で、あれ以来、ずっと泣いてなかったのね。
「もう死んでしまったんだから、もうしょうがないんだ!」って
気丈に振舞っていたのね。
あの時以来もうすっかり弟の死を腹に据えて、趣味に没頭して、前を向いて明るく
生きていると思っていたんだけどね・・・
なんか今朝、おかんから、こっそり、「実は昨夜おとんが泣いちゃって・・・」
って聞いて・・・・。私、なんとも言えぬ悲しみが湧いて来てしまったよ。
なんで急に今になって泣いちゃったのかなぁ。
本当にいつも怒鳴ってばっかりで「怖いオヤジ」でさ、私なんか、いつも
「むかつく!なんてヤな奴なんだ!」とか思っていたのね。
こないだ、オヤジが階段から滑り落ちるイメージ見ちゃったから、心配です。
まさかそんなことはないとは思うけど・・・
弟、実は今月10日に命日だったんで、丸4年を迎えたんですけどね。
やっぱり、そうだよねぇ。
悲しいよねぇ。だよねぇ・・・。
こないだ、
江原さんの講演会で言ってたんだけどね、「大我の愛」「小我の愛」
っていう言葉があってね。
東日本大震災で多くの人が亡くなって、たくさんの人がボランティアに行ったり
被災者の人たちに優しくしたりしてたでしょ。もちろんそれは素晴らしいことだよね。
でも、「震災で何万人が亡くなったから」って、騒いでいるけど、でも、
人数じゃないよね、って話。 震災にはボランティアに行くけど、でも震災じゃ
なく、隣の人とか、知ってる人の大切な人が亡くなった時も同じようにしてる
でしょうか・・・ってこと。 何万人死んだからかわいそう、でも一人だったら
べつに知ったこっちゃない・・・みたいな・・・。
何万人が亡くなったら、色んな祭りごとを自粛しましょうってなるけど、
知ってる人の大切な人がたった一人亡くなって、その人が悲しみにうちひしがれ
てても、まぁ、かける言葉もないし知らんぷりでいいやと。祭りごとはその人は
誘いにくいし、その人だけ暫く仲間はずれにして、自分らだけ隠れてドンチャン
やりましょう、的な。
ってか、その人、家族が死んじゃってずっとメソメソしてて「暗い」から、不幸が
移りそうだし関わりたなくないしっていうんで、どんどん去って行ったり・・・。
でも、震災だと「それ来た!」とばかりにボランティアに行くという・・・
しかも、「あー、明日誰々の家族の葬式だよ。金ねーのにな。」とか言って
極力2000円くらいしか包まないのに、被災地には「何万円募金しました!!」
って得意気に言う。
てこと、意外と多いんじゃないかな。
「小我の愛」っていうのは、そういうのを言うんだって。つまり人への愛と
思いきや、実は自分かわいさの気持ちが根底にある。震災現場に行って人を
助けたら「自分はいい人だと思われるからかっこいいかも」という気持ちが
どこかにある。そういうのを小我の愛という。
だから小我の愛ではなく、ちゃんと本当の愛とは何かをよく考え、「大我の愛」
を持って生きましょうって、江原さんが言ってたなぁ・・・
震災で大規模に亡くなろうが、一人で地味に亡くなろうが、命の大切さは
同じなのにね。
朝「行ってきまーす。」って家を出た後、本来夜になったら帰って来るはずの
家族が帰って来ない、って人も少なからず、いるんだよ、世の中には。
だから、もちろん被災地にボランティアに行くのも素晴らしいことなんだけど、
でも、もし、近くにそういう人がいるならば、先にそっちをやさしくしてあげる
といいんじゃないかな、と思います。(べつにボランティアに行くなという意味
ではありませんので、誤解のなきように。)
そういえば、うちもそうだったな、なんて思って・・・
うちの弟死んだって誰も何も自粛なんかしてなかったけどね。
しかも、たぶん姉(私)の弟への想いと、親の息子への想いってのは
格段に違うんだろうなと思うんだよ。それこそ、親なんか無償の愛だもんね。
きょうだいの愛なんか、やっぱ多少、無償じゃないことあるもんね。
こないだ貸した1000円返せとかさ。(笑)
そんなおとんの悲しみを、知人は誰も慰めてあげてなかったよ。
それどころか、直後に一部の親戚にひどいイジメをされたんだ・・・
すごかった・・・
ちょっとここじゃ詳しく書けないけどね・・・
ほんっとうに、ほんっとうに、かわいそうだったんだよ・・・
私も・・・あの時、誰かに優しい言葉かけてもらったことって・・・
一人ぐらいかなぁ・・・。あとはドン引きされて 蜘蛛の子散らすように
いなくなっちゃなぁ・・ま、べつにいいんだけどさ。何かがあって離れて行く
人は、いずれ何かがなくても離れて行く人ですから・・・
これも学びだな・・・なんて。人ってそうなんだな・・・って、ただ
しみじみ思った。
だから、昨夜、オヤジが泣いたって聞いた時ななんとも言えない気持ちに
なっちゃったよ。ずっと堪えてたんだろうなぁ。4年もね。
全然鬱っぽく見えなかったからさ・・・
あ、いや、べつに今更、うちの弟死んだんだから、私に優しくしてよなんて
いうつもりはサラサラないよ。全然大丈夫、私は。けっこう強いから。
べつに同情してもらいたくてこんなこと言ってるんじゃないからね。
っていうか、人なんて、その経験を実際にしてみない限り、同情なんかできないの
わかってるからさ。わかんないんだから、しょうがないもん。
ただ、うちのおとんとかはさ、べつに私みたいにスピリチュアルな世界の
こと全然知らないし、本とかも読んだことないだろうし、だからきっと
本当に何もわからないんだと思う。
「いくら考えてもわからないから・・」(by
長渕剛/ひとつ )て
カンジできっと堂々めぐりで辛いと思うんだ・・・
そういえば、この歌もこのフレーズ聞いてると、すごく辛くなるよ。
「いくら考えてもわからないから・・・」って・・。これが心の本当の
叫びって気がします。
この曲、毎日私の職場の有線で流れてて、聴く度に思います。
私はね、「わかった」わけではないけど、やっぱり精神世界の本とか江原さんや
まるの日圭さんの本読んで、やっぱり本当にラクになったよ・・・
うちのおとん、いつか本当の笑顔になってほしいな、なんて思っています。
それだけ。
なんか、ちょっと、というかかなりしんみりモードっぽくなっちまったので、
明日は面白目の記事、別カテでアップするぜ。よろしく!


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