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ヨーロッパ1000年のロシア恐怖症

2016-06-10 14:22:38 | 欧州情勢複雑怪奇

インターネット空間でも普通の対話でも、面倒くさい問題について、あるいはどう考えても「異端」かもなと思われる問題について同じ見解を持つ人に出会うのはとてもうれしいもの。

で、今日ふとRussia Insiderをいつものようにざっと目を通していたら、とても良い(と私が思う)ヨーロッパにけるロシア恐怖症の要旨みたいな記事があった。

The Long History of Rusophobia, Starting With Its Religious Roots

http://russia-insider.com/en/politics/religious-roots-russophobia-charlemagne-charlemagne-our-days-exposed/ri14877

ロシアの日刊紙Izvestiaに載ったものを、Julia Rakhmetovaさんという方が英訳してRussia Insiderに投稿したもの。

中味は、Tribune de Genève 誌の編集者 Guy Mettanさんが出版しようとしている Russia and the West: A Thousand Year War (ロシアと西側:1000年戦争)という本について。Mettanさん、スイス人でしょうかね、多分。

以下は、その中の一部分を私が今ざ~っと訳したもの。パラグラフは日本語で読みやすいように崩してます。

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私は歴史を調べていくうちに、ロシア恐怖症(ルソフォビア、Russophobia)というのは1200年ほど前シャルルマーニュ(カール大帝)がWestern Empireを作ったところから始まったのだと結論するようになりました。

シャルルマーニュが帝国を作ったことが1054年の東西教会の分裂の基礎となるわけですが、シャルルマーニュは、ビザンチンに文明世界の中心があった時代に、既存の状況に抗してこの帝国を作ったのです。

私がもっとも驚いたことは、自分が学校で習ったことはみんな間違いだということです。学校では、東方教会がローマから分離した反体制派だと教わりました。しかしそれはまったく逆なんです。分離していない教会(universal church)に異を唱えて出て行ったのは西方教会であって、東方教会はそのまま 残り、今でもオーソドックスなのです。(訳注:orthodox、正統な、ということ)

当時の西欧州の神学は、東方教会に重荷を負わせて自己に対する非難を回避して自己正当化するキャンペーンを始めました。彼らが使った議論は繰り返し繰り返し、西側とロシアの間の紛争の一部となっています。中世において彼らは、分裂の責任を否認するために、ギリシャ世界、つまりビザンチンを指す際に、「圧政と野蛮の地」と呼んでいたのです。

(1453年)コンスタンチノープルが陥落してビザンチンが終わると、ロシアが第三のローマとしてビザンチンの地位を継ぎました。ギリシャ世界から神聖性を奪うためのありとあらゆる迷信と嘘が、この時自動的にロシアへと振り向けられました。

15世紀からのロシアを旅する西側の旅行者のメモが、みんな同じように、彼らがビザンチンを記述する際に用いたのと同じ言い方でロシアを説明しているのがわかります。奇妙なことです。これらの捏造、批判はピョートル大帝やエカテリーナ大帝による改革の後さらに強まりました。ロシアがヨーロッパの政治シーンで強力になった時ということです。そして、18世紀末までに、これが「ロシア恐怖症」となりました。

ルイ14世下のフランスに生まれたナポレオンもしばらくこれを使って、フランスの拡張政策の行く手を阻むロシアに対する敵意を正当化しました。ナポレオンはロシア遠征を正当化する理由として「ピョートル大帝の遺言」なるものを使いました。

The Will of Peter the Great
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Will_of_Peter_the_Great


これは現代におきかえると、アメリカ人たちが自分の目標を達成するためにサダム・フセインが大量破壊兵器を持っているという嘘をついたことと比肩できるでしょう。ロシア恐怖症は19世紀まで政治的イデオロギーとしてフランスに残りました。これがなくなったのは普仏戦争(1870年)においてフランスが敗北した時で、フランス人は敵はロシアではない、ドイツだと気がつき、ロシアと同盟を組むようになりました。

イギリスに関しては、ロシア恐怖症は1815年ごろに登場します。英国はロシアと組んでナポレオンを倒します。一旦共通の敵が倒されると、イングランドは方針を変えて、ロシア恐怖症を供給してロシアを敵にします。1820年代以来ロンドンは反ロシア政策を使って、地中海や、エジプト、インド、チャイナといった地域で拡張政策を実行します。

ドイツは、ドイツ帝国ができる19世紀末まで状況に変化はありませんでした。 ドイツ帝国は植民地がなく、略取の地域がありません。イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルがみんな先を行っていたからです。そこで、東方に拡大しようという政治的動向が現れます。つまり、現代のウクライナとロシアのことです。この試みは第一次世界大戦では失敗しましたが、ヒトラーはまた同じイデオロギーを使いました。

ドイツの歴史家たちが、ドイツ第三帝国の敗北におけるソ連の役割を小さくし、米国とイギリスの貢献を大きく評価しようという傾向、つまり「修正主義」として知られるものの発信源だというのは偶然ではありません。

アメリカのそれは1945年に始まりました。ソ連と共同で、ソ連の人々の多数の犠牲の上にドイツを倒すと、1815年のナポレオン敗退後と同様のことが起こります。米国は方針を変え、昨日の同盟者を主敵に据えるのです。冷戦はこうやって始まりました。

アメリカ人たちは、1815年にイギリスが使ったのと同じ議論をしました。彼らは「コミュニズムや圧政、拡張主義と戦ったのだ」というのです。この議論は、コミュニズムを除けば何も新しいものはありません。これが結局トリックだったのです。ソ連が崩壊しても、西側とロシアの対立は終わらなかったのですから。

19世紀の物語が何度も繰り返されています。米国は自分のゴールを達成し、自分の利益を促進し、自分の拡張を続けるために、ロシアから発生しているとされる「恐怖」について語り続けます。今、ポーランドにNATOのミサイルを配置しようとするために、200年前にナポレオンが使ったのと同じ議論でロシアを悪魔化するのです。

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■ オーソドックスと西側なる集団

いやいやいや、ほんとに。私もこの方と同じように流れを見てますです。

短期的には、1700年代初頭のスウェーデンの北方大戦争あたりからこっちが同じグループがやっちょるな、みたいな感じはするわけです。資本家さんとか、領土が欲しい、植民地が欲しいという話はだいたいこのへんからでいいんじゃないかと思う。

このへんで書いた通り。

ロシア弱体化という願望

西側という宗教 (2)

 

しかし、もっとあるんですよ。もっとドロドロのものが、というところでやっぱり東西キリスト教教会だろうと私もずっと思ってますです。

正教会&カトリック教会

で、よくよく考えると、ロシアが何者かというより、Westernって何?という問題でもあるんですよ。ロシアは東には拡大したというよりせめぎ合った遊牧民との戦いを制したというべきかと思うけど、でも欧州側に対しての位置は変わらず、同じ場所を中心に変容を続けている。これに対して、じゃあヨーロッパって何?ってのは実はそれほど確かなわけでもない。

Westernというのは、ギリシャ世界の正統に対する西国政権樹立みたいな話だ、と言っても間違ってないと思うんですよね。正教会にはない法王というスーパーな地位は、では征夷大将軍かというのは考えすぎだと思うけど(笑)。

いずれにしても、話が倒錯しているのが West の特徴ね。非難や捏造が同じ表現になるのはそのためだと思う。見たまま書けるのなら、思い思いのことが言えるはず。しかしそれができない。だから1000年このかた、正統なのは俺らだ、あっちは邪悪だ、なぜなら野蛮だから~とか言ってる、と。

で、クリミアを奪いたいというあくなき情熱を the West が持っているのも、これは結局ギリシャ世界再興阻止なのかなとか面白いことを考えたりもしてる。


■ イギリスとアメリカの相似

今更の話でもあるけど、昨日アメリカのイギリス嫌いの話を書いたばっかりなので、1815年のナポレオン戦争におけるイギリスと1945年のアメリカの対ロシア戦略がまったく同じやんか、という点は特に注意したくなりますです。

いずれにしても、昨日まで同盟しておいて、すわ裏切ろうとするその根性が、なんてかやっぱりさすがに海賊国家だけあるよな、って感じ。

 

■ ピョートル大帝の遺言

ピョートル大帝の遺言はwikiの日本語版がなかったので、ちょっと捕捉。

ピョートル大帝の遺言とは、ピョートル大帝が欧州を服属させる計画を示した文書が残されている、と信じられているお話。現物であるという文章はないらしいんだけど、しばしば実はこれだ、あれだ、というのは出てきていたようだ。

で、これが19世紀のイギリス、フランスの対露政策にマジで影響を及ぼしたと考えられている。

具体的には、クリミア戦争や露土戦争、第一世界大戦、第二次世界大戦において、ロシアが征服を企んでいるという話のある種の証拠みたいにしてたびたび持ちだされていた模様。

要するに、田中上奏文のようなものでしょうか。

 

 

■ 参考

西側という宗教

http://fanblogs.jp/dtj3/archive/9/0



 

日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完
扶桑社

 

「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
堀 茂樹
文藝春秋

 


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5 コメント

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『先進国への敵意』 (ローレライ)
2016-06-10 16:37:55
フランクからは『先進国』だったビザンツ、イギリスとフランスからは『先進国』だったオランダへの敵意とコンプレックスのイメージをロシアに付託する催眠術がアメリカやナチスのトロツキストカルトに引き継がれて『日本の中国敵視カルト』にも受け入れられた。
宗教としての西側 (ブログ主)
2016-06-10 17:02:38
West ってのは宗教モデルなんだと思います。
ここに入ってる奴が文明化された奴、入ってないのは野蛮人、圧制、だから叩いていい。

日本はこの宗教に本当にきれいに教化されてる。
「文明開化」とかいう凄い言葉まであったわけだし、近代化していない(West 化してない)中国をあんなに蔑視したのももってこの宗教のおかげだと思います。
歴史は繰り返す (未定)
2016-06-10 18:01:22
ブログ主さん、更新お疲れ様です。
古今東西、内政の不都合を誤魔化す為に外敵を作る。
ほんまに何時まで歴史を繰り返すのかな~?
解かって居ても悔い改めないって何?
人なんだから進歩したいな~進歩って何だ!必要なのか?
まじかよカソリック最低だな (特命希望)
2016-06-11 23:51:17
徳川幕府がこんなイデオロギーを許さないでいてくれたことをもっと歴史学的に評価すべきではないでしょうか。
どもども (ブログ主)
2016-06-12 10:18:20
未定さん、

止める気はないらしいので、それを知った上で付き合うしかないって話じゃないでしょうか。


特命希望さん、

徳川幕府がイエズス会を見切っていたのは卓見だったなと私も思います。でも、幕末の様子を見ると総体として見取りは甘かったんだろうな、とかも思います。

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