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聖ニコライの聖遺物、モスクワに到着

2017-05-22 01:34:01 | 欧州情勢複雑怪奇

つい数時間前、東西キリスト教会の話を書いたところ、なんと今日は、モスクワに聖ニコライ、または聖ニコラス、ニコライオスの聖遺物がイタリアから送られていた。イタリアが7月末まで貸してくれたらしい。

RTを開けたら教会の祈祷の音声がいきなり聞こえて、なにかと思ったらそんな話だった。

Italy: Relics of St. Nicholas leave Bari in first leg of their 3,000km journey to Moscow

聖ニコライは、概ね世界中のキリスト者の中で有名な聖人だといっていいと思うけど、とりわけ正教会では重要で篤く敬われている。

そもそもこの人が活動していた時期は4世紀で、場所は現在のトルコ。トルコという名などまったくない頃なので、いわゆる小アジアというべきでもあり、概ねビザンチン帝国の支配下にあたった場所ともいえる。

で、生きている時から奇蹟を起こす人として尊敬を集めていたニコライさんは、亡くなっても当然聖人として扱われていた。しかし、11世紀にセルジュークトルコが来襲した時に、イタリア人の船乗りが、聖ニコライの遺物を持ち出してイタリアに持ち帰ってしまった。

以来1000年、イタリアのバーリに存在している。イタリア半島を長靴として見た場合のかかとの方、アドリア海側ですね。

wikiのバーリの項に「バーリの聖二コラ」として項目があった。

バーリの守護聖人はサンタクロースの元ともいわれるミラのニコラオスである。イタリアでは彼を一般に「ミラのニコラ」とは呼ばず、「バーリのニコラ」(Nicola di Bari)と呼ぶ。ニコラオスの不朽体はバーリに置かれている。

ニコラオスは3世紀から4世紀にかけて小アジアのミュラ(ミラ)で大主教を務め、多くの奇跡をあらわしたとされ、聖人とされた。不朽体ははじめミュラに置かれていたが、小アジアがイスラム教徒によって征服される混乱の中でバーリの船乗りによって持ち出され、1087年にバーリのサン・ニコラ教会に安置された。

で、このたびその一部がモスクワとサンクトペテルブルクのそれぞれの大聖堂でお披露目(というのだろうか?)される、と。

930 years of waiting: fragment of St Nicholas’s relics to arrive to Russia from Italy
May 21, 7:45 UTC+3
http://tass.com/society/946823

 

BBCの記事によれば、ロシア中の教会が時刻を定めて鐘を鳴らし、聖ニコライの遺物の到来を祝福したらしい。いやぁ、なんかすごい。

Russia thrilled to get Saint Nicholas relics from Italy
http://www.bbc.com/news/world-europe-39960384

また、このBBCの記事によれば、この話が決まったのは、2016年2月にロシア正教会のキリル総主教とローマカトリックの法王が会合するという歴史的イベントに伴ってであるようだ。

これこれ、この時。

正教会&カトリック教会

で、今年のはじめには、バチカンのお宝がモスクワを訪れたところだし、

バチカン展、ビザンチン展、革命と芸術@ロンドン

結局のところ、西方教会側(代表者法王さん)が正教側(代表者ロシア総主教)に詫びを入れたって話なんだと思ってみてて間違ってないんじゃないですかね。行為から見て。

ナチといい、カトリック聖職者のウスタシャへの関与といい、バチカン側に著しい不行跡があったに違いないってのも今日明らかなわけだし。

 

■ そういえばトルコが

と、思い出すのは、この聖遺物が、トルコがイタリアに返還を求めているというのをどこかで読んだことがあった。もともとあった場所は確かに現在トルコで、持ち出した成り行きは、まぁ泥棒といっても不思議ではない行為なので、トルコの言っていることもわからないではないような気もする、と一瞬思ったが、しかし、そもそもトルコ系は後から来た侵略者チームなんだから、東ローマの遺臣(誰か知りませんが)からすれば、冗談じゃない、ってことにもなるだろう、とか思って面白く思っていた。

さらに、どう考えても、キリスト教世界全体が、ムスリム主体のトルコに返す言われはないどころか、そもそもコンスタンチノープル返せよ、と思うであろう、などととも思った。

トルコはその後どうしたんでしょうか? イタリアはまったく無視していたんですかね、多分。

 

■ 独立していったのは西の方

6世紀のビザンチン帝国の地図。まぁ、なんてか実は地中海一杯まだビザンチンにいた教皇の支配下にあった。で、そこから、西方はゲルマンの侵入でぐじゃぐじゃになって、それにつれてビザンチン側も次第に防御しきれなくなって、そのうち西方がフランク族の武力を頼りに、いいや俺らは俺らでいくべ~となった、と。そこで役に立ったのが、コンスタンティヌスの寄進状という偽の文書。コンスタンティヌス帝が、俺らに領土をくれたんだ、ほうらこの通り、という具合に使われたが、ルネサンス期にロレンツォ・ヴァッラによってラテン語の語法などからこれは偽物だと暴かれた。

 

で、こんなことは古代の話なんだからどうでもいいといえばいいんだが、問題なのは、今もって西方教会側が自分たちこそ正統で、東方教会はへんな奴扱いしていること。教え込むってほどじゃないとしても、歴史的に正しくないことを積極的に放置してきているとは言えるでしょう。

そして、過剰にロシアを憎むその話の根底には、この西のものの見方の影響があるのではないのか、というのがこの話。

ヨーロッパ1000年のロシア恐怖症

 

去年のプーチン、アトス山訪問も印象的だった。

プーチン、アトス山訪問

 

いずれにしてもセルビアは救われるべき。(大カト風)


 

 


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1 コメント

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『サンタクロースの不都合なルーツ』 (ローレライ)
2017-05-22 06:41:34
『東方教会由来』は『サンタクロースの不都合なルーツ』何だろうが話題には挙げられない。
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