気軽にでっちゃん

誰にでも立ち寄って欲しいので「気軽に」とつけました。でっちゃんと呼んでください。。。

●マグレブの国への旅⑪/マリカ・ウフキル

2005-05-11 22:55:14 | マグレブの国への旅
マラケシュを出てフェズまでの間に立ち寄った二番目の中継地はエルラシディアでした。ワルザザートからバスで7時間半の道のりでした。泊まったホテルは全く記憶には残っていないけれど、一泊135ディルハム(1600円くらい)と手帳には記してあります。まず街中を散策、特に興味のわくところではなかったけれど、学生風の若者を多く見かけました。案の定、話しかけてくる人が現れました。一人の学生。メクネス(町の名前)でアートを勉強しているのだが、休暇で実家に戻ってきているとのことだった。最初はフレンドリーでいい奴っぽい感じがしました。歩いているとついてくる。なんとなく会話をしたがっていていろいろ話し掛けてくる。知らない奴が親しげに、とにかくついてくる。やっぱり警戒しちゃうのが普通でしょ。。。いいかげん、面倒くさくなってきて、それと変にかかわると逃げられなくなる危険性も感じてきたので、少々辛らつな態度をでっちゃんは示し始めました。何を言ってきても無視。知らん顔して方向を変えました。向こうもちょっと腹が立ってきたみたいだけど、毅然とした態度で無視するなり、「一人出歩きたいんだ」とはっきり言いつづけました。でも、しつこいんだ、、、この人。腹が立つけど、しつこいんだ。これが。イライラしながら振り切ろうとしましたが、しつこく話し掛けてきます。腕を引っ張ろうともします。でも知らん振りをしました。はっきり「一人で歩きたい。」と英語で言いました。中途半端な英語で、相手が話してきた英語に対しては、よく意味が分からないという振りをしました。英語がうまくはなせないからということで、日本語で話しました。これを繰り返してコミュニケーションが取れない振りをして、なんとか振り切りました。はぁ、はぁ、はぁ、、、。

翌日はいよいよフェズに入ります。朝9:00発のバスがフェズの新市街に到着したのは夕方6:00でした。しょっちゅう停車してほんとにいつになれば着くのか、今どのあたりにいるのか、停車してトイレに言っている間にバスは出てしまわないだろうか、乾燥した空気のせいで、のどが切れるように痛く、日差しも厳しく、岩と砂だけの景色のなかのバスの道のりはほんと疲れました。バスの中では心理学者ユングの本を読んでいました。

日テレで「ザ!世界仰天ニュース」という番組が放送されていた。11日(水)9時~。大阪出張から早く帰ってきてたまたまテレビを見ていたのですが、監禁された美女マリカ・ウフキルさんのことが扱われていた。カサブランカの風景、マラケシュや首都ラバトやマラケシュといった町の名前がでてきてついつい見入ってしまいました。
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●マグレブの国への旅⑩/旅に求めるもの

2005-05-09 04:05:10 | マグレブの国への旅
旅に何を求めるか?日本では味わえない色彩や明かり風景や違和感を感じるような光景に浸れることが脳に刺激を与えてくれる。遺跡や美術に特別興味があるわけではないので、観光化した有名な遺跡に行っても大きな感動はあまり起きたりしなかったりする。実際にすごいところに行って感動もしたけど、少し物足りなかった世界の地もある。モロッコは決して物足りなさを感じさせない、脳に大いに刺激を与えるだけの色彩や明かりや違和感をもっている。イスラムの異文化、アフリカのベルベルの異文化によって作られた日本から見れば特殊な色彩と違和感。フェズの写真を見ていると日本の京都と中国の雰囲気を感じさせる小さな広場がメディナのなかにあります。エトロのペイズリーに似た模様が自然にあしらわれた壁や床や扉。人が作った町の建物や城郭の形や模様や大きさ、決して大きいということを言っているのではなく、大きいにしろ小さいにしろ違和感を感じさせる高さや広さに存在感があり過ぎて、そういった風景を提供している建物自身は作られたものではなく、作ったはずの人間と共存し自らその模様や色合いに成長した生き物のような気がします。

それともうひとつ、旅をする側、感じる側に受け入れる感性がなければ味わえない醍醐味があります。ローカルとのふれあい・吸収・接触です。出会いです。その土地の人とのつながりをどれだけ持てるかが、その旅を年月を経たあとも心に強く残すことができる、大きな鍵となります。モロッコでは、うまくふれあい・吸収・接触がもてました。うるさいガイド、喧騒のマラケシュのBARのイリアスやノラ、実は別のノラという女の子とその母親にもカフェで出会ったりもしています。絨毯屋のセールス、ホテルの受付、スペインのお金持ち奥様、お駄賃を上げた代わりに写真のシャッターをとってもらったフェズの3歳くらいの子供、これからフェズでもいろいろ紹介していく子供達。ただ出会いは偶然でもあるけれど、でっちゃん自身が、モロッコに惹かれ興味を持ち自然と吸収していくような心の態勢になっていたのではないかと、今の自分と照らし合わせて感じたりします。

さらにもうひとつ大切だと思うものは現地で行ういろいろな手続きです。ホテルを予約、交通手段を予約して行っても、感動は半減したりします。面倒くさい手続きそのものに、いろいろなイベントが生まれます。ふれあい・吸収・接触ができます。間違いや想定外のこともおこり予定通りに進まないことにもなります。しかしその時間は決して無駄なものではなく、自信にもつながったりするのが不思議なものです。バスと鉄道とホテルを思い存分、現地で手配したことが、出発前の不安と緊張との引き換えに、充実感や大きな感動となった原因です。
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●マグレブの国への旅⑨/カスバ(要塞)の村

2005-05-07 23:28:34 | マグレブの国への旅
マラケシュのあとの目的地はあくまでフェズだったのですが、バスの旅で内陸部をいろいろ探検していくなかでワルザザードが最初の中継地となりました。手帳を見ると泊まった宿は90DHなので一泊約1000円と安くあがりました。この町の近くにはいくつもの●カスバと呼ばれる村があります。これは要塞とか砦とか城郭という意味で、ベルベルの人が作った土の要塞の村のことです。同じような建物の村でも●クサルと呼ばれる村もあります。クサルは普通の人も住んでいたのに対して、カスバは偉い司令官だけが住んでいたんだそうです。現在でも住んでいる人はわずかにいるようで、これらの地はいろいろな映画のロケにも使われています。壮大なスペクタクルな景観は圧巻です。「アラビアのロレンス」「シェルタリングスカイ」「ソドムとゴモラ」「ナイルの宝石」などなどが撮影されたと地球の歩き方には載っています。FIGAROでも有名なクサルである"アイト・ベンハッドゥ"が紹介されていました。不毛な瓦礫のみえる山と砂漠に囲まれたに土色一色の世界、土か粘土で作られた四角い形のまさしく砦のような建物が並んでいます。ほとんど人気のない廃墟のような村です。ここに行きたかったけど、最終的にはワルザザートからタクシーをひろってアイト・ベンハッドゥ行く勇気がでませんでした。数少ないタクシーを一人で拾って行ってもどこか変なところに連れて行かれたらどうしよう、、、でも見に行きたいし、、、意気地なしのでっちゃんでした。

なにもないこの町では特別暑い日を過ごしました。バス停から外れると特に何もなく人影もほとんどなくなり民家もありません。あちこち歩くにしても広いし何もないし、ぐったり疲れてホテルでゆっくり休みました。バス停近くのカフェには三度もお世話になりました。特にすることもなかったので、こちらでミントティーを飲んでいました。翌朝もこのカフェで朝食をとったあと、バスで次の中継地のエルラシディアに向かいました。

外国でバスにしろ、鉄道にしろ、飛行機にしろ、チケットを購入するのは一苦労ですし、すごく神経がすりへります。字がよくわからないし、時刻表があるかどうかわからないし、言葉が通じないし、切符を買えてもほんとに自分の意図している目的地までの切符なのかどうか100%は自信が持てず不安をかかえるからです。中継地に着いて、この町からはバスはどちら方面行きがあるのか、それぞれ一日何本あるのか、チェックしていきます。エルラシティア行きのバスには日本人の女の子が四人乗っていました。全員バックパッカーで学生っぽい感じがしました。半分話したいけど、半分話したくないという気分で彼女達を観察してみました。どうして半分話したくないかというと、モロッコでは日本語を全く話したくなかったしそもそも日本人のいない世界を旅したいから遠く遠くの地に足を運んでいるからです。どうやら四人はみんな別々の個人旅行のようで旅先で知り合って喋っているようでした。驚いたのは男の一人旅はマラケシュ以外では確か一人も見かけなかったけれど、こうやって女の一人旅はこんな田舎のバスのなかでも遭遇したっていうことでした。面白い会話がありました。

「きのうホテルは30ディルハムだったのに、朝食つけたらそれが20ディルハムだったのは納得いかないよねぇ~」

微笑ましくてでっちゃんは一人で笑っていたのですが、一泊360円なのに朝食をつけると別払いで240円もかかったというわけです。1万円円のホテルに泊まって朝食は6000円なんて普通はありえないですよね。ちなみにでっちゃんはバックパッカーではありません。そこそこ大きなスーツケースをもって、砂漠の町々を渡り歩いたのです。軽装もあればフェズのホテル(パレ・ジャメイ !!)に入るときなどようにおしゃれなジャケットとパンツと靴も用意していました。こんなタイプの冒険ずきの旅人は非常に珍しいと思います。エルラシディアまでの途中にあるティネリールという町で彼女達は降りてしまい、結局話し掛けずしまいでした。野生のラクダがのろのろと灼熱の砂漠に作られた道路を横切っていきました。
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●マグレブの国への旅⑧/うんこのにおい

2005-05-06 09:51:11 | マグレブの国への旅
暑さ、日差しの強さ、朝晩の気温の落差など、日本と全く気候が違う国がたくさんありますが、そのなかでもでっちゃんを苦しめるものは乾燥です。モロッコの旅で嫌というほど苦しんだのですが、のどが痛くてたまりませんでした。風邪気味だったからなのか、砂漠地帯でのいてつく太陽に無差別に照らされ乾燥した空気のせいなのか、バスの行程の後半は「今度来るときはノド・スプレーを持参しよう」とかたく誓いながら耐えていました。ガタゴトゆれるバス、カーテン越しに照りつける太陽、マスクをとりだして口と鼻を覆い隠してバスの席に座っているこの東洋人を見て同じバスに乗っているモロッコの人は不思議に思ったことでしょう。「危ない奴と思われているんじゃないかな?」、みんな素知らぬふりをしていましたが、途中満員だった区間もなぜかでっちゃんの隣には座ってくれなかったりしました。日本でも東京と違って、外国人が珍しい地方では、気にはなるし話してみたいけど言葉も通じないし、ついつい避けてしまう、そんな感じだと思います。

田舎の静かな休憩所でトイレに入ったけど、汚くて臭かったような気がします。確か大便をしたように思いますが、トイレには電気がきれており扉を閉めてしまうと真っ暗になるので、すこし開けたまま便座に座ったような気がします。記憶違いかもしれないけれど、便座が壊れていて反屈みの姿勢で用を済ませたような気もします。便器の中に蜘蛛が居たような気もします。もちろんトイレットペーパーはそのなかにはないので、手持ちのポケットティッシュで拭き拭きしました。モロッコで数日過ごしてローカルな食べ物のせいでうんこの臭いもいつもの臭いとは少し違ってきました。外国では自分のうんこの臭いが少し変わりますが、これはでっちゃんだけの体験ではないと思います。色も変わるし、堅さも変わったりします。ツーんとするちょっとすっぱい感じの臭いも混ざった臭い臭いうんこ、少しゆるい感じになっていますが、うんこの変化を堪能することも旅の醍醐味のひとつです。
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●マグレブの国への旅⑦/シッカラァ、シッカラァ

2005-05-06 01:32:13 | マグレブの国への旅
モロッコはアフリカ大陸の北西に位置し、大西洋と地中海に面した国です。中学のときに買った社会科地図で見てみると、緯度的には大阪から宮古島にかけてのところにあり北東から南西に伸びた形の国で、国土は日本の三分の二くらいです。モロッコの最北にはタンジェやセウタといった港町があって、ジブラルタル海峡を挟んで、スペインのアルへシラスがすぐ目の前です。でっちゃんは2003年にスペインのコスタデルソル地方を旅行したのですが、そのときは船でスペインからモロッコには渡らなかったものの、二つの国はほんと近いな~って思ったりしました。大西洋沿いにある首都カサブランカは南北に三分割して北側の三分の一あたりに位置しています。喧騒の町マラケシュは、カサブランカから内陸部に南下したところです。次に向かったワルザザートは、マラケシュからさらに内陸部で南東にありますが、鉄道はなくバスでの旅が始まりました。マラケシュとカサブランカは7~8時間で結ばれていました。記憶はすでに砂漠に刻んだ足跡のようにあとかけらもなくなっている部分も多いのですが、書くうちにところどころよみがえってくるのは毎度のことです。

手帳を見ると、17June99 は、簡単にしか綴っていない。朝6時半にマラケシュのホテルを出て長距離バス乗り場へ、CTMという国営バスと民営バスがあり民営バスの客引きに引っ張られていったようです。10番乗り場で改札してもらい荷物を預けて乗車。前列には女の子が乗っていたが英語は全く話せない、と書いてあります。おそらく彼女にでっちゃんは話し掛けたけど通じなかったんだろうと思います。長距離を行くのですが、ガンガン飛ばすところもあれば、ゆっくり走ったり、途中休憩も何度かあったりでした。お土産やさんや小さなカフェがあるところで30分くらいの休憩については記憶がはっきりしています。黄色い、土色、赤茶色のいなかの小さなバス停。のどかで平和な静かなところだったような気がします。すごく天気がよく晴れていたましたが、まだ午前だったので耐えられないという暑さではなかったと思います。

「シッカラァ、シッカラァ、シッカラァ、、、」小さな子供が歌いながらバスの中に入ってくる。途中の休憩所でよくある光景です。たぶんシッカラァシッカラァと言っているんだと思うのだが、実際のところの正確な発音は聞き取れていません。どうやら水を売っているみたいで、この「シッカラァ、シッカァラ」というのは「水はいかがですか?」という意味なんじゃないかなとかってに想像しました。かわいい5歳くらいの少年の手にある水は井戸から汲んできたもので、一口でも飲もうものならおそらくお腹をいっきに壊してしまうと思います。かわいいけど知らないふりをしてしまいました。それから物乞いの人ものってきてバス中をぐるりと歩いて降りていきます。どこの停留所でも似たような叙情的な光景です。バスはオートアトラスという山脈を越えていきます。途中からはなにもない砂漠状態と乾燥した山越えだった気がします。砂漠と言っても砂山ではなく、ところどころ石や小さな市草が生えている乾燥した何もない土地で、そこに一応はアスファルトの道が続いていくのでした。エマージングの国々らしく、道と車の両方に原因があって、よく揺れました。
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●マグレブの国への旅⑥/喧騒の世界のいたずらっ子

2005-05-03 00:28:19 | マグレブの国への旅
マラケシュを一言であらわすと、「喧騒」、この言葉につきます。ジャマエルフナの広場がすべてを語っています。においや色と、そして音。笛の音が聞こえます。とくに蛇使いの笛の音が。ヒュゥ~ルルル、ヒュゥ~ルルル、、タクシーの音が聞こえます。プーゥ、プープー、、馬車の音が聞こえます。コット、コットコット、、、スークの中はなかはひんやりとしているなかで人の声が響きます。うろちょろしたところで、いきあたりばったりの定食やさんに入り、タジンという料理の定食を食べたりもしました。約250円くらい。定食やさんと言ってもすごく小さなお店です。スークのから歩いた路地のお店はどこもワンルームマンションくらいの広さのお店です。地元の気のいいおじさんたちが話し掛けてきてペチャクチャ。日本から来たよというとすごく珍しがられました。

夜のジャマエルフナの活気は語り尽くせないほどにぎやかで、毎日がお祭りのような喧騒でにぎわっています。どこからこんなに人が集まって来るんだろうか。。。広場の周囲のカフェの二階からは広場全体が見下ろせるようになっていて、写真もとりました。生きている町です。動いている町です。躍動している町です。人と広場と屋台とカバブを焼く煙と香辛料のにおいと夜の暗闇のなかのお祭り騒ぎの明るさが一体になって毎晩繰り出される喧騒。

メディナでお酒が飲めるお店は確か一軒だけで、でっちゃんの泊まったホテル(グランド・タジ)の三階にあるバーだけだったと思います。三日目の夜にチャレンジしました。まだ早い時間だったのですが、静かながら女性も男性もいます。女性は二人連れが多くただ静かに座ってるだけだけど、声をかけられるのを待っているような感じがしました。ここは出会いスポットなのかな???地元の遊び人が集まる場所なんだろうとの印象を持ちながら様子を見ていました。男性はカウンターでビールを頼んでゆっくり飲みだしています。ここで手帳に綴ったその日の出来事にフラッシュバックします。

「ホテルに戻り、屋上のBARへ。アメリカ人一人と、エジプト人二人、チュニジア人一人のグループに合流。ワイン一本をあけていた。アメリカ人のデイルは疲れた様子でしばらくして帰った。帰るときに交わした彼の握手は妙に、異常に力強かった。

『モロッコってどう思う?すごく田舎で遅れてる国だよな』、三人はでっちゃんに
『でもすごく歴史もあるし、すごく綺麗な町だからいい国だと思うよ』、と素直にでっちゃん
『ほんとに?そうかな?あははは、、、』と三人達

デイルが力強くでっちゃんと握手したのは、他の三人はエジプト人でもチュニジア人でもなく、ほかでもないモロッコ人の三人グループだったからで、デイルは帰り際に "気をつけろよ" の意味をこめていたんだということがあとで分かった。三人のうちの一人のイリアスは地元の遊び人でBARに来ているほとんどの女の子とも知り合いだった。そんな女性達のなかに、絶世のベルベル人美女のノラがいた。薄緑のロングのワンピースを着ていて、みんなが気にしているお気に入りの女性のようで、僕のイメージしていたおとなしいアラブ女性とは全然違った女性だった。ベルベル人の女の人は写真は嫌がる。ノラに写真を一緒にとって欲しいと言ったらすごく拒絶された。どうも写真をとると魂が抜かれるという言い伝えがあるとかないとか。彼らは体に触れることが礼儀のようで、、、イリアスは面白い話を話すたびに、でっちゃんいビールをねだった。だんだん酔っ払ってきたイリアスはうるさくなってきて、やれやれ適当にお暇しないとややこしいことになりそうだなと感じはじめた。ノラのことがでっちゃんは気になって仕方ない。彼はノラはProstitutedaだよという。Prostituteって何だっけ?あ、そうだ娼婦だ娼婦だ。だからいろいろ交渉すれば寝ることができると僕に熱心に話してくれたが、それがほんとの話かどうかわからない。えっ?本当のような嘘のような?イリアスはエジプト人の振りをしたモロッコ人だったし、僕にカマかけてノラに話しかけさせ彼女が激怒するのを楽しもうとしているんだとは思ったけど、"褐色の肌の上にライトなグリーンのロングドレスを着た高級な感じの美女娼婦ノラ" この設定だけで想像力旺盛なでっちゃんの頭は興奮していた。。当分彼女の残影が残った」

この夜は部屋に戻ったあとも、そとで酔っ払った連中が大声で言いやいをしていてその声がすごく怖かった。翌朝6時半にはチェックアウトしたが、三泊の料金は825ディルハム(1万円くらい)だった。喧騒の町マラケシュを出て、次はバスで揺られてワルザザードに向かいました。
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