2024年度版 渡辺松男研究36(16年3月実施)
【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆
◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたもの
ですが、当日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
292 はるばると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ𠮟られに行く
(レポート)
地方自治体の職員である作者は、課題になっている事項についての対策をとりまとめ、霞ヶ関の所管の官庁に直に説明し、報告しなければならないのだろう。問題のない単なる報告であれば電話や郵送で済むのだが、この歌の書類は、なかなかまとめにくい厄介な書類なのかもしれない。「書類は軽く」というなかに、内容的にも不十分なので「軽い」という意識もあり、𠮟られることは必定なので、身は一層重く感じられるのだ。(鈴木)
(事前意見)※
「はるばると」は「霞ヶ関へ叱られに行く」に掛かるので、本来はこの位置に置かれるのはおかしいが、やむを得ないのだろう。この語は一首の中で、なかなか良い味を出している。ところで、こういう仕事の現場とか役所のシステムはよく分からないのだが、どういう事情で叱られにゆくのだろう。「書類は軽く」とあるが実際には鞄がぱんぱんになるほど重い書類を提げていたのかもしれない。その書類作成の為に膨大な労力を費やしてもいるだろう。それが報われないで叱られに行く。〈われ〉の落ち度で書類に不備があったりしたのなら叱られるのもやむをえないが、難癖をつけられたり、理解が得られなかったりと不本意に叱られることになったのかもしれない。あるいは、部下の落ち度を上司である自分が叱られにいくこともあろう。そんな不服従の気分が「𠮟られに行く」にはあるような気がする。よって「書類は軽く」はいわば「身は重く」と対比させるための虚辞かもしれない。しかし「書類は軽く」があることで〈われ〉は戯画化され、歌は被害者意識に満ちた敗者の押しつけのいやらしさから遠いものになった。 (鹿取)
(当日発言)
★本音なんでしょうね。「書類は軽く身は重く」ってとってもリズム感のある言葉で。
はるばる𠮟られに行くっていうのはせつないなと思いますね。とても尊敬してしま
うお歌です。(船水)
★私はこの、「はるばると」と頭に据えたところがお上手だと思いました。書類は軽
く身は重くということを、なにか他の次元へ移したような詠い方。(慧子)
★かなり気にしていらした感じですね。𠮟られに行くことに対して。書類が軽いって
いうのと身が重いというのは、反対のものを上手に歌にされていると思いました。
(曽我)
★詠み方がすごく明るいですよね。さっき慧子さんが言われたように、「はるばると」
これ、たのしい感じですよね。軽いのと重いのと対比しながら明るく詠んで本音を
言ってる、すごくなんか良いですよね。これ重い話だから重く詠まれちゃうと引い
ちゃうんですよね。(鈴木)
★お勉強なので伺ってもいいですか?「とぼとぼと書類は重く身は軽く霞ヶ関へ叱ら
れに行く」じゃあおかしくなっちゃいますよねえ。(船水)
★付き過ぎっていうか、そういう感じになりますねえ。(S・I)
★素朴な感じになっちゃうんですよ、とぼとぼと、と言うと。(鈴木)
★やっぱり「はるばると」じゃないと、なんか、行かないといけないような感じが出
ない。(S・I)
★こどものような感じの心ですね。素直で。(M・S)
★結局、居直っちゃってるところもあるんですよね。どうにでもなれみたいな。それ
でもはるばると、書類も軽いし、みたいな。(鈴木)
★書類が軽いというのをね、ちょっと揶揄しているような感じと取っちゃったんです
ね。(S・I)
★そうですそうです(鈴木)
★おそらくその書類はどのような内容かはわかりませんけれど、数字をちょっと変え
るとか、そんな程度のことでね、なんで自分はこんな霞ヶ関に行かないといけない
んだ、とか何かそんな忸怩たる思いもあるんでしょうね。だから「𠮟られに行く」
というような結句に持ってきたのかなと思いました。(S・I)
★わざとユーモラスに詠っているんだと思います。植木等さんみたいに。「身は重く」
まではユーモラスに詠って、「𠮟られに行く」と悲劇的に終る。(M・S)
★そうですね。霞ヶ関へ報告に行く、だと面白くないですものね。やはり「𠮟られに
行く」というのが効いていますよね。(S・I)
【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆
◆文中※印の(事前意見)は、鹿取が当日発言する為に事前にメモしていたもの
ですが、当日急用で欠席したためレポートや当日発言とは対応していません。
292 はるばると書類は軽く身は重く霞ヶ関へ𠮟られに行く
(レポート)
地方自治体の職員である作者は、課題になっている事項についての対策をとりまとめ、霞ヶ関の所管の官庁に直に説明し、報告しなければならないのだろう。問題のない単なる報告であれば電話や郵送で済むのだが、この歌の書類は、なかなかまとめにくい厄介な書類なのかもしれない。「書類は軽く」というなかに、内容的にも不十分なので「軽い」という意識もあり、𠮟られることは必定なので、身は一層重く感じられるのだ。(鈴木)
(事前意見)※
「はるばると」は「霞ヶ関へ叱られに行く」に掛かるので、本来はこの位置に置かれるのはおかしいが、やむを得ないのだろう。この語は一首の中で、なかなか良い味を出している。ところで、こういう仕事の現場とか役所のシステムはよく分からないのだが、どういう事情で叱られにゆくのだろう。「書類は軽く」とあるが実際には鞄がぱんぱんになるほど重い書類を提げていたのかもしれない。その書類作成の為に膨大な労力を費やしてもいるだろう。それが報われないで叱られに行く。〈われ〉の落ち度で書類に不備があったりしたのなら叱られるのもやむをえないが、難癖をつけられたり、理解が得られなかったりと不本意に叱られることになったのかもしれない。あるいは、部下の落ち度を上司である自分が叱られにいくこともあろう。そんな不服従の気分が「𠮟られに行く」にはあるような気がする。よって「書類は軽く」はいわば「身は重く」と対比させるための虚辞かもしれない。しかし「書類は軽く」があることで〈われ〉は戯画化され、歌は被害者意識に満ちた敗者の押しつけのいやらしさから遠いものになった。 (鹿取)
(当日発言)
★本音なんでしょうね。「書類は軽く身は重く」ってとってもリズム感のある言葉で。
はるばる𠮟られに行くっていうのはせつないなと思いますね。とても尊敬してしま
うお歌です。(船水)
★私はこの、「はるばると」と頭に据えたところがお上手だと思いました。書類は軽
く身は重くということを、なにか他の次元へ移したような詠い方。(慧子)
★かなり気にしていらした感じですね。𠮟られに行くことに対して。書類が軽いって
いうのと身が重いというのは、反対のものを上手に歌にされていると思いました。
(曽我)
★詠み方がすごく明るいですよね。さっき慧子さんが言われたように、「はるばると」
これ、たのしい感じですよね。軽いのと重いのと対比しながら明るく詠んで本音を
言ってる、すごくなんか良いですよね。これ重い話だから重く詠まれちゃうと引い
ちゃうんですよね。(鈴木)
★お勉強なので伺ってもいいですか?「とぼとぼと書類は重く身は軽く霞ヶ関へ叱ら
れに行く」じゃあおかしくなっちゃいますよねえ。(船水)
★付き過ぎっていうか、そういう感じになりますねえ。(S・I)
★素朴な感じになっちゃうんですよ、とぼとぼと、と言うと。(鈴木)
★やっぱり「はるばると」じゃないと、なんか、行かないといけないような感じが出
ない。(S・I)
★こどものような感じの心ですね。素直で。(M・S)
★結局、居直っちゃってるところもあるんですよね。どうにでもなれみたいな。それ
でもはるばると、書類も軽いし、みたいな。(鈴木)
★書類が軽いというのをね、ちょっと揶揄しているような感じと取っちゃったんです
ね。(S・I)
★そうですそうです(鈴木)
★おそらくその書類はどのような内容かはわかりませんけれど、数字をちょっと変え
るとか、そんな程度のことでね、なんで自分はこんな霞ヶ関に行かないといけない
んだ、とか何かそんな忸怩たる思いもあるんでしょうね。だから「𠮟られに行く」
というような結句に持ってきたのかなと思いました。(S・I)
★わざとユーモラスに詠っているんだと思います。植木等さんみたいに。「身は重く」
まではユーモラスに詠って、「𠮟られに行く」と悲劇的に終る。(M・S)
★そうですね。霞ヶ関へ報告に行く、だと面白くないですものね。やはり「𠮟られに
行く」というのが効いていますよね。(S・I)
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