2024年度版 渡辺松男研究32(15年10月)
【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
264 蒼空を念じておればわが抱けるキャベツから蝶がつぎつぎに湧く
(レポート)
「蒼空」は青空であり、前の歌の「虚空」である。青空から様々な雲が生まれてくるように、「虚空」は何もない「無」ではなく、あらゆるものがそこから生まれてくる源泉だ。そのような「蒼空」を心にとめて思っていると、抱いているキャベツからも次々に蝶が湧いてくるようだ。(鈴木)
(当日意見)
★色即是空、空即是色って言葉がありましたよね。空というのはいろんな色彩を持つ、
いろんなものを含んでいる。そこから何かを発生してゆく。空からはあらゆるものが
生まれるという考え方がある。虚空というのは空と同じかは分からないけど。この歌
は文芸なので哲学とは違うけれど、こういう哲学を念頭に置くと解釈しやすいかな
と。(N・F)
★この歌は東洋的なんですか?聖書にもそういう考えがあるように思うのですが。(S・I)
★聖書には空(くう)という考えは無いです。(N・F)
★解釈の仕方ですけれど、もしこれが神話ですとこれは東洋の神話ではないですね。
(S・I)
★東洋と西洋というように分けていくとおかしくない?日本人の哲学者の中にも「空」
的な捉え方をしている人はいますよ。(鈴木)
★これはS・Iさんのようにサルトルを勉強してきた人には非常にわかりにくい歌。サル
トルの言う「存在と無」の「無」と「空」は全く違うのですよ。(N・F)
★まあ、渡辺さんも哲学科ですからサルトルもやっていますよ。『寒気氾濫』にもサル
トルを詠った歌が何首かありますし。それから、無から有が生まれるというのは東
洋思想でなくても科学だってそうです。ビッグバンから時間も空間も生まれた、ビッ
グバン以前は時間も空間もなかったって科学で説明されてます。しかし、渡辺さんの
この歌には「無」とはどこにも書いてないです。レポーターが前の歌の関連で「蒼
空」と虚空を繋げられたけれど、この歌は日常的な空(そら)の歌だと思います。蒼
空を念じているのだから、空は曇っているのかもしれないですね。でも今はない「蒼
空」という語を一旦出したからには蒼のイメージは読み手にインプットされます。蒼
い空と無数の蝶がわいて飛びだしていく映像的な美しさ、詩的な飛躍の楽しさを味わ
えばいいのではないかと思います。(鹿取)
★ただその背景に虚空があるということは大事だと思います。ギリシャ神話の混
沌のイメージです。だからいろんなものが生まれる。(鈴木)
★キャベツから蝶が生まれてくるのは楽しいですね。命の根源のようなものを蒼空に向
かってひたすら念じていたら、その力が働いたというのはよく分かる。いい歌だと思
う。 (慧子)
★私も慧子さんと同じ意見ですよ。ただ背景をいわないとこの歌の深さが出ないと思っ
て虚空など余計なことを書いて誤解されましたけど。(鈴木)
★表面的な歌でも必ず渡辺さんの歌には大きな背後がありますね。何か煙に巻いている
よな上の句があるからこの歌はいいのだと思います。(慧子)
★スクリーンの向こうにいつも何か隠れている。何かざらざらしていて、万葉の歌のよ
うにすーと心に入ってこない。哲学をやった人の歌だからですね。特殊な歌人です
ね。(N・F)
★元に戻るようですが、蒼空を念じていたら蝶がわいてきた、色が美しい。でもキャベ
ツから蝶を出すためには初句は雪解けなどでもよかった。わざわざ蒼空と言っている
のはやはり虚空から命がわき出るんだよと言っている。「念じておれば」がかなり強
くて、蒼空と虚空を繋げても問題ないと思います。(真帆)
★「念じておれば」が渡辺さん的ですよね。マグリットの海の上の虚空に大岩が浮い
ている絵なんかをふっと思い出しましたが。(鹿取)
★キャベツって形状的に脳の形に似てますよね。(真帆)
★「キャベツの中はどこへいきてもキャベツにて人生のようにくらくらとする」も以
前鑑賞しましたね。 (鹿取)
(後日意見)
「色即是空」の「空」は色彩ではなく、色や形のある物質的現象全てを指す。「色即是空」とはこの世の全ての物質的現象はさまざまな原因や条件によって生じたもので実体のないものだという意味。昔、少し仏教を囓ったけれど、論理が大変緻密に構築されていて、諸行無常とか刹那滅とかどこをとっても現代の科学と矛盾しない。例えば全てが流動し、一瞬たりとも同じではないというのは今日、細胞レベルで実証されている。2500年も前に科学を先取りし、その本質を掴んでいることにとても興味を覚えます。ただ、松男さんは仏教そのものにはあまり関心がないように思えます。
このキャベツから蝶が生まれる歌も仏教には関係が無くて、むしろ荘子の「胡蝶の舞」等を思い出した。次の歌は同じ老荘思想でも老子の方。(鹿取)
「もしもわれ老子であらばおもしろや菠薐草を抱えて帰る」(『歩く仏像』)
【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
参加者:S・I、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:鈴木 良明 司会と記録:鹿取 未放
264 蒼空を念じておればわが抱けるキャベツから蝶がつぎつぎに湧く
(レポート)
「蒼空」は青空であり、前の歌の「虚空」である。青空から様々な雲が生まれてくるように、「虚空」は何もない「無」ではなく、あらゆるものがそこから生まれてくる源泉だ。そのような「蒼空」を心にとめて思っていると、抱いているキャベツからも次々に蝶が湧いてくるようだ。(鈴木)
(当日意見)
★色即是空、空即是色って言葉がありましたよね。空というのはいろんな色彩を持つ、
いろんなものを含んでいる。そこから何かを発生してゆく。空からはあらゆるものが
生まれるという考え方がある。虚空というのは空と同じかは分からないけど。この歌
は文芸なので哲学とは違うけれど、こういう哲学を念頭に置くと解釈しやすいかな
と。(N・F)
★この歌は東洋的なんですか?聖書にもそういう考えがあるように思うのですが。(S・I)
★聖書には空(くう)という考えは無いです。(N・F)
★解釈の仕方ですけれど、もしこれが神話ですとこれは東洋の神話ではないですね。
(S・I)
★東洋と西洋というように分けていくとおかしくない?日本人の哲学者の中にも「空」
的な捉え方をしている人はいますよ。(鈴木)
★これはS・Iさんのようにサルトルを勉強してきた人には非常にわかりにくい歌。サル
トルの言う「存在と無」の「無」と「空」は全く違うのですよ。(N・F)
★まあ、渡辺さんも哲学科ですからサルトルもやっていますよ。『寒気氾濫』にもサル
トルを詠った歌が何首かありますし。それから、無から有が生まれるというのは東
洋思想でなくても科学だってそうです。ビッグバンから時間も空間も生まれた、ビッ
グバン以前は時間も空間もなかったって科学で説明されてます。しかし、渡辺さんの
この歌には「無」とはどこにも書いてないです。レポーターが前の歌の関連で「蒼
空」と虚空を繋げられたけれど、この歌は日常的な空(そら)の歌だと思います。蒼
空を念じているのだから、空は曇っているのかもしれないですね。でも今はない「蒼
空」という語を一旦出したからには蒼のイメージは読み手にインプットされます。蒼
い空と無数の蝶がわいて飛びだしていく映像的な美しさ、詩的な飛躍の楽しさを味わ
えばいいのではないかと思います。(鹿取)
★ただその背景に虚空があるということは大事だと思います。ギリシャ神話の混
沌のイメージです。だからいろんなものが生まれる。(鈴木)
★キャベツから蝶が生まれてくるのは楽しいですね。命の根源のようなものを蒼空に向
かってひたすら念じていたら、その力が働いたというのはよく分かる。いい歌だと思
う。 (慧子)
★私も慧子さんと同じ意見ですよ。ただ背景をいわないとこの歌の深さが出ないと思っ
て虚空など余計なことを書いて誤解されましたけど。(鈴木)
★表面的な歌でも必ず渡辺さんの歌には大きな背後がありますね。何か煙に巻いている
よな上の句があるからこの歌はいいのだと思います。(慧子)
★スクリーンの向こうにいつも何か隠れている。何かざらざらしていて、万葉の歌のよ
うにすーと心に入ってこない。哲学をやった人の歌だからですね。特殊な歌人です
ね。(N・F)
★元に戻るようですが、蒼空を念じていたら蝶がわいてきた、色が美しい。でもキャベ
ツから蝶を出すためには初句は雪解けなどでもよかった。わざわざ蒼空と言っている
のはやはり虚空から命がわき出るんだよと言っている。「念じておれば」がかなり強
くて、蒼空と虚空を繋げても問題ないと思います。(真帆)
★「念じておれば」が渡辺さん的ですよね。マグリットの海の上の虚空に大岩が浮い
ている絵なんかをふっと思い出しましたが。(鹿取)
★キャベツって形状的に脳の形に似てますよね。(真帆)
★「キャベツの中はどこへいきてもキャベツにて人生のようにくらくらとする」も以
前鑑賞しましたね。 (鹿取)
(後日意見)
「色即是空」の「空」は色彩ではなく、色や形のある物質的現象全てを指す。「色即是空」とはこの世の全ての物質的現象はさまざまな原因や条件によって生じたもので実体のないものだという意味。昔、少し仏教を囓ったけれど、論理が大変緻密に構築されていて、諸行無常とか刹那滅とかどこをとっても現代の科学と矛盾しない。例えば全てが流動し、一瞬たりとも同じではないというのは今日、細胞レベルで実証されている。2500年も前に科学を先取りし、その本質を掴んでいることにとても興味を覚えます。ただ、松男さんは仏教そのものにはあまり関心がないように思えます。
このキャベツから蝶が生まれる歌も仏教には関係が無くて、むしろ荘子の「胡蝶の舞」等を思い出した。次の歌は同じ老荘思想でも老子の方。(鹿取)
「もしもわれ老子であらばおもしろや菠薐草を抱えて帰る」(『歩く仏像』)
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