岐阜県旧加子母(かしも)村(現中津川市)を訪ねた。私たちがすすめている自立した持続可能な山間地域デザインの研究の一環として今年は学部4年生の岩原崇人君が長野県根羽村の将来シミュレーションをしてくれた。そこで、その成果を聞いてもらいながら、やはり林業を中心とする山間地域である加子母のみなさんと意見交換をするのが目的である。
中津川の方から車を走らせ、旧付知町との境の峠のトンネルをくぐると、あたりの風景が一変する。山に生えている木が黒々とした針葉樹になる。国道沿いには製材工場や木製品の販売所、産直住宅の展示場などが目につく。林業の村の空気がすぐに伝わってくる。中央の盆地状の平地の両側に、せりあがった山の斜面が配置されている。山の人工林率は高い。80%ほどであろうか。
まだ時間があったので、村の中をひとまわりすることにした。山に登っていくと植えられているのは主にヒノキである。よく間伐が行き届いて、林床にはササなどの下草が雪の間に青々と見えている。美しい人工林だ。遠くからもひときわ目を引く建物は小学校らしい。木造2階建てで優美に湾曲した構造になっている。子どもたちが大切に育てられていることがわかる。
盆地の向こう側に、山を少しあがった傾斜の緩やかな斜面に集落が遠望できる。宮本常一がよく語っている典型的な集落配置だ。盆地を渡ってそこに行ってみることにする。
その途中、小さな製材工場がいくつもある。後で聞いたところでは22軒あるという。これは今日では本当に珍しいことだ。私が通っている愛知県豊根村でも長野県根羽村でも、かつては同じ数ほどの製材所があったのだが、今は民間の製材所は絶滅し、役場や森林組合直営の小さな製材所がひとつあるだけなのだ。
土場にけっこう太い丸太が積み上げられている。サワラであろうか、年輪を数えると80年から100年ほどのものだった。このような大径木が普通にころがっているとすると、人工林の林齢構成にはあまり偏りがないようである。たいていの山間地では、40~50年前の拡大造林期に植えられた木が圧倒的に多く、これがいろいろな問題を引き起こしているところだ。加子母では大径木が出続けているところに製材工場が生き残っている秘密があるのかもしれない。
急坂を上ると急にひろびろとした傾斜地に出た。基盤整備が行われた棚田が広がっている。すでに鍬起しが終わっていて耕作放棄地はみられない。農家の建物はどれも大きく美しく、かつて養蚕が盛んだったことをしのばせる。美しい棚田の石垣はここを開拓した代々の人々の苦労を物語っている。一方、若い家族が住んでいると思われる小振りの家も目についた。新しい家も周囲の風景にとけ込む伝統的な木造住宅が多い。そして気がつくと、どの家にも煙突がついていて、夕暮れ時に青白い煙をあげていた。風呂を薪で焚いているのだ。水路には澄んだ水が豊富に流れている。家のすぐ横にはサトイモを洗う水車の心棒をセットするための台座がみられた。
今の普通の田舎ではなかなか感じられない人々の暮らしの活力と、土地に固有のエネルギーを感じた。
夕食後、「ふれあいのやかた かしも」のきもちのよい和室で意見交換会が行われた。村のみなさんは突然の私たちの訪問にもかかわらず快く集まってくださった。19歳から高齢の方まで、男女も半々くらいと多彩な顔ぶれである。みなさんは、加子母村が中津川市に合併した際にできた加子母地域審議会の林業分科会のメンバーである。この審議会は地域の問題を掘り起こしその解決策をさぐりつつ中津川市長に提言を行うための組織である。全国津津浦々、平成の合併によって町村役場が消滅した地域では同様な組織が作られているが、その多くはうまく機能していない。ところがここでは、このような多彩な住民が活発な議論を交わしているだけでなく、このメンバーを中心にいろいろな現場の取り組みをすすめている。
特に林業分科会は「都市と農村の相互理解を深める」ことを第一のテーマとして、実際に都市住民との交流事業を行っている。いただいた資料によれば、江戸時代からつながりのある下流の名古屋市との交流を主として年間60回におよぶイベントを行っている。また、林業体験や木匠塾とよばれる木造建築のワークショップなどで、年間のべ3000人の大学生が加子母を訪れているという。
私たちのまだまだ未熟な研究発表に対して、暖かくもきびしい意見をいろいろと頂いた。対話の内容はとても高度なものであった。「ESDが大事だ」という意見もいただいた。この山深い地でESDという言葉を注釈なしで使って対話することができるとは感激である。
ようは、ただならぬ人たちである。みなさん加子母を愛する強烈な思いをもっていることがわかる。地域づくりが成功しているところには必ず「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ(バカになれる人)」がいる、と言われるが、ここにはそのようなキャラの人がバランス良く(?)揃っているということともに、それだけでは足らないということを発見した。キレモノが要るのである。
「持続可能な地域」というコンセプトの中心にあるものは、リサイクルでも自然エネルギーでもない。外部の支援もとりつけながら、地域の問題を自分たちで解決していく住民の意思と能力である。加子母は江戸時代から林業を生業として持続可能な暮らしをしてきた。これからもこのまま暮らしていけばよい。この地の持続可能な地域づくりとは、単にそういうことである。
ただ、その加子母にも変化が訪れようとしている。地域を支えてきた中小の製材所の経営はやはり厳しくなっている。その中で、地域審議会の提言が実現した成果として、大規模な合板製造工場を誘致することになったという。これが実現すれば、村の中で突出した存在になるだろう。また、その工場で働く人は、周辺地域の大規模工場の例にならえば、主に外国人労働者ということもありうる。
外国産材が日本に入ってこなくなる状況の中で、日本の林業はかつてないチャンスを迎えていると言える。それは一方では、困難な選択を迫られているということでもある。今日の木材需要にはかつてのような手触り感はない。大量生産品、大規模工業製品としての建材である。その原料供給源として時流に乗るのか、それとも、山主から施主までの人と木のぬくもりを大事にするやり方をとるのか。あるいは両者が一つの地域の中でうまく両立できるのか。全国の山間地域が選択を迫られている。
夜遅くまで飲みながら語りあう楽しい時間を過ごして、夜中にダウン。朝になり、目の前の喫茶店でモーニングセットを食べ勘定を払おうと思ったら、コーヒーのできが悪かったのでお代はいらないという。また、帰りに宿泊代を払おうとしたら、話題提供をしてもらったからよいという。この地域の経済はオカネではなくて主に別のもののやりとりでなりたっているようだ。宮本常一の時代にタイムスリップしたようである。そしてそのことは、現在の世界では、時代の最先端にいるということなのだ。
石徹白マイクロ水力発電をお手伝いしている者です。
石徹白にもキレモノが本当にたくさんいます。
驚くほど・・・です。
土の上で自然とともに、歴史を携えて生きている
彼らからは学ぶことばかりで、私たちのほうが
「話にならない」存在なのではないかと
最近思っています。
>土の上で自然とともに、歴史を携えて生きている
彼らからは学ぶことばかりで、私たちのほうが
「話にならない」存在なのではないかと
この認識は基本中の基本です。私たちは勉強させてもらっているだけで、当面なにも貢献できることがありません。長いおつきあいの中で、なにか少しでも貢献できることが発見できれば幸い、という思いです。
レベルの高い林業を昔から続けてこられた集大成を見せてもらえました。
私も加子母の衆に勉強させてもらおうと思います。
さて、そろそろ串原の山で森林セラピーを具体的に始めます。近いうちに打ち合わせしたいですね。
いつの日か、自然とそういう感覚で自分も過ごせるようになれたら本当に幸せなんだろうな・・
>奥矢作炭焼き人さん
つい先日、加子母の人たちが見学させていただいた時の報告書を拝見させていただいたところです!山村のキレモノたちは、経験に研究を重ねているので、ほんとに「キレモノ」なんですよね。
私の“陰ながらパワー”で(強力ですよ!)応援させて頂きます。
“人と木のぬくもりを大事にするやり方”今後はこちらに付加価値がつく事は間違いないと思います。
国交省検討、地域活性化へ「交通1時間圏」、市町村超え連携(日経流通新聞MJ 2008年2月29日 4面)
「地方都市と周辺地域を含む圏域ごとに生活に必要な機能を確保し、人口の流出を食い止める」(福田首相)
人口減少や高齢化の加速で、医療・福祉、教育、交通など公共サービスも地域全体で支え合う機能分担の必要に迫られる今後に向けて国土交通省は市町村の枠組みを超えた新しい生活圏の検討に乗り出す。
行政機関などの連携・協力体制づくりを国が後押しし、生活インフラの整備・統合や観光資源の発掘・宣伝、企業誘致や雇用創出といった政策に共同で取り組んでもらう。
具体案として「交通1時間圏」を掲げ、全国を112の圏域に分けたそれぞれの、若者の人口流出入、失業率、保育所数などを日本地図に示し、試算結果を披露し、
商業など国内地域の成功事例も紹介。
上の記事とは別に、先日から“素朴な疑問”を抱いています。
村って人がいないといけないんでしょうか?
ただ純粋に“自然を守る”という観点だけからすると、人がいない方が良いのでは…ジャングルのように自然のままで放っておいてはいけないんでしょうか?少なくともその方が熊達は喜ぶと思うのですが…
若い人は都心や世界や宇宙にまで積極的に出かけていき、世間の荒波に揉まれた後、洗練された大人になってから村に戻ってきて貰った方が村への貢献度が増すような気がします。
小さい頃無人島で暮らしたいなどと、メルヘンチックな夢を持ったものですが、山好き、島好きの人がそこで一人で住むのも悪くないような気がするのですが…。
ご無沙汰しております。加子母でもご活躍だったんですね。
私も最近よく加子母で仕事をさせていただいています。
先生が取り組まれいる加子母での意見交換の件お話を聞かせてください。
事業者からは外国人問題は今のところ無いと聞いています。
やはり林業を営んでいる家が静かにどっしり存在しているのに感動し好奇心のおもむくままにどんどん奥まで歩いた記憶があります。
その後加子母の小学生が自分達の学校の床にワックスを使うことに疑問を投げかけ、大人達も一緒に考えて、松の液を原料に代用品を作ったことが新聞記事になっていたと思います。(確か校舎も地元の木材で作った木造ではなかったかと)
何かひとつのことを守ることが子供達の教育にも反映され、本来のESDが実践されていると感じました。