「今回の合宿を通して、私は今まで感じたことがない不思議な気持ちを何度も経験しました。・・・
2日目は田植えをしました。田植えが終わった後、みんなで小川に入って手や足を洗いました。その小川が本当にきれいで、小さい頃にこういう小川で遊んでみたかったと思いました。今まで一度もこのような周りに山と田があって、その間を流れる小川に入ったことはないのに、昔に戻ったような不思議な気持ちになりました。また、その日私は初めてKトラックの後ろに乗りました。これだけのことなのに、すごくわくわくしてしまって、走っているときは風が気持ちよくて、周りの景色に感動してしまいました。」
先日、足助で行ったゼミの合宿に参加した学生のレポートの一節である。
私も似たような経験がある。もう10年ほども前のこと。カナダの北西準州、北極圏に近いグレートスレーブレイクという大きな湖の湖畔で地質調査を行った。一日の仕事を終えて、仲間とともに湖水の波打ち際の岩肌に腰をかけてゆったりと過ごしていた。周囲100kmには人間の日常はない。野生のまっただ中だ。夏の北極圏は日がなかなか沈まない。鏡のような水面に太陽がまぶしく反射する。
その瞬間、確かにこれはいつか経験した光景だと思った。不思議で、なつかしく、そしてなぜだかわからないが少し哀しい気持ちになった。もう一度周囲の風景を見渡して、あらためて感動が胸に迫った。
もちろんこんな場所に来るのははじめなので過去に経験した光景であるはずがない。なのにそのような気持ちになったのは今思い返しても不思議だ。
「前世」で経験したのかもしれない。それとも私たちのDNAに人類の共有すべき経験として書き込まれているのかもしれない。いずれにせよ、そこが私たちが本来いるべき場所であることを、心と身体が教えてくれたのものだろう。周囲の自然と私たち自身という自然が共鳴し、対話している。
こういう経験をたくさんしたいものである。そうすれば、私たちがどこにいて何をすればよいのか、言葉を重ねなくても自然にわかってくるものと思う。
「私たちが本来いるべき場所であることを、心と身体が教えてくれたのものだろう。周囲の自然と私たち自身という自然が共鳴し、対話している」同感です。
本来いるべき場所・・・
私はそれを探している真っ最中ですが、ずっと前から、足助には特別な何かがあるような気がしています。1000年ゼミ、今回も勉強になりました。ありがとうございました。
次回は、長崎五島列島(片道1千Kmとフェリー4時間)の田舎に帰省して帰宅する日なので、参加が難しいかも知れませんが、また行ける日は、参加しま~す♪
ある場面に遭遇したときに何とも言えない懐かしさを感じる風景がありますね。
考えるのではなく、直感や心身全身で感じる事が実は真実かも知れませんね。
周りの景色を見ていたり、家族と何気ない会話をしていると、突然、胸がきゅーっと詰まる思いがして、せつなくって仕方ない気持ちになることがよくありました。
今ではほとんどなくなってしまいましたが、その代わりに
森の中にいると、なぜかうれしくて仕方がない気持ちになったり、逆に寂しくてはちきれそうになったりもします。
このときの気持ちは感情では表せなくて、とにかく周りにある木々に触れずにいられない。
自然の中に放り込まれてしまうと、自分をそうやって確かめたくなってしまうのかもしれません。