だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

持続可能な循環型社会(3)

2006-12-02 20:49:38 | Weblog

 生態系からいただいた資源は廃棄物になったあと、うまくやれば生態系に戻せる。例えば食べ物は農地の生態系からいただいた資源だ。これを食べたあとの廃棄物である生ごみやしにょうはかつては貴重な肥料としてほぼ全量が農地に帰っていた。よく古典落語で江戸の長屋の大家と店子の話がでてくるが、店子がなんだかんだと口実をつけて家賃を払わなくても大家さんが困らなかったのは、長屋の便所のしにょうを農家がお金を出して買っていってくれたからである。戦後化学肥料が広く普及するまで、都市の周囲には農作物を供給ししにょうを回収する農村とのつながりがあった。
 そのつながりがなくなったあと、しにょう処理は自治体の責任として重くのしかかる。くみ取りの時代には船で沖合に投棄することが多かったようであるが、現在は単独・合併浄化槽、しにょう処理場、下水処理場で有機物は分解されるものの、チッソやリンは排水に溶けたまま川や海に流れ込んで水質汚濁の原因となっている。また処理場に残る汚泥はしぼって乾燥させて焼却処分されており、農地に帰ることはない。生ごみはかつては家畜のえさになっていたが、今日ではほとんどが燃えるゴミとして焼却されている。

 現在の日本では大量のチッソ、リンが食物、飼料、化学肥料というカタチで海外から輸入されている。それが最後は日本の農地にもほとんど入れられることなく川や海に流れ出てくるので、どこでも富栄養化による水質汚濁でひどいありさまである。また生ゴミや下水汚泥は焼却されており、焼却施設や灰を埋める最終処分場が地域の環境に大きな負担をかけることになっている。
 このような問題を解決するということは、有機物や栄養物質を海外から入れず(つまり食糧自給率を上げ)、有機廃棄物は農地にもどし(下水に流したり焼却しない)チッソ、リンを地域の中で循環させるということである。これが持続可能な循環型社会のひとつのカタチだろう。生ごみ、しにょうは堆肥にしたり、メタン発酵させて液肥にしたりしてすべて農地に返すということだ。
 そんなことができるのか、いやできない、という議論がすぐにはじまる。でもそのような議論をどれだけやってもなにも変わらない。どうすればできるかを議論し、そちらの方向にむけて一歩を踏み出そう。ほんとうに小さな一歩かもしれないが、どちらに向いて踏み出すかが大切だ。

 ユニー・アピタは愛知県に本社があるショッピングセンターの全国チェーン店である。食品リサイクル法が施行されて、生ごみを大量に出す事業所は20%を削減するかリサイクルするかで減らすことが義務づけられた。スーパーでは野菜屑、魚のあら、賞味期限切れの食品、飲食店の残飯などが大量にでる。(株)ユニーの環境部長、百瀬さんは全国に展開するチェーン店全体の環境対策をたった3人の部員で取り仕切る。百瀬さんらは食品リサイクル法への対応を考える時にリサイクルの意味をよく考えた。法律上は単に他の事業者に堆肥化するなどとして生ごみを渡してしまえばリサイクルしたことになる。その先、その堆肥が利用されようと、使い道がなくて産業廃棄物になろうと、関係もないし責任も問われない。
 百瀬さんらはそれでは意味がないと考え、出した生ごみが形を変えてまた商品となってスーパーに帰ってくる仕組みを作ろうと決意した((株)ユニー環境報告書)。そこで愛知県農協経済連と連携してその仕組みを作り出した。スーパーからでる生ごみのうち、野菜屑(市場から仕入れてきた野菜でキャベツの外側の葉など不要な部分をバックヤードでとりのぞいたもの)と魚のあら(これもバックヤードでさばいたもの)のみを堆肥にする。刈谷市内にある廃棄物処理業者が「廃棄物処理業」ではなく「資源創出業」をめざすという意気込みで堆肥化に取り組んだ。そうしてできた堆肥はJA海部組合員の農家に供給され、農家はそれを使って減化学肥料、減農薬の野菜づくりを行う。できた野菜は全量をユニーが買い取りスーパーで販売するという仕組みだ。

 その野菜が並んでいるアピタ稲沢店に行ってみた。野菜売場の一番いい場所にそのコーナーがある。山とつまれた野菜はどれもみずみずしくおいしそうである。小さく生産者の写真が添えられている。また上の方をみると生ごみリサイクルのしくみが書いてある。百瀬さんによると、お客さんは環境にいいことをしているからと買っていくのではないという。おいしそうだから買ってみる。食べてみて本当においしいからまた買いに来る、ということでとても人気のコーナーになっているとのこと。野菜の仕入れは環境部の担当ではなく普通に仕入れの部署の担当で品質にみあった値段設定がされているという。お店にとっても人気商品ができてメリットがある。
 農家にとってもメリットがある。農家は生ごみから作られた堆肥には警戒心が強いので、野菜屑と魚のあらという原料がよくわかったものだけで堆肥を作った。またこの仕組みには腕に覚えのある農家に参加してもらったという。そういう農家は、自慢の作物も普通に出荷すると他の農家の産物といっしょにされてしまうので不満があったそうだ。それが今では顔写真入りでスーパーの一番いい場所に置いてもらえる。それでもこの堆肥を使ってよい品質の野菜ができるまで3年の試行錯誤があったという。
 愛知県経済連も熱心に取り組んだ。堆肥をつくる工程の指導、できた堆肥の分析、農地の土壌分析と施肥や管理の指導など。農協にとっても地元の野菜を地元で高く評価してもらえることは大きなメリットだ。
 このようにしてスーパー、堆肥製造業者、農協と農家という3者が志をあわせて連携して努力した結果として、それぞれにメリットがあり、消費者にとってもうれしい仕組みができあがった。まさにごみを資源にかえ、ビジネスとしてなりたつ宝にかえる取り組みである。

 ここまでくるにはさまざまな壁を突破しなければならなかったし、現在も挑戦中だ。そのもっとも大きな壁がなんと法律と役所の壁だという。食品リサイクル法は生ごみを資源として位置づけるものであるが、それ以前からある廃棄物清掃法では生ごみは一般廃棄物であり、そうすると市町村の境を超えてはいけないことになっている。いくつかのお店から堆肥製造施設に生ごみを運ぼうとすれば当然市町村の境界を越えざるを得ない。市町村の環境部署はこれを認めようとしないという。他の町のごみをなぜうちに持ち込むのか、ということだ。ごみではなく資源だと説明してもなかなか受け入れてもらえないという。ここは環境省が指導力を発揮すべきところではないかと思うが、当の環境省は「市町村の許可をとるのが先」と門前払い状態だという。食品リサイクル法は農水省の管轄。廃棄物清掃法は環境省の管轄、というわけだ。

 百瀬さんと話をしているとそのチャレンジ精神とねばり強さ、それでいてしなやかさを忘れない姿勢に、いつも元気をもらえる。新しい時代は、どこに向かっていくのか原則的な認識をもって、志をかかげる個人たちの連携によって拓かれる。そうでない人たちや組織はせめてそのじゃまをしないでいてほしいものだと思うが、そうはいかないのが時代の変わり目に生きる者の宿命だ。百瀬さんらのチャレンジはまだまだ続く。
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