あやし小児科医院 第2ホームページ

あやし小児科医院第1ホームページに載せきれなかった情報、横道にそれた話題をランダムに掲載します。

 「故郷」 大木実

2016-03-14 14:52:06 | 地震



桑畑の向こうにとなりの家がある

日の暮れ 煙があがり燈火が点く

縁の雨戸を繰りながら

「おうい」と大きな声で呼ぶ

しばらくして「おうい」と返事がある


「あしたまた遊ぼうや」

「遊ぼうや」

その家に 宗ちゃんという少年がいた── 




山は暮れ

鳥屋の鶏たちもねてしまった

そしてせせらぎの聞こえるあたり

今夜も星が美しい


「三月を愛さない」 照井翠

2016-03-11 14:46:00 | 地震

「三月を愛さない」

 ここ被災地では、私達は三月を愛さないし、

三月もまた私達を愛さない。

 

三月は凄惨な記憶を蘇らせ、私達の心をずたずたに引き裂く。

二月の後が、すぐに四月であったならと思う。


            照井翠 「釜石の風」より

 


照井翠(てるいみどり)

大震災を題材に俳句を詠む。1962年生れ。岩手県生れ。岩手県遠野市在住。高等学校教諭。俳歴17年。
平成2年「寒雷」入会。以後加藤楸邨に師事。同年「草笛」入会。
5年「草笛」同人。8年「草笛」新人賞、「寒雷」暖響会会員(同人)。
10年第一句集「針の峰」上梓。
13年「草笛賞」優秀賞受賞、第二句集「水恋宮」上梓。
現代俳句協会会員。

 


照井 翠 『龍 宮』 自選五十句


  喪へばうしなふほどに降る雪よ


  津波より生きて還るや黒き尿


  泥の底繭のごとくに嬰と母


  双子なら同じ死顔桃の花


  春の星こんなに人が死んだのか


  なぜ生きるこれだけ神に叱られて


  毛布被り孤島となりて泣きにけり


  津波引き女雛ばかりとなりにけり


  朧夜の泥の封ぜし黒ピアノ


  つばくらめ日に日に死臭濃くなりぬ


  石楠花の蕾びつしり枯れにけり


  気の狂れし人笑ひゐる春の橋


  もう何処に立ちても見ゆる春の海


  しら梅の泥を破りて咲きにけり


  牡丹の死の始まりの蕾かな


  春昼の冷蔵庫より黒き汁


  三・一一神はゐないかとても小さい


  唇を嚙み切りて咲く椿かな


  漂着の函を開けば春の星


  ありしことみな陽炎のうへのこと


  花の屑母の指紋を探しをり


  卒業す泉下にはいと返事して


  骨壺を押せば骨哭く花の夜


  屋根のみとなりたる家や菖蒲葺く


  ほととぎす最後は空があるお前


  蜉蝣の陽に透くままに交はりぬ


  初螢やうやく逢ひに来てくれた


  蟇千年待つよずつと待つよ


  同じ日を刻める塔婆墓参


  流灯にいま生きてゐる息入るる


  大花火蘇りては果てにけり


  人類の代受苦の枯向日葵


  片脚の蟻くるくると回りをり


  すすきに穂やうやく出でし涙かな


  鰯雲声にならざるこゑのあり


  柿ばかり灯れる村となりにけり


  死にもせぬ芒の海に入りにけり


  半身の沈みしままや十三夜


  廃屋の影そのままに移る月


  迷ひなく来る綿虫は君なのか


  雪が降るここが何処かも分からずに


  太々と無住の村の青氷柱


  釜石は骨ばかりなり凧


  寒昴たれも誰かのただひとり

  春の海髪一本も見つからぬ

   浜いまもふたつの時間つばくらめ


  亡き娘らの真夜来て遊ぶ雛まつり


  なぜみちのくなぜ三・一一なぜに君


  ふるさとを取り戻しゆく桜かな


  虹の骨泥の中より拾ひけり


「春を恨んだりはしない」 池澤夏樹

2016-03-07 21:28:20 | 地震

あの日、私たちは天に叫び、地に泣いた。

 

5年経った今日、東京ではあの震災はほぼ「終わったこと」になりつつあるらしい。

仙台にいる自分でさえ、あの日を思い出さない日もある。

時間がたつほど、被災地から離れるほど、記憶が薄れるのは仕方がないことだとは思う。

しかし・・・ 

 

震災の報道で日本のメディアは一切遺体を映さなかった。

津波のライブ中継では、波にのまれる人と車が映ったらしいが、後の映像ではそれは跡形もなくなっていた。

大量に出版された震災本には、瓦礫はあっても人は映っていない。

それは死者に対する礼儀だったとしても、極めて不自然だった。

 

テレビ局、出版社には遺体を修正する専門の係りがあるという。

それは本当のことを伝えていると言えるのか。

 

盗人は家財のすべてを持っては行かない。

火事だって燃えたもの、燃え残ったものはそこにある。

津波の酷さは、建物も人も想い出も、そこにあるもののすべてを押し流したことだ。

 

泥の中にアルバムがあり、ランドセルがあり、人間が手だけを出していた。

ガスボンベが音を立てて噴出し、車の中、家の中ではたいてい人が亡くなっていた。

木の上にくの字型の遺体があった。

 

消防、警察、自衛隊、医療者、検視医、役場関係者、遺族、葬祭業者、解体業者は無数の遺体を見た。

そこは異界であり、テレビ、写真が報じたものとは別の世界だった。

 

被災地では何よりも先に遺体が収容された。

ときには生存者の救出より優先された。

それは死に対する畏れであり、生き残ったことの後ろめたさである。

 

波に巻き込まれた人、家族を失った人、遺体を見た人、見なかった人。

だからそういう人たちの間には見えない壁が出来ただろうと考えていた。 

 

その直後の春、桜は慟哭の中、いつものように咲いたが、いつものようには美しいと思えなかった。

あと何回見られるかと大事に数えてきた花が、薄いベールをかぶっているように感じた。

 

しかし翌年、桜はやはり美しいと思えた。

心が以前と同じように戻って来たのだろう。

それに比例して震災を思い出すことが少なくなった。

まだ苦しんでいる人がいるのに。

 

自分も忘れ始めているのに、もっと忘れている人は許せない。

震災以来、整理できないでいた思いだ。

 

 

 

自分が戸惑ったと同じ感情を、池澤夏樹の「春を恨んだりはしない」の中に見つけた。

この作家は静かな言葉で条理を尽くす。  

 

春を恨んだりはしない -震災をめぐって考えたこと-  池澤夏樹

2011年9月11日 中央公論社

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本のメディアは死体を映さなかった。本当に人が死んでゆく場面は巧みに外されていた。カメラはさりげなく目を背けた。

しかし、遺体はそこにあったのだ。

女川に「仮土葬場」という案内と標識があった。

雨に濡れた地面の下に亡くなった人たちがいる。冷たい地面の中で、その地面と同じ温度になってしまっている。もう生き返ることはない。

あの頃はよく泣いた。あの時に感じたことが本物である。薄れさせてはいけないと繰り返し記憶に刷り込む。

津波の映像を何度となく見直し、最初に見たときの衝撃を辿り直す。

しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。

遺体の捜索に当たった消防隊員、自衛隊員、警察官、医療関係者、肉親を求めて遺体安置所を巡った家族。たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。

彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにならないか。

死は祓えない。祓おうとすべきでない。

さらに我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。

撒き散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがては誰かの身体に癌を引き起こす。

ういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり、孫である。この社会は市の因子を散布された。

放射性物質はどこかに落ちてじっと待っている。我々はヒロシマ・ナガサキを生き延びた人たちと同じ資格を得た。

今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。

 

震災以来ずっと頭の中で響いている詩がある。

ヴィスワヴァ・シンボルスカの「眺めとの別れ」。

その最初のところはこんな風だ・・・

 


またやって来たからといって

春を恨んだりはしない

例年のように自分の義務を果たしているからといって

春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても

そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

 

これはシンボルスカが夫を亡くした後で書かれた作品だという。

この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。

我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった。桜を見る視線がどこかうつろだった。

古歌の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」を思い出したのは当然の連想だったろう。桜の華やかさは弔意にそぐわない。

 

春を恨んでもいいのだろう。自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話しかけることができる相手として遇する。

それが人間のやり方であり、それによって無情な自然と対峙できるのだ。

来年の春、我々はまた桜に話しかけるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。

今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。

 


日本の国土は世界でも珍しい四枚のプレートの境界の真上にあり、世界の地震の2割は日本で起こる。

こういう国土で暮らす我々は、自然と対立するよりも「受け流して再び築く」という姿勢を身に着けてきた。


わたしたちは攻撃しない。

わたしたちは執着しない。


意識しないで生きてきたけれど、この姿勢は日本で暮らす必然の知恵、本能に近いものだったのかもしれない。

 


 

池澤さんの文章は静かだ。

私が訪れた被災地も静かすぎて、静寂の音が聞こえるようだった。

3月11日の死。

そして、それから累々と続く死と悲しみ。

これらをすべて忘れないこと。

 

今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。

死をまっすぐに見つめる。

眠りではなく二度と蘇ることのない死を受け入れる。

 

忘れてはいけない。

悲しみの始まりの場所のことを。


福島県内の子供36%にしこり 福島以外でも甲状腺検査へ

2012-08-29 19:02:25 | 地震

 
産経ニュース 2012.8.27 11:24


政府は8月27日までに、福島県以外の全国3カ所で、18歳以下の4500人を対象に甲状腺超音波検査の実施を決めた。

東京電力福島第1原発事故を受け、福島県内の18歳以下の子供を対象に行っている検査では約36%の子供の甲状腺にしこりなどが見つかり、これらが事故による影響かどうかを見極めるためデータを集める。

内閣府原子力被災者生活支援チーム医療班は「良性のしこりは健康な人にもよく見られるものだが、疫学的な調査がこれまでにない。

福島県からできるだけ遠く、放射線の影響がない場所で調べる」と話している。

同チームによると、福島県内で行っている検査と同様の方法で、来年3月まで実施。日本甲状腺学会などの専門医が担当し、疫学の専門家も加えて結果を検討する。

・・・・・…・…・・…・…・・…・…・・…・…・・…・…・・…・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本甲状腺学会雑誌 (vo.3 No.1 p.24-29.)によると、

福島県における県民健康調査の中の詳細調査として、18歳以下の全県民を対象にした甲状腺検査が行われており、以上はその結果です。

 

平成24年3月末までの検査実施総数は38,114人で、

1.結節や嚢胞を認めなかったもの(A1判定)が64.2%、

2.5.0mm以下の結節や20.0mm以下の嚢胞(A2判定)35.3%、

3.5.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞(B判定)0.5%、

4.甲状腺の状態等から判断して、直ちに二次検査を要するもの(C判定)0%

 

と公表されています。

したがって、大きさに関係なく結節や嚢胞を認めた人の割合(2+3+4)は36%となり、上のような発表になったと思います。

超音波検査の機器の精度がよくなり、小さな嚢胞は通常の小児でもよく認められるようになりました。

しかしこれまで小児に対する疫学的なデータはないので、心配したものか、しなくていいものか、混乱を招く事態になっています。


仙台の海岸にARIGATO、読んだ米軍感激

2011-04-16 22:59:08 | 地震

 

▲仙台の海岸に書かれた「ARIGATO 」 


仙台空港の復旧を支援した米空軍第353特殊部隊のロバート・トス司令が15日、沖縄県嘉手納基地とワシントンを結んだ電話記者会見で、被災者が海岸に「ARIGATO」の文字を作って米軍に感謝を表してくれたと明らかにした。

トス司令が上空から見た文字は、長さ6~9メートルのマツの木を並べて作ったものだったという。トス司令は支援を振り返って、「驚いたのは自分たちも被災しながら日夜、復旧に努める日本人の姿だった。ありがとうは日本の人々に送りたい」と話した。


 

 

 


仙台で桜開花

2011-04-12 19:26:32 | 地震

仙台管区気象台は12日、仙台市宮城野区で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。

平年より1日早く、満開になるのは17~19日頃とみられる。

このひと月が夢であったら、と何度も思う。


石巻・大川小の悲劇、被災時の詳細明らかに

2011-04-09 20:43:46 | 地震

【読売新聞】4月9日(土)

 
 東日本大震災で全校児童108人のうち7割が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小で、被災時の状況が目撃者の証言などから明らかになった。

 児童は集団で高台へ避難する途中、すぐそばを流れる北上川からあふれた津波にのみ込まれた。当時の様子が知りたいという保護者の要望に応えて学校側は9日夜、説明の場を設ける。

          ◇河口から4キロ◇

 大川小は東北最大の大河、北上川右岸の釜谷地区にあり、太平洋に北上川が注ぐ追波湾の河口から4キロ上流に位置する。同県教委によると大川小の児童は56人が死亡、18人が行方不明。また教諭については当時、校内にいた11人のうち9人が死亡、1人が行方不明になった。校長は震災当時、外出して不在だった。

 保護者や住民らの証言では、児童は11日午後2時46分の地震直後、教諭らの誘導で校舎から校庭へ移動した。ヘルメット姿や上履きのままの子もいた。保護者の迎えの車が5、6台来ており、「早く帰りたい」と、泣きながら母親にしがみつく子もいた。

 同49分、大津波警報が出た。教諭らは校庭で対応を検討。校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。学校南側の裏山は急斜面で足場が悪い。そうした状況から、約200メートル西側にある新北上大橋のたもとを目指すことになった。そこは周囲の堤防より小高くなっていた。市の防災マニュアルは、津波対策を「高台に上る」とだけ記しており、具体的な避難場所の選択は各校に委ねられていた。

          ◇想定外◇ 

 午後3時10分過ぎ、現場に居合わせた男性(70)は、児童らが列を作って校庭から歩き出すのを目撃した。「教諭に先導され、おびえた様子で目の前を通り過ぎた」

 その直後だった。「ゴーッ」とすさまじい音がした。男性は児童らとは逆方向に走り出した。堤防を乗り越えて北上川からあふれ出した巨大な波が、学校を含む地区全体に襲いかかった。住民や男性の証言を総合すると、津波は児童の列を前方からのみ込んでいったという。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて男性と同様に裏山を駆け上がるなどし、一部は助かった。

 宮城県沖で二つの断層が連動した地震が発生した場合を想定した津波浸水予測によると、河口付近の高さ5~10メートルに対し、小学校周辺は1メートル未満。だが、今回の津波は2階建ての同校校舎の屋根まで乗り越え、裏山のふもとから約10メートルも駆け上がった。また児童らが避難しようとした新北上大橋のたもとでも、電柱や街灯がなぎ倒されるなど津波の被害を受けた。

 「ここまで来るとは誰も思わなかった」。同地区の住民は口をそろえる。同市河北総合支所によると、防災無線の避難呼びかけは一度きり。同支所によると、釜谷地区全体での死者・行方不明者は住民の約4割の189人。津波を見ようと堤防に行ってさらわれたり、自宅にとどまり犠牲になった人も多かったという。

          ◇保護者の思い◇

 県教委によると地震と津波で死亡した同県の小学生は127人で、4割以上が大川小の児童だ。8日には行方不明児童の1人とみられる遺体が見つかった。学校の周辺は今も我が子の手がかりを追い求める親の姿が絶えない。「当時の状況を知りたい」という保護者らの思いは切実だ。

 3年生の孫を亡くした男性(61)は遺体発見まで3週間を要した。「せめて何年生が、どの方角に逃げたのかだけでも知りたい。捜索にもある程度の目星が必要。みんな早く見つけてやりたい一心なんです」と語る。

 関係者から避難状況を聞き取った同市教委は「想像を絶する大津波だった。学校の判断は致し方なかったと思う」とする。市教委によると、校長が9日夜、生還した教諭から状況を聞き取った結果を保護者に伝えるという。


大きな余震

2011-04-08 20:28:32 | 地震

4月7日、午後11時32分、夜更けの仙台をまた地震が襲った。

震度6強、M7.4。

わが家では一瞬電気が消え、また「振り出しに戻る」か? と思ったが、すぐに灯りが点いた。

幸い水道、ガスも止まらなかった。

それでも部屋の中は再び物が散乱。

 

眠い目をこすりながら積み上げる。また崩れるのに、不条理なことだ、と思いながら。

人々はまた海辺に家を造るだろう。何十年か、何百年か先、必ずまた流されると知りつつ。

神々がシジフォスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、
ある山の頂まで運びあげるというものだったが、
ひとたび山頂にまで達すると、
岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてしまうのであった。
無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、
確かにいくらかはもっともなことであった。
  
             アルベール・カミュ 『シジフォスの神話』
 

 

翌朝近所の様子を見に行く。

近所の取り壊し中のアパート。

ここは本震で壁が崩れ落ちて解体が決まったのだった。

丸裸になった屋根が今にも崩れそうに歪んでいる。今日中に壊してほしい。

重機自体が瓦礫の上で、危うくバランスをとっている状態だ。

 

栗生、落合あたりは朝になっても停電中。信号機が止まっているので危険。

(運転しながら写真をとってはいけません。)

 

愛子は信号が点いている。今回の停電地区はまだら模様になっている。

 

 

せっかく復旧した仙山線も今日運休。通勤客もなく、駅前は閑散。

修復中だった仙台駅も再び損壊した。2階の水道が破損して水漏れ中。

この余震では宮城野区の被害がひどく、4号線周辺、岩切あたりでは家屋が倒壊したりしているそうだ。

 

この地区の停電は午後から夕方にかけて復旧した。

午前中、ガソリンスタンド、スーパーには再び列ができたそうだ。


 

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仙山線 運転再開

2011-04-04 19:33:09 | 地震

JR仙山線が4日、仙台―愛子間(15.2キロ)で運転を再開した。

久しぶりに見る仙山線の雄姿。東北福祉大前駅で。

 

昨日まで自転車かバスで通勤していた人たち。

 

学校が春休みなので車内は空いている。

普段は東北福祉大、東北文化学園大、広瀬高校などの学生が乗るので満員なのだが。

 

 久しぶりに乗客を迎え入れた愛子駅。

窓口には、運転休止期間中の定期券の払い戻しを受ける人の列ができた。

 

こういうお知らせが出ていました。


少年ジャンプ第15号(3月14日発売) 無料配信! 少年チャンピオンも

2011-04-03 19:14:35 | 地震

ここをクリックして、専用のソフトをDLして下さい↓

 http://event.yahoo.co.jp/shonenjump/special/

 

 

両さんもこの通り、

 

読めました!

  

また「週刊少年チャンピオン」も、15号(3月10日発売)~20号(4月14日発売)に掲載された漫画作品を期間限定で無料配信することになりました。

配信開始は4月12日から。http://wchamp.jp/

 

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「ままへ いきてるといいね おげんきですか」

2011-04-02 22:56:53 | 地震

▲「ままへ いきてるといいね おげんきですか」

岩手県宮古市の昆愛海ちゃん(4)が「ママに手紙を書く」と言い出した。
親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。
1文字1文字、1時間近くかけて書いた。
「ままへ。いきてるといいね。おげんきですか」
そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。
両親と妹は11日の東日本巨大地震による津波にさらわれ、今も見つかっていない。

(読売新聞から引用しました。)


4月4日、仙山線 仙台~愛子間復旧

2011-04-01 21:47:25 | 地震

落合~愛子間に長らく停まっていた電車が昨日ようやく移動されていました。

これは3月11日、14:46 愛子発仙台行きの電車です。乗客は全員ここで降りました。

トンネルの中とか、鉄橋の上とかで止まらなかったのは不幸中の幸い。

 

いよいよ4日から仙山線(仙台~愛子間)復旧です。

当座のダイヤはここで見られます↓

http://www.jr-tabi.com/eqpdf/sy2-time.pdf

初日からきちんと動くかは分かりませんが、私の自転車通勤も終わりそうです。

 


福島原発からの距離

2011-03-24 17:14:16 | 地震

↑米軍発表の資料です。無人偵察機が毎日東北上空を飛んで、放射線量を測定してるということです。

被曝を恐れて、仙台から山形に避難する人があると聞きましたが、福島第一原発からの距離は、仙台、山形、米沢、会津若松は60~70mileで、大差ありません。

50mile以上離れている場所では慌てず騒がず、対処しましょう。

以下のサイトも参考に。

全国の水道の放射能濃度一覧http://atmc.jp/water/
 
全国の雨の放射能濃度一覧http://atmc.jp/ame/


「ただちに健康の被害」とは

2011-03-23 17:50:28 | 地震

東北大の川島隆太先生より届いた現在の放射線被ばくに関するコメントを公開します。

今朝の毎日新聞に書かれた「ただちに健康の被害」に対するコメントです。 
 
川島隆太先生から出来るだけ皆様に情報を送るように依頼されました。
現在、都道府県のでは、放射線被爆量が政府から公開されています
http://www.mext.go.jp/
 
妊婦でも全く問題ない範囲のようです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様
(最近メールで交信のあった方にbccで送っています)
今朝の毎日新聞の記事はひどいものでした。
福島市民に大きな不安を与えてしまったでしょう。
以下、毎日新聞社とのやりとりです。
個人の情報は一応消しておきます。
ご参照ください。またこの情報を皆様のネットワークで
たくさんの知人の方にお伝えください。新聞社も学者も
無責任すぎます。社会情勢が不安定になったほうが、
記事が面白くなるとでも考えているのでしょうか。
怒りがとまりません。
東北を救うため、是非、お力をお貸しください。
川島

-----
川島さん
 毎日新聞社の一員として、お詫びします。
 非常に恥ずかしく思っています。
 川島さんのご指摘はもちろん、ほかにも下記の問題があります。
(1)1770マイクロSVは屋外での積算線量であって、実際には多くの人は20
0マイクロSV程度の被ばくであること
(2)福島県内の放射線量は、ほぼ放射性ヨウ素の減少曲線と同じように減少してい
る(たぶん、多くが放射性ヨウ素131です)から、今後の積算線量はそれほど増え
ないであろうことを無視している
(3)イランやブラジルで自然放射線が1万マイクロSVの地域があると書きなが
ら、そこの発がん率は他地域と違いがないということを書いていない
 などなどです。
 この間、冷静な記事を書こうと社内で訴えてきて、少し改善されたかと思っていま
したが、
 甘かったと反省しています。

 なお、編集局長に以下の点を知らせておきました。ご参考までに。 
 
  【福島の放射線量についての評価】

 福島市の放射線量(飯館などほかの地域でも基本的に同じです)は、16日に最高値
を記録した後、
 一貫して減少しています。その減少曲線は、放射性ヨウ素(ヨウ素131、半減期
8日)の減少曲線とほぼ同じで、1週間で半減しています。
 これの意味することは、以下の2点です。

(1)各地に飛来した放射性物質の多くは放射性ヨウ素であること
 (もしも、半減期2年のセシウム134や半減期30年のセシウム137が主体な
ら、減少曲線はなだらかになります)
(2)最後の爆発・火災(15日)以降、新たな放射性物質の飛来は少ないこと
 (もしも、かなり飛来しているなら、減少曲線はなだらかになります)

 ここから言えることは、以下の点です。
(1)今後、爆発・火災がなければ、放射線量は8日後には、今の福島市=6マイク
ロシーベルトから3マイクロシーベルト程度になります。
   被ばく量はかなり減っていきます。
(2)現在は原乳や野菜から暫定規制値を超える数値を示していますが、これは主に
15日までの爆発・火災により飛来した放射性物質に起因しています。
  今後、爆発・火災がなければ、比較的早期に規制値以下のレベルになります
●●●

At Wed, 23 Mar 2011 08:04:09 +0900
Ryuta Kawashima MD <川島> wrote:


 
●●●さん本日の毎日新聞に書かれていた「ただちに健康の被害」に関する琉球大名誉教授のコメントはひどいものでした。何故、きちんとした放射線生物学の若手研究者に取材をしないのですか?平時ならともかく、社会不安をあおり風評被害を広げる役割を新聞が担うというのはどういった了見でしょうか?御社の態度に大きな疑問が生じました。健康の被害があると主張したいのであれば、どのような被害がどのような確率で現れるのかを根拠を持って示すべきです。タバコによる健康被害のようにきちんとした疫学調査に基づくものではなく、明確な根拠がないことを何故きちんと伝えないのですか?非常にがっかりしました。川島