田端神社
鎮座地 荻窪1-56
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
豊受比売神(とようけひめのかみ)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
旧格式 村社
別当寺 天祥寺→中道寺
例大祭 9月13日
解説
田端村の鎮守。
かつては、北野天神社・田端天神社などとも言われた。
応永年間(1394~1427)足利持氏と上杉禅秀との合戦(上杉禅秀の乱)の頃、
品川左京の家臣、良影が当地に土着し、田の端に京都北野天満宮のご分霊を祀った。
以来村名も田端村になったという。
明治42年(1909)
関口の天祖神社・日性寺の稲荷社・高野谷戸の子ノ権現社・大ヶ谷戸の山神社を合祀して、
祭神が現在のようになり、翌年社名を田端神社と改めた。
摂社のうち子ノ権現社は、足痛に霊験あらたかと言われる。
良影の子、良枝の創建になる神社で、
出雲大社の霊夢によって槌で足を撫でたところたちどころに直ったという。
鎮座地 荻窪1-56
祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
豊受比売神(とようけひめのかみ)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
旧格式 村社
別当寺 天祥寺→中道寺
例大祭 9月13日
解説
田端村の鎮守。
かつては、北野天神社・田端天神社などとも言われた。
応永年間(1394~1427)足利持氏と上杉禅秀との合戦(上杉禅秀の乱)の頃、
品川左京の家臣、良影が当地に土着し、田の端に京都北野天満宮のご分霊を祀った。
以来村名も田端村になったという。
明治42年(1909)
関口の天祖神社・日性寺の稲荷社・高野谷戸の子ノ権現社・大ヶ谷戸の山神社を合祀して、
祭神が現在のようになり、翌年社名を田端神社と改めた。
摂社のうち子ノ権現社は、足痛に霊験あらたかと言われる。
良影の子、良枝の創建になる神社で、
出雲大社の霊夢によって槌で足を撫でたところたちどころに直ったという。