一石山神社
鎮座地 日原1513
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
稜威尾走命 (いずのおばしりのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大宝寺
例大祭 8月24日
解説
かつて一石山御窟といわれた日原鍾乳洞をご神体とする神社。
伝説によると、文武天皇4年(700)役行者によって創建。
大同4年(809)に弘法大師が、天安元年(857)には慈覚大師が再建している。
天正18年(1590)兵火により社殿を焼失、
慶長17年(1612)出羽羽黒山より48本の梵天と3個の獅子頭を渡して再建された。
江戸時代には一石山権現といわれ、
江戸の東叡山寛永寺の支配下に置かれ、
別当寺として大宝寺が管理していた。
また神職として原島右京・淡路の両家が奉仕していた。
例大祭では獅子舞が奉納される。
昭和60年(1985)倉沢山神社を合祀した。
鎮座地 日原1513
祭神 天照皇大神 (あまてらすおおみかみ)
稜威尾走命 (いずのおばしりのみこと)
旧格式 村社
別当寺 大宝寺
例大祭 8月24日
解説
かつて一石山御窟といわれた日原鍾乳洞をご神体とする神社。
伝説によると、文武天皇4年(700)役行者によって創建。
大同4年(809)に弘法大師が、天安元年(857)には慈覚大師が再建している。
天正18年(1590)兵火により社殿を焼失、
慶長17年(1612)出羽羽黒山より48本の梵天と3個の獅子頭を渡して再建された。
江戸時代には一石山権現といわれ、
江戸の東叡山寛永寺の支配下に置かれ、
別当寺として大宝寺が管理していた。
また神職として原島右京・淡路の両家が奉仕していた。
例大祭では獅子舞が奉納される。
昭和60年(1985)倉沢山神社を合祀した。