半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

シネマイクスピアリで 『鑑定士と顔のない依頼人』 を見ました。

2014-10-06 14:08:47 | 映画
カミさんと二人でシネマイクスピアリに行きました。




今回のお目当てはこちら、 『ニューシネマパラダイス』 のジュゼッペ・トルナトーレ監督の最新作、 『鑑定士と顔のない依頼人』 です。



以前に上映されていたときにはチャンスを逸してしまっていたのですが、今回、シネマイクスピアリで短期間の再上映となったので、時間を作って見に行くことにしたのです。


主演は 『シャイン』 でアカデミー賞を獲得したジェフリー・ラッシュ。日本ではパイレーツ・オブ・カリビアン・シリーズの敵役、バルボッサ船長といった方が分かりやすいかな?。



ジェフリー・ラッシュ演じるヴァージル・オールドマンは、美術品の天才的な鑑定家であると同時に、自らの主宰するオークション・ハウスでオークショニアとしても腕を振っているという人物。しかしその裏では、長年の友人である画家と結託し、本物の名画 (それも女性の肖像画ばかり) を不当に低い価格で入手し、自宅に設けた秘密の隠し部屋の中で一人で楽しんでいるという人物でもあったのです。

ある日、そんな彼のもとに一人の若い女性から、両親の残したヴィラの美術品やアンティークを処分したいとので、鑑定&オークションへの出品をして欲しいという依頼が入ります。しかし、その依頼人は次々に色々な理由を付けて、決して彼の前に姿を現そうとはしません。やがて彼はその顔を見せない依頼人に興味を持つようになり……といったお話。


この映画、Web上のレビューを見たら やはり悪女に翻弄されて、すべてを失う哀れな男の話だと思われている方が多い様ですね。でも私はそうは思っていません。むしろハッピー・エンドだと思っています。 「話の途中でオチが分かってしまう」 と書かれている方は、二重に仕組まれたオチに気付いていないのかな?。最初のオチはよほど鈍感な方でもない限り、途中で気付くように意図的に作られているとしか思えません。というわけで、以下ネタバレなので、まだこの映画を御覧になってないという皆さんは、ここから先は見ないで下さいね。










さて、ここからが本題。私が何故、この映画がハッピー・エンドだと思ったのか?その理由を解説します。

①作品の途中、クレアは「今書いている小説のラストをハッピー・エンドに書き直そうかと思っている」という趣旨の発言をしています。もちろんクレアは本物の小説家ではありませんから、今書いている作品というのは何でしょう?。さらにそれをハッピーエンドに書き直すということは?。

②単純に哀れな男の末路を見せたい映画であれば、彼が隠し部屋で盗難に気付き、オートマタから声が聞こえてきた段階でこの作品は完成。そこでエンドロールとなるはず。しかし、そうはなりませんでした。つまり監督の意図はそこにはありません。

③一度は廃人の様になってしまったヴァージルが、再び苦しいリハビリに耐えて社会復帰することになった契機は何だっでしょうか?。それは秘書が持ってきた手紙の束だったはず。そうでなければ、手紙を渡すシーンはもちろん、わざわざ秘書が訪ねてくるシーンを加えるのは不自然でしょう。

つまり秘書が持ってきた手紙の中に何かを見付けたからこそ、彼は再び生きることに希望を見出し、プラハへと向ったと考える方が自然です。

この作品の冒頭では、彼は高級レストランでも自分専用の食器でしか食事ができず、食事中も手袋を外せないような男として描かれています。しかし、ストーリーが進むにつれて徐々に変化が訪れ、最後のナイト&デイのシーンでは自ら手袋を外しています。その点だけを考慮しても、この事件を通じて彼が得た物は、彼が失った物より遥かに大きかったと思わざるを得ません。結局の所、世の中との接触を避け、自分だけの秘密の部屋に逃避していたのは、実はクレアではなくヴァージルの方だったというわけですからね。

それに彼は長年の経験から理解しているのです。贋作の中にも、必ず幾ばくかの真実が含まれているということを……

この作品では、結末は私達に委ねられたままで幕を閉じます。そして、私の選んだ結末がハッピー・エンドであったことはいうまでもありません。
コメント
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