今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 8 (小説)

2015-12-03 13:58:48 | 小説、残酷な歳月(1話~15話話)

残酷な歳月
(八)

だが、その瞬間に、ジュノ自身も父の後を追うように、あの暗い谷へ、一緒に落ちて行ったのだと、おぼろげな記憶が、まるで、スローモーションの映像のように現れて!
又、早回しする、恐ろしい映像、今、目の前に、いくつもの大きな手が揺れる!

又、何か、別の映画のワンシーンのように、二十七年間のジュノの人生の、一瞬、一瞬が、幻だったように、現われては、ジュノを、混乱させた。

喘ぎながら、いつの間にか、たどり着いていたジュノの前に現れた、紀美子平の傾斜のきつい、斜めに切り込まれた細い岩尾根は、まるでジュノの体を切る刻む刃物のように、恐ろしげな、鈍い光が射し、岩からしみ出した湿り気のある、滑りやすい岩道は、踏み出す一歩さえ、恐々とジュノの気力を奪い取った。

混乱するジュノを見透かすように、一瞬、心が散漫になった思いから足を滑らせて、体の半分が岩場から空中に飛び出して、冷たい風に舞っていた。

とっさの無意識の行動で、手に触れた岩角に全身の力を振り絞り、渾身の力でしがみつき、ジュノは運よく奈落の谷へ落ちずに助かった。

しばらく、しゃがみこんだまま動けないほど、ジュノの体のすべての
「エネルギーや気力が抜けて行ってしまったようだ!」

『大丈夫だよ!寛之には、えらいお坊さんが、ついているからね~』
何処からか、大杉さんの声が聞えた!
ジュノは、まわりを見渡しても、誰もいなかった。
「ふと、思い出した!」
あの事故にあう、すこし前に、大杉さんとふたりで、谷川岳の西黒尾根を歩いている時に、私は、楽しくて、はしゃぎすぎて、今回のように岩尾根のナイフリッチで足を滑らせて、四~五mほど岩場から滑落した、その時もちょっとしたテラスに必死で乗り移り、止ったことで私は助かり、谷底には落ちなくてすんだ。

ショックのあまり、息も出来ないほどの私を助けあげて、大杉さんは、優しく言った言葉! 『大丈夫なのだよ!』
『寛之には、偉いお坊さんがいつも、付いていて下さる!』
『ジュノをいつも、守って下さるからね!』

だから、今も、ちゃんと、助かっただろう、と言った、あの時を、ぼんやりとした、記憶で、思い出していた。

あの谷川岳から帰って、その日の出来事を、母に話した時・・・
あの母の一言は
『貴方には、偉大な聖人が、いつも、寛之を守って下さっているの』

だから、ママは心配はしないのよ!
『寛之は、大切なパパとママの子供だけれど!』
『神様から、お預かりしている子供でもあるの!』

二十七年前の出来事と今、目の前にある景色が、ジュノの中で、ごちゃ混ぜになっているように、しばらくは、自らを見失い、やっと、這うようにして、すこし動き、又、よろけるように、這うように、歩き出した。
気がつくと、前穂高と吊尾根の分岐まで来ていた。

ひどく体が重いような、力なく、倒れ込むように、しゃがみこんだ時、ジュノの眼から光が消えて行くように、闇の中で、ジュノはただひとりになった。
「なにも聴こえず、意識が薄れて行く」

ジュノは必死で、何かを掴もうとしているが、手を伸ばす方には何もない!
「ただ、赤ちゃんの鳴き声する!」

母のような、父のような、誰かが、呼んでいるのか、泣いている姿は、どしゃ降りの血色に染まった雨!洪水の中でもがく!
誰かをよぶ声が遠くから、幾度となく聴こえていたように、ジュノは意識の中で、感じていた。 「寛之さん!、ジュノさん!、寛之さん!」

寒くて、震えながら、心が彷徨い歩いていたジュノは、何か分からない、人のぬくもりを感じて、すがりつくように!
「その人肌のぬくもりが嬉しかった」

その、暖かいものが、ジュノの名前を呼んでいる!
「ジュノ!寛之!ジュノ!寛之!と」
「全身の力で、呼び声に、答えようとして!」

見えぬ目を見開き、暗闇から、かすかに光がさし、体が暖かさを感じる方へ、すこし、体を動かそうと静かに眼を開けた。
ジュノの眼の前に、あの谷川で、助けてくれた。
『若い日の大杉さんがいた!』
ジュノは、なぜか、そう思えたのだった。

だが、今、眼の前にいる人!
その人は、あの、老ガイドの佐高さんだった。

陽に焼けて浅黒い厳つい顔
霧深い山中で私をみつめる
つよい瞳がいくつもの
魂を助けて
長い年月をもの静かに
あの嶺を背負い
美しき人を導き
美しき人をなぐさめ
山の偉大さを語り
真実を語り伝える山男

闇の中を彷徨い歩いていたジュノ!
冷えきった肉体は動けない、氷の中に埋もれたまま、無限の苦痛、その闇を柔らかな陽射しがジュノの肉体を暖めてくれるように、見えない閉ざされた扉をこじ開けてくれる!

何か偉大な力にすがるような思いで、静かに眼をあけた。
「寛之さん、ジュノ!」と呼ぶ声が、幼児のままのジュノを呼ぶ、ママの声、そして優しい母の声が聴こえたようにジュノは思った。

いつの間にか、意識をなくしていたようで、目の前にいるのは、あの老ガイドの佐高さんだった。
大杉さんは、とても具合が悪く、歩ける状態ではないので、岳沢小屋のテラスで、休んで貰って、私だけが来ましたと、言って、ジュノを抱き起こしていた。

熱い紅茶をジュノに手渡して、一口でも飲んで下さいと、強引なまでにすすめた、
ジュノの意識をはっきりさせる為に、佐高さんはジュノの手をとり、口もとに運んで、呑むように促しながら、言葉で確認するようにジュノの肩を叩いた。

『あまり時間がないので、出来るだけ、急ぎましょう!』
『今の時期は、日暮れが早く、陽のあるうちに、下山したいので!』
『ジュノさんも、ここからは素早く行動してください!』
と、ガイドの佐高さんは、ジュノに改めて言った。

どのくらいの時間、ジュノはここに、倒れこんでいたのか、霧に包まれているこの場所を時々さす陽ざしの暖かさが冷えた体に力を与えて、頼りない感情を取り戻しながら、ジュノは、今、自分がいる場所を確認した。

冷静さを取り戻したジュノに、ガイドの佐高さんは、ここから、事故のあった場所まではすぐですからと言って!
『大杉さんから、私が最初に、事故があった事!』
『貴方たちが吊尾根で滑落した事を、知らされた!』

二十七年前、私がお父上とあんたが落ちた場所へ行ったんだよ!

助けを呼んで欲しいと、言われた時は、すでに、真夜中だったし、あの時は、岳沢の小屋に、私ひとりしかいなくて、どうする事も出来ないので、とにかく、警察へ無線で連絡してから、私だけで、大杉さんから伝えられた場所へ急いだよ!

私が向かっている、途中で、大杉さんが、あんたを背負って、下りて来たんだよ!
『この子だけは、助かる!』
『どうしても、助けなくては!』 
と言ってね・・・
私の話す事など、何も聞こうともせずに、ただ、がむしゃらに急ぎ足で、山を下りて行ったんだ。

そして私は、とにかく、お父上を、助けなくてはと、思い、駆けつけて、お父上を発見した時には、もう、亡くなられていて・・・
ながい間、ジュノが、追い求めていた!
『疑問!不信感!混乱する思い!』

の答えの一つだというのに、なぜか、他人事!
絵空事のように、何一つ、ジュノの中の感情が動こうとはしない。

前穂高の分岐から、吊尾根をすこし歩いた場所、大岩が切れ込んだ、岩状をトラバースする、細い登山道で、ガイドの佐高さんは、
『ここが、事故のあった、場所です』 と言った。

足元が不安定で、上からは落石がつねにありそうな、とても、立ち止まって、話が出来る場所ではなかった。

ガイドの佐高さんも、普通はこんな所は、誰でも急いで歩き、
『立ち止まらない、場所なんだがね~』

「よほどの事があったのか!」
それに、確か、あの年は、夏のはじめに、かなり大きな地震があって、この辺の岩場が、だいぶ、不安定になっていたはずだしと、独り言のように、説明して、ジュノの気持ちを、落ち着かせようとの、気遣いなのだろう!

あまり長く、この場所にいられないので、落石を気にしながら、さっき来た登山道を、戻ろうとした時、奥穂高の方から、見知らぬ誰かが、歩いてくるのが見えた。
『一人の若い男性が足音もさせずに近づいてきた。』

前穂高の分岐まで、何も話さず、三人は一緒に歩いた。
前穂の分岐点で、もう一度、休んでから、下りましょうと、佐高さんが言い、ジュノのすぐ後ろを歩いていた男性も、一緒に、腰を下ろして、休んだ。
『ジュノは、なぜか、この青年がとても気になった。』


つづく




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