今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 3 (小説)

2015-12-03 14:02:58 | 小説、残酷な歳月(1話~15話話)

残酷な歳月
(三)
二十六年前、事故が起きた、吊尾根の岩場から、母と妹が行方不明になり、つい最近まで、大杉さんがさがし続けて来たのだとジュノにはなした。

そして、最近やっと、母の居所がわかり、大杉さんが訪ねた時に、不法滞在者として、警察へ連れて行かれる時だったそうなの。

どうすれば、一番、良い事なのかを、考えていた時の出来事だったと、母は説明して、次の言葉が続かなかった。
その場にいる事さえ、辛いようで、隣の部屋へ、今の母には、あまりにも、辛すぎる、現実を話す事で、疲れきってしまったのだろう。

ジュノは、今、何をすれば良いのか、ジュノは自分の気持ちさえ、混乱して何も思いつかないし、両親の話す事など、理解しないし、分かろうとも思わなかった。
あの、意識すら、はっきりとしないほど、変わり果てたご婦人が、
『母なのだと、今、告げられても!』

信じられない思いのまま、母だと、いわれる、ご婦人のいる場所
「ヒマラヤ杉医院へ」
ジュノは無意識に体が動いて、あのご婦人のもとへいそいだ。

母の面影が私を責める
何故今までこの私を
放浪の日々が
私を壊して行く
誰も私を知らない
優しさを捨てて
私は誰になっていたの
母を思う記憶が
ただ悲しみの中で
叫び続けた美しき人

都心のホテルから、東池袋にある小さな医院
『ヒマラヤ杉医院へ!』
ジュノは急いだ。
入院施設もあるのであのご婦人は、あの日から入院しているはずだ。
「あのご婦人が、私の実の母だと言うのだ!」
そして、確かに聞き覚えのある
『ヒョンヌ』

「あのわずかな記憶の中にある言葉!」
ジュノは車を走らせながらも、自分は何処へ向かっているのか、混乱する心と精神を辛うじて、何とか落ち着かせて、今、向かおうとしている。

今、母のいる「ヒマラヤ杉医院」の場所さえも、忘れてしまうほど、混乱して、分らなくなる瞬間がある。

あわてて、今、自分のいる場所を周りの風景を見て、確かめている。
ああ~あの場所へ、行くところだったのだと、思い返して!

どこを、どう、車を走らせたなど、覚えてはいなくても、日常の暮らしが体にうえつけている事なのだろう、気がつくと、「ヒマラヤ杉医院」
ジュノのもうひとつの医師として、仕事をしている場所へ、ジュノは無意識のうちに着いていた。

今の母がすでに心配して、連絡を入れていたのだろう、看護師の多々良さんが玄関でジュノを待っていた。

たぶん、母はある程度の事情を、この多々良さんに話してくれたようで、すぐさま、あのご婦人の部屋へ、ふたりは急ぎ足で歩いた。

多々良さんは五十代のすこしかっぷくの良い女性看護師、実質的にはここの副院長のような立場で、ここでのすべての実務的な事を取り仕切り、運営させている、仕事の出来る、ジュノがとても頼りにしている人物だ。

ジュノよりも前からいる、おそらく、ここの、創立者の一人だと聞いたことがある。
ジュノは何も言わずとも、ご婦人は服装を清潔な物に着替えさせてくれていた。

何処となく、生まれ持った、品のよさを感じられる、ジュノの母だという、このご婦人がベットに横たわる姿はあまりにも小さくて、やせ細っている。
体は動かなくても、あの時とは別人のように、たった三日前に会った姿ではなかった。
「もう、ほとんど、眠ったままの状態なのです!」

と、多々良さんの病状の説明では、もう、点滴もからだに入って行かないほど衰弱が激しくて、呼吸さえも途切れがちだとの説明だった。
「最後の手段をとらせて頂いたと説明した!」

ジュノにはあの時とは違う、とても、穏やかな表情をしているこのご婦人みて、心の中で、やはり、貴方は
『ママだったのですね!』 

と、もう、意識すらない、眠ったままで、身動きひとつ、出来ない、このご婦人の手に静かにそっと触れた。
少しずつ触れている感触は、幼かった頃の明るくて、美しい声で唄うあの歌声が、ジュノの体のすべてに次々と、あふれるようにつたわってきた。

母は韓国からの留学生で、父の勤めていた東大病院の近くの教会で、聖歌隊で歌い、指導的な立場だったような、ジュノは、幼かった頃の思い出がいくつもあった。

母の美しさを思いだしながら、今、眼の前に、あまりにも、変わり果てた母の姿が、表現の出来ないほどの、悲しみ、悔しさ、苦しみ、愛おしく、切なくて、ジュノの感情は、めちゃくちゃな、混乱と不思議なまでに、穏やかな感情になる瞬間があった。
「ジュノはただ、今、なすがまま、されるがままに力もない!」
すべてを受け入れて、母のそばにいた。

ふと、思い出したように、母の耳元で「ヒョンヌ」と誰かを呼ぶように言ってみた!
すると、気のせいか、すこし、母の表情が変わった気がした。
又、ジュノは母の耳に直接!私の唇が母の耳に触れる!
『ヒョンヌ 、ヒョンヌ』

と母に呼びかけるように言った。
ほとんど、母の顔色は、生気がなく、苦しさも力なく息をしていた。
ジュノの呼びかけで、微かに、母は微笑んだような気がした。

何度か、「ヒョンヌ!」と、母に呼びかけている内に、突然、思い出した!
『ヒョンヌとは、父の愛称、母だけが呼び』
『父への愛情表現の言葉だったのだ!』

母はその事を、たとえ、自分自身が壊れ、見失っても、忘れない父への愛情の深さだったのだろう。
その事に気づいたジュノは、ただ、言葉もなく
「涙が流れて、悲しかった、嬉しかった。」

その次の日まで、母は、ジュノの「ヒョンヌ」の言葉と共に、家族全員の名を母の耳元で、何度も、何度も、呼び続けていたが、
「母は微かに残された力でジュノの手を握ってくれた」

精一杯の力で、ジュノにつたえようとしたのでしょう。
わずかだか、ジュノには、母がすべてあの、美しかった母に戻ってくれてジュノの手を握り締めたのだと思えるのだった。

母は次の日まで眠り続けて、ジュノの今の両親とも言葉を交わす事もなく、お別れをしたが、そのすぐあとに、静かに、美しい表情のまま、父のもとへ、旅立って行った。

長い旅を終えて
安らぎの笑顔は
もう、美しき人の心だけに
これ以上は苦しまないで
痛さを私において行って
花の道は何処までも
美しく優しく心穏やかに
美しき人に語りかけた
愛の物語をきっと伝える
いつか又めぐり逢える願い

(彷徨う心)
残酷なまでに過ぎて行く、現実、ジュノは何処かで、自分の身に起きた事として、受け止めてはいるが、この数日の混乱する精神をどう切り抜けたのだろう。
母の葬儀は、今の両親がジュノを助けて、日本の葬儀社にお願いして、火葬にしたが、参列者のいない、寂しい式だった。

ジュノは、とても、憔悴しきった状態で、今の両親の指示に従って、ソウルへもどった。
養父母と共に母の遺骨を胸に、二年ぶりの韓国への帰国だった。
あのホテルでの、大杉さんとの会話も、両親の話も、ヒマラヤ杉医院での、実母の死と、ジュノは、まるで、スローモーションの映像が何度となく、無理やり見せられている、拷問のような辛さを感じて、又、説明の出来ない、怒りと悲しみや不安が襲い、時々、体中がまるでなにかに締め付けられているような、もがき、苦しめば、苦しむほど、見えない束縛に縛り付けられて、身動きの取れないような、感覚に襲われていた。

疲れきった体は、いつの間にか、浅い眠りに入っては、突然、底知れぬ闇の中で、私を何処かへ、排除しようとする手が、払いのけても、払いのけても、ジュノを掴もうとする!

強烈な香り、花のにおいがして、ジュノの手に触れる柔らかで、あたたかで、懐かしい何かに触れた瞬間に消えてしまう恐怖が幾度もジュノに襲い掛かって来る。
そんな浅い夢の中で、幼かった寛之の姿なのか、誰なのか、わからない大人の姿が、ジュノ自身の歪んだ姿で、現われて、パパの顔が血に染まって、ジュノを呼ぶ!
苦しさと恐怖で、身動きの出来ないジュノ!

叫ぶ声は遠すぎて、ジュノに届かない、ゆがんだ顔、あの顔は誰!あの、おそろしい!
『岩場が、父と共に、崩れ落ちて行く!』

あまりにも、恐ろしくて、うずくまる、ジュノ自身の白装束の姿で横たわる暗闇の中でひとり、ジュノ自身がいるような、誰なのか!

急ぎ足で歩く、誰かの姿を見ている私がいて、驚きと恐怖で、泣いている声がして、目覚める!、
何度となく、繰り返し同じ夢を、見ていた。
ソウルに戻ってから、何日が過ぎたのだろう・・・

両親は、ジュノを気遣いながらも、亡くなった、母の事!
とても、大切な話だから、聞いて欲しいの、と話しかける!

ジュノには、とても辛い事だけれど、聴いてほしいの!と、実の母の置かれていた立場を、話し始めた。

実の父と、今の父、大杉さんの三人は、東京大学で学友だった事、実の母と、今の母は幼馴染みで、姉妹のように、育った仲であった事!
母は、声楽を学ぶ為に、日本へ留学して、父と知り合い、結婚したが、父と母の両方の家の強い反対により、
『正式な結婚が出来なかった事!』

韓国での母の実家は、とても、信仰心のあつい、キリスト教徒で、表立って活動する政治家ではなかったが、多くの面で影響力のある実力者であったけれど、ベトナム戦争への韓国がアメリカに追随して参戦する事を徹底して、反対行動をした事で、一族が、すべての活動や生活の面など、当時は、政情がとても不安定で、ある部分では、「独裁的政治がまかり通ってしまう!」

そんな、当時の政府から『軟禁状態』で常に、ジュノの祖父母は監視されていた!
不自由で、難しい立場にいた人たちだった!

ジュノの実母も、韓国へ、帰国すれば、同じ事になっていたのだと、養父母は話した。
韓国の祖父母は、誰にも知らされずに、一時期は、投獄された時期もあり、今は、韓国でジュノの実母の親族のほとんどの方が行方がわからないか、亡くなっている事さえ、確かめる事が出来ない!

今、ジュノの実母の一族の墓所が、何処にあるのか、分からないし、捜す事も出来ない状況なので、ジュノの母の遺骨をどうする事が良いのか、考えてほしいと、話して、今の両親の心情もかなり、辛く、苦しいことが、分かってはいるつもりだが、ジュノは、長くアメリカや日本での生活で、理解出来ない思いと、ジュノは何もかもが嫌で、
聞きたくない、受入れる事が出来ない。
『何も、分かりたくない!』

そんな、気持ちが強いジュノは無気力だった。
母は、声楽の勉強と共に、日本でのもうひとつの、役割もあった。
むしろ、こちらの役割が母には、一番大切な事だったと!
今の両親が話した。

在日の方々の父と母(ジュノの祖父母)の韓国での反戦運動へ、深い理解をしてくださる、支援者の方々とのパイプ役でもあった実母の役割が重要で、その為に、事故のあと、韓国での政情が大きく変化し、韓国での祖父母や実母の立場が難しい、危険な状況になってしまい、すべての活動を監視されていた。

その為に、母は、すぐに、韓国へ帰国する事が出来なかったのかも知れないと、話した、両親の、なんとなく、言葉の裏に隠された事!

養父母の真っ正直な人間の生き方から、感じてしまう罪意識のような邪心を抱いてしまう。
今、ジュノには明かせない、隠された真実があるような思いが、ジュノは、無意識の中で感じていた。

養父母の提案で、ソウル郊外にある、公園墓地を母の眠る場所に決めて、韓国での母の葬儀を行なったが、やはり、参列者もなく、寂しいお葬式だった。
ジュノは眼に見えない魔物によって、「なぶりもの」にされているような錯覚さえ感じていた。

やがて、そんなわけもなく、心痛む感情や焦燥感さえ無くした!
そのあとのジュノはまるで、ただ、自室にこもり、ぼんやりと過ごして、凛とした、外科医のジュノの姿はどこを捜してもなく!

正気を無くした廃人のように、ただ、
「ベットに横たわり時が過ぎて行った!」

あの、明るく、エネルギッシュに活躍する姿など、何処をさがしてもない、眼もうつろで、ただ、ぼんやりと、もう、誰の言葉も聞こうとせず、誰も受入れられない、呼吸しているだけの肉体がそこにある、そんなの日々だった。

心配のあまり、アメリカでの仕事をすべて投げ打って、かけつけた、加奈子の姿さえ、疎ましく、ジュノの部屋に入る事さえ、拒み、加奈子を戸惑わせて、悲しませた。

そんな日々が続いたある日、今の母の弾くピアノの調べに、ジュノは、ただ、涙が流れて、まるで、幼児のように、声を上げて、泣いた。

だれも私を忘れて
置き去りにした孤独
すべてが虚しくて
この心が何も語らず
愛さえも拒む
人は何を必要とするのか
悪魔が私を支配する
ただうつろにすごす私をすてた
心を取り戻してください
美しき人の強さを信じて
ただ待っています


つづく













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