今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 9 (小説)

2015-12-03 13:57:57 | 小説、残酷な歳月(1話~15話話)
残酷な歳月
 (九)

今頃の時期、たった一人で、登山するくらいだから、よほど、山がすきなのだろうと、思ったりして、なんとなく、言葉を交わした。
岡山から来たそうで、何度か、このコースを歩いているとも話した。

ジュノは、この青年の優しい美しさに、すこし、心が騒ぎ、鼓動がなぜか、不規則に早まるのをおぼえた。
『ドキ!とするような?不思議な、親しみを感じた。』

なんでも、昔、家族で、穂高を登山した、思い出があり、今は、両親もいないので、ある意味、
『慰霊登山をしているのかも知れないと言って!』
寂しげな笑顔が、ジュノには、とても気になる姿だった!

この青年は、先を急ぐからと言って、足早におりて行ったが、ジュノはひどく疲れていた。
日暮れが早い事を気にしながらも、体が動いてくれない!

焦る気持ちとは裏腹に、中々、歩き出せず、やっと、体を上げて、ながい、急な足場の悪い、下山道は、ジュノの足元をふらつかせて、何度も、ガイドの佐高さんに、注意を受けた。

岳沢小屋の見える安全圏にたどり着いた時は、もう陽がとっぷりと落ちて、闇が足元を隠していた、何がこの心をせきたてたのだろうか、あの場所で、ジュノは何を見て、何を感じたのか、ジュノの心を晴やかにはしてくれる事などのない、虚しさとひどく疲れた体を、自ら拷問させただけの惨めさが、ジュノの心に深い傷を又ひとつ増やしていた。

闇の向こうに見た世界
穏やかな思いを求めたのに
残酷なまでの現実
見えない吹雪が
絶え間の無い苦痛
体が凍りつく悲しみ
美しき人に今何が
新たなる運命
新たなる出会い
いくつもの苦しみは
もう喜びに変わるのだろうか
闇を照らすひとすじの光

(ただ虚しくて)
ながい一日が、まだ、終わってはいない!
だが、ジュノの体も感情も、ひどく疲れていた、事故の現場だと、案内された場所は、ジュノが二十七年近い歳月を恐怖と不信感を深くしていた、情景とは全くちがう、ジュノの中にある、記憶の場所はいったい、どこだったのだろう。

少しずつ、話される、ガイドの佐高さんの真実だと言う、二十七年前、あの事故の時は、佐高さんが、岳沢小屋のアルバイト従業員だった頃の事で、とまり客もなく、ひとりで小屋の仕事を切り上げて、寝ようとしていたところへ、大杉さんが、飛び込んで来て!
「滑落事故が起きた事!」

救援を至急頼みたい事を、ひどく焦っている中でも、冷静に、事故の場所をつたえ、走るように、
「ふたりが落ちた、場所へ行く!」

そう、言って、大杉さんは出て行ったのだとジュノに話した。
佐高さんは警察や救援の為の人員を手配して、お父上のいる場所へ向かう途中で、ジュノ(寛之)を背負い、急ぎ足で、下りてくる大杉さんに出会ったのだとも話した。

大杉さんは、とにかく、「君を」助けたい!」その事だけを、考えていたようで、私との話す時間すら、惜しい、そんなふうに、言って、上高地に向けて下りて行ったのだと、あの時のようすを話してくれた。

佐高さんが、父を発見できた時には、もう、まわりが薄明るくなり夜明けだった、だが、お父上は、すでに、亡くなられていて、佐高さん一人では、どうする事も出来ず、一旦、小屋へ戻り、警察と救援隊の着くのを待って、私は、大杉さんから、頼まれていた!
「お母上と妹さん」

を助ける為に、事故の起きた場所へ向かったが、事故現場には、誰もいなくて、助ける事が出来なかったのだと話した。

あの時、かなり、大掛かりな、捜索をしたけれど、母と妹は、発見出来なかった、事故現場が、落石など、危険だった事や、そのあと、何日も雨や雪が降り、天候が悪く、二重遭難の危険もあった事で、捜索は、打ち切られたのだと話した。

佐高さんは、そのあとも、何度か、個人的に、捜してくれたそうだが、何の手がかりもつかめなかったと、ジュノに話した。

あの事故のあと、大杉さんは、長い間、警察に、事情聴取を受けて、一時期は、父と私の、殺人の容疑をかけられ、連日、マスコミが大騒ぎをした、だか、殺人ではない事が認められて、大杉さんは、解放されたのだとも、話してくれた。

そのような話を、佐高さんが、話している中でも、大杉さんは、横になったままで、体の具合がとても悪く、夜道を歩く事が難しいからと、佐高さんは、今夜は、この小屋に泊まりましょうと言って、今は、ここ、岳沢小屋は、休業中だが、大杉さんの為に、一部屋をあけてくれていたので、そのまま、夜明けを待った。

あの事故の時、連日のマスコミ報道は、当然、助かった寛之(ジュノ)をも、追いかけて、寛之が入院していた病院へも、押しかけ、注目の的になっていた!

そんなある日、突然、寛之の姿が、病院から消えて、いなくなったのだと、佐高さんは、話して、あとで、知ったことだが、大杉さんと、ソウルの今の両親の計らいで、寛之(ジュノ)が、静かに、治療が出来る場所へ、移された事を知ったとも、話した。

一部の報道では、寛之も、亡くなったと報道されたのだと話した。
その頃の事は、ジュノには、何も分からない、微かな記憶の中で、ママなのか、母なのか、誰なのか、
『ジュノ、ジュノ、と、呼ぶ声がかすかに聴こえていた!』

丁度その頃、十年ぶりに、韓国に帰国した。
今の両親の事が、ソウルの新聞の片隅に小さく、目立たない記事が載っていた。
『国の宝、神の宿る手を持つ、外科医、イ教授、帰国!』と!

その同じ頃、ソウルのある病院の特別室には、ただ、眠りつづける、
十歳の男の子が、今、眼ざめの苦しみに耐えていた。

あの日あの時私は
何を見たのですか
闇の中を走る山靴の音
あの山靴の音は運命
とどまる事の出来ない
真っ赤に染まる世界を
時空をこえて
美しき人は受け止めた
運命の悪戯
真実を隠した愛にそまる


(目覚めぬ夢)
ジュノは浅い眠りの中で何度も夢を見た、一歩踏み出すと、一瞬に、落ちていく、暗闇の底知れぬ深い谷へ!

幻の中で冷たい氷の壁が幾重にも続く、ジュノの全身が寒さで凍りつき束縛されて、身動きの出来ない苦しみにもがく!

氷柱が絶え間なく、崩れ落ちる中を逃げ惑う誰かの姿に、大声で
叫ぶが、届かない悲しみ!
そして又、別の夢を見る!
うしろに誰かがいて、ジュノに叫ぶ!
「どこかにつかまれ~、早く、つかまるんだ~」

あの声は父!、それとも!大杉さん!なのか?、夢の中で助けてと叫びながら、泣きながら、目覚める!

全身の痛みが、ジュノ(寛之)を混乱させて、十歳の目覚めは、見覚えのない場所、誰なのか分からない女性が、母のふりをして、優しさを、大げさなまでに、ジュノに微笑み、戸惑わせた。

体中がぐるぐる巻きにされた、痛みが、絶え間なくつづいて、やがて、ふかい眠りにつき、また夢をみる。

ピアノの調べと、共に、美しい声でうたう、母の姿、野山をかけて、さわやかな風を感じて、振り向くと、やさしい笑顔の
『大杉さんがゆっくりと歩いてくる!』


つづく








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