今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

残酷な歳月 5 (小説)

2015-12-03 14:01:26 | 小説、残酷な歳月(1話~15話話)


残酷な歳月
 (五)
ジュノには、何の連絡もなく、日本に、帰国してきた事を告げる加奈子に、ジュノは戸惑いを感じて、少し、加奈子の傲慢さに、一瞬の煩わしさを感じた事が、ジュノ自ら、戸惑う!

ソウルでの、ジュノの、あまりにも、辛い姿を見た、加奈子は、心配のあまり、アメリカでの仕事をすべて、キャンセルしての、思い切った行動は、ジュノには、理解出来ないし、理解したくない事だ。

今のジュノは、今、誰とも
「言葉を交わしたくない!」
「ひとりで過ごしたい!」

自分のいる空間を、誰にも、犯されたくない!、
そんな思いが強いのだった。

だが、加奈子は、ジュノを救えるのは自分だけ!
助けられるのは私だけだと!

心のすれ違いに、気づこうともせずに、ジュノの心に、泥靴のまま、踏み込んで来る、加奈子の無神経さがジュノには耐え難い屈辱を感じてしまう。

加奈子のジュノに対する愛の深さが加奈子のいつもの、確かな理性を狂わせて、冷静な判断が出来ない、ジュノが一番嫌いな女性の姿をさらけ出してしまっていた。
ふたりの心が張り詰めすぎた、もろさから起きた事だった。

私には触れないでください
この体は痛すぎるのです
ほんのわずかに触れても
そこには大きなあざになって
いつまでも消えることがない
今は一人にさせてください
今は幸せなど求めない
美しき人の本当の姿
私は今、心があざだらけです
体中が傷だらけです

(すれ違う想い)
どちらかと言えば、加奈子はすこし、気が強い性格、思い込みも強い、けれど、今までのジュノであったなら、ジュノはそんな加奈子が好きだったし、どこか、我儘で、幼稚さを隠したジュノの性格が、加奈子に頼って甘えられる気持ちが、自分勝手だけれど、ジュノ自身では気づいてはいない、ジュノには多面性があるのだった。

そういった、複雑な人間性を持つ、ジュノを、おおらかな性格である加奈子だったからこそ、すべてを包み込む愛情で受入れてくれる、ジュノには、居心地の良い、都合の良い事で、好ましかった。

むしろ、心が寂しい時には、母のような接し方で、包み込んでしまう不思議な安らぎを覚えていた。

だが、今のジュノは、三十六年の生きざまを、消してしまいたいほど、
『自分自身も愛せないし!』

他人を思いやる、余裕などない、張り詰めた心が砕け散ってしまいそうだった。
昔、よくみた夢の中の世界を歩いているように、心もとない不安!

雪山をひとりで歩きだした。
「かみそりの刃のような、ナイフリッジ!」
一歩前へ進む事の怖さと、緊張感の中、一瞬!足を踏み外して!
自分が、谷底へ落ちて行く姿を、よく夢で見た。

あのどうしようもない、怖さがジュノの精神を脅かしているように感じて、加奈子がいる事で、益々、息苦しさをましていた。
もはや『何処にも、ジュノ自身の居場所がない!』

悪気のない、優しさのつもりで、話しかける、加奈子のひと言が、どうしても、ジュノの心のバランスを崩してしまう。
「ごめん!ひとりにさせてほしい!」

ジュノは、簡単なメモ書きを残して、ホテルに移り、一人で暮らして、スケジュールの詰まった、手術を、次々と、こなしていた。

ジュノはやはり、外科医としての才能は、確かなものだった、ジュノ自身が、どれほどの苦しみを抱えていても、いざ、
『メスを手にした瞬間から、外科医として』

別人になっていた、むしろ、ジュノは、意識的に、別人になろうとしていたのだろう。
メスを使う技のさえは、周りの者の驚きと称賛する言葉さえ、聞こえて来る。

ジュノ自身も、いつの間にか、メスを手にした瞬間から、すべての苦しみから解放されていることに気づく、それはまるで、自分ではない
『誰かに入れ替われるような、瞬間だった。』

ホテルと病院とを行き来するだけの生活に、いつしか、ジュノは満足しているような、安心感さえ、感じているジュノ!

ひとたび、何か、ジュノに吹く風が突風であったなら、簡単にへし折れそうなほど、危うい精神状態が続いて、時が過ぎて行ったジュノの冷たすぎる行動を、理解できぬまま、加奈子は、ロスに帰って行ったが、加奈子もまた、心の中で、ジュノへの思いと、理解されない事の苛立ちを、ヨセミテの岩に、ジュノへの想いをぶつけるように、ひとり、登り続けていた。

やがてそれは、ジュノの、新たな、苦しみを生む事でもあったが、今のジュノには、加奈子を思いやる気持ちも、その事を考える余裕さえなく、日々は、虚しいままに過ぎて行った。

ジュノは、自分の部屋に戻り、仕事だけに意識を持ち、数ヶ月が過ぎて、やっと、大杉さんと連絡がとれ、会うことになった。

だが、なぜか、東池袋のある場所が、待ち合わせの場として、大杉さんは、指定して来た。

聞き覚えのあるような気がしたが、はっきりとした記憶はなく、ジュノは、その場所に出向いて、驚いた、そこは、母が最後に住んでいた。
「古アパートだった!」

もう、とっくに、取り壊されているものと、思い、ジュノは、母の最期に過ごしていた場所
を尋ねてはいなかった。

この辺を、再開発する予定の会社が、突然の倒産で、取り壊し工事は、途中で打ち切られて、十部屋ほどあった、アパートは、まるで、誰かを恨みながら、うめき声を上げているように、もとの姿でわずかに残された、三部屋のドアや、窓ガラスが、周りの超高層マンションの巻き起こす風をすべて受け止めて、悲鳴のようにうねる、
「空気を引き裂くような、耳障りな音がひびく。」

この場所を、警備する人に、何がしかの物をあげて、大杉さんの計らいで、残された部屋を見せてもらうことになって、アパートの角部屋が母のいた部屋だと、大杉さんは言って、案内してくれた。

だが、大杉さんは、母が、ここにいた時には、会うことが出来なかったとも言った。

なぜ、居場所を、知っていながら、会えなかったのですかと、問いただしたい気持ちを、なぜか、ジュノは言葉をのみ込んで抑えた。

母のぬくもりさえ消えて
無機質に吹く風
大都会の見知らぬ人々
隣にいる貴方は
誰を愛しているのですか
この胸の中で
幼児の泣く声が切ない
聖母マリアのような母
美しき人はここに立ち
見えない姿を求める

(母の居た場所)
母の住んでいたという部屋は、四畳半ほどの、昔でいう、学生アパート、昔、流行の歌「神田川」に出てくるような、四畳半に押入れが部屋に飛び出している、いかにも狭い部屋、その押入れには何もなかった。

トイレも共同、もちろん風呂などは付いていない、かなり、古い建物で、二階の角部屋だった。

小さな手鍋が一つ入るかどうかの小さな流し台が付いていたが、なべや食器など、生活用品と言われる物が、なにひとつ無い!
あまりにも異質な感じがする!
『殺風景で寒々とした部屋だった!』
布団さえも無くて、小さな旅行カバンが一つ残されていた。

この残酷なほどの空間をしばらく、動こうともせずに見ていた。
ふたりは、何を話せばよいのか、気まずい空気の中、大杉さんは唐突に、自身の事を話した。

この二十六年の歳月を、私は定職にも付かずに、ただ、君たちの母と妹の樹里ちゃんのふたりの行方を、捜し続ける歳月だったと!

やっと、居場所がわかり、訪ねて行くと、もう、そこには、母と妹の姿はなく、どこかへ、消えていて、会うことが出来ない、そんな繰り返しの歳月だった。

「私にとって、今日までの二十六年が無駄な事だったのだろうか!」
そう言った大杉さんは、後は黙ったままだった。

ジュノは、あの突然、母だと分かった時に、ここを訪ねなかったのかを、後悔した。
これほど、何もない!
残されていない事が、信じたくない!
この部屋にあるすべての物を、大切に持ち帰った。

母が掛けたかどうかも分からない、どうしても、ジュノの中にある、気高くて、清楚だった!
「母の姿とは異質なピンクのカーテンもはずした。」

あまり、話したがらない、大杉さんを、問い詰めるように、母と妹は
「なぜ!姿を隠さなければ、いけなかったのか!」

気がつくと、大杉さんにジュノは詰め寄ってしまった、とても気まず
い、重い空気が流れていた。
ジュノと大杉さんは、とにかく、ここを早く出たい思いと、母の無念さを感じて、体が動けないように、重い!

大杉さんは、顔色も悪く、よろよろと、力なく、この部屋から去って行ったがジュノはもう引き止めておく事が出来なかった。

大杉さんは帰り際に、気力をふりしぼるように言った。
「とにかく、早く、君を助けたかった!」
「事故現場に行く事しか、考えられなかった!」

ジュノが大杉さんに聞きたいと思う事を何ひとつ話さずに、大杉さんは帰って行った。

しばらくは、ジュノも仕事のスケジュールが詰まっていて、どの手術もジュノの集中力を最高のものにしておかなくては行う事が出来ないほど難しい手術だった。

そのうちのひとりの患者は、山で、遭難して、奇跡的に生存して、助けられた人だ!
ソロクライマーとして、山の世界では、この人を知る者も多かったが、常にひとりでの行動であった事で、事故がおきたことを知られるのが、かなり遅く、救助されるのが
あと1日遅かったら、生きてはいなかっただろう!
「黒部、奥鐘谷」からの生還だった。

          つづく








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