今でも、リハビリ医療というと、温熱や牽引療法だけを思い浮かべる人が多いようです。
それは古いイメージです。今のリハビリ医療は、命に直結した医療なのです。
『リハビリ医療を受けているから生きていられる』という状態は、急性期、慢性期にかかわらず、急性期病床にも、療養型病床にも、在宅にも存在します。
単純に期間だけで決まるはずありません。厚労省内では、医療課と介護保険課は全く別の部署であっても、現実の患者さんは時期だけで『医療』と『介護』の線引きなどできないのです。線引きをして、医療を打ち切ることが、そのまま死を意味することになります。
具体的にどんな状況が命にかかわるのか、本当に全部お見せしたいくらいです。このことは、私達リハビリ医療関係者にとっては当然のことなのですが、データとしては存在しません。研究と称して、リハビリ医療を止めたら亡くなりました、という非人間的な実験はできませんので。
切り捨てる時には、何かというとエビデンスを示せ、と言いますが、エビデンスが確立している医療を保険で認めているかというと、全くそんなことはないわけです。(CI療法はその一例です。)
EBMが切り捨ての言い訳に使われていることは、
不確実性の科学"science of uncertainty"である医療にとっても、不幸なことです。
エビデンスではなく、一例一例でナラティヴに示すことは、患者さんの了解があれば不可能ではありません。この数ヶ月で、そのような臨床研究報告をしていきたいと考えています。生命にかかわるリハビリ医療、人間の尊厳を回復するリハビリ医療、慢性期の寝たきり状態から歩けるようになった例、180日で打ち切っていたら今は生きていないかもしれない例・・・等々、具体的な事例に基づいてテーマは浮かんできます。
しかし、本当は、先端リハビリ医療、終末期リハビリ医療、ニューロリハビリテーション、リハビリ医療を担う人材の育成などなど、患者さんのために優先すべき仕事が山ほどあります。
リハビリ医療は時期に関係なく必要か、という総論的な(自明の)前提を、今になって再度検討しなければならない状況を故意に作られたことは、本当に口惜しいことだと思います。本来ならば、厚労省の担当者がリハビリ医学の教科書を勉強してくれれば、それで先へ進めるくらい当たり前の話なのです。
そもそも、厚生労働省が存在した方が医療行政はうまくいく、という"エビデンス"はどこにあるのでしょうか?
・・・それと同じ議論です。もちろん、私は、エビデンスが存在しなくても厚労省は医療行政に必要だと思っています。私のブログを読んでいる厚労省の皆様、患者さんのためにあるべき医療を見つめる目を覚まして下さい。『医療改革=打ち切り、切り捨て』というマインドコントロールから目覚めて頂くことを祈るばかりです。