夢やロマンを追いかけている人たちには申し訳ないが、徳川埋蔵金は家光公が日光東照宮造営などでほとんど使ってしまっていることだろう。
なぜか?
金は持っていること示すより、社会に還元してしまって手元に全く残っていないことをわかりやすく示すのが上策なのだ。
金を持っていることがわかると、悪人たちが近寄ってくる。(イギリスのことわざ:金は血を呼ぶ。)
統治経験のある自民党は、プラザ合意で国府がすっからかんになる前に、ふるさと交付金などでバブルのもうけを地方に還元し、一切民を搾取していないことをポーズして見せた。
ある意味コロナ問題で国民全員に一律十万円配布したことは、消費税増税の怨嗟をそらすには良いきっかけになったことだろう。
国が増税によって民から搾取していないことを見せつけるために。
同様に、徳川宗家が莫大な軍資金を持っていることは、まだ戦国の名残のある諸大名の怨嗟を招く。
故に元和偃武を演出した東照神君顕彰という形で、派手に出費して見せ、徳川宗家に金がないことを示したのである。
これを考案した人は政治経済上の天才であり、将軍家や諸大名の日光東照宮の往復などで金が落ちる街道筋に住む農家の長男以外の子弟にとっては、宿場町は良い就職先になったことであろう。
金は自分の価値創造に対する報酬であるが、別な側面から言えば、血液みたいなものだ。
血の巡りがいいと言うことは体が元気だと言うことだ。
麻生さんが貯蓄するな! 使えというのはそういうことなのだろう。
もっとも、保険会社の支払い拒否や生活保護の水際対策などと言うようなせこい手を使わず、貯蓄等に頼らなくても、万が一の時には保険会社や国がきちんとカバーしてくれるという信頼関係を醸成するのが先決問題であろうと思うが。
何かのきっかけで、徳川埋蔵金からこんな話になって申し訳ない。
以上である。