管理通貨制度の財源は、租税でもなく国債でもなく商品である。
なぜならいくらお金を刷っても購入できる商品が皆無ならば、暴動が起きるからだ。
それなのになぜ租税を取るか?
人民を労働させるためにある。
とにかく人民を労働させて商品を作らない限り、国家は運営できない。
が、共産主義国家のように、人民を強制労働に就かせれば、これまた暴動が起きる。
それでやりがいや報酬という飴や、租税や労働の義務なんて言う鞭で国民をこき使うのだ。
すなわち管理通貨制度下において、租税というのはたかだか鞭としての役割しか果たさないのである。
国債。
管理通貨制度において、人民に国債を買わせて何の意味があるのであろう?
分配すべき商品はいくらでもあるのだから。
これまた奴隷人民をこき使うための鞭である。
それに上級国民富裕層の不労所得への引換券になる。
さて、管理通貨制度において、通貨の意味は、購買能力のバロメータにある。
単に決済センターにおける、決済口座のゼロの数にしか過ぎない。
そして決済センターにおけるゼロの数に一喜一憂し、自分は一般国民より偉いだの、自分は仲間の落ちこぼれだのと、うぬぼれたり嘆いたりするのであるから、これは事の本質を知った人たちにとっては、笑い話のネタ以外の何物でもない。
さて、前には日本の政治がおかしいの、企業統治がおかしいだのと書いていたが、結局日本の富は何であろう?
言い換えれば、日本の商品で諸外国が喜ぶものである。
結局それは、文化しかない。
日本ファンの外人が喜ぶ、ハラキリゲイシャフジヤマ。
それに最近の漫画家が描く、擬人化や萌え、そしてヘンタイなどのコンテンツである。
暴言王麻生太郎氏が提唱した、国立漫画センター。
そして参議院議員の赤松健氏が運営している漫画図書館などは、切れ者の官僚が考えた、外人が喜ぶ日本文化であり商品である。
そのうち、コミケで外国人観光客を呼び、外貨を稼ぐ時代が来るであろう。
何やら管理通貨制度の財源や報酬の話から、近未来の日本の特産品について書いてみたが、寝起きの寝ぼけた頭で書いた記事である。
許されよ。