(R3.11.11.題名を変更しました)
精神科医や心理学者って、二通りいるのよ。
一つは、自らの逸脱を直したい人。
二つ目は、患者を哀れんでその道を選ぶ人。
自らの逸脱を直した先生っていうのは、ネットの口コミを見ればわかるわ。
大体そんな先生は、患者に悪口言われてるから。
でもね、自ら精神障害を抱えた先生ってのは、化けるのよ。
で、その精神障害の大本にあるのは、マイノリティー意識だから。
マイノリティー意識。
ぶっちゃけ暴力の問題とセックスの問題。
それも、ちまたでいう異端と正統の問題。
そういえば、いけもとが読んだ本にこんなことが書いてあったわ。
閨房に実践倫理を持ち込むことなかれ!
これがセックスにおける異端と正統で悩む人を救済する手段だと思うわ。
ただし殺人淫楽や、性的暴行は別よ。
セックスパートナーに対する侵襲度が半端じゃないからね。
となると、ここでクローズアップされるのは暴力だわ。
暴力。
これはマゾヒストじゃないと受け入れられる問題じゃないわよ。
でも、サドマゾヒズム。
相手の喜びが自分の喜びじゃないっていう、前エディプス段階にある人には、サドマゾヒズムってのは、避けられない問題だわね。
実はね。
このサドマゾヒズムを解消するきっかけってのは、
男子同性愛の廉で刑務所に入れられた、オスカーワイルドの獄中記を見れば学べるわ。
それによれば、オスカーが、ある老人受刑者の重い水瓶を、代わりに持ったっていう下りで、その受刑者の喜びが、自分に飛び込んできたっていう下り。
それが菩薩の喜びよ。
これを忘れて、いたずらに教義を云々するこそ、天魔外道だわ。
所詮宗教ってのは教義の理解じゃないのよ。体験の中にある救いだわ。
そ~んな、わっけ~。
館内南千住でХБЙК。