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クラヴィコード徒然草ーLife with Clavichord

チェンバロ、クラヴィコード製作家 高橋靖志のブログ
製作にまつわるあれこれや猫との暮らし、趣味のオーディオについて

Magnano報告届きました

2011-10-02 15:29:39 | Magnano
9月6日から10日まで開催されたMagnanoの国際クラヴィコードシンポジウムに参加した大澤さんから、写真が届きました。
今回のテーマのひとつ「最初期のクラヴィコード」に関連して出展された小型の楽器に魅力的なものがあったとのこと(Alfons Huber/Ina Hoheisel製作, triple/quadruple-fretted, 9 pairs of strings, B-f2, c. 1400-1440 のことなるモデルの2台の楽器)。
音域も限られ、3または4フレットですからとなり合うナチュラルキーがフレットになっている、かなり制約の多い楽器ですが、この時代の楽器にしかない特有の魅力があるようです。使い勝手のいい楽器ばかり作らないで、こういう時代の楽器にもきっちりと焦点をあてるというのは、主催者にも製作者にも脱帽です。
それから、クロージング・ディスカッションで、主催者側から「もっとクラヴィコードを安く出来ないか?」という問いかけがあり、参加していた製作者製作者たちからは「それはちと難しい」という答えだったとのこと。いろいろと考えさせられる提起です。

















クラヴィコード・シンポジウム

2010-05-19 22:57:58 | Magnano
イタリア北部の小さな街マニャーノで隔年で開かれているクラヴィコード・シンポジウムの次回の案内が届いた。

第10回国際クラヴィコード・シンポジウム
2011年9月6日から10日
テーマは、
最初の図像資料から現存する最初期の楽器までの初期クラヴィコード(楽器学とレパートリー)
ペダルクラヴィコード、その起源から18世紀まで
19世紀のクラヴィコード
の3つ。

昨年参加した第9回では、テーマの一つがハイドンとクラヴィコードというものだったので、それなら前年出来たばかりの5オクターブの楽器を持ってと、勢いで参加してしまったが、次回のテーマには今のところちょっとからみにくい。それでも、なんとかこの次も参加して、またクラヴィコード漬けの数日間を過ごしてみたい。

昨年は日本からは筒井さんと私の二人だけの参加でしたが、次回はクラヴィコードに興味のあるあなた、ごいっしょにいかがですか?

クラヴィコード・シンポジウムとマニャーノについては
http://www.musicaanticamagnano.com/

Magnano 番外編

2009-10-20 12:53:47 | Magnano
一夜明けて、それぞれが帰り支度。行きは主催者が貸し切りバスを用意してくれていたが、帰りはタクシーの予約を取り次いでくれた。私たちは楽器があったので、載るかどうか心配だったが、来た車を見て納得。ベンツのどでかいバンだった。料金が心配だったが、40ユーロ。それくらいで済むなら、行きの車をなんとかしてくれと事前にゴネることもなかったのに…


casa bianca に泊まっていた高齢のドイツ人夫婦と帰りのタクシーで一緒になることに。Stuttgart から来たお二人は、たぶん純粋な愛好家。2年に一度のシンポジウムを音楽好き、クラヴィコード好きにとっての楽しい旅行にしているようだった。朝食のパンの余りに丁寧にバターを塗ってサンドイッチを作っていた。昼食にするのだろうか、こういうところはやっぱりつつましい。車を待っている間に、マウスハープを取り出して二人で息の合った演奏を披露してくれた。


昼にミラノにたどり着いて、行きと同じホテルへ。筒井さんは夕方の便でウィーンへ発つので、いっしょに荷物を置いて Duomo 周辺をブラブラ。楽器を運んで汗だくだったので、バールで飲んだビールが旨かった。
あつあつのパニーノ

翌日は、一人でミラノ市内をまたブラブラ。月曜日だったのでブレラ美術館が閉まっていてガッカリ。この日の次の目的地 Santa Maria delle Grazie へ。ここは、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐で有名なところ。「最後の晩餐」がミラノにあると知ったのは、ミラノに来てから。超有名なこの絵は何ヶ月も前から予約しないと観ることができないそうだ。でもこの日は、やっぱり月曜日だから絵の観覧はなくて、そのせいか教会はとても静かだった。


夜は、スカラ座でアレッサンドリーニの指揮でモンテヴェルディのオルフェオを観た。
実は、ミラノ行きが決まってから思いついてスカラ座のサイトを見たら、ちょうどぴったりの日程でオルフェオが。これがばりばりのイタリアオペラだったら、食指は動かなかったのだが、モンテヴェルディなら観たい。一番安い天井桟敷の席を予約して、チケットが送られてくるのを待っていた。
ところが、チケットが届いた翌日にメールが来て、急な改修工事のため2層目のガレッリアを閉鎖する、可能なら他の席と交換するが、ダメなら払い戻しとのことなので半分諦めていたのだが、ミラノに着いた翌日、スカラ座のオフィスへ行ってチケットを見せたら、あっさり空いている席と替えてくれた。

といういきさつがあってのオルフェオだった。華やかなスカラ座と冥界へ降りていく男の話は、ちょっとミスマッチなところがあったが、初めて本場で聴くオペラは楽しかった。オルフェオ役のテノールが今風というか、軽い感じの優男風で、それが最後は延々と一人歌っていて、がんばるなーと思ったが、やっぱりエウリディーチェを振り返ってしまう場面はジンと来た。アレッサンドリーニがすっかりおじさんになっていたのは、ちょっとショック。オーケストラはミーントーンで演奏していたようだった。休憩時間にプログラムを買おうとしたら、売っているおにいちゃんが、イタリア語は読めるのかみたいなことを聞いて来た。余計なお世話

翌日は、一人で楽器を持って空港までの移動。それまでの移動は筒井さんがいてくれて心強かったが、一人で楽器をゴロゴロはやっぱり緊張する。まずバスに乗り込んでひと安心。途中高速道路の渋滞でやきもきしたが、なんとか出発2時間前にマルペンサ空港へ。SASのカウンターで成田で楽器を預けたときの領収書を見せたら、わりとあっさり同じ追加料金でOKだった。でも、そのあと料金を払う窓口と楽器を預ける窓口を探して、大きな楽器をキャリーに載せたまま空港内をウロウロ。最初のカウンターのおねえさんに何度も確かめて、それでもウロウロ。遠くからおねえさんが「大丈夫?」という感じで手を振っているこういうところが、陽気なイタリア人。搭乗口でまた会ったときには「Hello again」。マニャーノの食堂のおじさんといい、空港のおねえさんといい、イタリア人はその場を楽しむ術を心得ている。

マニャーノ参加の旅の最後のオチは…
家に帰り着いて翌々日が新潟古楽フェスティバルで、クラヴィコードを使うことになっていた。めんどうなので梱包したまま会場へとも思ったが、ケースが結構傷んでいたのでちょっと気になって開けてみたら…なんと楽器が破損しているではないか
ベリーレールのところで響板がはがれて10センチ以上のクラックも入っている。キーが抜けかかっていたので、おそらく逆さの状態で落とされたのだろう。行きは弦を緩めていったのだが帰りはそのままにしておいたのが油断だった。そのため、落とされたときに弦の張力が重りのように作用して響板を引き剥がす力が働いたものらしい。ケースを最小限の大きさにとどめるために、楽器をくるむクッションも最小限だった。やはり、こういう事態も想定して、弦は緩めてクッションも十分に入れなければならないと痛感。でも、一人で持ち歩くには、ケースの大きさは限界だったし、楽器が壊れたのはショックだったが、マニャーノ参加で得たことの方が比較にならないくらい大きいので、自分なりには納得。大急ぎで修理をして、なんとか元の状態に戻すことができたのも、不幸中の幸い。
それにしても、こんな大きな楽器を引きずって、よくイタリアまで行って来たものだと、我ながらあきれてしまった。次回の参加の時は、ぜったい小さい楽器にするぞ、と堅くこころに誓ったのでした。(おしまい)


Magnano その6

2009-10-17 21:53:35 | Magnano
マニャーノ4日目(9月19日)
シンポジウムも今日が最終日、レクチャーにはそうそうたる顔ぶれが。
でも、始まる前に村に一軒の商店へ筒井さんと食料の買い出しに。日本のお店と違って昼休みがあるから、昼に昼メシを買いにいってもアウト。コンビニの便利さに慣れ切っている私たちは、それが分かってはいてもマニャーノに来て以来ずっとアウトだった。今日こそはと、レクチャーが始まる前に勇んで出かけて、初めてセーフ その商店は日本の田舎にもよくあるような小さなスーパーマーケットみたいな雰囲気。奥に、ハムやチーズの塊が入った冷蔵ケースがあって、その場でスライスしてくれる。チーズが2種類あって、おばちゃんが説明してくれるけど、もちろんイタリア語だから??? そしたら、少し切って試食させてくれた。ハムは、全部生ハム。10種類くらいありそうだ。見た目で見当をつけて2種類頼む。そこでたぶんおばちゃんは「何グラム?」と聞いたに違いない、返答に困っていると、"Cento grami?"「100グラム?」とおばちゃん、すかさず "Si si" とわれわれ。パンは、堅くて叩かれたら痛そうなものが大きな木箱に無造作に放り込まれていて、手頃な大きさのものを一つずつ。これで昼メシはバッチリ。
で、レクチャーはというと、Koen Vermeij が Ch. G. Hubert と Tafelklavier というテーマの発表。彼は、The Hubert Clavichord Data Book の著者で、この本は、現存する Hubert の楽器17台についての考えうるすべて要素を図、あるいは数値であらわしたマニアックなもの。その後、シンポジウムの主催者の一人 Bernard Brauchli が、彼の専門のクラヴィコードのイコノグラフィーについてまだ知られていないいくつかの図像を紹介した。
午後の二人目に、Derek Adlam が私の楽器を使うことになっていたので、生ハムとチーズをはさんだサンドイッチを平らげてから、早めに会場に行って調律。そしたら、午後一番の Norberto Broggini が自分も使うという。なんだかよくわからないけどもちろんOKして、午後のレクチャーが始まった。
Norberto のテーマは、Haydn in Spain and South America というもの。スペインと南アメリカでのハイドン受容の初期の様子を現地に残る手稿譜などから探ったもの。スライドあり、演奏ありで分かりやすかった。それに比べると、Derek のレクチャーは、ハイドンの独奏鍵盤曲に於けるクラヴィコードの役割を論じたものだったが、カタコト英語レベルには難しすぎ


前の晩に、Peter に、君の楽器はどうして蓋が折れるようになってないのかな?と聞かれたのだが(大型のクラヴィコードは、上蓋が手前からちょうど鍵盤の奥行きの幅のところで二つに折れるようになっているものが多い)、やっぱりこういう場面では、それは必要だった


シンポジウムのまとめ。左から、Bernard Brauchli, Peter Bavington, Derek Adlam, Gregory Crowell
最後に、なにか気がついたことはありませんか?という問いが司会者からあると、あそこはもう少しこうした方がいい、とか言う意見が次々に出る。シンポジウム全体をとおして印象に残ったのは、演奏家、研究者、製作家、愛好家と参加者全員が対等に意見を交わす姿。

レクチャーが終わって、楽器をまた展示会場に運び、どこに置こうかなとキョロキョロしていたら、Peter が「あそこが空いてるから置いたらどう?」と言ってくれたのが展示会場の中の特等席。シメシメとばかりに置いたところへイタリアのテレビ局が取材に来た。

Bernard が日本からも参加者があってとか説明して、居合わせた Norberto が弾いてみせているところ。この状況はちょっと可笑しかった。


オリジナルのピアノ(Tafel Klavier)。Christian Baumann (Zweybrücken, Germany), c. 1775 FF-f3, B. Brauchli collection.


Peter Bavington の楽器。basede on the only surviving J. J. Bodechtel (late 18th century). BB-f3 diatonically fretted




Jean Tournay の楽器。上が unfretted after Friderici (1773), FF-f3 下が fretted C-c3, after anonymous from the beginning of the 18th century

夜は、最後のコンサート。Ilton Wjuniski がレクチャーで紹介した Wilhelm Rust のソナタを4曲。とここまで書いて、10月12日のブログに書いた Rust が別人だったことに気づいた Ilton の紹介した Rust の生没年は1739-1796、私が勘違いした人はこの Rust の孫だった。じいさんと孫が同じ名前とはややこしい。で、この Rust の作品は、18世紀後半の音楽としてはモダンな響き。でも、4曲も聴くとみんな同じに聞こえてしまうところが、一流になれなかった所以?
とりが Derek Adlam で、オリジナルの Tafel Klavier を使ってハイドンのソナタを2曲。正直言うと、シンポジウムも4日目、時間も夜11時を過ぎていて、もう疲れてしまって。あーもったいない。
コンサートが終わってから、Jean の車で村まで帰って来たところで、ちょっと呑もうという。時間は12時をまわっていて、えっと思ったけれども、例の食堂へ行くとおっちゃんは起きて待っていた(らしい)。入れはいれと招き入れられて、みんなでグラッパを注文。そこへ、三々五々他の参加者も集まって来て、にぎやかになる。やっぱりあちらの人はタフ。二日目のコンサートで弾いた Susan Alexander-Max が私たちのテーブルにやってきて、日本に行きたいんだけど日本にはクラヴィコードはあるのか…?という。よく聞くと、コンサートや公開レッスンをしたいのだが可能だろうか?というような話だった。失礼ながら、お歳は60過ぎとお見受けしたが、すごい情熱だ。ここでも、日本のクラヴィコード協会はどうなってる?という話に。そう、あちこちで、筒井さんと私は、お前たち二人でなんとかしろ、と迫られていたのです。