イタリアでのクラヴィコードシンポジウムに参加した後、ベルギーのクラヴィコード製作家ジャン・トゥルネイさんを訪ねて、数日滞在させていただきました。2009年のクラヴィコードシンポジウムでお会いした時に工房を訪ねるようにとのお誘いがあって、結局4年目にしてようやく念願がかないました。
5日間の滞在でしたが、トゥルネイさんには根気よく私の拙い英語に付合っていただき、また奥様にはいろいろと手助けをしていただいて、ほんとうに感謝しています。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。
トゥルネイさんのお宅には暖炉があって、もう薪を焚いていました。わが家でも薪を焚いているのでそのことを話して火の番を買って出ました。「ゆっくり燃やすことが大切なんだ」と、焚き始めも急に炎を大きくせず、温度が安定してからは太い薪を1、2本を1時間近くかけて燃やしていたことが印象的でした。
短い期間でしたが、多くのことを学ばせていただきました。具体的にすぐにクラヴィコードの製作に活かせることもありますが、時間をかけてじっくり発酵するように活きてくることがたくさんありそうです。持参した楽器を見てもらっていた時のこと、トゥルネイさんは、一つひとつのキーをそっと押してその響きを確かめていました。私がせっかちにそれも強めにキーを連打したら、「演奏する時にはそんなふうには弾かないだろう?」とたしなめられてしまいました。これは、日頃クラヴィコードの音をどのように聞いているかがバレてしまったようで、冷や汗をかきました。
トゥルネイさんはチェンバロを100台ほども製作した後に、自分にはチェンバロの強い響きは合わないとクラヴィコードに専念、これまでに50台のクラヴィコードを製作したということでした。より繊細な響きを持つ楽器に関わるからには、自分自身の音への感受性をより繊細に研ぎすましていかなければならないのは自明ではありますが、それをなおざりにしていた自分が見えてきた数日間でした。「君の職業はなんだい?」「君はなんのために楽器を作っているのかね?」という問いにたじたじでしたが、今回の滞在を通じてトゥルネイさんから出された宿題は、クラヴィコードの響きのどこにクラヴィコードの本質を聴き取るのかという根源的な問いかけだったように思います。なんとか自分なりの答えを見つけてまた訪ねたい。帰国後2週間が過ぎて思うことです。
5日間の滞在でしたが、トゥルネイさんには根気よく私の拙い英語に付合っていただき、また奥様にはいろいろと手助けをしていただいて、ほんとうに感謝しています。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。
トゥルネイさんのお宅には暖炉があって、もう薪を焚いていました。わが家でも薪を焚いているのでそのことを話して火の番を買って出ました。「ゆっくり燃やすことが大切なんだ」と、焚き始めも急に炎を大きくせず、温度が安定してからは太い薪を1、2本を1時間近くかけて燃やしていたことが印象的でした。
短い期間でしたが、多くのことを学ばせていただきました。具体的にすぐにクラヴィコードの製作に活かせることもありますが、時間をかけてじっくり発酵するように活きてくることがたくさんありそうです。持参した楽器を見てもらっていた時のこと、トゥルネイさんは、一つひとつのキーをそっと押してその響きを確かめていました。私がせっかちにそれも強めにキーを連打したら、「演奏する時にはそんなふうには弾かないだろう?」とたしなめられてしまいました。これは、日頃クラヴィコードの音をどのように聞いているかがバレてしまったようで、冷や汗をかきました。
トゥルネイさんはチェンバロを100台ほども製作した後に、自分にはチェンバロの強い響きは合わないとクラヴィコードに専念、これまでに50台のクラヴィコードを製作したということでした。より繊細な響きを持つ楽器に関わるからには、自分自身の音への感受性をより繊細に研ぎすましていかなければならないのは自明ではありますが、それをなおざりにしていた自分が見えてきた数日間でした。「君の職業はなんだい?」「君はなんのために楽器を作っているのかね?」という問いにたじたじでしたが、今回の滞在を通じてトゥルネイさんから出された宿題は、クラヴィコードの響きのどこにクラヴィコードの本質を聴き取るのかという根源的な問いかけだったように思います。なんとか自分なりの答えを見つけてまた訪ねたい。帰国後2週間が過ぎて思うことです。