慶州歴史地区は、かつて栄えた新羅の記憶をとどめる多くの歴史的遺産があります。
その中の一つ、小高い丘が連なる王陵がある大陵苑(テルンウォン)を訪れました。
ここには、多くの人々が住まう集落となっていた時期もあったそうです。
いくつかの王陵は中が公開されており、発掘された品々が展示されていました。
韓国のかつての新羅の首都があった古都・慶州にある遺跡です。都市全体が慶州は歴史地区として指定されています。
石窟庵(ソックラム)は、仏教美術の最高傑作として知られています。実物は写真撮影が不可だったため、立面図を撮ってきました。
石窟庵の近くには、願いごとが書かれたたくさんの瓦がありました。日本でいうと神社で絵馬を納めるような感じです。
仏国寺(プルグクサ)は釈迦の国という意味だそうです。新羅は地上に具現された釈迦の国だと信じられていました。
境内にあるこの金の豚さんを触ると、幸せになるだったか金持ちになるかだったそうです。
石窟庵(ソックラム)は、仏教美術の最高傑作として知られています。実物は写真撮影が不可だったため、立面図を撮ってきました。
石窟庵の近くには、願いごとが書かれたたくさんの瓦がありました。日本でいうと神社で絵馬を納めるような感じです。
仏国寺(プルグクサ)は釈迦の国という意味だそうです。新羅は地上に具現された釈迦の国だと信じられていました。
境内にあるこの金の豚さんを触ると、幸せになるだったか金持ちになるかだったそうです。
「およそ千年前、韓国では仏教の内容を集大成した高麗大蔵経板が作られました。この高麗大蔵経板は漢文に翻訳された仏教大蔵経の中でも最古のもので、正確な内容を記す偉大な記録遺産です。現在までも高麗大蔵経板は完璧に保存されております。千年の時を経た今も尚そのままの形で残っているのは、蔵経板殿があったからなのです。この建物には緻密な計算によって自然の変化に対処した韓国人の知恵と技術が盛り込まれています。」韓国韓国公社のHPより
仏教の教えを伝えるために昔の人々は16年もの歳月をかけて膨大な量の木版を掘り、その木版を保存するために広大な敷地に建物を作ったとのことです。キーボードで文字を入力し、インターネットを利用して世界中に情報を発信することできるという現在のような状況は、夢のようでしょう。
中庭には蓮の花の形をしたたくさんの提灯がありました。記憶が定かではないのですが、亡くなったお坊さんを偲んでのものだそうです。亡くなった高僧の方の頭蓋骨からは、舎利(しゃり)と言われる米粒くらいものがあるそうで、それを祀っているとのことでした。
仏教の教えを伝えるために昔の人々は16年もの歳月をかけて膨大な量の木版を掘り、その木版を保存するために広大な敷地に建物を作ったとのことです。キーボードで文字を入力し、インターネットを利用して世界中に情報を発信することできるという現在のような状況は、夢のようでしょう。
中庭には蓮の花の形をしたたくさんの提灯がありました。記憶が定かではないのですが、亡くなったお坊さんを偲んでのものだそうです。亡くなった高僧の方の頭蓋骨からは、舎利(しゃり)と言われる米粒くらいものがあるそうで、それを祀っているとのことでした。
2010年に訪れた韓国では、世界遺産めぐりをしました。
水原華城は、万里の長城のように長い城壁が囲まれた街で、結構、都会です。
その中でも公園化された場所を案内していただきました。
城壁らしく大きな門や大砲が設定されていました。
弓矢が体験できるコーナーもありました。
台風なので、閉じこもっています。
幸い停電になっていないこともあり、パソコン立ち上げて以前、撮影した写真を見ています。
旅行の際に撮影したたくさんの写真たち。ここがどこなのか記憶がおぼろげです。
自分にとては、メモ帳としての役割が大きいこのブログ。
覚えている範囲で、記事を書いてみようかと思います。
今泊集落は地域を挙げて、フクギの屋敷林を維持していおり、昔ながらの風景をみることができます。
フクギは成長が遅い木ということもあり、目隠しとしてトタンを利用している箇所がところどころあります。
それでは、ちょっと風情がないと、竹で目隠しができないかと実験的に設置している箇所がありました。
左が本土産の真竹で編んだもの、右がヤンバル竹で編んだもの。
どちらが長く風雨に耐えることができるか試しているそうです。
地域の人たちが様々な知恵を労力を出し合って、住みよい集落環境づくりに取り組んでいて、素敵だなと思います。
今泊集落は、今帰仁城跡の城下にある集落で、元々はグスクの隣接してあった今帰仁ムラと親泊ムラが、1609年の薩摩軍による琉球侵攻で今帰仁城が焼き討ちにされたことがきっかけで、現在ある海岸沿いに移動したとされています。
本来、神様が降りてくる場所とされているハサギ(神アサギ)は集落に1つですが、2つの集落が一緒になったので、今でも2つのハサギがあるそうです。神事も2か所で行われているそうです。
公民館のそばにあるハサギは、旧親泊ムラのものでフプハサギ(大きいハサギ)(写真は下)、旧今帰仁ムラのハサギはハサギグヮー(小さなハサギ)(写真は上)と呼ばれています。
先日、今泊集落で歴史ガイドの方に集落内を案内していただきました。その方は、ハサギ(神アサギ)を天から降りてきた神様が休憩する場所。と説明されていました。別の集落では、神アサギの軒の低いのは神様の前で頭を低くするため。と教えたくれたおばぁがいました。
神アサギは沖縄本島の北部の集落を中心にみられるもので、この中で神事が行われます。