中山道も<八幡宿>に入るとおよそ江戸から三分の一歩いたことになるとのことです。 ただ、この時点で<倉賀野宿>から<軽井沢宿>は歩いてなく中抜け状態なので、三分の一は未だです。
すきっ腹の足しにはならないけど宿の入口にある八幡神社で女性陣が持っていたお菓子を分けて食べます。(昔の人の気持ちが分かるようになってきた?)八幡神社正面にある「高良(こうら)社」は国の重文とか。八幡宿は本陣跡が一か所あるだけで昔の風情は殆んどありませんが、国道脇を通って百沢(ももさわ)集落に入ると短いですが格子戸の建物が残っています。集落のはずれに男女が酒を飲みかわす祝言道祖神があり微笑ましいです。 ここからは国道を横切ったり戻ったしてトンネル手前国道脇から右に狭い畑道に入ります。今の中山道は車が通れる様になっているのでもっと手前から分岐してます。
<望月宿>狭い畑道から車の通る中山道に出て坂を上ると「瓜生坂一里塚跡」です。ここは山道の中の土が高くなった場所で説明道標がないと気が付かないでしょう。峠の先から完全な山道を下り急な舗装道路になると長坂石碑群が現れ鹿曲(かくま)川に突き当たります。川を渡った対岸が望月宿です。鹿曲川は木々の緑と紅葉しかかった紅に映え非常に美しいです。 川を渡り緩やかな坂を上ると国道に出ると望月宿・バスターミナルです。 バスの出発時刻まで1時間程あるので食事をする場所を探しましたがなく、バスで佐久平駅へ着いてからになります。
昼食を摂らずに歩きましたが見るものの多い充実した一日が終わりました。 歩数3万6千歩、16.2Kmでした。
次のルート:⑫望月宿~下諏訪宿 前のルート:⑧横川宿~軽井沢宿
<八幡宿> … 木曽海道六捨九次之内・八幡[広重] 広重描く図は、宿場はずれの小川を描いている。八幡宿と次の百沢との間あたりであろうか。煙管をくわえ鍬を背に家路をめぎす百姓、籠いっぱいの刈草を背負った少年とすれちがい、こちらの岸に足をかける老人と天秤棒の荷を担ぐ男は手甲をつけており、旅の者とわかる。こうした細かい描写で人々の風俗の違いを描き分けているので、遠景にほどこした虹の横線によって表わした日暮れの暗示が生きている。
宿場の遺構は問屋をかねた脇本陣の一部が残るだけで、昔の面影 はほとんど残されていない。
八幡神社
本陣跡・表門 / 百沢(ももさわ)集落…家紋入りの土蔵が点在
祝言道祖神 / 元禄の中仙道道標 / 山道の中山道
<望月宿> … 木曾海道六拾九次之内・望月[広重]
古代の信濃官牧(御料牧場)の中心地で、満月の夜献上馬を天覧に供したことから、望月の地名が起こったという。
新望月宿入口 / むらおこし道祖神 / 瓜生坂一里塚 / 復活した草付き道中山道
鹿曲(かくま)川手前の長坂石仏群 / 鹿曲川が美しい
/ 弁財天碑 / 長坂橋 / 馬頭観音
≪バス出発までの1時間、望月宿を散策≫
望月バスターミナル / 旅篭山城屋 /歴史民俗資料館 / 大森本陣跡
井出野屋旅館 / 佐久平駅
=おわり=