デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(7) ②<小田井宿>-<岩村田宿>-<塩名田宿>-<八幡宿>-<望月宿>バスターミナル

2016-10-24 23:59:59 | 中山道

【2日目】
2016年10月24日 中山道歩き7回目・2日目はしなの鉄道御代田駅裏にある宿からスタートです。昨日は山頂付近に雲がかかり全貌が見えなかった浅間山も良く見え、今日は朝からすっきりと晴れています。

旅館から中山道へ少し戻り、御代田駅表方から暫らく緩い下り坂を下っていけば  <小田井宿>に入ります。道が急に広がり東の枡形になります。古ぼけた出桁造りという縦格子の家が多くあり風情のある町並みです。道の片側には用水路があります。かつては道の中央にあったものが寄せられたとか。「寶殊院」というお寺の茅葺屋根の鐘楼は1779年建立とかで格式があります。問屋跡の建物も切妻造りの母屋が堂々として風情があります。宿を抜け国道沿いに「皎月原」という伝説の原っぱを覘き先に行きます。ちょっと休憩して休みたいのですがまだ9時過ぎ、コンビニはなくレストラン等も開いていません。途中の馬頭観音前にあった柿を失敬したけど渋柿でペッペッ。     
その先<岩村田宿>江戸口にあった「住吉神社」、樹齢四百年たち火災で空洞があっても立派に立っているケヤキに圧倒されます。 朝方少しあった浅間山の雲も取れすっきり見えます。  武田信玄が再興し、遺骨があるという「龍雲寺」、山門が見事です。「西念寺」は岩村田藩主内藤氏の菩提寺でこの寺も立派で風格もあります。 岩村田のはずれから田園地帯になり高い建物が減り右手に浅間山の山並み、左手に八ヶ岳連峰を常時見ながら歩きます。また、稲刈りの終わった田圃とたわわに実った林檎園が多くなり絵になります。この時点で正午ですが千曲川端の川魚料理で昼食を摂ることにして「諏訪神社」の境内で軽食を摂り先に行きます。   塩名田宿手前で道を間違え田圃の中を歩きましたが無事旧道に戻ります。   
塩名田宿>は千曲川手前から川端にかけてあり河岸段丘の上部に本陣、下部に200m程 旧宿の旅情を感じさせ静かな雰囲気の川原宿があります。  13時を過ぎましたが、川原宿にある昼食予定の川魚料理店は予約をしていないとダメという事で別の店を探します。 千曲川を渡る時、右手に浅間山、左手に八ヶ岳連峰がきれいに見えます。  千曲川渡り坂を上る途中の大日如来像と芭蕉句碑があります。 昼食の店を探したけれどある雰囲気はなくイラつく人も出てきましたが なだめつつ先に行きます。   
すぐに<八幡宿>に入ります。中山道も八幡宿に入るとおよそ江戸から三分の一歩いたことになるとのことです。

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 <小田井宿> … 木曽海道六捨九次之内・小田井[広重] 広重は、広いススキの原を行き交う本堂造立の旗を手にした勧進僧と親子づれの巡礼を描いている。広重は物悲しい情緒あふれる風景を描く場合、いわは浮草のような生活を送る勧進僧・虚無僧・巡礼といった人々を画材の一つとして描き、そのムードを盛り上げることに努めている。この図でもそうした作画傾向をみせて成功している。この原に流れる流れは小田井宿で用水として用いられたもので、追分に近い前田原から引いたのだという。

小田井宿は飯盛女が少なく静かなことから隣宿の追分を避けて浅野宮や皇女和宮等女性が安心して宿泊したことで、「姫の宮」とも呼ばれた。本陣・問屋・旅篭など江戸時代からの建物がよく残る。

出発時に望む浅間山                        / 御代田駅にD51が!

               

寶殊院               / 茅葺の鐘楼            / 小田井宿

                

                                           / 下の問屋跡(尾台家)

                

「皎月原」

    

<岩村田宿> … 木曽道中・岩村田[英泉] 両側の商店街を押しつぶしてしまうように浅間山が見えるのに、英泉はそうした岩村田の風物を描かすに、盲人たちのけんかを描いている。杖を手に争う盲人たちの姿に犬もほえるのを忘れているような迫力のある描写である。人間を描かせては当代を代表する絵師であった英泉の作画力は感じられても、風景画として考えると味気ない作品である。

内藤氏の城下町で、善光寺道、甲州街道、上州下仁田道の分岐点にあたり、交通の要衝として発展した。城下町のためか旅籠は少なく、中山道では高崎宿とともに本陣・脇本陣がなかった。 

 

 

住吉神社 …岩村田宿 江戸口に位置する             / 樹齢四百年の欅…威厳がある

                              

            

龍雲寺

                

   

 西念寺                                                     / 念仏通り

            

 浅間連峰

                

                       

 

 

                                    / 荘山(かがりやま)稲荷社

            

百万編供養塔           / 諏訪神社 … 浅間山を見ながら軽く軽食

        

 のどかな田園風景の中にある集落 門構えの立派な古い家

            

石碑石塔群…浅間山山体崩壊時の岩屑の上

                

         

<塩名田宿> … 木曽海道六捨九次之内・塩なた[広重] 広重描く「塩なた」の図は、千曲川渡船場の風景をとらえている。菰(こも)や派手な布を身にまとい、茶屋で一服する仲間と合流しようとする船頭たちの姿に、寒さの早いこの地方の季節感がよく表現されている。そして三人連れの船頭の一人、手拭で頼かむりをし、手を後ろにくんだ男の表情に、世を達観したようなところがみえて面白い。対岸遠くにみえる山々は、中津橋から眺めた船山、鬼岩山の姿に似ている。 近景をあぎやかな色彩で彩り、遠景を墨の濃淡で処理する手法を、広重はこの「木曾街道」でしばしば用いている。この図もその手法が生きた図といえよう。

西側に千曲川の難所を控え、小諸道への分岐点でもあり、千曲川西岸一帯の米の集散地として賑わった。千曲川は洪水が度々あったので、徒歩渡し、橋渡し、船渡しの三様であったという。 

                                                    / 塩名田宿・問屋本陣

                

千曲川畔にある「川原宿」お滝通り       / 滝不動

                

                 / 川魚料理店「竹廻屋」…ここで遅い昼食のはずだったが予約がないと入れず

    

千曲川を渡る                                                  / 千曲川と浅間山    / 千曲川と八ヶ岳連峰    

                

    

大日如来像・芭蕉句碑‥「涼しさやすぐに野松の枝のなり」

    

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八幡宿> 

 <望月宿

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