2016年6月7日 中山道歩き、5回目は北深谷駅から新町駅まで17.7Kmを歩く予定です。 今回もグループ行動の日に用事があり参加できなかったので一人で歩きます。梅雨入りした関東地方、それ程暑くならず最高21℃曇り予報日の歩きです。 先行グループが歩き終わった本庄駅の先、神保原駅か新町駅まで歩くのが目標です。
早めの8時30分頃に<深谷宿>駅に到着。煉瓦デザインの特徴的な駅を後にして出発。 左手に煉瓦造りの高い煙突が目立つ造り酒屋「滝沢酒造」があります。その先に中山道最大級といわれる深谷の常夜灯があります。道路正面にあり非常に目立つ立派なものです。 JR線路の向こうにある「清心寺」は簡素なお寺です。 17号線と旧道の分岐点に芭蕉の句碑がありますが、説明資料がなければ読めない句です。 本庄宿の北、小山川を渡る手前の道は曲がりくねり、坂の途中に百庚申という庚申塔群があります。築造時、黒船の渡来や桜田門外の変があり国情騒然の時期に民衆の安定を願ったものとの事で歴史を感じさせるものです。 小山川を越え、川沿いの旧道は上州の空っ風にさらされる寒村という風情です。
かつては武州・上州の國境であったという傍示堂跡を過ぎると<本庄宿>に入ります。若干は昔の宿の雰囲気を残す建物が残っています。 遅めの昼食を摂った後、先をいそぎます。本庄宿のはずれにある総鎮守「金鑚(かなさな)神社」は樹林に囲まれ社殿は丹塗り、極彩色の彫刻で飾られて美しいものです。 暫らく旧道の郊外の道を歩くと古墳の上に作られた浅間神社があります。構造の説明板があり興味深々です。 この様な道を歩き武蔵國と上野國の國境、現在の埼玉と群馬の県境を流れる神流川に出ます。「神流川合戦の碑」と「復元・見通し燈籠」が川の両岸にあり、古の往来を思いますが狭い橋の横をダンプカーが疾走し現実に引き戻されます。
上州<新町宿>に入るとすぐに「八坂神社」があり芭蕉句碑もあります。 雲ゆきも怪しくなり16時近く、先に行くにはまだ2時間程度かかりそうなので新町駅で今回の街道歩き終了です。
次のルート:⑥本庄宿~倉賀野町 前のルート:④鴻巣宿~深谷宿
<深谷宿> … 深谷之駅[英泉] 生き生きとした宿場女郎屋の様子。竹之内の紋入り提灯からもれた光で足元を照らす。こうした明暗の表現は英泉が好んで描いた美人画に用いた手法でこの図にもその手法が生きている。
深谷は旅篭が中山道の中で一番多くそれぞれに飯盛り女を二人から三人おいていた。宿内の男女構成比は女性が138人多く、飯盛り女ぐらいが多い計算になる。その要因の一つが、前の熊谷宿が飯盛り女を置くことを禁じていたため、遊女は深谷に住みつき、自然と旅人も深谷に来るようになり一層賑やかになったということである。 [英泉]は江戸吉原に通い遊女を描く事を務めていたそうで、下記浮世絵は英泉面目躍如というところである。
深谷駅 / 「七ツ星」蔵元 / 「菊泉」蔵元 / 深谷の常夜灯
清心寺 … JRの線路を越えた向かいにある簡素なお寺
<本庄宿> … 本庄宿 神流川渡場[英泉] 昔は宿の手前、傍示堂(ぼうじどう)に武州・上州の国境標示があったが、一般的には神流川をもって、武蔵・上野両国の境とした。 図中の常夜灯は川の両岸に一基ずつ建ち「見返し灯篭」と呼ばれ、夜、川を渡る人の目安になっていた。 広くひろがる空に上毛三山、左から妙義山、榛名山、赤城山。さらに妙義山背後の茶色い山は信州の浅間山、赤城山の後の灰色の山は日光白根山とみられる山岳に、文人画の谷文晁の作品にみられる描法を活用している。
深谷宿と並んで街道有数の歓楽街を形成し、本陣や飯盛女の客引合戦も激しかったという。助郷に来た近郷の若者が村に戻らず、役人に取締り願いが出たという。 が、『壬戌紀行』に「(書店)があり。文広堂といふ。又新古本屋林といふも見ゆ」とあって、文化面も高かったようである。
龍宮神社 … / 二十二夜塔 / 源勝院 … 岡部藩主安倍氏の菩提寺
宝登山神社 /雲雀塚 … 芭蕉句碑「原中や物にもつかず啼雲雀」
島護産泰神社 … / 百庚申 /小山川・滝岡橋
/ 八幡大神社 / 古の國境・傍示堂跡
旧本庄商業銀行跡の煉瓦造り繭倉庫 / 安養院 …江戸末期の文人碑が林立・加賀千代尼句碑、芭蕉画像句碑、渡辺崋山書、等27基 / 昼食
金鑚(かなさな)神社 … 本庄城主 小笠原忠真が創建した 丹塗りの社殿と極彩色の彫刻
長松寺 … / 二柱神社 … / 浅間神社 … 古墳の上にある
勝場の一里塚跡碑
神流川 / 復元見透燈籠:武蔵國側
<新町宿> … 新 町[広重] 日本橋から英泉の図をみてきたが、ここで初めて広重の図である。 宿の西に温井川が流れ、中山道は弁天橋で渡った。 『木曽名所図会』には「左の方に赤木山見ゆる。富士峯に似たり」とあり、広重はその記事そっくりの藍の赤城山を描いている。 これまでの重苦しい画趣の英泉の図を見てきただけに、何かほっとした気分にしてくれる。木版独特のボカシや色面構成による広重の作風によるためであろう。
神流川を渡り、中山道は群馬県・上州/上野国に入る。江戸から11番目の宿場となる。当初は寂しい寒村だったが、後に街並みが出来、落合新宿と笛木新宿となり二つの村で宿場をなした。
復元見透燈籠:上野國側 / 神流川古戦場跡碑
八坂神社 … 芭蕉句[傘におしわけ見たる柳かな] / 諏訪神社 / 専福寺 / 新町駅
=おわり=