chakaしげの直滑降な日々

定年後67才にしてブログデビューし現在17年目に突入
夫婦の趣味である旅行・スキー・史跡めぐりなど気ままに綴っています

栃木市・太平山のあじさい

2007-06-30 09:55:21 | 国内旅行





太平山神社への表参道は「あじさい坂」と呼ばれています。

1000段もある石段の両端には、あじさいが咲いていました。

石段を登るのに精一杯なので、あじさいを見るのに余裕がありませんでした。




石段を登りきって、境内の「茅の輪」を拝殿に向かって左廻りにくぐり、

次に右回りをして8の字になったら神社に向かいました。




太平山神社にたどり着いてホッとしました。

一息ついて元気になったので、帰りはゆっくり石段をおりながら、

あじさいを観賞してきました。
                  
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栃木市って良いところです

2007-06-29 09:54:49 | 国内旅行


栃木市入船町・横山郷土館。

横山家は明治33年共立銀行を創立、
と同時に下野の特産物、麻を手広く扱った麻問屋。

昔の銀行の事務所や問屋の帳場などが再現されていました。

右半分で麻問屋、左半分を銀行を営んでいたそうです。







巴波川(うずまがわ)の舟運は、

江戸から日光御用の荷や塩など運ばれ、
栃木からは木材や農産物が運ばれました。

江戸末期には商人達は隆盛を極めたといわれています。

その名残りが川沿いにありました。

(荷揚場の標示あり)川は綺麗に管理され、
鯉が活き活き泳いでいました。 




市内には山車会館がありました。

会館では秋祭りで見せる、山車が展示されています。

同時に、祭りの模様をビデオで見ることができました。
迫力があり感動ものです。

蔵の町を散策できて、古きよき時代の栃木市を見ることができました。
                         
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栃木の文豪・山本有三

2007-06-28 10:18:10 | 国内旅行


栃木・栃木市出身の「路傍の石」や「真実一路」の作品で知られる
文豪山本有三ふるさと記念館にでかけて来ました。    




江戸末期の見世蔵を改修した記念館には、愛用の品や自筆の原稿など、展示されていました。
家業は呉服業、進学を断たれ、丁稚奉公へ、商人がいやで栃木に戻る。
向学心が消えず東京帝大に学ぶ。
有三の文学は父から受け継いだ「良いものを少し」の精神が残っています。
文化人、政治家として多方面にわたり活躍をされました。  




記念館近くの有三の菩提寺、「近龍寺」に立ち寄りお参りして帰りました。
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べに花って知ってる?

2007-06-26 10:20:13 | 国内旅行


埼玉・桶川市加納地区 「べに花ふるさと館」近くのべに花畑を見学しました。
ふるさと館は特産物販売やうどん、そばなどが食べられます。





ふるさと館より徒歩5分程度の所にべにばな畑があります。
べに花は、昔江戸時代、染料や口紅の材料として使われました。
江戸商人が桶川に種子を持ってきたのが始まりで、全国に知れわたりました。







現在は、観賞用、お菓子、染色などの商品に使われているようです。
花は、6月下旬から7月の上旬が見頃のようです。市内循環バスでメイン会場に行けます。
川田谷地区と加納地区でべに花祭りが開催されます。(6/30~7/1)

                       
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内村鑑三記念堂は素晴らしい

2007-06-25 10:11:48 | 国内旅行


長野・軽井沢「石の教会・内村鑑三記念堂」の見学に行きました。

新渡戸稲造等と共に札幌農学校に学び、クリスチャンとなる。米国に留学後、
伝道生活に入る。また足尾銅山事件で財閥を攻撃し、日露戦争では反戦論を
唱えた。特定の教派、神学を持たず聖書に基づく無教会主義を唱えました。







石の教会に向かう通路~(^0^)(^*^)








結婚式を終えたカップルに巡り会えました。  
教会は見学ができるので若い人が大勢来ていました。
石の教会とは言え、堅さがなく、暖かみを感じました。
                  
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「春日局の化粧間」を見てきました。

2007-06-23 14:14:33 | 国内旅行


埼玉・川越市の喜多院に出かけました。天長7年慈覚大師が創建したと伝えられています。
江戸時代に入って徳川家康の片腕と言われた、僧天海によって再興されました。
大火にあったため、徳川家光の援助で天海が復興。その時、江戸城中紅葉山から
移築された「家光誕生の間」や家光の乳母「春日局の化粧の間」などがありました。







境内の四季を感じさせる立派な庭園もありました。
国の重要文化財に指定されています。また県の有形文化財などもあり、喜多院は文化財の
宝庫です。




境内には、50年がかりで作られたと言われるユーモラスな五百羅漢の像がありました。







川越いも~
「九里四里うまい十三里半」と江戸時代に江戸と川越の距離をもじって
味の良さをうたわれたさつまいもは、今でもこの地域の特産品の一つです。
このいもを原料に色々な菓子類が作られています。
お土産にいもせんべいを買って帰りました。       
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日光田母沢御用邸記念公園へ

2007-06-21 09:39:54 | 国内旅行


栃木県・日光田母沢御用邸記念公園に立ち寄りました。
明治32年大正天皇のご静養のために造営されたものです。旧御用邸のうち、本邸が
現存する唯一のものです。  国の重要文化財に指定されています。

        入園料:500円 駐車:200円(2時間) 休園日:火曜日



江戸、明治、大正期における建築技術や、材料の枠を集めて造られた
国内最大級の木造建築物です。







「謁見所」をはじめ見どころが沢山ありました。襖も素晴らしいですね!
大正天皇から三代にわたる天皇、皇太子が利用されました。
当時の姿を可能な限り忠実に復元したそうです。




記念公園近くに寂光滝がありました。高さ50メートル、幅6メートル、七段になって
落ちています。昔から名爆として知られています。
女峰山の登山口にもなっています.
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足尾銅山を観光しました

2007-06-20 10:42:45 | 国内旅行


400年にわたって国内一産出量を誇った足尾銅山に出かけてきました。
掘削現場の一部を公開されています。




トロッコ列車に乗って坑内に入っていきます。








全長700メートルの坑道内には、数10体の人形を使って当時の採掘の様子をリアルに
再現しており、過酷な重労働の様子がわかります。
総延長1.234キロメートル(およそ東京~博多間)に達します。




入り口近くには資料館「鋳銭座」があります。
一般的な貨幣、寛永通宝(1文銭)は江戸末期まで各地で作られていました。

足尾で作られた寛永通宝には、すべて裏に「足」の文字が刻まれて「足字銭」
と呼ばれていました。人形を使って再現しています。
お金を作る前の身体検査が行われます。

歴史的資料や貴重な文献など展示紹介されていました。

銭に関する言葉の一部を紹介します
相撲の十両:江戸時代1年間の給金を十両とった力士を十両といいました。
      今も相撲の番付にこの呼び名が使われています。  
                              


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日本一の吊橋

2007-06-17 09:29:51 | 国内旅行


長さで有名な竜神大吊橋は全長375メートル、
水面からの高さは100メートルで日本一の吊橋です。
常陸太田市天下野町  通行料:300円 時間:8:30~17:00 p:無料 
 




龍が住んでいたと言われる竜神峡も近くにあります。
橋からの眺めの山々は美しいけれども、下を見るとゾッとしました。
自然に恵まれた、緑の美味しい空気を一杯吸ってきました。 

 

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黄門様の古里

2007-06-16 11:37:55 | 国内旅行


黄門様と慕われた徳川光圀が余生の10年間を過ごした建物「西山荘」を見学しました。
茨城県常陸太田市新宿590 入園料:630円     




「突上げご門」周囲の木立に合わせ、光圀公が考案して、簡素な門、昼は肩を突き上げて
おきます。




黄門様の人柄が偲ばれる自ら耕した水田が残っていました。




黄門様が好んで散歩したみちです。ここの杉は紀州熊野から取り寄せた杉で樹齢320年、
樹高50メートルもあります。







西山荘近くには、「助さん」の住居跡と井戸が残されていました。

徳川光圀公は多くの人々から黄門様と慕われていただけに格式張らずに迎え入れる姿勢が
質素な建物などから伺い知ることが出来ました。

                        
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