野坂昭如さんが亡くなられた。
アニメを見る前にアメリカひじきと火垂るの墓を読んでいたので、アニメの火垂るの墓は、きれいごとにしか思えなかった。想像でしかないけれど、きっと野坂さんは、節子が亡くなったことは自分のせいだと自分を責め続け、その後悔や自責の念から書かずにはいられなかったのではないかと思う。きっと身を削るようにして、心の奥底の血反吐をはくような想いだったのでは、、、アニメ化されても、ご本人は見ることができなかったとのこと。そしてアニメ制作者も、壮絶な飢えと闘い、妹をある意味見殺しにして自分が生き残ってしまった、というストーリーはあまりにも生々しく、そのままは表現できなかったのでは、、、
作曲も、小説も、そして絵画も、芸術はきっと神様から選ばれた、才能のある人が、自分の身を削るような想いで表現するからこそ見る人、聞く人の心をうつのだろう、と思う。選ばれたからこそ死に物狂いで努力し、そのうえで、心まで削って表現する。だから、ドラッグにおぼれる人も出てくるし、自殺する人も出てくるのではないかな。(もちろん、そうではないプロ作家、プロ画家、プロ演奏家も大勢いる。)
また一方で、心にささったとげのようなものを吐き出したい、という気持ちは、才能にかかわらずあるんだと思う。1945年に広島と長崎に原爆が投下され、30年後の1975年にNHKが原爆の絵を募集した。描かずにはいられない、描くことで何か吐き出したい、という方の絵がたくさん寄せられた。直後は生きるのに必死だし、復興に向けてつらい過去は思い出したくないことだったかもしれないけれど、30年の間、心にずっと残っていた塊のようなもの、なのだろう。その絵は見る人のこころを揺さぶる。そして、まぶたにその光景が焼き付いている人は、確実に減っていく。
私の両親も、終戦時10歳で、母は朝鮮半島からの引き揚げ者。博多港に帰国したとのこと。(福岡に住んでいたとき西日本新聞で読んだけれど、博多港にはソ連兵に暴行され妊娠してしまった女性をひそかに堕胎させる産婆さんがいたそうだ。)父は、祖父の出征中に母親を亡くし、一家の大黒柱代わりだった。そんな両親の体験も、何かの形で残しておかないと。
表現すること、伝えること。「はだしのゲン」を描いて残してくださったことにも感謝するし、市民が描いた膨大な原爆の絵も人類の財産だと思う。しっかりと受け取っていきたい。受け取れる感性を持っていたい。子どもたちにも伝えたい。