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「言葉の力」で企業を伸ばす!ビジネスライター奮戦記

日々、企業様の販促、営業戦略立案、編集など仕事の中で感じること、女性の働き方、教育、エコ&オーガニックなどを綴ります。

コロナ禍に思うこと

2020年05月24日 22時07分20秒 | 世の中

こんなことがあるなんて、と信じられない状況は永遠に続くような気がしていたけれど、明日にも緊急事態宣言は解除される模様。徐々に街に人が戻り始めている。最初に、39県で解除になったとき、あれ?もういいの?という感じだった。もちろん一日も早く普通の生活に戻ってほしいんだけど、歯を食いしばって逆風に耐えていたつもりが、風がやんでるのにまだ力をいれたままでいた、という感じ。

もちろん解除されたからといって、飲食店にお客さんがすぐに戻るような気もしないし、観光業なんていつになったらお客さんが来るのかまったくわからない。3月、4月、5月の売上が飛んだ分を取り返すにはまだまだ当分かかることは確実だ。

それでも、コロナ対策のいろんなことが動き出した矢先にもう解除、という感じがどこかしている。テイクアウトデリバリーの補助金や、飲食三類許可申請など、ようやく準備ができたところでさあ元の生活に、と言われても、消費マインドは戻ってこない。

いろんな人が言っている通り、自営業やフリーランスは自分自身が選んだ生き方であり、社会の急変もある意味何が起きるかわからない中で覚悟してやっていくのが自営業だ、というのもその通りだと思う。ただ、実質戒厳令のような政府や県の要請で引き起こされたこと、というのも事実。でも、起きてしまったことは変えられないから、それに合わせて生き残る道を探るしかない。

大学のオンライン授業なんて、今月に入ってようやく準備が整い始まったばかりなので、前期はこのままだと思うけど、やっぱり少しずつは対面式の授業もしてあげたいように思う。アベノマスクにしても届く頃には市場にマスクも戻っている。このずれている感じ、自粛が進むときのあれよあれよ、という感じ、そして解除のときのこのおそるおそるな感じを忘れないようにしたいと思う。うまく言えないんだけど、なんだか振り回されている感じ。

そして、消費増税のときも、リーマンのときも、いつもなんだけど、いろんな支援策は、余分な予算がかかりすぎる。持続化給付金の事務局委託費700億、とか、特別給付金の事務費1200億、とか、実際に支援に回るお金の周辺の予算がかかりすぎる。アベノマスクに関しては、検品とかで追加予算なんてありえない。不良品は納品した事業者が当然引き取って検品すべきだし、あのサイズのマスクに固執した意味がわからない。せめて西村マスクにしてくれたら・・・せめて町内会を通じての配布とか、欲しい人だけどこかに取りに行くとか・・・本当に困っている人を救うアクションはよっぽど民間の方が早くて無駄がないというのが悲しすぎる。この前も、持続化給付金サポートセンターが開設された廿日市商工会議所の1階で、ぼーっと座って何もしていない受付の人がいてびっくり。コロナで失業した人を雇っているならいいんだけど・・・。

私自身の仕事も、コロナで支援策が増えるたびに忙しくなってるので、関連予算が回ってきている中間搾取メンバーの一員か、と思うと少し情けない。(ほぼ従来の仕事の枠内で支援に取り組んでいますが、コロナ対策専門家派遣、というのが入ってきています)


100年に一度の出来事

2020年05月06日 21時56分01秒 | 世の中

2年ぶりのブログ投稿。ついついFBに日ごろ思うことをさっと投稿してすませるのが手軽でこちらにわざわざ書きたいと思う余裕もなく毎日が過ぎていた。

今回のコロナショックは、本当に毎日、これは現実なのか、信じられなくて、本当に目の前で起こっていることなのか、毎朝これが夢だったら、と思うけど、夢ではない。

この数年、創業支援に関わる案件が増え、3年前からは創業支援コーディネータも拝命。日々、創業者の人と一緒にいろんなビジネスモデルを考え、どうやって新しい市場を生み出すかを考えることがこんなにも楽しい仕事だったと改めて気づかされた。コロナ危機が起こってからは、まず日々の支出をどう抑えるか、この売り上げの上がらない期間をどう耐え抜くか。調べるのも日々変わる支援策。資金繰り。雇用調整助成金。どれもマイナスをいかに減らすか。プラスを生み出すこととこんなにも違うとは。

何よりつらいのは、「不要不急」という言葉。今まで世の中にないものを作ろう、誰かの役に立とう、誰かを幸せにしよう、と考え提供してきた商品やサービスが、まるで余分なものだと突き付けられているような気持になる。伴走している私でさえこんな気持ちになるのだから、創業された当事者の皆さんの気持ちを考えると、ほんとうにつらい。

感染リスクを避ける習慣が身についてしまうと、なかなか消費マインドや行動がもとに戻ることはないように思う。イベントなんてなくても生きていける、研修も受けなくても仕事はできる、となると、何も価値のないことを提供してきたのか、という気持ちになってしまう。海外から気軽に旅行に来てもらえるのはいつになるのだろう。オリンピックはできるのだろうか。

私自身はコロナで外出自粛でも、基本的に広島市と廿日市2つのセンターに毎日出勤し、あまり変わらない日々を送っている。連休中は久しぶりに在宅ワークで、オンオフのスイッチを手動で入れる感覚は懐かしい気もした。外で仕事する場合は、時間までに間に合うように逆算して家を出る、今日何を着るか考える、パンストやジャケットを身に着け、口紅を塗ると自動的に気持ちにスイッチが入るのだけど、ノーメイクで普段着のままだと、PCにスイッチを入れるまでに気持ちにスイッチを入れるプロセスが必要となる。

リモートワークが広まると、洋服やお化粧品の消費も減るだろうし、気分転換や時間つぶしのカフェとかの支出も減る、減る、減ることの方が多いだろう。

とんでもない社会になってしまう。ピンチをチャンスに、なんて軽々しく言えない。どんな世の中になってしまうのか、怖くてたまらない。

1720年ペスト、1820年コレラ、1920年スペイン風邪、2020年コロナ・・・

1929年世界恐慌、1945年終戦、1972年オイルショック、1992年バブル崩壊、2001年ITバブル崩壊、2008年リーマンショック、2011年東日本大震災、そして2020年コロナ危機・・・


ゆく年くる年

2018年04月01日 05時34分32秒 | 世の中

去年も年度末が週末だったように思います。プレミアムフライデーなんてとんでもない!と。今年も月末年度末が土曜日、新年度は2日(月)からですね。エイプリルフールは日曜日。

2月くらいからSNSでの投稿が、「合格しました!」報告が増えてくる。もちろんめでたいことなのでお祝いしてあげたいのですが、その投稿を見るのがつらい立場の人もいると思うと胸が痛くて、ここで合格披露するのやめない?キャンペーンでもはりたいくらい。

私自身は中高一貫校だったため、人生で受験は中学受験1校、大学受験2校のトータル3回しか経験しておらず、2勝1敗、不合格経験は滑り止めの私立大学1校。その分就職活動では落ちまくったので人生の帳尻はどこかで合うようにできているのですね。

で、そんな私の経験から少しでも子どもたちに楽をさせたいと3人とも中学受験からスタート。3人でトータル18くらい(多すぎて数えきれない)の不合格を経験しました。中でも本人の第一志望がかなわなかったときは見てるのもつらいです。そんなときに他人の「合格しました!」投稿はやっぱり素直に受け止められない心の狭い人間なので、少しでも誰かの心の負担になるのが怖くて、決して合格しました投稿はしないようにしています。

また、甥っ子が就職氷河期にとても就活に苦労した経験があるので長男次男も就活で内定をいただいても、それも投稿は控えました。長男も次男もお祈りメールももらったし、そんなときに回りがどんどん決まっていくのはやっぱり精神的に気持ちのいいものではない、と思うので。

悪意のない無邪気な行動が人を傷つけることもある、ということに気づかない人も多いことがSNS疲れ、リア充自慢、と言われる所以なのでしょうね。

もうひとつ、私自身の考え方と合わないのが、大学受験に親がついていったり、大学の入学式や卒業式に親が出たり、卒業後の引っ越しを親が手伝っている人のなんと多いこと。私自身が大学受験も一人で行ったし、引っ越しも親に手伝ってもらってないのでそれがデフォルトになってて、受験も基本は一人で、次男は1校だけ出張がたまたまあったので前日同じホテルに泊まって夕飯を一緒に食べましたが、朝は送りもせず仕事にいき、娘も1校だけ交通の不便なところで前日の下見は一緒に行ったけど私は日帰り。まったく問題なし。中学受験でさえすべては送り迎えしなかったし。最近は子どもが受験している間に家探しを親がするそうですが、もし不合格だったときの気持ちを考えたらそんな気にとてもなれません。

大学の卒業式なんて交通費かけて行っても子どもと会場で会えるかどうかさえわからないのに、、と思うんですが。(娘の入学式は入寮式の数日後で、寮でどんな様子なのかが気になって顔を見にいっちゃいましたが。末っ子には甘い)

大学入学時の引っ越しは3人とも高校卒業したばかりで一人暮らし経験もないので買いそろえるものもわからないと思ってそれでも行ったけど、卒業時は一切手を出しませんでした。

私もいい加減過保護だと思うけど、SNS見てるとまるで過保護自慢の親があまりに多くて、新社会人がちゃんと自立できるのか大きなお世話と思いながら心配しています。

 

 


今年もよろしくお願いします

2018年01月02日 01時39分33秒 | 世の中

平成30年がスタートした。

1988年(昭和63年)に大学を卒業したので、平成になったときにはすでに社会人で、バブル時代も失われた20年もリアルに通り抜けてきた。最初に就職した会社がとにかく忙しくてたった4年間だったけど多くのことを学び凝縮した時間を過ごしたと思う。働き方改革とは真逆のそれこそ24時間戦えますか、だ。

その後、子どもができて仕事をやめ、東京ラブストーリーや101回目のプロポーズなど再放送のドラマなどを見る余裕もできた。今思い返すと、東京ラブストーリーの登場人物たちって、会社が終わってからの時間がすごく長いように思う。今、働き方改革で早く帰って自分の時間を持とうと掛け声かけてるけど、当時もかなり充実したアフターファイブだったのかも??リカさんは、女性活躍推進の先駆けで海外勤務となるし、先見の明があったのかも。

この30年で変わらないなあと思うのは、テレビのお正月特番。30年前とは情報機器環境がまったく違うのに、相変わらずハワイでこぞって年末年始を過ごす芸能人やお笑いタレントが大量に出てくるうるさいだけの番組が長々と続く。これだけテレビ離れが言われているのに危機感はあまり感じられない。高いギャラを払う価値のある使い方とは思えない。

この30年で加速したのは、頭の回転が速くて気の利いた言葉を瞬間的に使えるお笑いタレントの能力が、お笑い以外の分野で発揮されるシーンのように思う。ひな壇でコメントするだけの役割はもちろん、報道系含め司会の仕事も席巻している。司会としてのイメージが定着してしまったら、逆にコントとか漫才とかに出ると違和感を感じてしまうかも。関口宏クラスになると、ドラマや映画に出ていてもサンデーモーニングのイメージが払しょくできないので、もう司会一本で行った方がいい。

テレビ離れの原因の一つだと思うけど、スマホのゲームは日本全体で考えると膨大な時間のロスだと思う。いろんなことを吸収したり考えたりする時間が搾取されていることに早く気付いたほうがいい。ぼーっとしているほうがまだいろんなことを思いついたりするだけましでは?ぼーっとテレビを見ていた時間がスマホにスライドしただけと思えば30年前と変わりないのかもしれないけど、スマホは電車の中などの移動中やちょっとした待ち時間さえもすべて奪ってしまう。

その昔、テレビの草創期のころ、優秀な人材は映画会社に入社し、映画会社に入れなかった人たちがテレビ業界に入ってそのコンテンツを育てテレビの黄金時代を作ったと聞いたことがある。テレビ黄金期はテレビ業界に入れなかった人たちがどこへ行ったのだろう。ゲーム業界やネット業界に行ったから今の状況があるのかも。ということは、採用時に優秀と思われた人よりも、そこへ入れなかった人のほうが結果的に新しいものを生み出し、その繰り返しで業界の新陳代謝が行われている。一方で、昔のヒット曲のカバーや映画のリメイクなども増えているのを見ると、新しいものを生み出す力は弱まっている?

せっかくの年末年始をテレビやゲームに時間を奪われるのはやっぱりもったいない。まあ私はこの数日年賀状作成とリストの整理に追われてそれどころじゃないけど・・・。

 

 

 


プレミアムフライデー

2017年01月27日 12時17分46秒 | 世の中

思い付きはいいのかもしれないけど、現実にはまったくそぐわない政策のような気がする。

よりにもよって、「月末の金曜日」・・・早く帰れというほうが無理なような。まあ、仕事内容にもよるのかもしれないけど、営業マン時代の思い出は、12月28日の仕事納めの日、目標達成してなくて、マッチ売りの少女のごとく、会社に戻れず、お客さんのところを一件ずつ飛び込んで歩いた。今と違って、ゆとりのあった時代、年末は大掃除のあとはビールなどでお疲れさん会をやっている会社が多くて、顔を出すと「あんたも飲んでいきなさい」という感じで商談どころの話にはならない。でも、なんとか数字を作らないと、と次の会社へまた歩く・・・

今はさらに人員も減らされ、IT化、OA化が進み、仕事の管理が細かくなっている時代・・・だからこそ、月末の金曜日でも15時に帰ろうと思えば帰れるのかもしれない?

が、ほとんどの中小企業はそんな余裕はないと思う。ますます大企業と中小企業の差が開いていくような・・・

お役人さんたちは、月末の金曜日に早く帰れるのだろうか。3月31日は月末、年度末の金曜日・・・考えただけで恐ろしい・・・


とうとう100万人を・・・

2016年12月23日 22時25分20秒 | 世の中

子育て情報誌の仕事をしているため、毎年何人の赤ちゃんが誕生するかは気になるニュース。ここ15年くらい、いつ100万人を切るか、実はどきどきしていた。

そしてとうとうその日がやってきた。2016年の出生数が、とうとう100万人を切ってしまう。最後の砦が無くなってしまうようで、もしかしたらどんどんこのまま減っていくのかという気がしてならない。

いろんな理由があると思う。

まずなぜ結婚しなくなったか。人生の選択肢が自由になればなるほど、結婚に向かう力は弱まるのだと思う。当然のように一定年齢が来たら結婚するもの、と決まっているほうがそちらへ踏み出しやすい。どちらっでもどうぞ、と言われたら、大事な問題はついつい先送りしてしまい、そのままずるずる・・・

昔は性別固定的役割分担だったので、男性は家庭のことをしなくていい、という世の中で、コンビニもほか弁もコインランドリーもなかったし280円牛丼もなかったから、仕事に打ち込もうと思うと奥さんもらわなきゃ、っていう家政婦的な結婚、という面もあったと思う。

今は、結婚しててもしてなくても、彼と旅行とか同棲とかも自由になって、結婚しないと一緒に暮らせないってわけでもないから、なかなか結婚に踏み切る理由がないのかもしれない。(結婚して一家を構えるよりも、お互い独身のままでお付き合いだけしてるほうが精神的にも経済的にも楽なのかも?)

何より、恋愛の駆け引きがめんどくさくて、もめごとがいやで、ともだちと楽しく過ごすほうが心地いい、ということで、そもそも恋愛に消極的な人が増えているということも大きいと思う。

東京ラブストーリーの25年後、ってのが連載してるらしいけど、今の若い人たちには、25年前のリカとカンチはまったくピンとこないみたいだし。

という分析ばかりしてても仕方ない。しっかり恋をして、傷ついて、でもそんな中で一生をともにする伴侶を得て、何よりも愛しい子どもを授かって、育てて、一緒に成長し、そして子供からたくさんの幸せをもらって・・・そんな人生もいいものだ、ということを、もっともっと発信していかないといけないのかな。

欲しくても子どもができない夫婦も増えているようで、環境ホルモンとか化学物質の影響もあるんだろうと思うと、ほんとに切ない。でも、そもそも、恋愛感情もそんなのに影響されてるのかもしれないな~なんて思ったりもする。

東京一極集中で、特に男性が都会に集中し、都会では男性が結婚できず、地方では女性が結婚できないというのも問題。

何かひとつをどうにかすれば解決するってことではないだけに・・・でも、子どもたちの笑顔がない国の未来はない。

 

 


業界用語

2016年09月30日 15時12分05秒 | 世の中

いろんな業界に、特有の言葉が存在する。

カープブームもあって、野球用語を耳にすることが多くなっているんだけど、どうしても違和感のある言葉がいくつかあります。

ピッチャーが投球練習をするときに「捕手を立たせて」「捕手を座らせて」・・・投手上から目線が気になる。どんな新人ピッチャーが、どんなベテラン捕手を相手に投げても、あたりまえみたいに使われてるのが違和感ある。

体をいじめる、いじめぬく・・・う~ん、しっかり訓練することなんだろうけど、もっと体は大事にしてほしいかも。

コンサートの告知などで、「~をひっさげて」とても似つかわしくないタイプの人にもついつい使っているのを耳にすると違和感。

業界用語以外でも、今の若い子たちが使う言葉で気になるのは「コクる」・・告白するってことらしいけど・・・略することで違うニュアンスが含まれてしまうように思うのは私だけでしょうか。

報道で当たり前に使われている「命に別状はありません」・・・別状?別条?どっちでもいいけど、なんだか気になる。「現場は一時騒然としていました。」これも、ライターさんの手抜きのような気がする、そう書いておけばすむ、みたいな投げやりさを感じるのですが。

どこで聞いたか、「~な今日この頃。」で終わる文章を書いてはいけない、と言われたことがあります。現場は騒然、と同じく、なんとなく締めの言葉としてそこに逃げてしまうから、かな。

最近、SNSでよく見かける「~~をバチリ」「~~をパシャリ」もできれば避けたい言い回しかな・・・


オリンピック

2016年08月31日 14時51分23秒 | 世の中

天皇陛下の退位ということが話題になりました。皇室典範とか憲法とか、きちんとした知識があるわけではないので、単なる雑感ですが、天皇陛下がリオオリンピックの時期ににその意思をビデオメッセージという形で表明されたのは、私には、「万が一にも東京オリンピック開催が喪中にあたってはいけない」というメッセージが込められているように思いました。

昭和から平成に変わるとき、年末に崩御されると社会が大混乱するからというご配慮もあったのではないかと思いますが、昭和64年は確か一週間くらいしかなかったかと思います。天皇陛下のビデオメッセージの全文が新聞に掲載されているのを拝読した時、昭和64年のことを思い出しました。

広島、長崎、沖縄、そして終戦の日を大切にしておられる天皇陛下、もちろんいつまでもお元気でおられることをお祈りしたいですが、きっとご自身の影響を誰よりもご存じだからこそ、万一、時期が重なってしまった場合、現職天皇でおられる状況と、前天皇、というお立場で迎える状況とでは大きく違うといろんなことを知らない私でも思います。

でもどのメディアをみても、そのことに言及する人は誰一人いませんでした。恐れ多くもそんな時期を特定するようなことを言ってはならない、のかもしれません。

でも、もし、そこまでご配慮されているとしたならば、その意をぜひ汲んでいただきたい、と思うのですが・・・

 


応援スタイル

2016年06月30日 02時57分18秒 | 世の中

さて、今年のペナントレースもセリーグは混戦模様。地元カープの応援スタイルしか知らなかったんだけど、他球団もいろんな応援歌や掛け声があることに最近気が付いてきた。

びっくりしたのは、味方の応援をするだけでなく、相手に対するものがあること。こちらのピッチャーが打たれて交代するときに、攻撃している阪神側が、味方の打撃の応援をするだけでなく、蛍の光を演奏してこちらのピッチャーを揶揄する。え?なんで?そして、敗戦濃厚な最終回、2アウトで2ストライクになったとき、こちらの攻撃なのに、もう勝利目前の相手チームから「あと一球」コール。それってマナー違反ではないの??

そして、「ひろしま倒せ~」とかって叫んでる応援をするチームがいることにもびっくり。広島の応援は、基本的に、自分たちに対するメッセージや応援が主で、相手チームに対してどうこうするものは無かったと思う。(いろいろ調べたら広島でも「~倒せ」応援はコンバットマーチの時あるらしいけど、私自身は見たことがない。)

日本語は相手を敬う表現をするときに、相手を持ち上げる方法(尊敬語)と自分を相手より下げる方法(謙譲語)がある。というのを思い出してしまう(ちょっと違うか)。自分たちを応援するのか、相手をやっつけるのか。

子どもたちのバレーボールを応援してた頃も、基本的に自分たちのプレーや選手にしかかけ声はなかったと思う。もちろん相手がサーブをミスしたら拍手とかはするけど、ミスしたことを喜ぶというよりは、点が入ったことに対する喜びだよね。

東京六大学野球のポスターみたいに、相手チームのことをハンカチだビリギャルだとかなんとか言ってるのもちょっと違和感ありかな・・・

もうひとつ気になること。どうでもいいことなんだけど、ジャイアンツのバッターがホームランを打つと、渡してもらったジャビット人形をスタンドに投げるのに、カープのバッターはスライりぃー人形を受け取って、またそれをボールボーイに渡している。これって人形を再利用疑惑??

 

 


広島の長い一日

2016年05月30日 02時30分07秒 | 世の中

今年は2か月早くハチロクがやってきたようだった。

5月27日、現職大統領として初めてオバマ大統領が来広。決定から約2週間、新聞やテレビも連日関連の報道が続き、当日は、本当なら伊勢志摩に行っているようなメインキャスタークラスが続々広島から生中継。改めて核廃絶について世界的に考えてもらえる大きなきっかけにはなったと思う。

岩国から広島へのヘリのルートに近く、生でヘリの音を聞きながら、テレビ中継から目が離せない。この日は、市内での仕事や新幹線を使う出張が入らないよう祈ってたので、岩国到着から平和公園を離れるまでずっと見ていた。

平和公園で車から降りてきた大統領の姿を見たときから演説まで涙が止まらなかった。岩国にいるのは軍隊で、そこからやってきた最高司令官だし、核廃絶の具体的な政策が盛り込まれず不十分だとかいろんな批判もあったけど、やはりこれまでタブーとされてきた大統領の被爆地訪問が実現した、というのは大きな一歩だし、広島の人の心を動かしたと思う。

被爆された方々の願いは、「リメンバーヒロシマ」ではなく「ノーモアヒロシマナガサキ」だ、という新聞記事を読んだ。まさにそこなんだと思う。いじめで自殺した子どもを持つ親、飲酒運転で家族を亡くした人たちは、これから先いじめで命を絶つ子供がいなくなること、飲酒運転で命を落とす人がなくなることを願って運動され続ける。中国や韓国などアジアの国々で日本軍がひどいことをしたのはきっと事実なんだろうと思うけど、いつまでも謝れと言われ続けるのは、どこかで何か対応を誤ったからなのでしょうか。

広島の長い一日、発表されてからの長い17日間が、世界を変えるその第一歩であることを願って、そしてそのために小さくても私たち一人一人が何かできることがあるのではないか、と思える出来事でした。広島に住んでいるとあたりまえに目にしたり耳に入ってくる被爆体験の数々。日本や、世界中の人に見てほしい、知ってほしいと思います。

それにしても、一目オバマをみたいから、とわざわざ平和公園周辺に出かけてる人がいるのにはびっくり。これだけ全国から伊勢志摩にも熊本にも応援に行かなきゃいけないときに、急きょ決まった広島にも警察官が全国からたくさん派遣されてきているのに、市民は少しでもその邪魔をしないよう、平和公園には近づかない、というくらいのほうがよかったのではないだろうか。もちろん、ご自身や身内の方が被爆され、大統領が来るのを実際に出迎えたい、というお気持ちの方もおられたと思うけど・・・

 


便乗商法

2016年04月30日 02時31分52秒 | 世の中

熊本・大分の震災にお見舞い申し上げます。

大きな地震や災害があったときにいつも思うのだけど、いろいろ支援したい、応援したい、という気持ちよりも、まず「邪魔をしてはいけない」が第一。

友人知人が心配で確認したい、声が聴きたい、と思っても、電話回線はただでさえ混雑しているのだから、緊急の方のために開けておかなければならない。身を切られるように身内に連絡を取り続けている人の邪魔をしてはいけない、自治体や警察、自衛隊など必要な機関が使えるようにしないといけないから、そこまで近しい人でない場合は、連絡を待つ。待つのはとてもつらいけど、そのくらいのことは耐えなければ。気持ちを伝えたいけど、それは余裕ができたときに見てもらえばいい、というくらいのつもりでメッセージする程度にしておく。

マスコミは、ヘリの音で捜索の邪魔をしたり、ただでさえ物資やガソリンが足りないのに、何人も現地に行くとか、信じられない。交通渋滞の原因になったり、ほんと邪魔でしかない。それなら物資の仕分けとかトイレ掃除とか手伝えば、と思ってしまう。

物資の支援も、大企業が同じものを大量にそろえて送る、というのを優先したほうが、現地の交通渋滞や受け入れ側の負担を考えると、ばらばらのものがばらばらに届くよりもたぶんいいと思うけど、じっとしていられなくて、個人個人がホームセンターやスーパーなどで水やオムツなどを購入し、運んでくれるところまで持参する人も多かったみたい。余震の恐れがあるから自分の家の備えもしないといけない、ということで、福岡などでは店頭から商品がなくなって大変だったようだ。個人が買ってそれを送る、というのは、結局小売店の利益も乗っかってくるし、配送のガソリン代もかかるわけだから、物の提供は、効率の良いメーカー直送とかにまかせて、その分の現金を寄付したほうが、と思うのだけど・・・とはいえ、お金があってもモノがない、という状況も確かに困るのはわかるけど・・・どうなんでしょう。

寄付でいい仕組みだと思ったのは、クリック一つでできるマイルの寄付。ANAもJALも、特典航空券に変えられるほどはどうせ貯まらないし、すぐに寄付しました。なにかすぐにできることがあったのは、気持ちが少しが収まってありがたかった!

アマゾンで、避難所単位などでほしいものリストから支援できる、というのも、いい仕組みだとは思うのだけど、悪用してテレビや一眼レフカメラを個人的にせしめたPTA会長もいるらしい、とか聞くと、善意を踏みにじるとは、、、と悲しくなる。

そもそも、これってアマゾンは仕組みを作るだけで売り上げが自動的にあがるのだから、アマゾンを儲けさせてる?と思うとちょっとクリックする気持ちにはなれない・・・ジャパネットは、売上額を全部寄付する、としたから、あっぱれ、だけど。

結局、震災に乗っかって、特需を作り出してる企業もけっこうある、と思うと、どうも憤懣やるかたない気持ちにもなってしまうのは、私の心が狭いから、でしょうか。


時間どろぼう

2016年02月29日 03時26分54秒 | 世の中

情報化の時代になって、目の前を通り過ぎていく情報があまりに多く、ほんとにこれでいいのか疑問に思うことも。

SNSでつながり、日ごろ会えない人の様子もわかったり、気になる情報が常に入るようになり、検索したりRSSで引っ張ってこなくてもなんとなく興味あるいろんなことが知れていい面も発見もたくさんある一方で、フェイスブックのタイムラインには、ランチの写真が並び、誰かの誕生日のコメントで埋め尽くされ、大事な情報を逃さないため、それらの不要な情報の中からきちんと拾い出すのに時間とパワーを取られているような気にもなってしまう。

同質の情報の中でぐるぐる回るのではなく、少しでも人生に役立つ、前に進める情報をきちんとそれもタイムロスをできるだけ減らしてキャッチしていきたい、、、

「それな」という言葉を聞いたとき、なんだか同質で群れている子どもたちを象徴しているような気がした。人として、そして社会がもっと成長していくには、同じ場所でとどまる居心地の良い情報のうず、楽しく面白いだけの情報拡散、そして憎しみ、憎悪、嫌悪、八つ当たり、言いがかりのような炎上、ではない情報環境が必要な気がする。

ということで、ひとまず自分自身の誕生日を非公開にしたり、ランチの投稿は控えるなど、不要な情報ができるだけタイムラインを賑わすことのないようにしてみることにする。

 


成人式におもう

2016年01月21日 11時58分49秒 | 世の中

今年も、成人式の様子がたくさんニュースになった。中でも北九州市の様子は、昨年からずいぶん取り上げられて、今年は、市が「自粛しましょう」と呼びかけたとのこと。

しかし、今どきSNSを見ていると、ハロウィンから忘年会までずっとユニークなコスプレで盛り上がり、それぞれに工夫し楽しんでいる様子。それはクリエイティブを競うという面もある。

北九州市の場合、花魁やグループで羽織袴をそろえているのは全体の15%もいないくらいとのこと。多くは普通の成人式を楽しんでいるけれど、集団だったりかなり奇抜な人がいるので、まるで全員がそうやっているかのように注目を浴びているようだ。

話を聞くと、1年前から、中には何年もかけてどうやって演出するか練り上げるという。そのための100万単位の予算をこつこつ貯める子もいるとのこと。親がお金を出すなら、親の満足する豪華な振袖を着るのが親孝行だけど自分で用意するなら、思いっきり自分を表現すればいいと思う。

成人式という一日の演出、思い出づくりのためにそこまでするのは立派だし、創意工夫、企画力を練る訓練にもなっていると思うので、私としては応援したい。

ハロウィンのときも思ったけど、やっぱりコスプレ世代、コスプレ文化だなあ・・・よさこい然り、岡山のうらじゃ祭りも、ちょっとした鬼メイクでみんなその日は鬼になり切れるため、集団での演出や一体感、そしてこのときにしか着れない衣装で楽しむ。ある意味日本文化の継承にもなっているような。そうそう、最近パーディーでも着物の人も増えたし、着物を楽しむ会というのも増えている。

ということで、北九州市の成人式もほほえましく見守りたい。一方で、暴力やお酒に酔ったり、式典をぶち壊すのはほめられたものではない、ですね。

 

 


表現者

2015年12月31日 01時00分30秒 | 世の中

野坂昭如さんが亡くなられた。

アニメを見る前にアメリカひじきと火垂るの墓を読んでいたので、アニメの火垂るの墓は、きれいごとにしか思えなかった。想像でしかないけれど、きっと野坂さんは、節子が亡くなったことは自分のせいだと自分を責め続け、その後悔や自責の念から書かずにはいられなかったのではないかと思う。きっと身を削るようにして、心の奥底の血反吐をはくような想いだったのでは、、、アニメ化されても、ご本人は見ることができなかったとのこと。そしてアニメ制作者も、壮絶な飢えと闘い、妹をある意味見殺しにして自分が生き残ってしまった、というストーリーはあまりにも生々しく、そのままは表現できなかったのでは、、、

作曲も、小説も、そして絵画も、芸術はきっと神様から選ばれた、才能のある人が、自分の身を削るような想いで表現するからこそ見る人、聞く人の心をうつのだろう、と思う。選ばれたからこそ死に物狂いで努力し、そのうえで、心まで削って表現する。だから、ドラッグにおぼれる人も出てくるし、自殺する人も出てくるのではないかな。(もちろん、そうではないプロ作家、プロ画家、プロ演奏家も大勢いる。)

また一方で、心にささったとげのようなものを吐き出したい、という気持ちは、才能にかかわらずあるんだと思う。1945年に広島と長崎に原爆が投下され、30年後の1975年にNHKが原爆の絵を募集した。描かずにはいられない、描くことで何か吐き出したい、という方の絵がたくさん寄せられた。直後は生きるのに必死だし、復興に向けてつらい過去は思い出したくないことだったかもしれないけれど、30年の間、心にずっと残っていた塊のようなもの、なのだろう。その絵は見る人のこころを揺さぶる。そして、まぶたにその光景が焼き付いている人は、確実に減っていく。

私の両親も、終戦時10歳で、母は朝鮮半島からの引き揚げ者。博多港に帰国したとのこと。(福岡に住んでいたとき西日本新聞で読んだけれど、博多港にはソ連兵に暴行され妊娠してしまった女性をひそかに堕胎させる産婆さんがいたそうだ。)父は、祖父の出征中に母親を亡くし、一家の大黒柱代わりだった。そんな両親の体験も、何かの形で残しておかないと。

表現すること、伝えること。「はだしのゲン」を描いて残してくださったことにも感謝するし、市民が描いた膨大な原爆の絵も人類の財産だと思う。しっかりと受け取っていきたい。受け取れる感性を持っていたい。子どもたちにも伝えたい。

 


今どきの若者

2015年11月30日 22時44分33秒 | 世の中

またもや恒例の月末更新・・・でも毎月更新は続いています。

今日は、広島市消費生活審議会でした。いつも思うけど、この審議会開催もそれなりの予算がかかっていて、一言も発言しない委員さんがいるのが信じられません。まあ、私はいつもついつい発言しすぎて、帰り道は反省ばかりですが。

さてさて、先週土曜日に、長期有給インターンシップ事業報告会を聞きに行ってきました。キャリア教育にかかわったこともあり、また高校生や大学生へのキャリアに関する講義をさせていただく機会もあるので、とても勉強になりました。

最近は、まちづくりや社会的課題に取り組む学生も多くて、それはそれで貴重な社会の資源だし、学生時代にしかできない貴重な体験、ということで、とてもいい効果が出ていることは確か。ビジネスベースでは絶対に回らないようなことが、学生パワーで成り立ってるし、その学生パワーで大人も子どもも元気になったり、経済効果にもつながったり、、、それを否定はまったくしないし、どんどんそんな活動に学生さんも率先して参画してほしい!と思います。実際、フクノワや、子ども×まちづくりカフェで出会う学生たちは、とても前向きでいろんなこと考えてるし、そんな活動の中から自身の成長にもしっかりとつながっているのは日々実感。私が学生のころとは比べ物にならないくらいにすごい学生たちとたくさん出会いました。

一方で、このインターンシップのいいところは、ビジネスの世界がちゃんと見れるということではないか、と思います。というのは、こういう営利目的でない、社会的課題の解決、その世界だけにどっぷりつかってしまって、その意義ややりがいを味わったばっかりに、営利目的だったりビジネスベースだったりすることを疑問視?罪悪感?嫌悪感?抵抗感?拒否感?うまく言えませんが、そんな傾向があるようにも感じる瞬間があります。

高校や大学、マスコミでは、大企業を辞めてNPOの世界に飛び込んだ人、とか、学生で起業した人、地域おこし協力隊とか限界集落で農業を始めた人などをもてはやすけど、トップ営業マンとか、日々会社の中での業務を通じて社会を支えているたくさんの人にフォーカスをあてることはあまりないように思います。教師という立場だと、ついついそういう人が素材として扱いやすいから??マスコミでは当たり前だとニュースにならないから?

でも、世の中のほとんどを支えているのは、そういう普通の会社員であり、そして経済成長を支えているのは、目標達成に向かって必死で売り上げを伸ばそうとしている経営者や社員たちだと思う。それを、ブラックだ、社畜だ、とかなんとか言って否定しようとするけど、そうやって一生懸命働く人がいなかったら世の中は回らないし、日々進化する商品やサービスは生まれてこないということに気付いているのかな~と。若いころに、一度くらいは徹夜で企画書書いたり、月末に数字をあげるためにマッチ売りの少女のごとく靴をすり減らして営業で回ったり、という経験も、ボランティアやまちづくりと同じくらい必要なことじゃないのかな、、、と思う。そして、悪徳商法以外のすべての企業は社会的な存在意義があってビジネスをしているのだから、しっかり利益をあげることが社会的責任だし、そうやって日々働くサラリーマンやすべての働く人たちも社会を支える一員であり、やりがいや喜びもたくさんある、ということもしっかりと若者にも伝えていかないといけない。

今回のインターンシップ報告会での学生の発言で印象に残った言葉 「仕事でしか得られない深い喜びがあるとわかった」「世の中のあらゆる仕事に尊敬の念をもった」うんうん、そうなのよ。