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湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

あの日(3.11)から、かれこれ7年

2018-03-07 15:30:03 | 日記
あの日から
もうすぐ7年
一区切りにもならないけれど
忘れてはいけない日なので
あの日のことをもう一度書いてみた。


この7年の間には
あれほどではなくても
色んな災害が起きている。
切ない。

それぞれの災害の
それぞれの重さがあるので
私の話は『ひとつ』のこととして。


**************************************



その日は一週間の仕事を終えてホッとする金曜日の午後。
いつもなら車のガソリンは半分しか入れないのに
竹野内豊に似たガソリンスタンドの兄ちゃんが
たまにはエンジンのために満タンにしておけば?って
そんなことを言うものだから
そうだねって笑ってガソリンを満タンにした。

それから
意気揚々と少し離れた本屋へと出かけた
前から欲しかった本を見つけ
2冊買おうかどうしょうか?
えい!!2冊買おうと決心してレジに向かう途中
揺れてる?ん?違う。
何かしら嫌な予感
本屋の天井の蛍光灯が少しゆがんでみえた
誰も騒いでないから錯覚かもと
2冊の本を抱えて
レジでお金を払ってから出るもりで歩いてた。
突然、一瞬のうちに自分が本棚に押しつぶされてる様が
脳裏をかすめたものだから
訳の分からぬ怖さが私の足どりを早め
いつしか小走りになり
果てはゴメンと抱えていた本をその辺に投げ込んだ時には
がむしゃらに走って出口に向かっていた

駐車場を出たところで
ふいに足元からグラリと揺れた
とっさに身をかがめたまま
何がおきているのか理解できないほどだった

数度繰り返し揺れたように思う
店内から悲鳴が聞こえる
10mもあろうかという看板の鉄柱が
数メートルに渡り形を変えず
平行移動を繰り返す

固いはずのアスファルトが
水の上に浮かべた絨毯のように
ゆらゆらとしなって波打って
その波紋にそって地割れができていく
私の足元にも、後ろにもやってきた。

ハリウッド映画のCGは
こんな風景を見たひとが作ったものであろうかー。
信じられない光景は人を麻痺させるものだ
この時はまだ、頭が真っ白なまま、そんなことを考えていた。


目の前の地割れが20センチ以上も開いただろうか
あちこち起きていた網の目のように開いていく奈落の底を
覗き込もうとしたけれど
落ちてこのまま出て来れない深さまで続いているようで
結局覗き込めないまま
氷の上に残されたシロクマのように
一人取り残されて、このまま暗い穴へ落ちて行きはしまいか

今、どこが一番安全なのか
落ち着きのない目で探してた

すると地割れは今度は徐々に閉じ始める
一番最後の蓋をするように寄ってきては
思い余って
波柱のように三角にツンと尖って
そして、もとのように平に戻っていくのだ
もし、あの地割れの中にいたとしたら
石の塊に挟まれて抜け出せないものかー?

閉じられた石のじゅうたんは
網目のようにヒビが入ったまま
アスファルトは干からびた塩の海のようだった。


何度も何度も確かめる
私の心と頭が交信する
ここの地面はアスファルト。
硬い人工の石のはず。
私はいったい水の上にでも立っているのだろうか?


東京の娘は?
家の年寄りは?
工業地帯にいる旦那は?


忘れていた感覚が徐々に覚醒してくる。


そこの駐車場から確か工業地帯が見えたはずだと
振り返って見たとき
忘れもしない、四色の煙が立ち登っていた。
私は、映画のワンシーンのような光景から現実に戻った。


すかさず、大きな声で
『私、車出しまーす』

こんなとこに居てられないと思った。
地割れがあるうちは動いてはいけないというセオリーがあるらしい。
しかし、
ここを早く出ないといけないと直感した。
とにかく、家に残っている両親が心配だった。
あたりにケガ人がいないのを確認して
急いでそこの駐車場を離れた
国道に出たところでタイミングよく娘から電話がきた
あなたは今どこにいるの?
震源地はどこ?
東京は大丈夫なのか?
幸いに、娘はマンションの自室にいた。
ひとまず、安心して気持ちを立て直す。


国道はまだ渋滞はしていない
しかし、程なくいっぱいになるだろうと
裏道を選択したが
この道路端の電信柱が今にも倒れ、
崩れかけて道を阻んでしまいそうだった。
幾つもの斜めになった電信柱のトンネルをくぐり抜け
ただひたすら、倒れてこないでよ~と叫びながら
その柱の足元から吹き出す人の背丈ほどもある噴水のような水柱に
いつか見たTVの中の液状化現象とオーバーラップして
起きていた事実を目のあたりしながら
早くここを抜けなきゃと
どれだけスピードをあげていたか、
もういまではもう記憶にない。


家まで向かう途中
なんども車を後ろから
誰かに揺さぶられているように車は揺れた
私は、ウソでしょ、ウソでしょって
声を上げずには運転出来なかった。
こんなに揺れて家は大丈夫かと
そればかりを心配していた。


家に近づいて行く
砂煙の中でご近所の瓦が吹き飛んでいた
うちも違わず家の半分以上の瓦がなかったのを
落胆もしないで茫然と目視したが
それよりも
私の姿を見つけ駆け寄ってくる父母
揺れが怖くて外へ飛び出したのだろう履物も履かずに。
目のよく見えない母がケガもせずに
私を待っていてくれたことに感謝した。


近所の人達がどういう訳かうちの家の前に終結してきた
ご近所同士でご近所さんの安否確認をしている最中に

はるか遠く
どこからともなく
重低音のわけの分からないものが
ものすごいスピードで近づいてきた
ドキドキと心拍数は上がっていく
耳が感じるか否かの時間であろうか
一気に足裏から地鳴りを聞く
体の感覚は恐怖で冴え渡り
足裏が耳をすませているかのようだった。

聞こえた足は体を震わせるのを躊躇しない。
波立つ振動を足から体へと伝わり
体が揺れるのを大地に踏み込んだ足もろとも揺らした。
ご近所の皆が円陣を組むようにして
『キャー』と一斉に座り込んでしまうほどの揺れだった。
誰かと肩を掴んでいなければ
とうてい不安と怖さでどうにかなりそうだった。



我が家は倒壊することはなかったが
半壊‥
屋根瓦800枚が庭に散乱していた。


後に、この瓦を撤去するのに丸3日かかった。
熱が出そうなほど動いたような気がする。


電気はかろうじてきているが水道は止まったままだったので、
止めてあった井戸のポンプを動かして
水道が正常になるまで、トロトロとしか出ない井戸水を生活用水とできた。


幸いなことに
買い物はすでに前の日にしてあって
食料、水(両親の薬用として)
確保できていたのは幸いだった。



あの時
自分の目の前で起こったことに必死で
各地で大変なことが起こっていたことを
翌日になって知ることになる。


まして、私がいたあの本屋さんに
津波が押し寄せていたことは
一週間後に知ったことだった。
そして、慌てて帰ってきた道の
ほとんどのマンホールが1メートルほど
せり上がっていたなどと、1ヶ月後に知ったことだった。


東北の甚大な被害ほどではなかったから
わが町は『隠れた被災地』といわれた。


それでも小さな町は津波が押し寄せ
車やコンテナは流され
数人の犠牲者が出た



複雑な思い
それぞれの立場
ひとりひとりのドラマがある
胸が潰れるほどの衝撃は
今だこの胸にある


忘れぬよう
あの日のこと。


今だ言葉にできずにいる人達のことも
忘れぬよう。



そうして
7年の月日がたった。


揺れの収まらない不安な寒い夜に
一緒に過ごしていた両親も今はいない。


今なら少しはわかる
震災で亡くなってしまった人を
見送った人達の思い。


自然のこととはいえ
繰り返したくない思い。


忘ぬよう‥
忘ぬよう‥















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一息の時間

2018-03-06 20:56:33 | ポエム

一息つく時間

もし
何かの理由でまだまだ
お仕事の人がいたら
一息つく時間が
すこしでも
訪れますように。


私も
ついこの間まで
24時間、目を見張ってばかりで
一息つく時間は
あったのかしらと思ったり


あらたまってって
ほっとする時間はちょっと辛いかな。

すこしは
一息できる時間があったらいいね



あなたは、どんな一息なのでしょう


スマホを触って終わりでしょうか


昔の人を思い出してみたり
今好きな人を思い出したり
ついこの間まで
そばにいたワンコを思ってみたり


人それぞれの時間に
訪れる一息つけるとき


夜の帳が下りてから
そっと
今日も頑張ったぞーって
一息つく時間が訪れたらね


意識を無にしてー
目を閉じてみてー

自分が海に沈んで
海の中から
キラキラ光る太陽を見ているような
そんなふうに思い浮かべてみてー


すこし
ゆらゆら水に漂いながらいるようにね
息を鼻からすってー
鼻からだしてー
ゆっくり、ゆっくりねー


あなたの全身に
光がキラキラ降りてきます。


しばらく目を閉じていると


眠ってしまうわけではなく
さりとて
しっかり覚醒してるわけではなく


ふわっ〜と
全身からチカラがぬけていく瞬間が
やがてやってきます。


しばらく
波間に身を任せている感じー


ゆら、、ゆら
ゆら、、ゆら


そしてね
ゆっくりと
目を開けたら‥


きっと
一息つくほんのすこしの時間が
意識の中で倍ほどふくらんで
すこーしの時間が
ながーくに
変わっていくのがわかることでしょう



おつかれさま。
一息ついて下さいね




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木綿のハンカチーフ

2018-03-06 19:46:39 | 日記
このところ
ハンカチが集まってくる

もちろん
泣く回数も
赤子のときはいざ知らず
大人になって
失恋したときよりも
はるかに多い泣きの
このところの回数なんて


知ってる友達は
これを使いなさいってことかしら


だから
私の頭の中で鳴り響く
『木綿のハンカチーフ』



♪ ねぇ 涙ふく 木綿の
ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい ♪


友達の前で
歌ったわけじゃないけど(笑)


って書いたところで
ちょうどテレビで
松本隆(作詞家)さん特集で
『木綿のハンカチーフ』が流れてきた
ビンゴ!!(笑)


大好きなスヌーピーは、ご愛嬌で。













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開かずの間の不燃ゴミ

2018-03-05 12:15:12 | 日記
不燃ゴミが出たからと
大きな袋を抱えて
『要らぬものは無いかえぇ〜♪』
さながら秋田のナマハゲのように
部屋を次から次へとまわって
ターゲットを探す

市町村では、一枚何円かのゴミ袋
いっぱいに無駄なく詰め込んで捨てたいと思うのは心情である

とうとう
2人が逝ってしまった部屋へと侵入

ここばかりは、なかなか探せない

しかし、
事あるごとに『般若心経』を唱えていると
『そこにあるのは 無 である』

何にも持たず、あの世へと旅路なのである。

死んでしまっては、もう 『無』なのです。

じゃ、少しは要らないものや
使わなくなった小物を
私の不燃ゴミを持ってる袋に
少しでも自分の心が安定している時に
放り込んでしまおうと
父の引き出しの燃えないゴミを
漁っていると

不意打ちに現れる、兄の物

大切にしまってあったのね。
当人は、亡くなって35年が過ぎているというのに。

やはり、可愛い息子だもの
若く26才にして逝った我が子のことを忘れることは、なかったのだろう

そして、かつて、 母とは違う愛した人の写真まで
出てきてしまい
私は途方にくれた


生きてきた道のりで
大切にしてきたことを
私が引き継いで行ってあげたいけれど
私が死んだあと
それもこれも
今度は私の子供へと処分をお願いするには忍びない。


私の所で
泣いてわめいても
何とか気持ちを立て直し
処分しなければと。


両親の思いが、兄や他の人のところに残されたままをつぶさに見て
私はまた、子供のように泣くしかなかった。


思い切り泣くとね
最近は、胸が痛いのよ、苦しいのよ。
だから、少しは勘弁してよと
早めに切り上げることにしてるというのに
本当にどうでしょう


あまりに‥
あまりに‥
重過ぎる‥


今の私には
まだ、捨てることの意味はわかっても
腹をくくることは決心がつかない


三人三様の思いがあるものを
私の一存で決めて
仕分けしていくのは
ちょっとした拷問に近いこと


また、先延ばしか。

うん、先延ばし。


いつか、もういいやと
全て受け入れて
処分できる日を待つことにしょう


日々の季節が
移り変わるように
私の気持ちも少しづつは変わってきている
帰らないものを待っているような感傷から
もう帰らないのを確信してもなお
思い出達に寄り添っていたい気持ち。


ご近所の人が言った
『ご両親さまを思い出してあげるのが
一番の供養となりますから、たくさん、思い出してあげてくださいね』


確かに
昔からそれが供養になると言うことは
知っているが
これも、今の私には
酷な話である。
言った人に非はないけれど。


忘れたことなどない。
いや、反対に忘れてしまいたいことがある。
早く楽になりたいて思っているのに
もっと思い出せ?


3人分の思い出を
笑顔で思い出せる時がきたら
その言葉を受け止めて
あの開かずの間の片付けもできることでしょう。


いつになるやら‥‥




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魚座と言う者

2018-03-05 07:08:13 | 日記
ゆらゆらとして
沢山の情という名の森に住み
自ら優しさの歓喜の涙で泳いでる
魚座の人

魚座の星座は2匹の魚の形

昔々、オリンポスの神々が居た時代
怪物に襲われた親子の2人が
離れ離れにならないように
自らの足(尾びれ)を紐で結わえ
魚に姿を変えて
川に身を投げて
泳いで逃げたという


1人はアフロディーテ
1人は、その子、エロース


魚座は
水の星座であって
人の心を自由に行き来する


他の星座には
目に見えないものを
受けいれないほど
疑ぐり深い星座があれど
魚座は
そのボーダーラインを持たないから
目に見えないものに
一番に泳ぎ着いて行けるの


年や性別と
あらゆるものに
ボダーラインを引かないから
全てを容認してしまう

その尺度は
魚座の感性にあって
魚座本人しかわからない


自由に感情の海を泳ぐから
人の心にもすーっと入り込む


計算ではなく
計算できないからこそ
憎めないと言えるのでしょう


そう
ボーダーラインを持たないから
気ままに泳いでいられるの


水の中
かつて人は生まれ出る前
羊水と言う水に浸かって
しばしを生きてきた


そこに帰っていくかのように
星座の一番最後に魚座は順じていて


春には、
星座の一番最初の
赤子のような牡羊座とめぐりゆく


星座は人生を回っているような
性質を持つと言われている



そんな最後の星座、魚座のわたし


誰かが、ブログの中や
話の中で
何年の何月、、とか
19◯◯年に、流行った歌、、とか

よく覚えているもんだって思う

やはり
私には、その時代の区切りも関係なければ、いつの頃かと反すうする始末


事象の記憶はあれど
年別には、頭のファイルにない


良いものは良い
感じるものは感じる
新しくても古くてもいい
自分の心の尺度があるのでしょう


その感覚があるだけ
感性で生きているせいか
そこに思い出達がくっついて
感傷や愛が交差している


ボーダーラインを
持たないと言われるのも
そういうことかもしれないね




















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