不燃ゴミが出たからと
大きな袋を抱えて
『要らぬものは無いかえぇ〜♪』
さながら秋田のナマハゲのように
部屋を次から次へとまわって
ターゲットを探す
市町村では、一枚何円かのゴミ袋
いっぱいに無駄なく詰め込んで捨てたいと思うのは心情である
とうとう
2人が逝ってしまった部屋へと侵入
ここばかりは、なかなか探せない
しかし、
事あるごとに『般若心経』を唱えていると
『そこにあるのは 無 である』
何にも持たず、あの世へと旅路なのである。
死んでしまっては、もう 『無』なのです。
じゃ、少しは要らないものや
使わなくなった小物を
私の不燃ゴミを持ってる袋に
少しでも自分の心が安定している時に
放り込んでしまおうと
父の引き出しの燃えないゴミを
漁っていると
不意打ちに現れる、兄の物
大切にしまってあったのね。
当人は、亡くなって35年が過ぎているというのに。
やはり、可愛い息子だもの
若く26才にして逝った我が子のことを忘れることは、なかったのだろう
そして、かつて、 母とは違う愛した人の写真まで
出てきてしまい
私は途方にくれた
生きてきた道のりで
大切にしてきたことを
私が引き継いで行ってあげたいけれど
私が死んだあと
それもこれも
今度は私の子供へと処分をお願いするには忍びない。
私の所で
泣いてわめいても
何とか気持ちを立て直し
処分しなければと。
両親の思いが、兄や他の人のところに残されたままをつぶさに見て
私はまた、子供のように泣くしかなかった。
思い切り泣くとね
最近は、胸が痛いのよ、苦しいのよ。
だから、少しは勘弁してよと
早めに切り上げることにしてるというのに
本当にどうでしょう
あまりに‥
あまりに‥
重過ぎる‥
今の私には
まだ、捨てることの意味はわかっても
腹をくくることは決心がつかない
三人三様の思いがあるものを
私の一存で決めて
仕分けしていくのは
ちょっとした拷問に近いこと
また、先延ばしか。
うん、先延ばし。
いつか、もういいやと
全て受け入れて
処分できる日を待つことにしょう
日々の季節が
移り変わるように
私の気持ちも少しづつは変わってきている
帰らないものを待っているような感傷から
もう帰らないのを確信してもなお
思い出達に寄り添っていたい気持ち。
ご近所の人が言った
『ご両親さまを思い出してあげるのが
一番の供養となりますから、たくさん、思い出してあげてくださいね』
確かに
昔からそれが供養になると言うことは
知っているが
これも、今の私には
酷な話である。
言った人に非はないけれど。
忘れたことなどない。
いや、反対に忘れてしまいたいことがある。
早く楽になりたいて思っているのに
もっと思い出せ?
3人分の思い出を
笑顔で思い出せる時がきたら
その言葉を受け止めて
あの開かずの間の片付けもできることでしょう。
いつになるやら‥‥
大きな袋を抱えて
『要らぬものは無いかえぇ〜♪』
さながら秋田のナマハゲのように
部屋を次から次へとまわって
ターゲットを探す
市町村では、一枚何円かのゴミ袋
いっぱいに無駄なく詰め込んで捨てたいと思うのは心情である
とうとう
2人が逝ってしまった部屋へと侵入
ここばかりは、なかなか探せない
しかし、
事あるごとに『般若心経』を唱えていると
『そこにあるのは 無 である』
何にも持たず、あの世へと旅路なのである。
死んでしまっては、もう 『無』なのです。
じゃ、少しは要らないものや
使わなくなった小物を
私の不燃ゴミを持ってる袋に
少しでも自分の心が安定している時に
放り込んでしまおうと
父の引き出しの燃えないゴミを
漁っていると
不意打ちに現れる、兄の物
大切にしまってあったのね。
当人は、亡くなって35年が過ぎているというのに。
やはり、可愛い息子だもの
若く26才にして逝った我が子のことを忘れることは、なかったのだろう
そして、かつて、 母とは違う愛した人の写真まで
出てきてしまい
私は途方にくれた
生きてきた道のりで
大切にしてきたことを
私が引き継いで行ってあげたいけれど
私が死んだあと
それもこれも
今度は私の子供へと処分をお願いするには忍びない。
私の所で
泣いてわめいても
何とか気持ちを立て直し
処分しなければと。
両親の思いが、兄や他の人のところに残されたままをつぶさに見て
私はまた、子供のように泣くしかなかった。
思い切り泣くとね
最近は、胸が痛いのよ、苦しいのよ。
だから、少しは勘弁してよと
早めに切り上げることにしてるというのに
本当にどうでしょう
あまりに‥
あまりに‥
重過ぎる‥
今の私には
まだ、捨てることの意味はわかっても
腹をくくることは決心がつかない
三人三様の思いがあるものを
私の一存で決めて
仕分けしていくのは
ちょっとした拷問に近いこと
また、先延ばしか。
うん、先延ばし。
いつか、もういいやと
全て受け入れて
処分できる日を待つことにしょう
日々の季節が
移り変わるように
私の気持ちも少しづつは変わってきている
帰らないものを待っているような感傷から
もう帰らないのを確信してもなお
思い出達に寄り添っていたい気持ち。
ご近所の人が言った
『ご両親さまを思い出してあげるのが
一番の供養となりますから、たくさん、思い出してあげてくださいね』
確かに
昔からそれが供養になると言うことは
知っているが
これも、今の私には
酷な話である。
言った人に非はないけれど。
忘れたことなどない。
いや、反対に忘れてしまいたいことがある。
早く楽になりたいて思っているのに
もっと思い出せ?
3人分の思い出を
笑顔で思い出せる時がきたら
その言葉を受け止めて
あの開かずの間の片付けもできることでしょう。
いつになるやら‥‥