湖のほとりから。

花と空と心模様を写真と詩と文に託して。

高野山奥の院

2018-09-20 10:10:26 | 日記
この道をかつて歩いたのはいつのことだろうと思いながら。


その時は
両親が必ず一緒にいたことは確かなこと。
今、亡骸になった2人の小さな遺骨をこの手に持って歩いていた。


和歌山、高野山『奥の院』


世界遺産に指定されてからは
初めて来たことになる。


世界遺産になってから、観光客やら海外の方が多くなり、昔からあるものは全く変わりがないものの、すっかりと感じは変わってしまったと友達から聞いてはいたが、
最寄りの駅からは、先だっての台風で
山の中は相当な倒木があり、電車が不通。
駅から代替のバスによる迂回となったせいで、人は多くないように思えた。


しかし、私は、
両親の遺言で
『子供達みんなで旅行を兼ねて、高野山へ納骨して欲しい』


その言葉を全うするためだけにやって来たので、人が多かろうか少なかろうが関係なく、ただ無事に納骨したかった。


両親の葬儀の時には
関西に住む親戚の参列は叶わなかったが、納骨と聞いて、最後のお別れにと
高野山まで来てくれた叔母や従姉妹達。


神戸空港から
レンタカーでやって来た私達は
かなり丹念に道を調べて車を走らせてきたつもりが、途中で道を間違う失態で、
従姉妹達に1時間半待たせてしまっていた。


待ち合わせ場所で、
そのお詫びと、今回のお礼、そして
遺骨の2人の戒名が書かれた骨壷を見せ懐かしい話をし始めたが、
納骨するには受付をして数時間待ちの場合があるからと先へ先へ進めと急き立てられた。


それもそうだ。
次から次と納骨をする人が行列をなし
1時間ほどの僧侶の読経のち、
納骨場へと移動して、またお経を受け、正式な納骨となる。


かつて、兄の納骨をした時には
人がごった返しになった中
それを終えた記憶が残っている。


従姉妹達は自分達が待たされたことより、私達の無事到着したことと、
今回、こうして会えた喜び、遺骨へのそれぞれの思いの中に居ながら
納骨への時間も考えていてくれていた。


ハッと我に帰るように
今、事務的に済まさなければいけないことに集中することにした。


受付にて、亡くなった人の名前
亡くなった日付け、その戒名。
いかに供養するかを一枚の紙に書いていく。

間違ってはいけないからと
少し難しい書き慣れない漢字を書いていくのは少し緊張した。
それが2人分。
2枚の用紙を書き終えたあと、受付の僧侶に手渡した。


亡くなった日を確かめた僧侶の顔が
少し悲しそうに私達を見上げて

『そうでいらっしゃいましたか。
お疲れ様でございました。これより20分後にお名前をお呼びしますので
そうしましたら、この灯籠堂の中にて、約1時間ほどのお経を受けていただいてから、のちに正式な納骨となります』

『はい』と。


いよいよ、両親の遺骨ともお別れになるのだな、、、。


ホッとしたような、悲しいような不思議な感覚に包まれたとき
やっと、ここ奥の院、灯籠堂の上を見上げることができた。


薄暗い灯籠堂の天井には二万基以上の献灯がなされ、淡いオレンジ色の灯籠が点在し、やがて光が繋がり、
やっと人の顔が分かるほどの明るさを保っているほどだった。


灯籠堂、奥の正面には1000年以上燃え続けているという『消えずの火』が奉納されている。

朱塗りの柱や金を施した仏品や幕。
それが灯籠の光を反射して
当たり前のように世俗とはかけ離れ、
息をのむ美しさと、あたたかさ。


けれど、とある世界から、これ以上入り込んではいけないような意図的に
遮断されている感覚。


ここに来る前に渡る、高野山奥の院の御廟橋(ごびょうばし)は
弘法大師が即身成仏された御廟がある聖域の入り口にあたる。

昔、親達から
あの世とこの世の境目だから
一礼してから渡りなさいと言われた言葉どおりに渡ってやって来た。


ある意味、その聖域の中に
踏み込んだ私達は
あの世の入り口の手前
この世のギリギリの場所にいるのだと
もう一度噛みしめるように
名前を呼ばれる時間を過ごしていた。


やっとここまで来たんだと
2人が逝った日から
早いような
長かったような。

この世での親との最後の約束を果たす日。


私の気持ちの中の深い所であるものと
地に足がついてないような
何か浮き足立ったものとが交差している訳の分からない感覚はなんだろうと自分を探っていると
先程の受付にいた僧侶に名前を呼ばれた。

灯籠堂の中程にある、赤い毛氈が敷き詰められた広い場所で読経を受けて下さいと誘導された。


鮮やかな赤い毛氈の上。
荘厳で圧倒的な目の前の御本尊様。
そこに座ってからも
自分の訳の分からぬものを探っていた。
僧侶がお経を読んでいただく場所とは、どのくらい離れているだろう。

10メートルはあるだろうか。

拝殿に来る客達の少し騒がしい音に紛れて聞こえてきた僧侶の読経。


お経が始まったと思ったら
何か私の中で観念したものがあるのか、やがて浮き足だったものが落ちつき始めてきた。


僧侶の低く響く声がなんとも心地よく聞こえてきたのは自分の心が静かになったのだと目を閉じた。


一瞬、無になった自分。


そして間もなく、僧侶の声の響きが変わったと目を開けた。


空気の流れが変わったんだと直感で思った。


あたりを見渡すと
灯籠堂の中にいるのは
私達家族と親戚の数名だけになっていた。


そして
千年息づいている木々達に目を向けると白く霞んで見える。


何ごとが起きたのかと
むくっと気持ちが起き上がった。


雨が、、、、。
雨が静かに降っている、、、。


しかも風が全くない。


真っ直ぐに、真っ直ぐに
空から白銀の絹糸を垂らしたように
細く激しく落ちてくるというのに
雨の音は気にはならない。


この世の全ての絹糸を集めてきたような。
それでいて、地に落ちて
少し泣いて消えてなくなるような。


こんな雨、、、初めて見た。


その途端、私の目からも雫が落ち始めた。
とめどなく、とめどなく。


雨も私も
それは、読経が終わるまで降り続いた。


まるで両親の涙雨
嬉し涙だろうか。



読経が終わると納骨堂へ移り
短いお経とともに
2人の遺骨は安置された。


その納骨堂横に目をやると
弘法大師さまの御廟


毎日、食事が運ばれ、毎年3月21日にはお衣替えされるという。


永遠の禅定に入り、人々を見守ってくださっている弘法大師さま。


その近くで
うちの両親も、そして昔は兄も
両親の親も、そのまた親も
安置されていることになる。


気持ちの問題なのだとは思っている。


生前の2人が言った言葉に沿って
こんな遠くまでやって来たが
じつは、
最初思っていた遺骨を手放す寂しさよりも遺言どおり遂行できた喜びが優ったのは、自分でも意外なことだった。



もう充分に
家で過ごしたね
毎日、 話をしたね
あとは、高野山のその場所の
私が行けない世界の人達と会えるね。


良かった、、、。


もう、浮き足立った得体の知れない何かも、
寂しさや悲しさも
私の中で消えていた。


叔母や従姉妹達とバスまでの短い時間、
話尽きないまま、コーヒーを一杯だけ飲んで、互いの健康と、次に会えることを楽しみにしていようと
泣きながら、抱き合いながら見送った。


時間は夕暮れ。
曇り空のせいか、あたりは薄暗くなってきていた。


さぁ、また車に乗り込んで次に行こう!


一軒のお土産物屋さんに寄ってから
高野山を下山し、数ヶ月前に予約していた橋本市の少し奥まった峠の温泉宿に着いた。


温泉に入り、食事処で夕飯を食べている時だった。


何やら奇声が聞こえる。

いったい何が?


高野山で会っていた叔母と従姉妹達が
そこに立っていた。

こんなことって、、、。


私達の宿泊先を聞き間違えたままになっていた従姉妹達は私達がいることは予期せぬこと。


帰宅するのには、遅い時間になってしまうだろうからと、その日に泊まれる宿を紹介してもらった叔母と従姉妹達。


巡り合わせとは
いかなるものか!


最後の最後に仕組まれた。
お茶目なうちの両親のしそうなこと。


驚きと喜び
感謝と感涙


その夜は
私と叔母と従姉妹達と。



夜中まで語り尽くした。














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