「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

リトル・フォレスト

2006-12-09 | 
スローフードというかロハス的漫画とでもいうべき本に出合いました。漫画「リトル・フォレスト」(五十嵐大介さん著)。

==以下、アマゾンから==
スローフードって楽じゃない。手間ひまかけて、汗かいて。だけど、そうやって辿り着いたひとくちには、本当の美味しさが満ちているのです。
当世きっての漫画家が描く、本物のネイチャー・ライフ。


雪深い東北の「小森」という小さな集落が舞台。農協が一番の商店といったごくごく小さな集落です。都会から出戻った若い女性が一人で田畑を耕し、野草や森の恵、川の恵を手にしながら暮らしていく。そこに、失踪した母親の影が思い出話としてちらつくにはちらつくけれど、話の基本はひたすらに生きていくための食のおはなし。どの回も実においしそうなのだ。

1巻(いまは2巻まで出てます)では特に、つきたてのお餅を納豆に混ぜて食べる場面なんぞ、のどがなったしまった。餅はもちろん杵うすでつく。その納豆も大豆をわらにくるんで雪の中に寝かせてつくったという、何から何まで手作りのまさにスローフードです。

実におししそうで、「ああ、やはり田舎暮らしっていいなあ」などと都会人の心をいたく刺激する魅力がある一方、生きていくこと、食を得るということの本来的な大変さ、過酷さ、他の生物たちの命の上に成り立っている「食」のむき出しの姿を感じます。主人公の女性は、モンシロチョウを見ると条件反射で叩き潰す。なにせキャベツなどの大敵、害虫ですから。都会人のように「まあ、蝶々。かわいい」などとは言っていられない現実です。けっして甘ったれた「憧れ」助長などではない、なんというかしっかりと大地に根を張ったような漫画です。

「夏子の酒」的に大上段に「有機農業が世界を席巻する!」みたいなことを声高に叫ぶタイプが登場するわけでもなく、田舎での暮らしが四季を背景に淡々と描かれるだけ。ほんとに不思議な、でも魅力的な漫画です。

批判的とか、説教臭いとかいうことはほとんどない漫画とはいえ、1巻でははっきりとそれらしい場面が一箇所だけあります。やはり都会から出戻ってきた青年が口にする戻ってきた理由の部分。

「自分自身の体でさ、実際にやった事とその中で自分が考えた事。自分の責任で話せる事ってそれだけだろ?(中略)なにもしたことがないくせになんでも知っているつもりで他人が作ったものを右から左に移してるだけの人間ほどいばってる。薄っぺらな人間のカラッポな言葉をきかされるのにウンザリした」(川魚を目前でさばきながら)「他人に殺させといて殺し方に文句つけるようなそんな人生送るのはやだなって思ったんだよね」

どうでしょうか? わたしなんぞは耳が痛い。田舎暮らしに「憧れ」はあっても「覚悟」はないし、あまりにも空虚な言葉を話し続けて、聞き続けてきてしまったから。

絵は好みが分かれるかもしれませんが、スローライフに興味があるかたはぜひご一読を。お奨めです。


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